明治天皇は即位の前に、讃岐(香川県)の白峰(坂出市)にある崇徳天皇陵へ勅使を送り、ここ京都の白峯神社へ神霊を帰還させた。

 崇徳天皇と言えば、平安朝末期に保元の乱を起こして失敗し、讃岐へ配流された人である。しかも、「皇を取って民となし、民を皇となす」、つまり天皇制をつぶすぞと言って死んだ人である。そのタタリは、源平盛衰記にも書かれたように現実となり、平安朝は衰退し、平家の時代、そして源頼朝による鎌倉幕府の時代となる。

 明治天皇が即位した時期の日本の状勢は、幕府の権威が失墜し、朝廷が再び政治の中心に組み込まれようとしていた。
 大政奉還、王政復古、天皇親政、そして天皇の神格化へと突き進んでいった。

 明治天皇は、崇徳天皇だけではなく、後にもう一人の天皇、淳仁天皇を合祀している。
 淳仁天皇もまた、称徳女帝に廃されて淡路島へ配流、非業のうちに亡くなっている。 つまりタタリを為すと思われていた。


 この白峯神社の地は、元は公家の飛鳥井氏の邸宅があったところと云われている。 飛鳥井氏は蹴鞠と和歌の宗家であり、その氏神である精大明神が、崇徳天皇の脇に祀られている。

 片方はタタリを恐れられ、これを鎮めて祀ることによって、善なる神に転化した御霊。もう一方は鞠の守護神だと言う。
 精大明神、近年は球技一般・スポーツの守護神として、参拝する人が多いという。「闘魂守」なる御守も売られている。


 例祭としては、4月14日に行われる淳仁天皇祭、七夕(7月7日)に行われる七夕祭、9月21日に行われる崇徳天皇祭などがある。 七夕には蹴鞠奉納や小町踊りの奉納があり、崇徳天皇祭には薪能が奉納される。

 神社は今出川通りに面しているが、例祭以外の日は、境内に一歩足を踏み入れれば、そこには、ひっそりとした空間が広がっている。
 

白峯神社




 蹴鞠

 七夕小町踊り