西寺跡の土盛りの横に今は児童公園があり、子供達が遊んでいた。昔々、ここには西寺という大きなお寺が建っていたんだよと言っても信じられないかもしれない。京都には何々跡という石柱が思いもかけない道端にあったりするが、ここはまだ土盛りがあるだけでもましかもしれない。
土盛りの上、大きな木の下には、昔日を思わせる心地よい風が吹いていた。
西寺は、羅城門を挟んで東寺と共に建てられた官寺だった。伽藍の配置は東寺とほぼ同じ。東寺が空海によって密教の根本道場となった後も、西寺は鎮護国家のための官寺であり続けた。
東寺は今でも健在だが、西寺の方は発掘調査の時にできた土盛りと礎石以外は残っていない。
西寺が再建されなかった理由は、いくつかある。まず、このあたりは、平安京創建時から湿地帯であったこと。
また、羅城門の倒壊、大内裏焼失、そして藤原氏の摂関政治、白河天皇による院政へと時代は急激に変化し、法勝寺が洛東に建てられたことで、都の中心はかってメインストリートであった朱雀大路からは、かなり東にかたよってしまったこと。
空海のようなスターが西寺からは出なかったこともある。
度重なる火災により、最後に残された五重塔も焼失し、それ以降、再建されることはなかった。
今では、土盛りの回りは、民家やマンションが建てられ、九条通からは少し入ったところに位置するので、訪ねてみる気がなければ見落としてしまう。
西寺の名残としては、もう一つ、かって西寺に祀られていたという地蔵菩薩像が、東寺の宝物館に安置されている。