20053 5 ()

今日は塗装日よりで朝から色塗りです。車両自作はもちろんHOやNで、楽しまれておりますが、両者は細密ですので、私のような年寄りには根気が続きません。しかしてすこし大き目のGゲージ自作を楽しんでいるわけです。Gですと、なかなか自分がほしい車両が製品ではないものですから、へたくそな工作技能を駆使しまして、せっせせっせと作りつづけているわけです。製作には、見本を手にいれるのが一番てっとりばやいとHOやNの完成品も買いつづけていますから、いささかややこしいのです。すなわち同じ種類の車両がNでもあり、HOでも持っており、また、Gでも作っちゃったと、考えてみますればとても非効率。どれか一本にすれば、労力も節約できるのですが、やっぱり大きいものがほしいのでしょうかねえ。

20053 6 ()

印象に残った映画(ituncle記)

大学教授さまのようないわゆるインテリ様のホームページにはご趣味や楽しみについての記載が公開されている場合がしばしば見受けられます。その中で、印象に残った、あるいは感銘を受けた映画作品として、イタリア映画「鉄道員」とアメリカ映画「ドクトル・ジバゴ」の2作品とされる,せんせ様をしばしばお見受けします。2つの作品は今から40年から50年前の作品ですが、共通点は機関車や列車など、鉄道が人生や心の動きを表現するための重要な役割を担っているのです。「ドクトル・ジバゴ」では市電のシーンからはじまり、モスクワから貨物の客車列車で革命から逃れて遠くの地へ都落ちし、落ち着いたところでモスクワへ戻り、市電から降りたところでジバゴ先生の命は尽きる、この間3時間、鉄道が時間空間をワープします。一方、イタリア映画「鉄道員」は主人公がイタリア国鉄の運転手さんで、幕開けから電気機関車が登場、衝突回避の急制動の場面や、蒸気機関車運転の場面や特急列車到着、発車の場面などイタリア国鉄のシーンがもりだくさん登場します。いかに人生と鉄道車両は密接かを物語るものではありますが、たしかに朝起きてJRで会社へ行き、夕方になるとJRで自宅へ帰る、を何年続けてきたことでしょうか。関口さん、今度は完乗をめざすのですってね。

20053 7 ()

鉄道模型は風流、風雅への道(ituncle記)

私の郷里の隣村では、古くからとても風流な秋祭りがございました。多分今も続いているのではないかと思います。それは、家々の軒先に、お茶碗や皿で、松や梅や山々や鶴亀など、テーマを決めて物のかたちを表現し、それらの物がモーターなどで動く仕掛けを展示するお祭りです。これって、とても風雅なイベントと思いませんか?それが1軒や2軒ではなく、おそらく20軒程度が趣向をこらして毎年違った出し物を出展するのです。見学者はあちこち回り、あそこの家のこの出し物はどうだったと楽しく論評するわけです。なんだか鉄道模型のレイアウト談義にも通じますね。鉄道模型を論じれば、話がつきないってことも、しばじば経験します。趣味や趣向もいろいろな流儀があって、奥行きが深いと感じます。平安時代のいにしえから、日本に住まう人々は風流、風雅をとても大事にしてまいりました。全国の祭りでも、とても優雅なおまつりがあちこちにあります。優雅なおまつりを調べますと、たいてい平安時代から続いています。秋田県角鹿市の花輪ばやしがそうです。おはやしは私のホームページにおいてありますので、よろしかったらお聞きください。花輪線の三重連、話題になっていますねぇ。

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「がったんごっとん」鉄道模型

先日テレビで映画の看板絵描きさんの取材を放送していました。大きな看板の絵を56時間かけて写真のように描き上げるのです。お見事です。そのかたの趣味として鉄道模型のレイアウトも紹介されましたが、「がったんごっとん」の音をより効果的に表現するためにレールの継ぎ目をすこし空けるのですと説明されていました。なるほど、ちょっとした工夫でより実感的になるものと感心したわけですが、さて、自分自身も展示の際は、短いレールは手前の見学者に近くへ、長いレールは奥のほうへと、目の前でなるべくレールの継ぎ目でカタコトと音が出るよう無意識のうちに小細工したものだと共感した次第。こうなりますと、趣味の人はいじらしいくらい、いろいろ考えるものですねぇ。そして見るかたがたの感受性をひそかに推し量るのです。あっ気がついたかなって。また、さりげなく表現して楽しむというのも奥ゆかしくていいですね。これこそ楽しい趣味の世界です。

2005313 ()

アンナ・カレニナ(ituncle記)

どうやら鉄道を道具立てに用いた大恋愛小説の作風がノーベル賞級ロシア大文豪の手法のようです。ドクトル・ジバゴは市電にはじまり、市電のシーンで終わります。この間主人公は蒸気機関車の貨物列車を改造した客車におしこめられて、はるかかなたの地、ベルキノへ逃れます。トルストイのアンナ・カレニナでは駅での劇的出会いから最後は駅での悲劇で終わります。この間、主人公はサンクト・ペテルブルクとモスクワ間を蒸気機関車の列車で往復します。アンナ・カレニナはいくつか映画が製作されたようですが駅で、悲劇で終わるのは、ちょつとちょっとで、原作と違えてハッピーエンドで終わらせた映画も製作されたとのことです。我々鉄道ファンにとりましては鉄道にからんだ作品はハッピーエンドで終わらせていただきたいものですね。でも鉄道は、なんとか列車殺人事件とか、殺伐とした作品の舞台づくりに一役買っている面もあります。よく本屋さんで小学生向けにやさしく書きなおした文庫本が並んでいますが、なんとか列車の殺人事件も、しっかり収録されていますねぇ。アンナ・カレニナのDVDはたったの500円で販売されていますので早速アマゾンに注文してみました。昔のロシアの帝都の駅や機関車の情景を画像でしのんでみることにします。

2005315 ()

誓いの休暇(ituncle記)

旧ソ連時代に反ソ的、くだらぬ映画と批判を受けて公開禁止、しばらくお蔵入りとなり、後に農村の集会所での映写が許可された名画に「誓いの休暇」があります。結局、この作品は1960年にカンヌ国際映画祭で最優秀賞を受賞しています。前線の兵士と貨物列車に乗り合わせた若い娘さんの純愛物語、母と息子の愛が回想形式で、しかも蒸気機関車が牽引する列車が全編を通して登場する点は、「ドクトル・ジバゴ」や「アンナ・カレニナ」の製作手法と類似していますが、この映画は純粋のソ連映画であることから、ご本家の映画筋立て手法といえましょう。この映画も、これでもか、これでもかと機関車列車の場面が登場します。機関車は、ちょっと見、ロシアのWEBから特定できそうな感じです。それにしましても旧ソ連時代は映画一本作るにも、党、委員会からあれこれ批判され、せっかく作っても没とはたいへんのようでしたが、時代は変わって、いまではこの映画はロシア映画評議会の一押し作品です。DVDでは反骨精神旺盛だった監督が35分にわたり当時を皮肉たっぷりに、暴露しています。

2005317 ()

間諜最後の日(ituncle記)

巨匠ヒッチコックさんの典型的英国諜報員の物語「間諜最後の日」をDVDで見ました。間諜最後の日とは、もうスパイはやめたとの意味合いですから、ひとまずご安心いただきましょう。英国諜報員がスパイの拠点であるチョコレート工場へ乗り込み、ヒチコックお得意の列車シーンへと突入するクライマックス、そして登場人物が方向違いの列車へ乗り込むのは、いつものパターンで、ヒチコックの面目躍如たる傑作です。機関車の煙突から出るか細い煙は一目で模型とわかるのですが、蒸気機関車の列車編成がとことこ走り、その列車が爆撃を受けて派手派手に脱線転覆するのです。もちろん乗り合わせた主人公は怪我ひとつなく助かります。今回は模型列車が宙を舞い、ばらばらに壊れるのですが、1936年当時としましては画期的映像表現であったことでしょう。それにしましてもヒッチコックさんはじめヨーロッパの監督さまは機関車列車を続々繰り出し、スリルとサスペンス、はたまた大ロマンを豊かに映像表現されておられ、カルチャーの奥行きを感じます。また、模型職人さんの列車模型製作技術は当時から相当高いレベルにあったものと思われます。

2005321 ()

「路傍の石」(ituncle記)

国民的作家、山本有三も作品の中にしばしば鉄道を登場させています。主人公が鉄橋にぶら下がる場面は、小説「路傍の石」でもっともよく知られており、映画ではせまりくる機関車の場面で見せ場となっています。さて、その鉄橋はどこなのか興味しんしんですが、この場面は完全にフィクションで、どこでもないとされています。また、その話は、以前の戯曲、「生命の冠」にすでに登場しているので、鉄橋ぶらさがりは山本流、有三好みの主人公人物像表現としてのあらわれとされています。一部分ではありますが小説の舞台として鉄道を用いることにより鮮やかに人物像を浮彫りにする手法と申せましょう。小学校時代に学校ぐるみで見ました「路傍の石」の鉄橋の場面は、いまでも鮮明に覚えています。機関車が迫りくる恐怖表現は映画「アンナ・カレニナ」のしょっぱなとラストシーンに登場し、蒸気機関車にひかれて2名がおなくなりになりますが、「路傍の石」の吾一さんは、すんでのところで機関車は急停車し、やれやれでした。小説自体は、軍国主義に、戦後は占領軍にまるで路傍の石のようにけっとばされつづけ、ついにはストーリーが二手に分かれてしまったのですが、日本文化史一縮図とされるこの作品の中に鉄道列車が登場する点は興味深いことでもあります。

2005325 ()

坊ちゃん(ituncle記)

「坊ちゃん」も一の段から「新橋の停車場で分かれた....」とか「車を並べて停車場へ着いて...」などからはじまり、最後の段では(坊ちゃんは)「その後ある人の周旋で街鉄(=東京市街鉄道株式会社)の技手になった」で締めくくられ、鉄に関する記述は少なくありません。一番のくだりは蒸気に乗って湯へ出かけるところでしょうか。ここでは赤シャツやマドンナやら、うらなりさんが、わいわいがやがやとにぎやかに登場いたします。四国松山の坊ちゃん列車はあまりにも有名で、手にしています新潮文庫の286円の「坊ちゃん」の表紙も坊ちゃん機関車が描かれています。漱石先生は「ぶうといって汽船がとまると」とか「ピユーと汽笛が鳴って、」とかサウンドエフェクト満点の表現をなされています。模型もやっぱりサウンドでしょうね。それにしても江戸っ子べらんめえ、正義の味方の坊ちゃん先生、わずらわしい人間関係と見てとった教職界にさっさと見きりをつけて、東京へ戻り、市電の会社の技師になったということは、もともとは鉄指向でしたのでしょうか。市電のメインテ、あるいは新造車両の設計や発注に携われ、その後楽しく鉄三昧の人生を送られたことでしょう。めでたしめでたし。

2005330 ()

「三四郎」(ituncle)

坊ちゃんは都会から田舎へ移動しましたが、三四郎さんは田舎から都会へ移動しました。三四郎さん汽車で上京の途中、たまたま一緒に乗り合わせた女性と名古屋で泊まりますが、な〜もなかった純情無垢な三四郎さん、東京で一番驚いたのは、電車がちんちん鳴るのだったそうです。「三四郎は東京の真ん中に立って電車と、汽車と....」と続きます。また有名なくだりに「駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯の点いた洋燈を挿し込んで行く。」とありますが、当時はスイッチポンで電灯がつくわけでもなく、係りのかたが客車の屋根へよじのぼってランプを挿し込むなんて、大変でしたねぇ。明治41年に朝日新聞に連載されました小説ですが、東京の市街電車である外濠線や御茶の水と八王子間を走る甲武線についての記述も出でまいります。漱石先生、青春小説の古典「三四郎」で人物群像のデッサンとともに、帝都の汽車や電車のデッサンもしっかりなされておられます。

20054 2 ()

「金色夜叉」(ituncle)

先生から決して「きんいろよまた」と読まないように、「こんじきやしゃ」と読みなさいと教わりましたのですわ。これまた明治文学を代表する明治31年の一大ロマンでございます。貫一いいなずけのお宮さんは富山のもとへ嫁ぐことになり、あっさり振られた貫一さん、全身の血が頭へのぼって、怒り狂い、お宮さんをののしるわ蹴飛ばすわでもう大変。今月今夜うんぬんかんぬんでクライマックスを迎え、涙涙で前編が終わります。そして中篇へ移り、新橋駅は42分、東海道へ向かう機関車は煙を吹き、30余両を連ねて横たわり、駅夫は早く早くと乗客を急がせます。(意訳)とまあ、汽車に乗る乗客たちの人物像を描く小説のひとつのパターンでございますが30余両を連ねてとは、ほんとうかいなといささかクエスチョン。新橋横浜間、あるいは新橋熱海間と登場人物を明治の東海道線が精力的に運びます。

2005514 ()

随筆家、内田百閧フこと(ituncle)

小説「阿房列車」シリーズでよく知られている内田百閧ウんは、いまだにテレビや新聞で、普通の人が実践できないちょつとかわった痛快な体験をなすったと話題に出ます。いわく、なんにも用事はないのに東京から大阪へ向けて汽車に乗り、とってかえして帰ってくるとか、つまるところ乗り鉄元祖のお方で、鉄道ファンにとりましては教祖さまです。住まいである三畳御殿の写真などによりますと、のそんなにお金持ちには見えませんが、お金を工面しながら全国を旅なすったということで、とても庶民的な振る舞いには、いまだに多くの人々の共感を呼んでいます。さて、514日本日の読売新聞の「編集手帳」にも内田百閧ウんの食べ物の名前が延々と続く風変わりな一文が紹介されています。読売新聞によりますと「ただひたすら単語の羅列から食への情念がにおい立つようで、異様な迫力がある」とあります。氏は、酒、琴、汽車、猫などを愛したそうで、とにかく汽車に乗って出かけ、阿房列車シリーズをしたため、食へのあこがれから食べ物の名前をつづり、ご自身の好きなものを文章で表現され、戦後以来の経済発展により多少余裕が出来て好きなことをやりたく思う現代の人々の行動パターンを先取りされたお方です。とにかく好きなものはすきなのさと痛快まるかじりです。大学生のサークルを中心に乗り鉄は結構盛んと聞きます。社会人の鉄道模型への傾注も注目されますが、逆に模型店さんの閉店など衰退が目立ちます。ということは徹底的のスクラッチするか、あるいは大規模工業生産の商品が供給されるかの二極分化が進んでいるからでしょうか。どっちつかずの商品供給の商いはなりたたなくなってきているようです。

20056 4 ()

今日は一日JAM出展準備(ituncle)

自作蒸気機関車4輌の仕上げの試運転と調整を行いました。8620を三重連で走らせることと、C622の安定走行の確認です。ロッドまわりは4輌にそれらしく塗装を施しました。結構長い車輌ですので、カーブをうまく回りきることができるかどうかが勝負の分かれ目です。動輪のフランジは紙ですから、気をつかいます。展示ではR3の曲線レールを走らせますが、上から見ますとほとんど90度に折れ曲がって進行する感じですから緊張の一瞬です。
機関車  あとC623とE428の二輌製作中ですから、都合6輌の出展となります。うち蒸気機関車の新作5
客車   ニセコ8輌
貨車   あらたに5輌製作は完了していますので、昨年製作の5輌とあわせて10輌となります。
ということで、ことしはほとんど蒸気機関車が走り回る展示となります。

2005728 ()

E428186 ituncle


イタリア国鉄E428電気機関車です。名画「鉄道員」に登場しまして、すばらしい走りを見せてくれました。映画は国鉄機関士一家の家族愛につつまれた物語で、多くの人々の感動を呼びました。しかし今DVDで見直しますと、当時はよほど「うぶ」だったのか、長女の「悩殺ボインのナイスバディ」には、ち〜とも目が行っなかったことに気がつきました。もっぱら電気機関車への興味であったかもしれません。その機関士さんは、病魔におかされ一人寂しく死んで行くのですが、実際の俳優さんは、周りをにぎやかに取り囲まれて、ばではでのうちにお亡くなりになったとのことです。