楠のどこでもドア



*小学校の卒業遠足の行き先がディズニーランドと決まった。
「ディズニーランド! やったー」
*美里は思わず叫んで口を押さえた。ディズニーランドにいったことがないなんて誰にも知られたくない。
*行ってみたいとずうっと思っていたのだ。でも、費用が1万円というのを聞いて気が重くなった。

「お前にやるお金はないぞ! ディズニーランドなんか行かなくていい」
*案の定、父は酒瓶を片手に叫んだ。3か月ほど前、母が病気で死んでから、父は仕事にも行かず毎日酒ばかり飲んでいる。
*仕事をときどきさぼって、競馬やパチンコにいってしまう父。経済的にいつも大変だった。母は体が弱いのに無理をして働いた。 *そのせいで病気になったのだ。父のせいだ。美里の心にむらむらとにくしみがわいた。

「酒代はあるくせに。何でくれないの?」
*美里は父親に向かっていった。
「うるさい!」
*父は灰皿を投げつけた。灰皿は美里の額をかすめた。煙草の灰が舞い上がる。
「ひどい! こんな家、出ていってやる」
*美里が叫ぶと、父が腕をつかんでひきとめだ。美里は痩せて鶏のがらのような父の手をふりはらって家を飛び出した。
(わたしって、かわいそう……)ぽろぽろ涙があふれる。

*駅まできてしまったので中央線に乗った。いくあてはない。電車が三鷹駅に止まると、急に降りてみたくなった。
    *多摩川沿いを歩いていくと、「野鳥の森」と立て札のある雑木林がみえた。
*美里は雑木林に入った。林には人影がなく、ぎしぎしと土を踏みしめる足音だけが聞こえる。北風が木々の間を通りぬけた。

*楠の下に金色に光る鍵が落ちていた。鍵を拾ってながめていると、かわいい声がした。
「それは、どこでもドアの鍵だよ」
*いつの間にやってきたのか、小学1年生くらいの少年が後ろに立っていた。
「どこでもドアって、ドラえもんの?」
*美里がたずねると少年はにっこり笑った。 「ちょっと違うけど、行きたいところを言って鍵を開けるとそこへ行けるよ」
*少年は目の前の太い楠をさした。幹には四角い扉がついていて鍵穴がある。
「ぼく、いま天国にいってきたんだ。お姉ちゃんも開けてごらんよ」
*ばからしくなって首を横に振ると、少年は訴えるような目で美里をみつめた。美里はしかたなく楠の扉に鍵をさしてみた。
「行きたい場所を言って」
「ディズニー……天国」
*美里はディズニーランドと言おうとして、天国と言い直した。もし天国に行けたら母に会えると思ったからだ。

*中に入ると体がふわりと軽くなり、薄暗い中をゆっくり下に落ちていった。 ようやく地に足が着くと、目の前に何十枚もの扉が円形に並んでいた。
「行き先を言い直したから、次元の狭間に落ちたんだ。全部の扉を開けないと帰れないよ」
  *少年の声がした。だが姿はみえない。

*扉のひとつに鍵を差してみると、ディズニーランドが大きなスクリーンに映し出されていた。
*たくさんの親子連れが楽しそうに汽車に乗っている。その中に父と母の姿をみつけて、美里は「あっ」と声を上げた。 *母のひざには3歳くらいの女の子が乗っている。

「わたしだ。そういえば、ディズニーランド行ったことあったんだ」
*遠い過去の記憶がよみがえってきた。母に何か話しかけている父は、幸せそうな笑顔だ。
*隣の扉を開けると、真っ暗闇だ。暗闇の中にぼおっと明かりが浮かび、その中にひとりで酒を飲んでいる父がみえた。
*さっきの父とは別人のように痩せてやつれている。いまの父の姿だ。

*美里はあわてて扉を閉じ、隣を開けた。そこも暗闇の中に浮かぶ父の悲しげな姿があった。
*その隣も、その隣も……。扉はあと1枚となった。ところがいちばん最後の扉だけが開かない。鍵がささらないのだ。
*ドンドンと扉をたたいたがびくともしない。
(どうしよう。帰れない)

「鍵が曲がっているから開かないんだよ」
*また少年の声がした。
  *美里は鍵のぎざぎざしたところを親指と人差し指ではさんだ。 父親の鶏のがらのような手みたいだ。
(父さんは寂しいんだ。だから、お酒ばかり飲んでいるのかもしれない……)
*再び鍵を開かずの扉に差すと、くるりと回った。扉の中は暗闇だったが……。

「開くのを待っていたんだ」
*少年が走ってきて、扉の中にすべりこんだ。そのとたん稲妻のような光が扉から放たれた。
*すべての扉が開き、光は幾筋もの帯となって全部の扉に入った。
*美里は驚いて声も出せずにじっとたたずんでいた。まぶしくて目を開けていられない。
*しばらくして目を開けると、楠の前に立っていた。少年の姿も握っていたはずの鍵もない。
*日の光が木の葉を通して美里に降り注いだ。美里の心は明るくなっていた。

(家に帰って父さんの好きな肉じゃがを作ってあげよう。母さんと同じ味は出せないけれど……)

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