ガン細胞のビビくん2


ガン細胞が声をそろえて返事をしたとき、ふみかさんははっと飛び起きました。
ガン細胞が体中に増えていく夢をみてうなされ、目をさましたのです。ふみかさんは汗びっしょりでした。
「ガン細胞がどんどん増えていったらどうしよう……」
ふみかさんは、ふとんをかぶって泣きました。

「泣いている暇があったら、自分でガン細胞をやっつけたらいいのに」
という声が耳元で聞こえました。
「だれなの?」
起きあがってあたりを見回しましたがだれもいません。
「変ねえ。気のせいかしら……。自分でガン細胞をやっつけられたらとっくにやっつけているわ」
ふみかさんがひとりごとをいったとき、ぐるぐる目まいがしました。

ふとんの上に倒れ込んだと思ったのですが、目を開けるとみたこともない景色の中にいました。
でこぼこした地面の上にタケノコのような太い木が立ち並んでいます。その木は真っ黒で枝も葉もありません。
一本の木の後ろからヒトデのような形をした生き物が近づいてきました。
「だれ? ここはどこなの?」
「ぼくはマクロファージ。免疫細胞だよ」
「細胞ですって! 細胞は目に見えないくらい小さいはずなのにどうしてそんなに 大きいの?」
「ぼくが大きいんじゃなくて、君が小さくなったんだよ。ここは君の左腕の上だよ」
「ええっ! わたし、どうして自分の腕の上にいるの?」
「きみは、本体であるふみかさんの分身さ」
「腕の上っていうことは……この太い木はもしかして毛?」
木の根元に穴があいているのを見ながら、ふみかさんがたずねました。
「そうだよ。それより、お願いがあるんだ」
「なあに?」
「ガン細胞やっつけるのを手伝ってほしいんだ」
マクロファージは、ぶよぶよの体をゆらしました。
「どうやってやっつけたらいいの?」
「ぼくの後についてきて」

マクロファージは木の根元の穴にぴょんと飛びこみました。穴の中は真っ暗で何もみえません。
ふみかさんは少しためらいましたが、ガン細胞をやっつけられるならと思い切ってマクロファージの後に続いて足を踏み出しました。 ふみかさんは、滑り台をすべるようにどんどん穴の奥へすべっていきました。
穴から出ると、ふみかさんと同じくらいの大きさの細胞がびっしりと並んでいます。マクロファジーのすがたがみえました。 マクロファージは細胞の間をすりぬけるように進んでいきます。

しばらくいくと透明な液体の流れる川がありました。
「これは、リンパの川だよ。ここからガン細胞たちが、この流れに乗っていくのをさっき見たんだ。急いで飛びこめば追いつくよ」
マクロファージはハアハアと息切れして何だか元気がありません。
「どうしたの? マクロファージ」
「ぼくは、もうだめだ。ガン細胞たちとの戦いで弱っているんだ。とても、ガン細胞を追いかけてはいけない。あとは、ふみかさんたのんだよ」
 マクロファジーはへなへなとすわりこみました。
「ええっ、わたしひとりで? ガン細胞ってたくさんいるんでしょ」
「うん。でもかれらをやっつけるいい方法を教えるよ」
「いい方法って?」
「体の奥に動脈が通っている。動脈は流れが速い……。動脈の血管に入ると、激流にのまれてガン細胞たちは死んでしまうんだよ……。だから、なんとかかれらを動脈にさそいこむんだ」
マクロファジーは、ようやくそれだけいうとばったり倒れてしまいました。

「あっ、マクロファジー、しっかりして」
ふみかさんはマクロファジーを抱き起こしました。
「ぼくはだいじょうぶ。しばらく休めば元気になるから。それより、早くガン細胞をみつけないと体中に広がってしまうよ」

ふみかさんは、マクロファジーに別れを告げ、思い切ってリンパの川に飛びこみました。川はふみかさんの足が届く深さで、流れはゆるやかです。
ふみかさんは得意の平泳ぎで進みました。たくさんの丸い細胞がプカプカ浮かんで流れていくのがみえました。ふみかさんは追いかけると、ひとりの細胞をつかまえてたずねました。
「ちょっと聞きたいんだけど、この川にガン細胞が来なかった?」
「おれたちがガン細胞だ。おれの名はビビ」
「ビビくんていう名前があるのね」
「お前はだれだ?」
ビビという名前のガン細胞は、けいかいするようにふみかさんをながめました。
「わたしは、ふみか。この体の持ち主よ」
「なんだ、本体か。免疫細胞隊にしては変な形だと思った」
「まあ、変な形だなんて失礼ね。それより、あなたたち、どこへいくつもりなの?」
「さあ。風のふくまま気の向くまま、好きなところで川から上がって増えていくつもり」
「やめて! お願い」
「何でだい? おれたちは自分のしたいようにするのさ。だれの指図も受けないよ」
 ガン細胞は口をそろえていいました。

(困ったたな。マクロファージに教わったように全員を動脈に誘い出さないといけないのかしら。でも、どうやって?)
「どうしてあちこちに散らばろうとしているの? みんな一緒にいたほうがいいんじゃない?」
「やい。本体、おれたちをひとかたまりにして、また切り取ろうとしているんだろう。この前は、たくさんの仲間がいなくなってしまった」
ビビくんが米粒のような目でふみかさんをにらみました。
「あれは、仕方なかったの。病院にいったら、ガンかどうか調べるために切りましょうって言われたの」
「仲間がいなくなって、すごくショックだったんだよ」
ビビくんは悲しそうに顔をゆがめました。
「ぼくは、ベベくんとふたりだけになってしまったんだ……だから、いっしょうけんめい増えたんだ。免疫細胞隊にみつかったら、いつやられてしまうかわからないんだよ。 だからあちこちで仲間を増やそうと思ってるんだ」

 ふみかさんは、ビビくんが一生懸命生きようとしているのを知って、ガン細胞も造られたひとつの細胞だということに気づきました。
「ごめんね。わたしは、もうあなたたちのことをやっつけたいとも切って捨てたいとも思わないわ。でも、体のあちこちで増えてしまうと、本体が弱って死んでしまうかもしれないの」
「本体が死ぬ?」
 ビビくんはおどろいて口をぽかんと開けました。
「ビビくん、だまされるな。こんな大きな体が死ぬわけないじゃないか。おれたちをだましてやっつけようとしているんだ」
 ビビくんのとなりにいたベベくんがいいました。
「そうだよな、本体が死ぬわけないよな。本体は、おれたちがみんないなくなればいいと思っているんだろ」
「ちがうわ。あなたたちのこと、宝物のように大事に思う」
「えっ?」
ビビくんは、はっとしたような顔をして何かいおうとしました。でもすぐにベベくんの言葉に耳を傾けました。
「ビビくん、本体からはなれたほうがいいぞ。ぼくたちをやっつけようと何かたくらんでいるようだから。 みんなでリンパの川から上がって、血の大川にいこうぜ。血の大川の方が流れは速いから、あっという間に体中まわれる。 早く落ち着くところを探そうよ」
「そうしようか」
ビビくんは、ふみかさんを無視してみんなに声をかけました。

「みんな、リンパの川から上がれ! 大川にいくぞ」
 ガン細胞たちは次々と上がってきてビビくんを先頭に一列になってリンパ管のすきまをすりぬけていきます。
「待って、ビビくん、待ってよ」
(血の大川って、もしかして大動脈のことじゃないかしら。そこに入ったら激流にのまれてみんな死んでしまう……。助けなくちゃ)

ふみかさんは、ビビくんたちを追いかけました。ビビくんたちは体の奥深くにもぐっていきます。血管の壁が現れて、ガン細胞たちが壁の中にすいこまれるように 入っていきました。ふみかさんもあわてて入ると、マクロファージのいったとおり、すごい勢いで川が流れていました。
赤くて円盤型の細胞……赤血球がたくさん流れているので、川全体が赤くみえました。ふみかさんだって流れにのまれてしまいそうです。
ふみかさんは、しばらく岸辺にたちすくんでいました。

ガン細胞たちは次々とびこんでいきます。ふみかさんの目の前をビビくんが流れてきました。
大波をかぶってビビくんは沈み、浮き上がっては苦しそうにあえいでいます。
ふみかさんはとっさにベルトをはずしてビビくんに差し出しました。
「これにつかまって、ビビくん」
ビビくんは手を伸ばしましたが届きません。ベベくんやほかのガン細胞たちがどんどん沈んでいきます。
ふみかさんは激流の中にとびこむと、ビビくんの丸い体をつかまえ、岸に向かって必死に泳ぎ、なんとか岸にたどり着きました。
「よかった、ビビくん。死なないでよかった」
ふみかさんはビビくんを抱きしめました。
「うぇーん、うぇーん」
とつぜんビビくんが大声で泣きだしました。
ふみかさんがビビくんの頭をなでると、ビビくんはしゃくりあげながらいいました。
「本体が、ぼくのこと宝物のように大事に思うっていってくれたのにそれを信じなかった。ぼくたちをだましているのかと思ってた。疑ったりしてごめんなさい」
「いいのよ。わたしは、はじめガン細胞をやっつけようと思って体の中に入ったの。 でも、ビビくんたちに出会って、ビビくんたちも造られたひとつの尊い細胞だっていうことに気づいたの。だから死なせたくなかっただけ」
「造られたって、だれに?」
「神さまによ」
「神さまに!」

ビビくんは生まれたころのことを思い出していました。はっきりは覚えていませんが、生まれたばかりのころは、ガン細胞ではなく普通の細胞だったような気がします。
「どうしてぼく、ガン細胞になっちゃったんだろう……」
ビビくんはいままで免疫細胞たちをやっつけてきたことを思い出しました。
飲みこまれるときのNK細胞の悲しそうな顔が思い浮かびました。
「ぼく、いままで、ひどいことをしてきた……ごめんなさい、ふみかさん、ぼく、どうしたらいいんだろう……」 ビビくんは、はじめてふみかさんの名を呼びました。ビビくんの目から涙があとからあとから流れてきます。 ふみかさんはビビくんをしかり抱きしめました。するとビビくんの体が変化していきました。
気がつくとビビくんはガン細胞ではなく、ふつうの細胞になっていました。

「ビビくん、あなたはもうガン細胞じゃないわ。新しく生まれ変わったのよ」
 ふみかさんの言葉に驚いてビビくんは自分の体をながめました。体の色も形も変化していました。
ガン細胞は、体が死ぬまでは死なないけれど、いい細胞は古くなると死んでいきます。体の中では次々新しい細胞が生まれていて、古い細胞と入れ替わっているのです。
ビビくんは、短い命でもいいと思いました。これからは、自分のことを尊いといってくれたふみかさんが少しでも元気になるように働こうと決心しました。
ふみかさんはビビくんに別れを告げて、体の外に出ました。
外に出ると急に眠くなってきて、自分の腕の上でぐっすり眠りました。

目を覚ますと、ふみかさんの意識はもとの体 にもどっていました。
「ビビくん、仲良くしようね」
ふみかさんは腕をさすっていいました。体の中から元気があふれ出てくるのを感じました。
                          
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