書評 『リピート・シンドローム』
−光さしくる文学―


   池田勇人(日本クリスチャン・ペンクラブ理事長)


** 「リピート・シンドローム」(繰り返し症候群)とは、リストカットや過食、ドラッグ使用などが習慣化してしまうことで、著者の造語。
** それらの根っこには、見捨てられ感や自分が好きになれない思い、満たされない心の渇きがある。
著者は自分が大嫌いな十代にキリストに出会って、造られた者としての自己受容ができるようになったという。
** この小説は、自分を見失い迷走している青少年達が、自分を見つめ直して本来の自分を取り戻してほしいとの願いから書かれた。その姿勢は、 本人のペンネームを織り込んだ短詩にもあらわれている。

  土の器のごときこの者が
  筆をとって
  文を書く
  香しきキリストのかおり伝えたくて

* 著者は日本クリスチャン・ペンクラブ会員となる前から童話や小説を書き、入賞経験をもっておられる。
人間を善悪二種で区別するのではなく、罪赦されるべき者として描いてゆく視点を忘れない。

* 本小説のあらすじを記しておこう。
* 主人公は、筑波山の裾野にある県立高校の女性徒垣本七恵。5才の時に母が家出し、見捨てられ感の強い子として母を恨みながら大きくなっていく。同じ1年のクラスに、幼なじみの美晴、達郎がいる。入学式の翌日、七恵はさっそく髪を茶色に染め、ピアスをし、スカートを短くはき、校則を破る。さらに 授業を抜け出すことも。
* ある日の授業中、達郎の吃音のことでけんかがはじまり、自宅謹慎処分を受けることになった七恵。その後クラスメイトに恋心を持つが、友情にもひびがはいる形で失恋。七恵はリストカットを繰り返す。

*  川の土堤で達郎と出会った七恵は、心安らぐ時を過ごす。茜色に染まった雲間から一筋の光の帯がさし込み、「天国の道だ」と達郎は指を指す。
この貴重な経験がラストシーンで追体験されていくのだが、思春期の友情がたとい未熟であったとしても、なくてはならない宝であることが伝わってくる。
その後話は急展開して、麻薬、援助交際がらみの犯罪へとエスカレートしていく。しかし、情景が暗くなればなるほど、不思議に見捨てない者の眼差しが読者に感じられてくる。 真黒な雲間を突き破って、光が読む者にも注がれてくるのだ。

* 悲しいことに、青少年犯罪の低年齢化が止まらない。6月1日には佐世保小6女児殺害事件が起こった。
仲良しだったはずの同級生が、ふとしたことから恨みを増幅させ、殺害。思春期の友情の難しさもさることながら、サバイバル小説『バトルロワイヤル』 の影響も見過ごしにできない。

* 「自分の好きなものなら何でもよい」とするのでなく、批判能力を育てるためにも、自分を見つめ直し、生き方に光が注がれるような文学が今日必要とされていると痛感する。 佐古純一郎氏は『文学をどう読むか』の中で、「共感を通してひとつの精神的な共同体を作り出してゆく。それが文学の持っている社会的機能の生命だと考える」と明言しておられる。

* 信仰の香り漂う小説だと、すぐ護教文学とのレッテルがはられ、文学的に低く見られる傾向がありはしないか。
* しかし現に人を滅びに導くニヒリズムの文学があったし、希望に至らせる光の文学もあった。

* このたびキリスト新聞社から漂流する若者のための小説が刊行されたことは、タイムリーで画期的なことである。幼児虐待、学級崩壊、プチ家出、麻薬中毒・・・青少年を取り囲む環境は劣悪の一途をたどっている。
問題に直面する彼らの心をノックし、彼らの心が開かれるためにも、本書が多くの方々に購入され用いられるように願ってやまない。


                (本の広場2004年10月号に掲載された書評)




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