「旗振り山」のガイド

 岩戸山・太郎坊山


 岩戸山(十三仏山)および船岡山(舟岡山)は、米相場の旗振り通信の行われた場所であった。

 中島伸男氏は、鈴鹿鉱山の歴史の本を出したり、八日市飛行場の研究など、ユニークな研究で知られる。

旗振り通信ルートの研究に没頭された時期もあり、次のような論文に結実している。

 
1.中島伸男「滋賀県内の旗振り通信ルート」(『蒲生野 20』 66−86頁、1985年12月、八日市郷土文化研究会刊)

 2.中島伸男「三重県向け旗振り通信ルートを調べる」(『蒲生野 22』 39−49頁、1987年11月)


 「滋賀県内の旗振り通信ルート」には、次のような話が載っている(80,82頁)。相場振山は野洲町にある山である。

 
あるとき、安土町内野の山田英雄氏から「十三仏の少し上で旗を振って信号をリレーしていた。旗を振っていた場所に岩が
あって矢印が彫っている。また、旗振りを見た人が内野にいる」
という話を聞いた。これが旗振り通信ルート調査のきっかけ
である。実際に小脇山十三仏に登ってみると、十三仏のお堂の背後のピークがたいへん眺望がよくて、足元の小岩には
話のとおり
東南方向を指す矢印が刻み込まれていた。
 その方向には瓶割山があり、遠くに三上山もかすんで見えるが、
まさしく相場振山のピークをこそ矢印は指し示している。
 旗振りを見たという、辻井九右衛門氏(明治三〇年生れ)をもたずねた。辻井氏は
「自分が老蘇の小学校に通っているとき、
きばって旗を振っているのが見えた。高等科へ行ったころには、もうなかった。長光寺山(瓶割山)から荒神山へ中継していた
ように思う」
との話があった。高等科のときにはなかった、ということは明治四〇年代に旗振りがなくなったことを意味する。
辻井氏の記憶にある荒神山は中継地であったが、瓶割山はそうではないことは、すでに述べた。
 川瀬直治郎氏(明治一六年生れ)は、小学生のころ十三仏での旗振りを見ておられる。氏の一〇歳くらいのことだとすると
明治二〇年代の後半に旗振りがはじまっていると推定できる。川瀬氏は、また、旗振りをしていた人を憶えておられた。
安土町東老蘇の中村九右衛門という人である。東老蘇でいろいろ調べると現在の世帯主は中村健一氏で、九右衛門氏は
同氏の曾祖父にあたる。中村健一氏は曾祖父が旗振りをしていたことは聞いておられたが、その他の話は憶えておられな
かった。かなり前には遠眼鏡が家に残されていたそうであるが、それもいまはない。
 ところで、十三仏の岩に彫られた矢印(A)の位置から一〇メートルほど西におりた岩場にも、同じような矢印が彫り込まれ
ていることを、後日、発見した。
この二つ目の矢印(B)は近江八幡市の岡山(元水茎町)方面を指している。水茎町の地元の
人に相場の受信所があったかどうかを聞いてみたが、不明であった。しかし、おそらく矢印(B)の位置ではその方向に信号を
伝達する必要があったのだろう。
  さらに、八日市市野口町の塚本義一氏(市史編さん委員)によれば、船岡山でも旗振り通信がなされていたことを聞いて
いる、といわれる。私は、船岡山は中継地点ではなく、小脇山十三仏の旗振り信号の支線(受信所)ではなかったか、と思う。



 その後の調査によって、岩戸山では、野洲町の相場振山の信号を受信して、荒神山へ送信して、彦根・長浜方面まで伝えて
いたことがはっきりした。また、岩戸山の山上にある岩場の矢印は、相場振山を指し、西側の岩場の矢印は、筆者(柴田)の
集めた資料によって、岡山ではなく、近江八幡市長田町への送信のための目印であることが明らかとなっている。

<コースガイド>

 岩戸山という名前は、あまり知られていない。ガイドブックには「太郎坊山」または「箕作山」の山名で紹介されている。
コースガイドは次のような本に載っているので、すでに登られた方も多いかもしないが、旗振り山であるという視点を加えて、
改めて登ってみるのも、新鮮な発見ができるのではないだろうか。春や秋のハイクにちょうど手頃な山で、紅葉シーズンでの
登山は格別のものがある。紅葉の名所で人ばかり見るより、こういった静かな山の色彩こそ、山歩きの醍醐味であろう。

1.『滋賀県の山』(山と渓谷社、分県登山ガイド24、1995年)・・・箕作山(84〜5頁)
2.京都趣味登山会編『京都・滋賀 近郊の山を歩く』(京都新聞社、1998年)・・・太郎坊山から箕作山(180〜3頁)
3.近江百山之会編著『近江百山』(ナカニシヤ出版、1999年)・・・太郎坊山(142〜3頁)
4.山本武人『歩きま専科 京滋の100山』(京都新聞出版センター、2002年)・・・箕作山(158〜9頁)
5.岡弘俊己『関西 里山・低山歩き』(実業之日本社、、2003年)・・・箕作山(81〜3頁)


これらのガイドで、岩戸山・船岡山における旗振りにふれたものは皆無である。




   市辺駅で降りて、西へ少し歩き、線路を横断して、阿賀神社へ向かう。
   船岡山麓では、いろいろな場所が整備されていて、万葉の森となっている。トイレが利用できる。

   かつて旗振りの行われた船岡山を縦断して、山麓に降り、地道をたどって、左に水路と古墳を見ながら、舗装道路に出る。
   道路を渡り、調整池のほうへ向かう。調整池を右に見ながら進むと登山口に着く。おやすみ処があり、ここから山道に入る。

   右に入ってすぐ左に道は折れて登りとなる。ぐんぐんと高度を上げて、ところどころ、展望が開ける場所もある。
   やがて、岩壁が現れ、十三仏のお堂の前に出る。伝承の十三仏は、お堂の中ということで、外からは見られないようだ。

   左手のやや危なっかしい道を上がると、道標分岐で、左上に上がると岩戸山の山頂に着く。

   紅白のターバンを巻いた岩は、神やどる岩座で、ここは信仰の聖地である。岩座に矢印があって、野洲町の相場振山の
   方向を示している。上がった時に、左手に少し降りて見ると、別の岩にも矢印があって、近江八幡方面を示すようだ。
   荒神山方向の矢印は見当たらないが、目印がなくてもすぐわかる山容だからなのだろう。


              



  岩戸山をあとにして、道標分岐で箕作山方面をとり、縦走路に入る。道はよく踏まれていて、やぶはない。
  ただ、展望の楽しめる場所が少ないので、やや物足りない人もいるかもしれない。平凡な小脇山三角点を過ぎて、
  箕作山の頂上に出る。以前は、右側の山裾の道のほうが明瞭だったが、今では、自然に左の道に入ってしまうように
  なっていて、山頂に導かれてしまう。道標の標高は、いいかげんなようで、地元の自治体の地図では375.3mである。

  次の分岐で右をとり、次に左に下りて、瓦屋寺に出る。11月23日には紅葉まっさかり。色鮮やかなモミジを堪能できた。


  瓦屋寺から引き返し、右に少し登り、分岐点で左をとって、さらに、次の道標分岐で太郎坊山の方向に向かう。
  やがて、大きく視界が開けて、山頂に着く。今までの縦走路が一目瞭然である。強風さえなければ、休憩に最適だ。

  先ほどの道標分岐に戻り、下ってゆくと、そこは太郎坊宮である。着いたところの左下にトイレがある。
  ここの紅葉も素晴らしかった。鮮やかな色が目に焼きついたまま、いつまでも残っていた。
  予定していた日程が都合で2回も流れたが、結果として、11月23日実施になったことに感謝感激であった。

  太郎坊宮をあとにして、駅へ向かったが、そこから振り返ると、太郎坊山の容姿が素晴らしい。むかしより、神宿る山
  として多くの信仰を集めてきたのも、もっともなことである。最高の山行の一日となった。