πのarctangent公式集       2004年2月26〜27日、柴田昭彦 作成
                                  
                                   2013年8月9日、4項公式no.70の訂正
                                   2013年12月31日、2項公式の発見者について


以下のπのarctangent公式集は、水沢緯度観測所の田村良明氏と東大の金田康正氏による次のレポートに収載のもの。

Yoshiaki TAMURA,Yasumasa KANADA,“Calculation of π to 4,194,293 Decimals Based on the
Gauss−Legendre Algorithm,”Computer Centre,University of Tokyo,May 1983. 

なお、πのarctangent公式については、その後、松元隆二氏によって、ここにない新公式が加えられてHPに公開されている。

筆者は、末尾に掲げる文献を探し出し、レンチ博士からの情報を含めて、高野喜久雄氏および金田康正氏に資料提供して、
金田氏がこのリストをまとめるのに多大の貢献をしている。とりわけ、公式の発見者についての情報は筆者によるものである。
発見者の情報はほとんど公開されていないので、ポッゲンドルフ人名辞典やDictionary of Scientific Biography,
Who’s Who in Science(International),その他の資料によって得たデータをまとめておこう。

 John Machin(1680−1751)・・・・・・マチン(イギリスの天文学者)  (1685−1752)は誤り
 Charles Hutton(1737−1823)・・・・ハットン(イギリスの数学者)
 Leonhard Euler(1707−83)・・・・・オイラー(スイス生まれ、ロシアの数学者)
 Georg von Vega(1756−1802)・・・・・ベガ (オーストリアの数学者)  (1754ー1802)は誤り
 Jakob Hermann(1678−1733)・・・・・ヘルマン (スイスの数学者) 

   2項公式(No.3)の発見者がヘルマンであることは,MTAC vol.2(1947)p.28の注にあり、ヘルマンが1706年に
  ライプニッツ(Leibniz)にあてた手紙に述べられているという。

 Samuel Klingenstierna(1698−1765) クリンゲンシェルナ (スウェーデンの物理学者。色消しレンズを発明。)

    クリンゲンシュティルナと読む人もある。原綴りは、Samuel Klingenstjernaであり、「stje」は「シェ」と読む。
             ..
 Fredrik Carl Mulertz Stφrmer(1874−1957) シュテルマー (ノルウェーの数学者・気象学者。オーロラの研究。)
 .                                                            ..
    ストーマー、ステルマーと呼ぶ人もあるが、 「シュテルマー」が原音に近い。多くは、Carl Stormer と表記する。
   
 Karl Heribert Ignatius Buzengeiger(1771−1835) ブツェンガイゲル (ドイツの数学者・鉱物学者)
  クリンゲンシェルナが1730年に発見していた3項公式(No.2)を、ブツェンガイゲルは1803年、独立に再発見した。
   (ブラウンミュールの「三角法の歴史についての講義」第2巻、1903年、に Buzengeigerの発見が載っている。)
   (平山諦『円周率の歴史』1955年、の98頁に、「ブゼンガイガー」として紹介されている。)

 Karl Heinrich Schellbach(1805−92) シェルバッハ (ドイツの数学者・物理学者)
   クリンゲンシェルナが1730年に発見していた3項公式(No.2)を、シェルバッハは1832年、独立に再発見した。

 John William Wrench,Jr.(1911−2009) レンチ (アメリカの数学者)・・・享年97歳(Wikipedia参照)
 Sidney Luxton Loney(1860−1939) ローニー (イギリスの数学者)
 Edward Brind Escott(1868−1946) エスコット (アメリカ) 
 Derrick Henry Lehmer(1905−1991) レーマー (アメリカの数学者)・・・享年86歳(Wikipedia参照)
 Albert Arnold Bennett(1888−1971) ベネット (横浜生まれ、アメリカの数学者)(Encyclopedia Brunoniana 参照)
 Theodor Meyer(1846−?)  マイヤー (ドイツ)
 Leopold Karl Schulz von Strassnitzky(1803−52)シュルツ・フォン・シュトラスニツキー(オーストリアの数学者)
 Carl Friedrich Gauss(1777−1855) ガウス (ドイツの数学者)
 高野喜久雄(1927−2006)(Kikuo TAKANO)(元教員。詩人。「荒地」同人。代表的な合唱曲「水のいのち」の作詞など)
 村田   (T.MURATA)
 柴田昭彦(1959−)(Akihiko SHIBATA)

(2013年8月9日、追記)(4項公式のno.70の誤りについて)
・同年7月23日、神奈川県在住の柏木厚さんという「数学愛好家」から、下記の一覧表公式の検証を行ったところ、表中で唯一、
4項公式のno.70に誤りがあり、「4439→4443」という数値訂正を行えば、正しい4項公式になるという主旨のメールを
いただきました。情報提供いただいた柏木氏に感謝申し上げます。

(2013年12月31日、追記)(2項公式の発見者について)
・2項公式の発見については埋もれた歴史があったことが明らかとなっている。その事実は、中村滋「数学史の小窓 余滴4」
(数学セミナー、2012年12月)で紹介されたことがきっかけとなって、日本でよく知られるようになった。その後、上野健爾
「円周率が歩んだ道」(岩波書店、2013年6月)
でも紹介された(190〜191頁)。また、中村滋「数学のかんどころ22 
円周率 歴史と数理」(共立出版、2013年11月)
においても取り上げられているので、参考にされたい。

・埋もれた歴史を明らかにしたのはトゥウェドゥルの次の論文であった。
Ian Tweddle, "John Machin and Robert Simson on Inverse-tangent Series for π", Arch. Hist. Exact Sci.,42,pp.1-14(1991)
・マチンは、2項公式を4つとも発見していたが、自分自身で公表することがなく(1706年にロイヤル・アカデミーに出した論文に
書いていたが、マチン自身が取り下げ、公表されなかった)、もっとも計算に適した公式1とその計算結果(100桁)だけが、
ジョーンズの著書で紹介されて有名になったのであった。従って、2項公式4つの最初の発見者はマチンであり、公式3について
は、独立に同じ年(1706年)にヘルマンが見つけていたということになる。

・クリンゲンシェルナが1730年に発見した3項公式(No.2)を、スコットランドのグラスゴー大学のシムソン(Robert Simson,
1687-1768; 初等幾何学で有名な「シムソン線」の発見者) がすでに1723年に発見していたことも明らかになった。

3項公式(No.39)は、ローニーが1893年に発見したが、すでにマチン1706年の論文(未公表)で記載していたことが明らか
となった。上野健爾「円周率が歩んだ道」(190頁)では、この公式の数値に誤植がある(11985→1985)。

(公式の発見者の修正のまとめ)
2項No.1(Machin 1706) No.2(Machin 1706) No.3(Machin 1706;Hermann 1706)No.4(Machin 1706)
3項No.2(Simson 1723 ; Klingenstierna 1730) No.39(Machin 1706 ; Loney 1893) 

 
                                           ↓3項(No.39) (J.Machinが、1706年にすでに発見)



   (注記)4項公式のno.70に誤りがあり、「4439→4443」という数値訂正を行えば、正しい4項公式になる。