ウィリアム・シャンクスの計算

 シャンクスは1812年、イングランドに生まれ、寄宿学校を経営するかたわら、暇を見つけては、いろいろな
計算を行った。そのうちで最も有名なのが、円周率の計算である。1882年に没している。
 彼の円周率計算のきっかけは、スコットランドのウィリアム・ラザフォードに教えを受けたことで決定づけられた。

シャンクスの最初の円周率の計算は318桁で、1851年に完成している。ラザフォードが1852年に441桁に
達したことから、弟子のシャンクスは奮起して、同じ1852年に530桁に到達した。

William Rutherford,”On the Extention of the value of the ratio of the circumference
 of a Circle to its Diameter”,Prceedings of the Royal Society of London,vol.6,
pp.273−275,1850−1854.(1853年刊)

先生のラザフォードの441桁は1853年に公表されたが、シャンクスの計算も先生の論文に組み入れられて
公表された
。先生と弟子の計算は一致し、441桁の正しさを証明したが、このときのシャンクスの計算結果は、
今日、小数点以下528桁まで正しく、526〜530桁目39488となっていて、真値は39494であった。

シャンクスは、後に、607桁(1853年)707桁(1873年公表。計算期間は1871年から1872年ごろ)と
計算を進めたが、マチン公式において、arctan(1/5)が530桁まで、arctan(1/239)が591桁までしか
正しくなかったため、結果として、どちらでも、共通の誤植(460〜2桁目「834」、513〜5桁目「193」)
抜きにしても、小数点以下527桁までしか正しくない(小数526〜530桁目は、39501とあるが、真値は
39494
であった)。

おまけに、上の誤植に気づいて修正した2回目の707桁を公表した論文(1873年公表。1874年は誤り)には、
新たに、小数326桁目を2とすべきところ、3に誤植されてしまっていたのである。

 従って、シャンクスの計算は、先生のラザフォードの論文に組み入れて発表されたものが、最も精確で誤植
のない、世界一の記録(1853年公表の小数点以下528桁)を長い間、キープしていたことになるのである。

(*)以上、計算の年代、計算結果については、レンチ博士の論文・資料を典拠としています。

シャンクスは、1853年の前半に607桁まで計算し、同時に530桁までの計算の詳細を記した著書を出版した。

William Shanks,Contributions to Mathematics,comprising chiefly the Rectification of the
Circle to 607 Places of Decimals,London,1853.

この本の中の、607桁の計算結果は、次のとおりである。
(86ページの1行目が87ページの1行目に続いているので、そのように読み取ってください。)