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 旧国名の由来                     2004年8月27~29日  柴田昭彦 作成
                                               2004年9月25日 修正、初公開
                                               2006年12月15日 一部修正(★を追加等)
                                               2006年12月16日 (注3)(注4)を追加
                                               
2014年8月11日 分離国名対照表の追加
                                               2014年8月13日 明治元年の分割国名表を追加
                                               2014年8月23日 北海道の11国の表を追加
                                               2014年8月24日 北海道の11国名の由来を追加
                                               2014年8月24日 旧国・都道府県の設置の簡略史
                                               2016年5月22日 対照表:都に近い方「上・下」に訂正



 地名の語源の研究は昔から行われてきて、その多くが、地形に由来することがわかってきている。旧国名の語源につい
ても同様であるが、多くの研究がなされてきているにもかかわらず、複数の解釈を並列させて述べるものが多く、かえって
読者に混乱を与えているように見受けられる。
 そこで、筆者は、浅学を顧みず、旧国名の語源解釈に取り組み、自身で納得できると思われるものを作成することに
した。主な参考文献は次の通りである。語源解釈は難しいので、疑念は残っているが、このような形に整理したものは
少ないので参考になるものと思う。ご意見をいただければ、幸いである。

・楠原佑介・桜井澄夫・柴田利雄・溝手理太郎編著『古代地名語源辞典』(東京堂出版、1981年)
 ・・・古代地名の標準的な解釈。

・楠原佑介・溝手理太郎編『地名用語語源辞典』(東京堂出版、1983年)
 ・・・もっとも信頼できる地名用語の語源辞典と思われる。

・楠原佑介「国名の起源・語源と流用市町村名」(楠原佑介『こんな市名はもういらない!』東京堂出版、2003年、
 39-42頁、所収) ・・・旧国名について、従来の解釈にとらわれない、著者独自の説を立てて、語源に迫っているが、
 一部、無理な解釈があるようだ。

・加藤巳ノ平編『旧国・県名の誕生』(令文社、1983年)
(1974年初版、1990年第11版)
 ・・・旧国名の語源説を広く多く紹介し、独断を避けた公平な記述が特徴である。

・吉田茂樹『日本古代地名事典』(新人物往来社、2001年)
 ・・・古代国名の解釈に力点が置かれ、著者独自の解釈も見られる。

・白石昭臣『島根の地名辞典-あなたのまちの地名考-』(有限会社ワン・ライン、2001年)
 ・・・小地名の解明は国名の語源を知ることになる。
    島根県のみならず、全国の類似地名の語源をさぐる手がかりを与えてくれる。

・『日本地名事典』(歴史百科、第5号、百年社編集、新人物往来社発行、1979年)
 ・・・県名・旧国名の地名の考察が参考になる。

・『日本「歴史地名」総覧』(歴史読本特別増刊・事典シリーズ<第22号>、新人物往来社、1994年)
 ・・・充実した内容の地名総覧。

(注1)旧国名の多くが、大和朝廷のもとで国造(くにのみやつこ)と呼ばれた地方豪族の領域を受け継いだもので、
豪族の発祥の地の地名に由来するものである。その発祥の地の地名は古代の小地名であり、その小地名が地方豪族
の勢力圏に拡大されて用いられたのである。出雲氏、上毛野(かみつけの)氏、吉備氏、筑紫氏などの例がある。
小地名の語源は地形由来が多い。

(注2)「あわ」「きび」については、植物起源を採用していない。★は、まだ、筆者自身で疑問が残る解釈である。

(注3)他に類似のサイトが少ないためか、「旧国名の由来」を公開したことにより、いろいろな形で利用されているよう
で、うれしく思う一方で、雪国の旧国名の位置づけなどのように、このような使い方があるのかと、再認識させられる
ケースもあった(大和朝廷中心という解釈はそのとおりでもっともと思う)。
武蔵の語源の解釈については、著しく困難が伴い、定説が見当たらず、およそあり得ないはずのアイヌ語源まで流布
している現状をご存じであれば、語源解釈に過ぎない表現について「中傷」などと言うことが無意味であることは学問の
あり方からは容易にわかるはずであるが、そうまで言われては、誤解の生じない表現にせざるを得ない。


くれぐれも、誤解のないように念を押しておくが、ここに掲げる語源解釈は、あくまでも、筆者自身の一つの解釈に
過ぎない。これが正しい語源であるなどと受け取ってもらっては困るのである。利用者は、こころしていただきたいと思う。
私の解釈などを安易に引用するような態度ではなく、上記に掲げるすべての文献や他の文献にも目を通すなどして、
みなさん独自の語源探求をして、それを公表することで、地名の語源に関する研究の進展を図ることに意を注いでいただ
きたいと思う。
気になる点があるのならば、サイトに書き込むだけで終わらせないで、直接、筆者あてにメールで疑問点
について、問い合わせていただきたいと思う(2006年12月16日、追記)。

(注4)無用の誤解を避けるため、今後は、一部・全部を問わず、下の一覧について、禁無断転載とします。
    転載にあたっては、筆者までメールにて連絡ください(2006年12月16日、追記)


 国名  読み方  語源(多くは、国内にある一つの小地名が本源地で、広域の呼称に拡大して使用されたものである。)      (地形が主な語源であり、植物名は採らない。)
 安芸  あき  ★あぎ(上ぎ)。周辺よりも上がった土地。高所。
 安房  あわ  ★あばる(暴る)。崖。崩壊地形。荒廃地。隆起海岸、浸食河川などをいう。
 阿波  あわ  ★あばる(暴る)。崖。崩壊地形。本源地の露出地形(土柱)を指したもの。
 淡路  あわじ  あわじ(阿波路)。阿波国に至る道筋。
 伊賀  いが  ★いかし(厳し)。険しい。伊賀郡は、阿我郡とも。「あが」は「上がる」で高所。
 壱岐  いき  ★いき(行き)。行き交う往来の地。
 伊豆  いず  いづ(出づ)。海中に「出る」地形で、突出した半島。 ※湯が「出づる」湧泉地の意味も併せ持つ。
 和泉  いずみ  いずみ(泉)。井泉。湧泉地。
 出雲  いずも  ★いづも(厳藻)。いつ(厳)は「神聖な」、も(藻)は水草・海藻で信仰の対象。(水野祐)(白石昭臣)
 いつも(斎藻)。斎く藻(いつくも、出つ雲)。「斎く」(潔斎してこもり神事に仕える)と「厳(いつく)し」(霊威・威光が盛んで、威厳があり、荘厳である)は、どちらも同じ「いつ(稜威)」からの派生語。神送りの神事において、一方では龍蛇神を海藻と共に海から迎えることから、「藻」は出雲の国名の象徴とされる。
 伊勢  いせ  いせ・いそせ(五十瀬)。多くの川瀬、五十鈴川(谷川士清)。いそ(磯)。岩石の多い海岸。
 因幡  いなば  いなば(稲羽)。語源の稲葉山は、稲積と同じ形の山。稲場。
 伊予  いよ  ★いよ(弥)。いよやかの意味で、高くそびえ立つ地。
 石見  いわみ  いわうみ(岩生み)。石に神霊を斎(いつ)き、それを仲立ちとして新生すること。(白石昭臣)
 近江  おうみ  あはうみ(淡海)。近つ淡海。琵琶湖のこと。
 大隅  おおすみ  おおすみ(大隅)。隅。端の地。奥地。九州の南の隅。
 隠岐  おき  おき(沖)。本土より見て沖にある島。沖から神々を招く日置部や置系の人々の信仰地。(白石昭臣)
 尾張  おわり  おはり(小墾)。開墾地。古くは「尾治」「小治」「小針」と記す。
 甲斐  かい  かい(峡)。山峡。山と山の間(谷間)。
 加賀  かが  かが(高処)。高台の芝草地。
 河内  かわち  かわうち(川内)。河川の流水によって形成された山間の平地。旧大和川の下流域に開けた平地。
 紀伊  きい  き(木)。「き」の二字化。木を産する国。
 吉備  きび  ★ひび(皹)。古い呼称に「比美」あり。大小の入江(ひび割れた地形)がある。
 毛野  けぬ
(けの)
 きぬ(木野)。毛(草木)の生い茂る土地。
   こし  こし(越)。山の越える所。高い所。山を越えて入った国。
 相模  さがみ  ★さかみ(坂見)。坂(箱根の足柄峠)から見下ろす土地。
 薩摩  さつま  さつま(狭詰)。詰まった地形。奥まった所。さつま(狭端)。
 佐渡  さど  さわだ(沢田)。雑太・雑田(さわた)に由来する地名。佐渡は転訛。沢の多い所。湿地。
 讃岐  さぬき  ★さぬき(狭抜)。河谷に沿った崖地。火山性の台地が急崖をなす地形。
 信濃  しなの  ★しなの(撓野)。しなやかな曲線を描く土地(火山の裾野)。
 志摩  しま  しま(島)。半島を島と呼んだもの。
 周防  すおう  すわ。すばる(窄る)。すぼまった地形。上下流とも狭窄した盆地地形。
 駿河  するが  すが(州処・砂処)。砂地(砂でできた土地)。本源地は「素賀」と言った。
 摂津  せっつ  官職名。難波津を摂する(とりしきる)官職「摂津職」が置かれた。
 但馬  たじま  たちま(立ち間)。たち(台地)の間。両側の洪積台地に抱かれた谷間。流域の河岸平野。
 丹波  たんば  たには(谷端)。竹野川中上流の谷の端で、急に平地が開けた所。
 筑紫  つくし  ★つくし(尽くし)。細く高い所。境の峰山。鋭峰(基山)の見える所。
 対馬  つしま  つしま(津島)。港の島。津(港)の多い島。
 出羽  でわ  いでは(出端)。出端(山などの先端)。越の国の北方の端に出た地域。
 遠江  とおとうみ  とおつおうみ(遠つ淡海)。琵琶湖(近つ淡海)に対する、浜名湖(遠つ淡海)の表現。
 土佐  とさ  とさ(門狭)。海の狭くなった所。海峡。浦戸湾と太平洋との間の狭くなった水路を門と称した。
   とよ  とよむ(響む)。河川の川音を「とよむ」で表現したもの。山国川。
 長門  ながと  あなと(穴門)。海峡。古くは「穴門」、好字化して「長門」となった。関門海峡の空隙地形。 
 穴の如く細長い水路。
 能登  のと  ぬと(沼処)。沼地、湿地。
 播磨  はりま  はりま(墾間)。開墾地。針間。 ※はま(浜)という解釈は採らない。
     ひ(干)。有明海、八代海の干潟。 ※ひ(火)の国の意味も併せ持つ。
 飛騨  ひだ  ひだ(襞)。山谷が多く、襞の地。
 常陸  ひたち  ひたち(直地)。一面に(一様に)平らな土地。
 日向  ひゅうが  ひむか(日向)。日に向かう地。朝日のよく当たる国。
   ふさ  ★ふさぐ(塞ぐ)。東京湾を塞ぐ房総半島。
 伯耆  ほうき  は(端)はき。「はき」は大山火山による「崖地」。
 三河  みかわ  みかわ(御川)。川とは、矢作(やはぎ)川のこと。古くは「三川」「参河」。
 美濃  みの  みの(御野)。原野。広野。古くは「三野」「御野」と記した。
 美作  みまさか  みまさか(水間坂)。津山盆地は河川の間に緩傾斜地が広がる。
 武蔵  むさし  ★むさし [形容詞] は、乱雑な様子をいい、「沼沢地」「湿地」を表す。
 陸奥  むつ  みちのおく(道の奥)。朝廷支配地の奥。「むつ」は「みちのく」からの転訛。
 山城  やましろ  やまうしろ(山後ろ)。平城山(ならやま)の背後。奈良の都の背後。山代。
 大和  やまと  やまと(山処)。山のある所。山とは、三輪山をいう。
 若狭  わかさ  わかさ(分かさ)。「わか」は別れる、「さ」は場所。若狭湾の岬や山尾根によって海が区切られた所。

(2006年12月15日の追記) ★については、今回、「伊予、相模、信濃、筑紫、総、武蔵」についても追加した。
                     武蔵については、誤解を避けるために、一部について、表現を改めた。





(2014年8月11日)分離国名対照表の追加


7世紀後半から8世紀前半ごろに分離した国名の対照表

※都に近い方から「前・中・後」
「上・下」である。
 従って、語源は、位置で分離したことに由来する。

 大化の改新前
  分離後(8世紀)
 吉備  きび  備前  びぜん
 備中  びっちゅう
 備後  びんご
 毛野  けぬ
 (けの)
 下野  しもつけ
 上野  こうずけ
 越  こし  越前  えちぜん
 越中  えっちゅう
 越後  えちご
 丹波
 (北部)
(たには)  丹後  たんご
 筑紫  つくし  筑前  ちくぜん
 筑後  ちくご
 豊  とよ  豊前  ぶぜん
 豊後  ぶんご
 肥  ひ  肥前  ひぜん
 肥後  ひご
 総  ふさ  下総  しもうさ
 上総  かずさ

※下毛野(しもつけぬ)が、しもつけ(下野)となった。
※上毛野(かみつけぬ)が、こうずけ(上野)となった。



(2016年5月22日、追加)都に近い方から「前・中・後」「下・上」→都に近い方から「前・中・後」「上・下」 に訂正

 
北野さんから、以下のようなメールが届いたので、上記の表記を訂正した。筆者の誤解による記載であった。お知らせに感謝したい。

『都に近い方から「前・後」は正しいですが、都に近い方から「下、上」は違います。
新潟で上越が京都に近く、下越の新潟が京都に遠いので、地図の北で上にあるのに下越という。
今の群馬の上野の方が栃木の下野よりも中山道では京都に近く、
上総の方が相模から船で行くと下総より京都に近い。今と交通手段が違いますが都に近い方が上です。
今の都の東京駅行きが上りで、東京発が下りなのは、上京するとわかります。江戸時代は江戸に京都から東下りしていました。』



(2014年8月13日)明治元年の分割国名表の追加

明治元年(1868年)12月の分割によって置かれた国名の対照表

 ※明治4年(1871年)7月に廃藩置県が行われ、分割国名も廃止となった。

  分割前の国名    分割(1868年)後の国名
 出羽  でわ   羽前  うぜん
 羽後  うご
 陸奥  むつ   岩代  いわしろ
 磐城
 (岩城)
 いわき
 陸前  りくぜん
 陸中  りくちゅう
 陸奥  むつ

 ※陸後(りくご)は置かれず、同じ意味の「陸奥」が分割で置かれた。

 ※岩代(磐代)はもとの地名の石背(いわせ)を「いわしろ」と読み誤ったものという。
  石背の語源については「石の背後」「石の露頭」という説あり。

 ※磐城(岩城、石城)は「石の城」「石の脇」「湯涌(ゆわき)」「石木(いわき、炭化植物)」という語源説あり。




(2014年8月23日)明治2年、蝦夷地を北海道に改称した際に置かれた11の国名

明治2年(1869年)8月、蝦夷地を北海道と改めた際に11国86郡に分けられた。

地域 1869年北海道設置の際の国名
蝦夷

(蝦夷地)
えぞ

(えぞち)
渡島 おしま
後志 しりべし
石狩 いしかり
胆振 いぶり
日高 ひだか
十勝 とかち
天塩 てしお
北見 きたみ
根室 ねむろ
釧路 くしろ
千島 ちしま

※蝦夷(かい)を「加伊」とし、松浦武四郎の案「北加伊道」をもとに「北海道」に決定した。

※「かい」はアイヌ語で「アイヌの住む地」の意味。
 「蝦夷」は、「かい」に和人が付けた当て字。
 その後、「蝦夷」を「かい」でなく「えぞ」と読むようになった。
 平安時代の末ころには、蝦夷(えぞ)、蝦夷地(えぞち)と呼ぶようになった。



(2014年8月24日)北海道の11国の名前の由来について  (Wikipedia等による)

国名 由来  (※命名は、松浦武四郎の建議書によるもの)
渡島 本州(南部津軽)の人達が津軽海峡を渡って行く島として「渡島(おしま)」と呼んだ。北海道の入り口を指す「渡島(わたりしま)」。
後志 阿倍比羅夫が郡領を置いた後方羊蹄(しりべし)の語音にちなみ、後志の尻別川のアイヌ語「シリ・ペッ」(山の・川)を採り、音訳したもの。 
石狩 蛇行する石狩川のアイヌ語の音訳に由来するという。松浦武四郎は「イシカリ」(閉塞~川が屈曲していて上流の先が見えない)と解し、永田方正は「イシカラ・ペッ」(屈曲の多い・川)としている。
胆振 日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振鉏(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待・饗応したという故事により命名したもの。新井白石が胆振とは北海道の勇払(いぶつ)地域のことであろうとしたことで対象地域とした。
日高 当地は南向きで暖かく、太平洋岸特有の濃霧も早く晴れ、陽を仰ぐことが多く、日本書紀の景行天皇27年に東夷のうちに日高見国ありとの故事から、日高の字を用いて命名したという。
十勝 アイヌ語の「トカプチ」(乳)が語源という。十勝川の河口が乳房のように2つに分かれて並んでいたのが由来とされる。
天塩 アイヌ語の「テッシ・オ」(梁<やな>・ある)に由来する。天塩川の中流域(中川郡美深町恩根内付近)にかつて梁状の岩が川を横切っていたことに由来する。
北見 当地一帯が一般的には北海岸などと呼ばれていることや、快晴の日には樺太(サハリン)が見えることなどから北見などはどうであろうかとの意見で決定。
根室 根室は「ネモロ」「根諸」と書かれて、河口に流木が寄り集まる小川からとられた地名という。また、アイヌ語の「ニ・ムイ」(木・湾)という説、アイヌ語の「ニムオロ」(木の繁るところ)からとられたという説もある。
釧路 古くはクスリと呼ばれた。アイヌ語の「クスリ」(薬・温泉)にちなみ、かつて悪病が流行したとき、釧路川の水を飲んだ者は一人も死ななかったという伝承によるという。ほかにアイヌ語説として「クッチャロ」(のど)、「クシュル」(越える道・通る道)などもあり、定説はない。
千島 「蝦夷ヶ千島」(北海道方面のたくさんの島々)と呼んでいたのが、のちに列島名となったものである。



(2014年8月23日)旧国・都道府県の設置の簡略史  (参考文献:『旧国・県名の誕生』巻末の付録・年表)

 <国県制>
   ・4世紀に大和朝廷による統一が行われる。
   ・国県制により、国には国造(くにのみやつこ)を置き、県には県主(あがたぬし)を置いた。 
   ・大化改新以前には、全国に120国もあったという。

 <国郡制>
   ・645(大化元)年の大化改新の後に国郡制が確立する。
   ・702年当時には、58か国・3島(壱岐・対馬・多褹<タネ>)となった。
   
・713(和銅6)年5月2日、風土記撰上の詔が出されて、国郡の名は二字とし、佳字を用いるように定めた。
   ・国郡制の成立後、7~8世紀に国郡の分置、合併が繰り返され、823年の加賀国設置でほぼ落ち着く。
   ・江戸時代まで、ほぼ60余国で推移し、明治維新前には68か国となる。
   ・明治維新後、陸奥が5か国、出羽が2か国に分かれ、北海道が11か国となり、琉球が加わって、85か国となる。

   
※琉球・・・7世紀の「隋書」に「琉求」とあり、中国の側から福建省の東海上に位置する一介の島嶼(台湾・沖縄)を呼んだ広域称である。
          14世紀には「琉球」という地名表記が定着するようになった。「沖縄」は沖縄本島を指す現地の呼称である。
          なお、「琉求」「琉球」の語源は不明とされている(Wikipedia)。
          漢字の字義で言えば、「琉」は「つるつるした玉石」、「求・球」は「丸い美玉」、「琉球」は「つるつるした丸い玉石」となる。
          中国人は、東海上の島嶼に「つるつるした丸い玉石」がたくさんあることを表現する地名を付けたのかもしれない。


 <府県制>
   ・1871(明治4)年7月14日、廃藩置県。国藩を廃止し、新たに県を設置した。11月には、3府72県であった。
   ・1890(明治23)年、府県制・郡制公布により、1道3府42県となる。
   ・昭和18年、東京府が東京都に変わり、昭和47年、沖縄が返還され、今日は、1都1道2府43県となっている。