ゲオルグの謎


「たとえ世界の終末が」の言葉
                                                          2014年10月18日 柴田昭彦作成
                                                     2014年11月3日 追加・修正



 「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」

 この言葉が、この世に初めて現れたのは、第二次世界大戦の最中の1944年10月のことで、ドイツ・ヘッセン教会の回状の中であり、マルチン・ルターが語った言葉として紹介されている。
 しかし、ルターの専門家(徳善良和氏)が調べてみると、この言葉は、ルターの説教集その他のどこにも見つからず、それまで伝承だけで伝えられていたルターの言葉が1944年に初めて世に紹介されるというのもおかしい。したがって、ルター自身が語った言葉ではないと考えられています。ただし、ルターの考え方をよく反映している言葉なので、「ルター自身の言葉そのものではないが、ルターが言ったとしてもおかしくない言葉」「ルターの言葉ではないが、ルターに帰せられる言葉」として位置づけられています。

 この言葉が、広く世間に広まるきっかけを作ったのが、ルーマニア生まれで、1944年のソ連のルーマニア侵攻の際にフランスへ亡命した詩人・作家のコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916~92)が書いた小説「第二のチャンス」(1952年原著、1953年邦訳)の巻末にマルチン・ルッターの言葉として引用されたことであった。邦訳書の初版(筑摩書房、1953年)には誤植があって、「明白」とあったが、再版には「明日」と訂正された。

 この言葉は梶山健編「世界名言事典」(1966年)に掲載(ただし、邦訳の影響で「明白」に間違っている)されて、ルーマニアの作家コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウの言葉として紹介されたが、寺山修司「青春の名言」(1968年)とその改訂版の「ポケットに名言を」(1977年)によって、意図的に捏造されて、ルーマニアの政治家・革命家のゲオルグ・ゲオルギウ(・デジ)(1901~65)の言葉として間違って知られるようになる。

 高木彬光は「ノストラダムス大予言の秘密」(1974年)において、誤ってリルケの言葉として紹介する。
 開高健は、この言葉が気に入り、「自分は」「私は」を意図的に「あなたは」「君は」に変更して、求めに応じて色紙に書いて紹介するようになる。
 柳田邦男は、1979年に「ガン50人の勇気」において、「ドイツのルッターが語ったと伝えられる言葉」として紹介し、1982年には、柳田氏は、西川喜作「輝やけ我が命の日々よ」の序に替えた文の中で、西川氏の手紙に「ゲオルギウの言葉」とあったことを示している。
 童門冬二は、この言葉が気に入り、座右銘・人生信条として、この「コンスタンチン・ゲオルギュの言葉」を、自分の多数にのぼる著書の中で、さかんに紹介している。

 石原慎太郎は、2001年以降、開高健が色紙に書いた言葉として、盛んに紹介するようになる。2004年以降、「詩人ゲオルグの言葉」、2007年以降、「東欧の詩人ゲオルグの言葉」、2009年以降、「ルターが説いた言葉」「ポーランドの詩人ゲオルグの言葉」、2014年には「ポーランドの詩人ゲオルグ・トラ-クルの言葉」として紹介しているが、そもそも、ゲオルグの言葉」という表現自体が完全に間違っている。なぜなら、この言葉は「オーストリアの詩人ゲオルク・トラ-クル」のものではないからである。石原氏が、「正論」2013年11月号で「ゲオルギウの言葉」と正しく紹介している理由は不明である(「正論」の編集部が原稿の「ゲオルグ」を「ゲオルギウ」に修正した可能性がありえる)。

 下の表を一覧すれば、この言葉の言い回しのバリエーションが、梶山健・寺山修司・高木彬光・開高健・石原慎太郎によって多種多様に提示され、読者を惑わせてきた歴史がはっきりとわかることだろう。一方で、童門冬二が「第二のチャンス」に基づいて地道に紹介していることも忘れてはなるまい。

 この、「たとえ世界の終末が」の言葉が、困難(とりわけ「死」)に直面した人々の、大きな心の支えになってきたことを忘れてはいけないだろう。それだけに、意図的であれ、無意識であれ、この言葉を「ぞんざいに」扱うことは決しておこなってはならないと思うのである。


〇コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916~92)・・・邦訳書でずっと「ゲオルギウ」として紹介されてきた。最近は「ゲオルギュ」ともいう。

〇ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(1901~65)・・・Wikipediaでは、「ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ」として紹介されている。


「たとえ世界の終末が・・・」の言葉の、日本における紹介の歴史を示す一覧表      (2014年10月25日現在)

年代 出典 引用句 誰の言葉  (黒字:誤り)
1953 C.V.ゲオルギウ「第二のチャンス」筑摩書房(初版) たとえ世界の終末が明白であっても、自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・ マルチン・ルッター
1953 C.V.ゲオルギウ「第二のチャンス」筑摩書房(再版) たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・ マルチン・ルッター
1966 梶山健編「世界名言事典」明治書院 <例えば、世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植える> C.V.ゲオルギウ「二十五時
1968 寺山修司「青春の名言 心さびしい日のために」大和書房 もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。 ゲオルグ・ゲオルギウ
1971 寺山修司の映画「書を捨てよ 町へ出よう」 もしも世界の終りが明日だとしてもぼくは林檎の種子をまくだろう ゲオルギウ
1972頃 開高健が講演会の際に書いた色紙 明日世界が滅びるとしても今日あなたはリンゴの木を植えます 開高健が色紙等に書いた言葉
1974 高木彬光「ノストラダムス大予言の秘密」日本文華社 たとえ地球の滅亡が明日に迫ろうと私は今日林檎(りんご)の樹の種子を植える リルケ
1977 寺山修司「ポケットに名言を」角川書店(角川文庫) もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子(たね)をまくだろう。 ゲオルグ・ゲオルギウ
1979 柳田邦男「ガン50人の勇気」(文藝春秋11月号) たとえ世界が明日終りであっても、私はリンゴの樹を植える ルッターが語ったと伝えられる言葉
1982 西川喜作が柳田邦男に出した手紙(柳田邦男「西川先生のこと-序にかえて」に収録)(西川喜作「輝やけ我が命の日々よ」新潮社) たとえ世界が明日終りであっても、私はリンゴの樹を植える ゲオルギウの文章
1988  童門冬二「人生を選び直した男たち」PHP研究所(PHP文庫、2000年) たとえ 世界の終末が明日であろうと
  わたしは今日 リンゴの木を植える
コンスタンチン・ゲオルギュ
1996  開高健が色紙などに書いた言葉(「太陽」1996年5月号、平凡社) 明日、世界が滅びるとしても今日、君はリンゴの木を植える 開高健が色紙等に書いた言葉 
1997 梶山健編「世界名言大辞典」明治書院 世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植える C.V.ゲオルギウ「第二のチャンス」
1999 ヘレン・エクスレイ編「希望のことば」偕成社 たとい、この世界が明日くずれ去ろうともわたしはわたしのリンゴの木を植えることをやめない。 マルティン・ルター
2000 童門冬二「男の論語 下」PHP研究所 たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは今日リンゴの木を植える コンスタンチン・ゲオルギュ
2001 石原慎太郎「「人間」の運命」(石原慎太郎・瀬戸内寂聴『人生への恋文』世界文化社、2003年) 明日世界が滅びるとも、今日、君はリンゴの木を植える 開高健が色紙に書いた言葉
2002 荻野目慶子「女優の夜」幻冬舎 あした世界が滅びるとしてもきょう私は林檎の樹を植える コンスタン・ゲオルギウ(ルーマニアの作家)・・・深作欣二監督が書いたメモより引用したもの
2003 菊地美男「遠い日の青春のギター」文芸社 たとえ、世界の終末が明日であっても、私は今日、りんごの樹を植え続ける。 ルーマニアの作家コンスタン・ゲオルギウの言葉
2003 テレビドラマ「僕の生きる道」(橋部敦子「僕の生きる道」角川文庫) たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日、私は、りんごの木を植える―― (ドラマで)金田勉三の言葉
2004 開高健記念会編「開高健 Portrait de Kaiko」開高健記念会 明日、世界が滅びるとしても今日、あなたはリンゴの木を植える 開高健が色紙に書いた言葉
2004 石原慎太郎「国政の怠慢」(産経新聞連載「日本よ」2004.10.4)(『日本よ再び』2006年) たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える 詩人ゲオルグの言葉
2007 石原慎太郎「たとえ、地球が明日滅びるとも」(産経新聞連載「日本よ」2007.6.4) たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える 東欧の詩人ゲオルグの詩の一節
2007 徳善良和「マルチン・ルター 生涯と信仰」教文館 たとい明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える ルターの言葉そのものではないが、その信仰をよく表す言葉
2009 石原慎太郎「経済性なる欲望からの解放」(産経新聞連載「日本よ」2009.1.5) たとえ明日地球が滅びようと、君は今日林檎の木を植える ルッターが説き、東欧の詩人のゲオルグが歌った詩
2009 映画「感染列島」 たとえ明日(あした)地球が滅びるとも、今日君はリンゴの木を植える (映画で)小林栄子の言葉
2009 テレビドラマ「赤鼻のセンセイ」第2幕 もし、あしたが世界の終わりだとしても、私は今日リンゴの木を植えます。 (ドラマで)太川絹の言葉
2009 石原慎太郎「「日米安保」は破棄できる」(文藝春秋8月号) たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える ポーランドの詩人・ゲオルグの言葉だそうです
2009 朝日新聞(2009.11.12)の石原慎太郎へのインタビュー記事(刀祢館正明による) たとえ明日地球が滅びても、君は今日リンゴの木を植える オートリアの詩人ゲオルク・トラークルの言葉
2012 石原慎太郎『平和の毒、日本よ』産経新聞出版(たとえ、地球が明日滅びるとも) たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日林檎(りんご)の木を植える 東欧の詩人ゲオルグの詩の一節
2012 石原慎太郎『平和の毒、日本よ』産経新聞出版(経済性なる欲望からの解放) たとえ明日地球が滅びようと、君は今日林檎(りんご)の木を植える ルッターが説き、東欧の詩人のゲオルグが歌った詩
2013 石原慎太郎「追想40年 時代の鑿岩機として」(「正論」2013年11月号) 明日世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える  開高健が色紙に書いた言葉。東欧の詩人ゲオルギウの言葉
2014 石原慎太郎「NYで遭遇した9・11」(「WiLL」10月号、石原都政回想録) たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日、リンゴの木を植える ポーランドの詩人のゲオルグ・トラ-クルの詩