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日満航路
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門司港
大連港
大阪商船 
門司 
大連
神戸
 
昭和4(1929)年: 「うらる丸(6375トン)」
昭和7(1932)年: 「うすりい丸(6386トン)」、使用船6隻で月15回
昭和8(1933)年: 「しあとる丸」、「たこま丸」、使用船8隻で月20回
昭和9(1934)年: 「扶桑丸(8181トン)」を神戸基隆線から配転
昭和10(1935)年: 「吉林丸(6783トン)」、「熱河丸(6784トン)」
昭和12(1937)年: 「黒龍丸(7369トン)」、「鴨緑丸7363トン)」、使用船10隻で月25回
 
順調に発展したこの航路も、戦局の拡大にしたがって、軍に徴用される船が多くなり、大連汽船の「大連丸(3748トン)」、「青島丸(4026トン)」、「奉天丸(3975トン)」を用船し、遠洋航路から撤退した「すらばや丸」、「南海丸」、「東京丸」、「西貢丸」、「ありぞな丸」、「りおでじゃねいろ丸」などを逐次投入して定期を維持した。昭和15(1940)年には「あらびあ丸」、「ぶえのすあいれす丸」、「報国丸」、「らぷらた丸」、「さんとす丸」、「もんてびでお丸」、「あるぜんちな丸」など遠洋航路撤退船を投入した。昭和17(1942)年には国家総動員法に基づき船舶運営会が設立されたのでこの航路は同会に移管された。
 
大阪商船 
 
はるびん丸
亜米利加丸
うらる丸
こくりゅう丸
 
航路案内
 
北鮮急航航路 
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明治38(1905)年、旅順開城とともに満州開発の先駆として大阪大連線が開設された。第一船は「舞鶴丸(1076総トン)」。ほかに「舞子丸(1178トン)」、「基隆丸」、「安平丸」を加えて週2航海であった。
 
明治39(1906)年: 「大義丸(1568トン)」、「大仁丸(1576トン)」、「鉄嶺丸(2143トン)」、「開城丸(2084トン)」、
明治40(1907)年: 「嘉義丸(2509トン)」、「天草丸(2340トン)」、
明治44(1911)年: 「台中丸(3213トン)」、「台南丸(3176トン)」を神戸基隆線から配転
大正4(1915)年:  「はるびん丸(5169トン)」、
大正10(1921)年: 「ばいかる丸(5243トン)」、
大正13(1924)年: 「亜米利加丸(6307トン)」、「香港丸(6364トン)」を神戸基隆線から配転
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欧亜連絡
満州・中国経由
満州路線図