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合衆国がメキシコからカリフォルニアを併合した翌年、1848年、パシフィック・メール汽船会社が設立された。航路はパナマ・オレゴン・カリフォルニアで、一番船の「カリフォルニア」は大西洋岸からカリフォルニアへ回航される際に、同年に発見されたカリフォルニアの金が目当ての男たちを乗せて1849年2月28日サンフランシスコに到着した。この時代、カリフォルニアへ向かう合衆国東部からの道は、幌馬車隊でのロッキー越えと並んで、パナマ経由で太平洋を上るこのパシフィック・メール便が花形ルートであった。1855年にはパナマ地峡にパナマ鉄道が開通し、このルートは至便を極めるにいたった。しかし、1869年ユニオンパシフィック鉄道とセントラルパシフィック鉄道のユタ州のプロモントリーで締結、すなわち大陸横断鉄道の完成で主要ルートが陸路鉄道経由に変わると、パシフィック・メール汽船会社の関心も太平洋の対岸に向いてきた。1867年1月1日は、この太平洋横断航路の出発式であった。アジアに向けて発した一番船「コロラド」は22日後の1月24日横浜到着、そして最終目的地の香港には1月30日到着した。
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東洋汽船 日本郵船
サンフランシスコ航路
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桑港航路-2
Honolulu
横浜
香港
上海
San Francisco
Los Angels
神戸
米国 太平洋郵船会社 Siberia
1902年竣工 11790総d 1916年東洋汽船会社が購入に同じ桑港航路で活躍し1926年航路ごと日本郵船に引き継がれた。
東洋汽船 亜米利加丸
1898年竣工 6307総d 桑港航路で使用された後、1911年大阪商船に売却され、台湾航路、日満連絡線で活躍した。
東洋汽船 春陽丸
1911年竣工 13377総d 桑港航路で使用され,1926年航路ごと日本郵船に売却 1936年解体。
東洋汽船は、O&O汽船とPM汽船会社とともにサザンパシフィック鉄道との連携輸送契約を結び、またサザンパシフィック鉄道は大陸横断連携運輸をユニオンパシフィック鉄道、シカゴ・ノースウェスタン鉄道と結んでいた。
桑港航路2
1875年にはシティー・オブ・ペキンとシティー・オブ・トウキョウの4000トン級の新造船が完成し、会社の経営も大陸横断鉄道との提携運輸とパナマ経由の安価貨物の輸送で好調であった。しかし、太平洋を渡ってきた荷物を自社益の多いパナマ経由で運ぼうとして、鉄道会社の反発を買い、ユニオンパシフィック鉄道とセントラルパシフィック鉄道は陸海制覇の欲望のために、別の汽船会社「オクシデンタル・アンド・オリエンタル汽船を設立して、3隻の用船「オセアニック」、「ベルジック」、「ゲーリック」で1875年より太平洋横断航路を開始した。O&Oの運行開始時点ではすでにPMとの協調が確認されており、あたかも1つの会社のような営業を1906年まで続けて、O&Oは消滅した。
日本による遠洋航路は1893年11月7日神戸発ボンベイ行き廣島丸から始まり、1896年の日本郵船欧州航路、シアトル航路に続いて1898年東洋汽船が「日本丸」、「香港丸」、「亜米利加丸」をしてサンフランシスコ航路を開始した。
TKK、PM、O&Oは3社共同9隻でサンフランシスコ航路を運営した。PMは1902年に10000トン級の「コリア」と「サイベリア」を、更に1904年にはPMは13000トン級の大型船「モンゴリア」、「マンチュリア」をこの航路に投入して、船舶の大型化を計った。TKKもこれに続き、12000トン級の「天洋丸」、「地洋丸」、おくれて「春洋丸」を1908年から1911年までに投入した。 1915年にはグレースライン汽船会社に全株式を売却した老舗のPMから、「パーシャ」、「コリア」、「サイベリア」を購入して輸送力増強を計りながらも、第一次大戦後の船腹過剰で「日本丸」を売却している。 
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桑港航路-2
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