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日本郵船
シアトル航路
アメリカ北部大陸横断鉄道
アメリカの太平洋岸北部、ピューゼットサンド湾の都市であるシアトルとタコマ、ここを出発点として3つ大陸横断鉄道線が運営されていた。最初のノーザンパシフィック鉄道(Northern Pacific Railway, NP)は1887年、次のグレートノーザン鉄道(Great Northern Railway, GN)は1893年、最後のミルウォーキー鉄道(Chicago Milwaukee & St.Paul Railway, CM&SP/ CMSP&P)は1909年の開通であった。
シアトル港
横浜港
Vancouver
横浜
神戸
名古屋
清水
Seattle
香港
上海
門司
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グレートノーザン汽船 ミネソタ
北米大陸
太平洋航路
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上:横浜に保存公開されている氷川丸
下:氷川丸 戦前絵葉書 
シアトル航路
ピューゼットサンドとアジアを結ぶ太平洋航路は、何れも大陸横断鉄道線と連帯契約を結び、鉄道と共に発展してきた。この航路の最初の開設はノーザンパシフィック汽船会社(Northern Pacific Steamship CO., NPS)で1892年、タコマ−横浜間、タコマでNP線と連帯契約を結んでのことであった(業績低迷のため1898年に撤退)。続くは日本郵船会社で1896年、横浜−シアトル間、シアトルでGN線と連帯契約であった。その後、GNは配船される船舶の規模が小さいことを不満に思い、自らグレートノーザン汽船会社(Great Northern Steamship CO.,GNS)を設立し、1903 年シアトル−横浜間に当時太平洋航路最大の汽船を投入した(コスト増を理由に1915年太平洋航路を撤退した)。一方、日本郵船と常にライバルであった大阪商船会社はこの地域の航路に参入しようと機会を狙っていたが、ちょうどミルウォーキー鉄道の太平洋延長とともに同社と契約して1909年に香港−タコマ間の航路を開設した(1931年に郵商協定によって大阪商船タコマ航路は廃止された)。1925年にはダラーライン(Dollar Steamship CO., DL)がサンフランシスコとシアトルを起点とする馬蹄形航路(サンフランシスコ-極東-シアトル-極東-サンフランシスコ)を開設したが、1931年にはこれを止め、シアトル−マニラ間の航路を米国郵船(American Mail Line)の名称になった。1938年DLとAMLはAmerican President Lines CO. (APL)に引き継がれた。
1941年7月日本の仏領インドシナ侵攻にともなって、英米との関係緊張は決定的となり、この年の8月17日平安丸の帰国をもって、シアトル航路は運行休止となってしまった。
戦後は唯一残った大型外航貨客船「氷川丸」が1953年この航路に復活した。しかし、戦後の航空機の発達はめざましく1960年10月1日シアトルから帰ってきた氷川丸を以て、日本の太平洋横断航路の最期となった。