HN:かず。もうすぐ40歳台半ばを迎える。まぁ、どこにでもいるオジサンである。なりわいは自称、住宅設計家..(^^ゞ。福島県は信夫の里でささやかな建築設計アトリエを主宰している。社会的にも自由人(と思っている)なのでサラリーマンのようなストレスは無い。クライアントには最大級の心配りが必要だが、それ以外には幸運にも自分を束縛する者はいない。これはまことに快適である。時間の使い方は自由。逆にそれが一番難しい。しかもそんな時間を上手に使えたことはないように思う。しかしひとたび旅に出ると時間の使い方は抜群にうまくなる..と思いこんでいる風来人である。
旅好きは生まれたときかららしい。オートバイに出会う前は列車の旅、自転車の旅...いろいろな処へ行った。見たこともない場所に行き、初めて見る景色に、そして旅先での出会いに感動した。オートバイに出会い、こいつなら自分を好きなときに行きたい処へ、果てしなくどこまでも連れて行ってくれる魔法の乗り物のように感じた。...それ以来旅はほとんどがオートバイツーリングになってしまった。靴を履くように旅に出るときは必ずオートバイに跨っているのである。季節の風を全身で感じながら、いつでも行きたい処へ行けるこの快感はオートバイ乗りに与えれた特権だと思う。いつまでオートバイを操れるかは分からないが、気持ちと体がオートバイを受け付けなくなるまでこんな旅を続けられたら幸せだと思う。
オートバイとの出会いは高校生の時。初めて乗ったのが友人に借りた世界の名車、スーパーカブ号である。アクセルさえ回せばひとりでに走り出すこの乗り物にエラく感動したのを今でも鮮明に覚えている。いい気になって放課後校舎の裏を乗り回していたら校長先生に見つかりこっぴどく怒られた。貸してくれた友人も一緒に..(スマン!)。気が付けば目の前は校長先生の官舎。怒られついでに帰りにカレーライスをご馳走になった。妙に旨かった。折しも地元の高校では「三ない運動」が幅をきかせつつあったこの頃、この校長先生は「工業人の卵たるもの機械を使いこなせないでどうする!」が持論であり、オートバイ通学さえも許可していたのである。ただし、比類なく厳しい安全教室とセットではあったが..。良い校長先生だった。そしてここから、我がオートバイでの旅が始まるのである。

Plofiel

彼女のこと。愛馬の次に..いやいや一番大切な生涯の相棒であります。。結婚してもうすぐ20年にもなろうとしているのに、いまでも親友であり良き理解者なのである。彼女もライダーだ。というよりライダーだった..。結婚する前にボクのオートバイライフに同化し250ccを駆って一緒にいろいろな場所を旅した。新婚旅行も二台と二人で九州を一周した。一生こんな旅を続けようと語り合った。だが母としての宿命を全うすべくけなげにオートバイを降りる。旅は一休み...そう、一休み。その間朽ち果ててゆく愛馬が忍びなく、命あるうちに新たな旅主のもとへ旅立たせた。断腸の思いだったろう。そして少しずつ気持ちと時間の余裕が見えてきた今、リターンライダーになるべくあの頃の気持ちは少しも衰えていないことを感じる。二人旅は僕たちのライフワークでもある。さぁ、そろそろまた一緒に走ろうか!。

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風来人の旅浪漫
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風を探して..