西郷頼母とは、これは渋い^^
会津松平家で、ただ一人恭順をとき、城を出た家老ですね。
きっと、やむにやまれぬ理由を持って、あのような事に至ったのでしょう。
戦後も新政府に出仕するわけでもなく、隠棲をつづけたのですが、その謎を解くのは難しく、また面白くもありますね。
頼母の家族も城に殉じて亡くなっていますので、世の避難もあび、当に天涯孤独となったわけです。明治新政府の犠牲者といえるでしょう。
余談ですが、柔道の西郷四郎、彼は頼母の養子となり、会津松平家お留め流の武術の後継者でもありました。以外にも、西郷家は武術の家柄でもあったわけです。
その辺のことに、漫画ではありますが、講談社の「修羅の刻」で触れてます。
よく調べたなと、偉そうにも感心し、鳥肌が立ちました^^
なお、明治維新に活躍した松平容保公は美濃高須藩から養子に入ったわけですが、桑名藩主はもちろん、尾張藩主も実の兄弟なんですよね。
なんか、時代に深くかかわった兄弟として、とっても気になってます。
会津藩については「会津士魂」も一気に読破したほど、興味がありますので、折りをみて掲載していきたいと思っています。
気長にお待ち下さい。
これからも宜しくお願いします。m(__)m
[2003/11/17 19:54:13]