
日本史の偉人たち
名 称
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フリガナ
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幼名・官名等
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概 略
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言わずと知れた、後北条氏の初代、伊勢新九郎長氏こと、北条早雲です。
伊勢氏の出自と言われますが、定かな出典もなく、ただ今川氏に嫁いでいた血縁をたど
り東下、今川氏のお家騒動を契機に、興国寺城主から出発し伊豆を平定した後、小田
原城を占拠、相模の経営をしていきます。
なお、実際には「北条」姓を名乗ったのは、彼の嫡子、氏綱の代からで、氏綱の生母が
北条氏だったような話があります。
つまり、生前にはあくまでも伊勢早瑞(イセのソウズイ)だったわけです。
また、一般に後北条氏というと小田原を居城にしたように思われていますが、これも氏
綱から。城そのものは奇計をもって奪取しますが、彼の居城は韮山城です。韮山には北
条博物館もあるので、訪ねてみては如何でしょうか。
名前についても、「長氏(ながうじ)」が定着しておりますが、当時発布された書面等によ
ると「盛時(もりとき)」が伊豆攻略後の名乗りだったようです。
何分、その出自が謎に包まれた人物なので、それだけに興味をそそります。
彼の特色は、相手・民衆の心理を的確に掴むことのできた優れた政治家としての資質
でしょう。
そして時を焦らず、じっと待つ。あたかも果実が熟して落ちるのを待つばかりの気の長
い策戦が目を引きます。
今川氏の客将のような曖昧な立場から身を起こし、公方のいる伊豆を切り取るに当た
り、周囲と軋轢を表面化させずに行うだけでも相当な気遣いが必要です。また、小田原
城をとる話などは、信憑性を疑いたくなるようなモノです。さらに、相模経営の最終段階、
三浦氏を攻めるに当たっては、80歳を越える高齢にもかかわらず、焦らずにじっと機会
を待ちます。なんとも尋常な年寄りではありません。人は老いてくると性急になり、柔軟
な思考の出来なくなる動物です。徳川家康でさえ、大阪の陣にあっては、老年ゆえに性
急さを感じずにはいられません。
三浦氏を倒し、相模の国を制圧して、彼は生涯を終えるわけですが、彼の遺言の中に
は、健康維持に関するモノが多く、厳に不摂生を子息に禁じております。また、気鬱(スト
レス)というモノが体に悪いと理解をしていたらしく、精神の健康維持についても心を配る
ように言い残しています。
戦国の幕を開いた武将、北条早雲は、頼りがいのある子息、氏綱に全てを託し、その生
涯を終えます。
享年88歳と伝えられています。
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参考書物
(小説等)
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