
日本史の偉人たち
名 称
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フリガナ
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幼名・官名等
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概 略
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永禄11年(1568)〜天正13年(1585)。
織田信長の四男で、子供のいなかった秀吉の養子となりました。
備前児島城攻め、備中高松城攻め、山崎の合戦、賤ヶ岳の合戦、小牧の役(小牧・長
久手の合戦)と出陣しています。
山崎の合戦後、明智光秀の旧領、丹波亀山城主となり、天正13年12月10日に同地で
病死をしました。その遺領は秀吉の甥、小吉秀勝が相続をしております。
秀吉が山崎の合戦の後、早々と信長の葬儀を執り行うことが出来たのは、この秀勝の
存在があったからでしょう。
間違いなく信長の遺子ですし、嗣子の信忠の死後、上の信雄・信孝も他家の養子になっ
ていて復姓をしていないところから、同一の条件(信長の遺子)の下に、早々に秀勝を喪
主として葬儀を開催しても、特に咎める理由とはならなかったのでしょう。(ようは、信長
の親族であれば、早い者勝ちで葬儀をあげることが可能だったのでしょう。)
残念ながら、その人となりについての話は、手元にありません^^; |
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参考書物
(小説等)
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