
日本史の偉人たち
名 称
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フリガナ
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幼名・官名等
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概 略
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日露戦争の折り、ロシアのバルチック艦隊との決戦を控え、国中が不安に陥っていると
き、皇后の夢枕に武士が立ちました。
その武士は、今度の海戦は心配いらない旨を語ります。
後日、夢枕にたった武士の言うように、東郷平八郎率いる日本海軍は、世界海戦史上、
希有の完全勝利を得るのです。
どうしても、その武士が気になった皇后が、近侍していた田中光顕に特徴を伝え、誰か
心当たりはあるかと尋ねます。
「それは、私と同郷(土佐)の坂本竜馬に違いない」と答えたました。
その話が巷間に流布し、「サカモト リョウマとは誰だ?」と言った疑問から、竜馬の事跡
が調べられ、一般に知れ渡っていった。
と。言われています。
何が言いたいかと言われれば、坂本竜馬という人は、当時の知識人にあまり知られて
いなかった人物で、多分に美化をされてしまった人ではないかと、私は思っているので
す。
もちろん、当時の明治政府の元老には坂本竜馬をよくしる人物も多いです。
前述した田中光顕を代表とした同郷者、中島登・陸奥宗光らのかつての亀山社中・海
援隊の同士、勝海舟など、知己も多いです。
しかし、それでも何ら明治維新の原動力として、世間に流布をしておらず、そんな逸話
を機会に見直される程度の人物だったのではないかと思っています。
当時の人達にすれば、陸援隊の中岡慎太郎の方がずっと有名だったようです。
しかし、だからと言って、竜馬のやった功績を否定するものではないので、その変はご
理解を頂きたいと思います。
芸術家等と一緒にしてよいのか疑問はありますが、死後にその作品が大いに評価を
上げることは珍しいことではありません。
何でもかんでも竜馬が先取りをしていたと言うのではなく、ありのままの竜馬を考えて
頂けたらと思うのです。
ちなみに、十数年前に九州旅行に行った際、長崎で亀山社中跡地によりました。
熱心な保存・啓蒙活動に感動をしました。また、遺品や遺影に触れて、そんなに昔の
事ではないなと、妙な感心をしたことを今でも覚えています。
坂の上ではありますが、皆様も一度、立ち寄ってみては如何でしょうか? |
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参考書物
(小説等)
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