日本史の偉人たち

名 称
織田 信忠
フリガナ
オダ ノブタダ
幼名・官名等
奇妙、勘九郎、秋田城介、従三位、左近衛権中将
概  略
弘治3年(1557)〜天正10年(1582)
信長の嫡子(長男)で、母は生駒氏(吉乃)です。余りに父親の名が大きく、その活躍も
大々的には伝わっておりませんが、美濃岩村城攻略や、甲州攻めの先鋒大将、三木城
攻めの援軍の大将など無難にこなしています。その遺臣から高名な大名が輩出しなか
った(有能な人物は殉死した?)ことから、案外、信忠自身がたいした人物だったのかも
知れません。大きな過失も伝わっていないことから、可も無く不可もない跡継ぎだったの
でないでしょうか。
父・信長と共に、天正十年、京都で最後を迎えるわけですが、二条御所に入るにあたり
誠仁親王一族の避難する時間を乞い、それを見届けたあとで奮戦するあたり、爽やか
な青年を連想します。

なお、下の「戦国幻想曲」は主人公は渡辺勘兵衛ですが、彼の熱望する理想の主君像
として、「信忠」が出てきます。
参考書物
(小説等)
戦国幻想曲(池波正太郎)


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