
日本史の偉人たち
名 称
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フリガナ
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幼名・官名等
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茶筅、三介、信意、具豊、侍従、左近衛権中将、大納言、正二位、内大臣 |
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概 略
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永禄元年(1558)〜寛永7年(1630)
なんともふざけた幼名ですが、これが信長のユーモアなんでしょうか^^
ご存じの方も多いでしょうが、実際は3男でありながら正室待遇を受けていた吉乃の子と
言うことで、次男とされています。
幼いうちから信長の近隣諸家の取込政策の一環として、北畠氏に養子に出されました。
軽率なところのある人物で、「本能寺の変」に際しては安土城を焼失させてしまい、「賤ヶ
岳の合戦」においては弟・信孝を自刃においやり、「小牧・長久手の合戦」では家康に助
けを求めた上で秀吉に反旗をひるがえしたくせに、不利とみれば独断で秀吉と和睦し、
家康を失望させます。
その後、秀吉の温情をもって伊勢で百万石を貰っていたのですが、小田原攻めのあと、
家康の旧領への転封を拒否、秀吉の怒りを買い改易されてしまいます。以後はもう、戦
場に出ることは少なく、細々と秀吉・家康に養われて行きますが、以外にも子孫は幕末
まで天童・柏原で小大名として続きます。 |
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参考書物
(小説等)
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