
ガイドのゾーヤさんは、大学で東洋史を専攻したとか、歴史には詳しく、移動中のバスの中でロシアの歴代の皇帝などについて説明してくれました。
イワン雷帝、ピョトル大帝、エカテリーナ2世、ニコライ2世など、細かく話してくれました。
エカテリーナ2世には 3000 人の恋人がいたこと、夫のピョートル3世を恋人に殺させて皇帝(女帝)の座についたとか、興味深く聞きました。
★昼食
昼食は、国境近くの中世の砦(ナルバの砦)のレストラン(Londeel:ロンデール)でとりましたが、砦のまわりには新しい建物が少なく、中世の趣を残していました。
ピョートル大帝は、いわゆる出城を方々に置いたそうで、この砦もその一つだと言うことです。
★国境通過
国境がある街ナルバは、ドイツ名であり、ロシア名では、イワン・ゴルドだと言うことでした
昼食後国境に向かいましたが、出国には15時から約30分間、入国には15時半から16時まで、合計1時間を要しました。
特に入国の際は、空港での検査と同様に荷物のX線検査など厳しい検査を受けました。
★外貨の持ち込み額の申告
ロシアでは、外貨を国外へ持ち出すことを禁止されており、旅行者に対しても厳しくチェックされます。
出国の時には、入国時に申告した金額より多く持ち出すことは許されず、超過したお金は没収されるとのことです。
★サンクト・ペテルスブルグ到着
国境から約3時間後、ようやくサンクト・ペテルスブルグの市内に入りました。
最初に眼に入ったのが大きな通りに建っている凱旋門、そして車窓の左右には運河が見えます。しばらく進むと旧海軍省の尖塔らしきものが正面に見えました。
そして間もなく聖イサク寺院が見え、ホテル(アストリア)に到着しました。
ホテル・アストリアは聖イサク寺院の正面にあります。
サンクト・ペテルスブルグは、北緯59度59分にあり昼がとても長いのです。ここでは1週間前にようやく青葉が出てきたとのことでした
(5月29日はタリンからの移動で終わりました)
★スフィンクス見学
5月30日の観光予定は10時出発で、朝の時間に余裕があり、この時間を有効に使用したいと言うことになり、エジプトから持って来たというスフィンクスを見に行くことになりました。
スフィンクスは大ネヴァ川のほとり、ホテルの北西の方向の橋の近くに有るとのこと、希望者十人位参加しました。
コンダクターのIさんが先頭になって半ば走るように出発しました。そして大ネヴァ川まで進むと東の方に歩き始めました。方向が違っているのではないかと思いつつも、仕方なく付いて行き、宮殿橋を渡りました。
向岸に渡ってからはどんどん西に進んで行き、次の橋の近くまで歩いてようやくスフィンクスに辿り着いたのでした。
Iさんは、道を間違ったのではなく、対岸の道を歩くことにより、エルミタージュ美術館、旧海軍省、聖イサク寺院などの綺麗な風景を見ようという考えがあったようです。
確かに、対岸からみる聖イサク寺院は、その影を大ネヴァ川に写し綺麗な眺めでした。
スフィンクスは、エジプトのギザにあるもののように大きくなく、高さ数メートルの小さなものでした。川岸の道路の脇に2体が向き合って配置してありました。
帰路は宮殿橋から約 1.4km川上にある橋を渡って帰えりましたので、合計約4km歩いたことになります。強行軍でした。
★聖イサク寺院
まず、バスによる市内観光です。ホテル出発は10時、聖イサク寺院は車窓から見ることになりました。寺院の屋根の上には数体の大理石の像が立っています。
★宮殿広場・アレクサンドルの円柱
聖イサク寺院の横を通り少し進むと旧海軍省大通りに出ますが、これを右折して進むと宮殿広場に出ます
この広場に面して、エルミタージュ美術館、旧参謀本部の建物などがありますが、広場の中央には高さ48m、重さ600トンの「アレクサンドルの円柱」が立っています。
この柱に上には天使の像が立っていますが、一枚岩の花崗岩で出来ており、基礎は地中には無く自重で立っているとのことです。
この円柱は、1834年にナポレオン戦争を記念して建てれたものですが、この広場は、様々な事件の舞台になったとのことです。
1905年1月9日には、ロシア皇帝の軍隊が、何千という労働者に発砲し死傷者を出した痛ましい第一次革命の「血の日曜日」事件、1917年の10月革命の時には、レーニンが指揮する武装兵が冬宮へなだれ込み、政府の閣僚を逮捕して冬宮を占拠するなどです。
バルト3国でも「血の日曜日」というのが有りましたが、なぜ「日曜日」に事件が起きたのでしょう。
★エルミタージュ美術館
宮殿広場を右に見て進むと青い色が目立つ建物、エルミタージュ美術館が見えてきます。屋根の上には白い大理石の像が立っており、綺麗な建物です。
美術館は、明日(31日)に見学することになっています。
★宮殿橋
エルミタージュ美術館を右に見ながら直進すると、宮殿橋に出ます。
宮殿橋は大きな橋ですが、この下を船を通すためにハネ橋になっており、1時に開き、5時に閉まるとのことでした。
ちなみに、大ネヴァ川の深さは20もあるそうです。
★ペトロパブロフ要塞
宮殿橋を渡るとワシリー島となりますが、橋を渡りきったところに、茶色で大きな柱(ストレルカ灯台)が立っています。
また、バスの右の車窓には高い尖塔の立つ島・ペトロパヴロフスク要塞がみえます。
この要塞は、ピョートル大帝が、バイルト海に進出するために建設したもので、この都市の起源となったと言われます。
★旧元老院・青銅の騎士
エルミタージュ美術館の西隣には旧海軍省の建物があり、さらに西に進むと旧元老院と元老院広場があります。
この広場には「青銅の騎士像」と呼ばれるピョートル大帝の騎馬像があります。後ろ足で悪の象徴大蛇(スエーデン)を踏みつけ、前足を高く上げて駿馬にまたがる大帝は、北方戦争での勝利を示していると言われます。
この像は、ピョートル大帝の支配100年を記念してエカテリーナ2世が造ったものとのことです。
★マルスの広場
エルミタージュ美術館から大ネヴァ川沿いに少し東に進み、右折して南に進むとミリオンナヤ通りに出ますが、その通りを東に進むと右側にマルス広場が見えます。
ここは、帝政時代に練兵場があったところで、広場の中央には革命兵士の記念碑があり、戦士に捧げる永遠の火が燃えていました。
また、この広場の南側にはミハイロフ庭園が続いており、その南にはロシア正教の丸い屋根の教会が見えます。
★夏の庭園
マルス広場の東には白鳥運河を隔てて夏の庭園が続きます。そしてその北の隅には「夏の宮殿」があります。
この宮殿は、ピョートル大帝が宮廷の園遊会を催すために1777年に造ったものだそうです。
「夏の宮殿」と呼ばれるものにはもう一つ、近郊の街「ペトロヴァレツ」にあります。午後、観光する予定になっています)
★運河
サンクト・ペテルスブルグの中心部では、旧海軍省当たりを中心として放射状に配置された道路があり、その放射状に配置された道路に直交する形で運河が3条配置されその運河の両岸に道路が設けられています。
更に、運河と運河の間にも運河に並行する形で道路が配置されています。
運河にはモイカ運河、エカテリーナ運河、フォンタンカ運河などの名前が付けられていますが、かっては運河も重要な交通手段の一つだったそうで、運河沿いには富裕な貴族の邸宅などが並んでいます。
★血の上の教会
エカテリーナ運河の北の端は、モイカ運河と合流していますが、その合流点の近く、エカテリーナ運河のほとりに丸屋根の綺麗な教会「血の上の教会」が立っています。
何故このような名前がついているのかについては分かりませんが、色々な色彩が施された綺麗な教会でした。
★巡洋艦オーロラ号
宮殿橋から大ネヴァ川を東の方向に進むとトロッキ橋がありますが、これを渡って東に進むと軍艦(巡洋艦オーロラ号:3本煙突、6000トン)が見えます。
この軍艦は、かっては日露戦争の日本海海戦にも参加したとのこと、また、1917年10月25日の革命(いわゆる10月革命)は、この船の号砲を合図に開始されてと言われます。
日本海海戦では、バルチック艦隊は壊滅状態となったのですから、この巡洋艦はウラジオストックへ逃げ込んだのでしう。
本物のオーロラ号は既に廃船になっており、今あるものは同じ型に復元したもので、観光施設の一つになっており、これが係留されているところには観光客を対象とした露店が並び、マトローシュカ(人形)や琥珀のネックレスなどを売っていました。
★海軍士官高等学校
巡洋艦オーロラ号が係留されている岸の道路の反対側に青い壁の学校のような建物がありますが、海軍士官高等学校とのことでした。
★自由橋・鋳物の橋
巡洋艦が係留されているところから北へ進むと東に渡る橋、「自由橋」があり、更に進むと「鋳物の橋」と呼ばれる橋が有ります。
この名は、この付近に鋳物の職人が多く住んでいたことによるとのことです。
★スモーリヌイ修道院
バスでリティヌイ橋を渡って帰り、東の方向に進むとスモーリヌイ修道院があります。
この修道院の壁も淡い青色であり、清楚な感じがしました。バスが着いたとき丁度雨が降っており、急いで写真をとりバスに駆け込みました。
★ネフスキー大通り・昼食
午前中の観光が終わり、昼食のためレストランに向かいましたが、予約時間より少し早かったので、時間つぶしに市内を回って来ることになりました。ネフスキー大通りはこの街の中心街であり、賑やかでした。
車窓からは、アニチコフ宮殿、エカテリーナ2聖像、旧国会、カザン寺院、アレキサンドル・ネフスキー教会などが見えました。
一巡してネフスキー大通りのレストランで昼食をとりましたが、料理の最初に「ボルシチ」が出ました。
★夏の宮殿
昼食後は、夏の宮殿観光です。最初私は夏の庭園にある宮殿を観光するのだと思っていましたが、ペトロヴァレツにある宮殿の観光でした。
ペテロヴァレツとは、「ピョートルの宮殿」という意味だそうで、このことを「夏の宮殿」とも呼ぶのだそうです。
ペテロヴァレツは、サンクト・ペテルスブルグから南西に約29kmのフィンランド湾に面したところにあり、1712年にペテルブルグに首都を移したピョートル大帝がフランスのベルサイユ宮殿を意識して造ったと言われます。
この宮殿には、噴水が多く造られており、規模は大きくありませんが綺麗な庭園があります。
これで、5月30の観光は終了しました。
★エルミタージュ美術館
5月31日、いよいよエルミタジュ美術館の見学です。
ホテルを10時に出発しました。ホテルの近くなので10時15分位には美術館の入り口に着いたと思いますが、既に多くの観光客が並んでいました。
やがて入館、正面入口から「大使の階段」へと進みました。二階に上がると「将軍の間」、「紋章の間」へと進んで行きます。
この美術館は、1764年にエカテリーナ2世がベルリンの画商から225点の絵画を購入したのに始まりましたが、ロシア革命後大貴族の秘蔵品が国有化され、所蔵品数が大幅に増え、革命後は一般にも公開されることになり、現在では300万点に達すると言われます。
美術館は、冬宮と三つの離宮(新エルミタージュ、旧エルミタージュ、小エルミタージュ)と劇場からなりますが、古代ギリシャ美術、古代ローマ・イタリア美術から、スペイン美術、オランダ美術フランス美術など、多くの巨匠たちの作品が並んでいます。
しかし、2時間程度ではゆっくり観賞することは出来ませんでした。カメラで写真を撮ったり、ビデオカメラで撮影したりで大変でした。
ここではカメラの使用料が 15.000 ルーブル、ビデオカメラの使用料が 60.000ルーブル必要でした。
ロシアではインフレの進行が激しく、ビデオカメラの使用料は4日前は50.000 ルーブルだったとのことです。
★エカテリーナ宮殿
エルミタージュ美術館の見学は、12時半頃終了しましたが、外に出ると宮殿広場はお祭り(建国500年祭とのこと)の人でいっぱいでした。
午後は、エカテリーナ宮殿観光です。
エカテリーナ宮殿は、サンクト・ペテルスブルグから南へ約30kmのプーシキン市にあり、イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた女帝エカテリーナ2世の夏の離宮です。
この宮殿は、ロシア・バロック様式の建物で、落ち着きのある青を基調とした外壁と、白い円柱、窓には精密な彫刻が施された綺麗な宮殿です
緑の芝生と松の木も印象的です
(以上で5月31日の昼の観光は終了しました。)
★バレー「ラ・シルフィード」観劇
ロシアと言えばボリショイバレー、折角はるばるとロシアにやって来たのだからと言うことで、希望者でバレーを見に行くことになりました。
劇場は「マリエンスキー劇場」です。演目は、「ラ・シルフィード」でしたが、初めてなので内容を十分には理解出来ませんでした。しかし、バレーは上手で綺麗でした。
★薄暮
バレー観劇は、20時半頃終わりましたが、その後レストランで夕食をとり、ネヴァ川のほとりをバスで帰りました。
時刻は23時頃でしたが、左の写真のように空は明るく輝いていました。
川の岸や橋の上には大勢の人が集まっていました。これは、建国500年記念祭で花火が打ち上げられると言うことですが、空が明るいので暗くなるのを待っているのだそうです。
ホテルに帰ってバスに入っている(0時)頃、ようやく花火の音が聞こえてきました。
★動かなかったハネ橋
昨夜、コンダクターのIさんから、デートに誘われ、大ネバ川にかかるハネ橋が5時に閉まるので、閉まるところが見たいので一緒に行って欲しいと頼まれました。
このためには4時半に起きなければならないので、一寸考えましたが女性から頼まれると弱い私は、これを受けることにしたのでした。
4時50分にロビーで待ち合わせ、二人で大ネバ川に急ぎました。外はもう明るくなっていました。
大ネバ川までは5分で到着しましたが、右手に見える宮殿橋(ハネ橋)には自動車が走っているではありませんか。
ガイド(ゾーヤさん)が時刻を間違えて教えたのか、あるいは予定が変更されたのか、とにかく橋が閉まるところを見ることは出来ませんでした。
空は、昨夜の23時頃と同じように赤く焼けていました。
★特急レピン号にて出国
6月1日、いよいよ今日はサンクト・ペテルスブルグともお別れです。
バスで駅に着くと、青い色(空色)の列車がホームで待っていました。車両には「REPIN」とう文字が大きく書かれていました。
ガイドのゾーヤさんも見送ってくれました。列車は、7時に出発しました。座席はコンパートメントで、私達夫婦と未亡人クラブの4人が一緒になりました。
スーツケースは廊下に一列に並べましたが、飲み物を売るワゴンが来た時にはコンパートメントの中に待避させられました。
特急列車というのにスピードは遅く、線路の保守が悪いようでよく揺れました。線路の両側には白樺の林や、松の森が続きます。バルト3国でも多く有りましたが、ここでも枝が少なく、すーっと伸びた松の木「 Lodge Pole Pine:小屋の柱の松」がありました。
★車内での入出国手続
サンクト・ペテルスブルグを出発して2時間半分くらい経った頃、ロシアの出国審査(点検)が始まりました。
麻薬犬による荷物の検査、パスポートの写真との照合、外貨申告書の確認が行われ、コンパートメント内部(棚の上など)の点検が行われましたが、この時には全員が通路に出されました。
全員無事に国境を通過でき、フィンランドに入り、車窓からは湖が見えるようになり、線路のそばに大きな岩の小山が見えるようになりました。
ヘルシンキには12時30分に到着しましたが、何となく明るい雰囲気を感じました。
[1] サンクト・ペテルスブルグを離れる日の朝、コンダクターのIさんの誘いで大ネバ川に架かるハネ橋の動くところを見ようと出かけましたが、動くところは見ることが出来ませんでした。
[2] 教えてくれたガイドのゾーヤさんは元気でしょうか。
[1] 昨年はハネ橋の開閉を見れませんでしたが、今年の旅行で再度挑戦し確認しました。
今年の夏にロシア人(モスクワ在中)の友人のところへ1ヶ月程度遊びに行くつもりなのですが、ビザの取得方法が不明なため(少しは調べたのですが・・)おわかりであれば教えていただきたいのですが。
インターネットで在日ロシア大使館を検索したところ、ロシア大使館のホームページ
[通貨・ショッピング]
ロシアの通貨はルーブルで、1ルーブルは約 0.02 円でした。
エルミタージュ美術館でのビデオカメラ使用料が 60.000 ルーブルでしたが、日本円では約 1,200 円、ということになります。
また、夏の宮殿でのトイレチップが 1,000 ルーブルでしたが、日本円では 20 円と言うことになります。
しかし、ロシアではインフレが進んでいるので、現在では大分変わっていることでしょう。
★(1A)ハネ橋の開閉について(1997.8.13 冨中)
時刻(5時)に変更があったのでしょうか、それとも日によっては動かないことがあるのでしょうか。
結局、昨年は「ゾーヤさん」が教えてくれた時間が間違っていて、正しくは「2時に開いて3時に閉まる」ということでした。
[2] ゾーヤさんは元気で活躍されており、今年もこちらから指名してガイドをして貰いました。
尚、滞在方法は友人宅の予定です。友人にロシア大使館宛に招聘状など書いてもらうなど??
宜しくお願いいたします。
http://www.embassy-avenue.jp/
が見つかりました。
このホームページでは「ビザ取得情報」、「質問コーナー」があり、細かく説明されています。
〒106-0041
東京都港区麻布台2-1-1
Tel: 03-3583-4224 / 03-3583-5982
Fax: 03-3505-0593
おかげさまで情報収集出来ました!?
ロシア大使館のホームページでは個人的にロシアに訪問する内容のものが載っていなかったので直接TELしてみましたところビザの問い合わせは03-3586-0408でした。
ビザ発給までの流れとして・・・
1.ロシアに住む知人にロシアの外務省当てに招聘状を書いてもらう。
2.ロシア外務省から大使館宛にTelex又は日本人個人宛に関係書類(名称不明)を送ってもらう。
3.後は写真3枚とパスポートを持っていけばビザがもらえるらしいです。
難しい事では無いと感じたのですが、実際にビザが発給されなければわからないことなので、取得できたときにはご連絡いたします。ありがとうございました。
また、実際にビザ発給された方がいれば情報をお待ちしておりますのでお願いいたします。

小山
6/14〜6/22の9日間、新日本トラベルのツアーで、
今回は、これらの事項を念頭におき、旅をしました。ツアーで、被害があったという情報はなく安堵したのですが、成田に着いてから
余談になりますが、帰ってから、バルト3国について、もっと知りたく思っていたところへ、知人から
★(3A) ロシアとバルト3国を旅行しました(2001.7.2 若栗)
今回、「ロシアとバルト3国」への旅行に先立ち、まず海外危険情報が気になりました。
外務省の情報によると、モスクワ、サンクト・ペテルブルグは危険度@<注意喚起>となっています。不安定な経済・社会状況ゆえ、治安も悪化、スリ・置き引き・引ったくり等、それも鉄道駅、地下鉄やメイン ストリートで発生しているとのことです。
バルト3国でも、窃盗・スリ・置き引きの被害が多発しているということです。旧市街地域、駅、市場、スーパーマーケットなど人混みの中を歩く時は、十分に注意して、特に暗くなってからの一人歩きは控えることが必要だそうです。
第二次世界大戦前後にこれらの国に駐在して対ソ連情報収集した日本軍人の妻の手記で、バルト3国の在りし日がよく判ります。
姫路市 若栗一枝
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