知覧特攻平和会館
屋久島の帰途、トッピーの到着からJALの出発まで約半日
あったので、レンタカーを借りて知覧特攻平和会館に行って
来ました。屋久島の民宿でたまたま同泊した東京の業者の人
から勧められたのが動機でした。
鹿児島市内から指宿スカイラインを知覧インターまで約1時間、
インター下りたら県道23号を約15分です。
行って良かった!とつくづく思います。
あまり派手な宣伝をしていませんがイデオロギーに関係なく
この地に、そして靖国神社に、できるだけ多くの人に行って
戦争の中の紛れもない事実に触れて欲しいと思います。
避けていては何事も前に進みません。まずは可能な手段で
近づいてみて、そのうえで自分なりの評価、判断をすれば
いいのではないでしょうか。
ここは太平洋戦争末期、陸軍の特攻隊の出撃基地に
なっていたところで、現在はここを飛び立って沖縄戦で
散った若き特攻兵1036名の遺書や、海中から引き上げ
られたゼロ戦など戦闘機の実物展示をして、戦争の
悲惨さを訴える記念館が建てられています
直筆の遺書、6通目まで読んだところで涙が止まらず
ついに嗚咽をこらえきれなくなってしまい、その先を読む
ことがどうしてもできませんでした。
気がつくと、ガラスのショーケースのあちこちに大きな
涙の水滴がついています。ほかの見学者たちも、みな
同じように泣いていたのです。
九段で逢おう!を合言葉に散っていった兵士たち、
両親や兄弟への思いをきれいな楷書でしたためた特攻兵の
心の内を思うとき、決して忘れてはいけない歴史があるという
ことを改めて感じました。
中でも心を打たれたのは、6歳のときから継母に育てられた
十代の兵士の遺書です。実の母以上の深い愛情で包んで
くれたのに、まだ一度も「お母さん」と呼んだことはなかった。
彼は継母あての遺書の中ではじめて、「お母さん」という言葉
を使って、継母へのこれまでの感謝を伝えたのです。
なんという純粋さ!
これを書いたときの兵士の心境、あとで継母がこの手紙を
読んだときの情景、それらに思いを馳せたとき私は不覚にも
嗚咽の声をもらしてしまったのです。

特攻平和会館正面

会館前の道路

映画「ホタル」の記念碑

三角兵舎


記念館の展示室の外より

館内での写真撮影は禁止です。
引き上げられたゼロ戦を、
展示室の外からガラス越しに
撮影させてもらっちゃいました。
これもNGかなあ。

同じく。
知覧特攻平和会館の詳細は、
http://www.town.chiran.kagoshima.jp//cgi-bin/hpViewIndex.cgi?d1=3&c1=kankou&c2=20heiwakaikan&c3=010