11.「と117」旅行記 カナダ語学研修編 2005/08/06公開

 「カナダ語学研修」、それは「と117」の勤務校で平成7年度から行われており、約20名の選ばれし研修生徒と2名の引率教員が平成15年度を除き毎年派遣されている。「と117」は、この引率教員の1人に選ばれた。

 「と117」初めての海外、それは正確に言うならば「旅行」ではなく、「研修生徒の引率」という形となった。単純に「異国の地を楽しむ」というものではなく、生徒に対する責任を伴うものである。しかしながら、結果的には今回の研修を「楽しめた」と言えると思う。以下は、研修中の毎日の様子をつれづれなるままに記したものである。



2005.07.13 Wed.
 午後6時20分、JAL018便成田空港を出発。6時50分ころ無事離陸。出発から離陸まで30分以上もかかるとは知らなかった。というのも、実は、飛行機に乗るのも海外に行くのも初めて。全てが初めて尽くしの今回のカナダ語学研修である。
 窓から左を見れば飛行機の翼の向こうに真っ赤な夕焼け。今朝は雨が降っていたが、今はもはや機上の人、雲の上。
 これからの18日間、一体何が起こるか、期待と不安で一杯ではあるが、まぁ硬くなりすぎないようにやっていきたい。
 持参したノートパソコンのバッテリがほとんど空なので今日はこれまで。


2005.07.13 Wed.
 日付変更線を越えたので日付は変わらず。初めて飛行機内で夜を迎えるが、シートが狭いのとエンジンの音がうるさいのとでよく寝られなかった。
 消灯の際、フライトアテンダントに「夜明けが早いので窓のシャッター(?)を閉めてください」と言われていたので閉めていた。寝付けないまま、手元の時計が0時20分(日本時間)を指していたころ、試しに窓のシャッターを開けてみると、すでに夜は明け空が明るくなっていた。なるほど確かに早い夜明けだった。

 何だかんだで、ほとんど寝た気がしないまま、朝食の時間を迎えてしまった。
 ヴァンクーヴァーに到着したのは現地時間午前10時半ころ。すでに手元の時計は現地時間に合わせておいた。スーツケースを受け取りバスで移動。移動開始直後はバスの車窓から風景を見ていたのだが、いつの間にか意識が飛んでしまっていた。飛行機で眠れなかった影響が確実に現れていた。というわけでバス車中はほとんど居眠りして過ごしてしまったが、それは皆同じだったようである。
 研修先の大学に到着し、生徒は各ホームステイ先へ、われわれ教員は寮へそれぞれ向かった。寮に着いてから散策に出たのだが、どこへ向かって歩いているのか分からなくなってしまい、1時間くらい歩いただろうか、何とか寮へ戻ることができた。その時気になったのが、日が長いことである。時計は午後7時をとうに過ぎているというのに太陽がさんさんと照っている。日本なら午後3時くらいの感覚だ。今パソコンでこれを打っているのが午後9時20分、それでも外はまだ明るい。ようやく、日本の午後7時くらいに相当するくらいである。
 へろへろに疲れながら、未知の世界を体験した長〜い1日であった。明日はどんな日になるだろうか…?


2005.07.14 Thu.
 朝8時半ころ、寮近くのバスターミナルから研修先の大学へ向かうためわれわれはバスに乗った。運賃2ドルを払い席に着く。発車してしばらくして次のバス停で乗客を乗せる。そして、気付いた。日本のバスだと「次は〜でございます」というように車内放送があるが、カナダのバスではバス停に関する情報が車内ではまったく提供されないことに。これではどこで下車したらよいのかわからない。さらに日本のバスと違って、バスを停めるためのブザーがない。どうやって「降ります」という意思を運転手に伝えたらよいのだろうか?よくわけが分からないうちにバスは街中まで来てしまった。そのころには、バスを降りるときには車内に張り巡らされている黄色いロープを引っ張れば次のバス停で停まることがわかった。同僚が「明らかに大学から離れすぎた」ことを確認し、バスを降りた。そして電話で遅れる旨伝えるため公衆電話を探すが、なかなか見つからない。しばらくして公衆電話は見つけられたものの、電話をかけても出てくれない。仕方なく、連絡を入れずにバスで引き返すことになったが、ここでまた問題が。5ドル紙幣は2人とも持っていたが、1ドル硬貨はもうない。辺りを見渡して、確か写真屋だったと思うが開いていたお店で5ドルを1ドル硬貨5枚に両替してもらった。そして、再びバスに乗り、近くにいた青年にどこで降りたらよいか尋ねて、10時ころどうにか大学にたどり着くことができた。朝から疲れてしまった。
 生徒たちと合流し、キャンパス内を一巡りしているうちに昼食の時間に。昼食は外でバーベキュー。メニューはハンバーガーあるいはホットドッグ。われわれはハンバーガーにした。久々にまともな食事を取れた気がした。
 その後、午後はバスで生徒たちと一緒にちょっとした市内ツアーにでかけた。途中、町を見下ろせる山やきれいな海岸などに立ち寄った。日中気温はそれほど暑いというわけでもなく、日本のように蒸した感じもしないのだが、陽射しが強く、1日で日焼けしてしまった。ツアーを終えて大学に戻り、生徒たちがホームステイ先に向かうのを見送ってから、われわれは寮へ戻り、学生食堂で夕食を取った。
 夕食後、同僚の買い物のため、もう一度街中へ出て、寮へ帰ってきたのは夜10時過ぎ。ようやく薄暗くなってくるころであった。昨日ほどではないが、今日も疲れた。こんな感じで毎日が過ぎていくのだろうか…


2005.07.15 Fri.
 今朝はバスに乗って無事大学のキャンパスへ行くことができた。
 今日から教室でのアクティビティが始まった。24人の生徒を2つのグループに分けて行われ、自分がいた方のグループでは"The wind blows people who..."というフレーズで始まる日本で言えばフルーツバスケットのような椅子取りゲームからスタート。それが終わると席に着き、ノートやレポート用紙の上部に今日の日付(Friday, July 15th 2005)を書き、それから今日までの足取りを英語で書くよう指示された。担当の先生は「文法的な誤りなどは気にせず、とにかく書く」ようにと言っていた。
 20分間の休憩を挟んで後半はA3かB4くらいの大きさの紙に自分の名前と好きなものなどを書き込んでいく自己紹介ペーパー作りを行った。
 生徒たちは自分の目から見て「まだまだ内気で積極的に英語を話そうとしていないな」と思っていたのだが、先生曰く「生徒たちはよくやっていた」と。本当にそうだろうかと思いつつも、そう言って頂けると嬉しいものである。
 昼食後、日本にいる先生に宛てて電子メールを打つために大学内のコンピュータを使った。Yahoo! mailを使うのだが、日本のYahoo!のサイトでメールをするのでパソコン上で日本語のウェブサイトがきちんと文字化けせずに表示されるかどうか心配したが、何の問題もなく日本語が表示された。しかし、いざメールを打とうと思ったら、日本語の入力ができないことに気が付いた。考えてみれば英語圏では日本語を入力する必要などないのだから当たり前ではあるが… だからと言って日本語をローマ字で打って送るのも間の抜けた話かなと思い、もう一人の教員と話し合いつつ簡単な英語で数行のメールを何とか作成し、送信しておいた。こちらの言いたいことは伝わっているだろうか…?
 午後は、バスに乗ってブリティッシュ・コロンビア州立博物館へ。生徒たちは6ページ綴りの質問が書かれた紙を持たされ、全ての質問にとは言われなかったが、それらの質問に対する答えを探すよう指示を受けた。しかしながら、それらの質問は教員の自分が見てもなかなか難しいものであった。
 博物館見学が終わると、見学に来たときとは違うバス(黄色いスクールバス)がわれわれを迎えてくれた。往路と復路で違うバスが来るとはわれわれ日本人の感覚ではありえないことだ。おかげで、生徒たちが前のバスの車内に置いておいた荷物を全て運転手さんに運ばせるという手間をとらせてしまった。まぁ、生徒たちがきちんと"Thank you."と言えたのでよしとしよう。バスで大学に戻ると、そこでホームステイ先の家族が迎えに来次第解散となった。中には、歩いてゴールデンレトリバーを連れて迎えに来た家族もいた。これで、ホームステイ初めての週末を迎える。生徒たちが失礼なことをしでかさないか、それだけを心配しながらわれわれ教員も週末を迎える。明日土曜日、われわれは鯨を見に行くことになっているが、午後2時の予約なので朝ゆっくりできる。この週末でしっかり休んで来週以降に備えたい。

 今日は昨日とは打って変わって涼しく時折雨も降る天気で、日が沈むと寒いとさえ感じられた。夕方はベストを着て外出したのだが、それでもやや寒かった。明日はよい天気になるそうだ。


2005.07.16 Sat.
 カナダで迎える初めての週末、今日はホエールウォッチングへ出かける。午後12時40分ころ、寮の前にタクシーを呼んでもらい出発、予約時間の30分前(午後1時半)までにホエールウォッチングの会社に着くためだ。来たタクシーはトヨタのプリウスだったが、ここカナダでは結構たくさんのプリウスがタクシーに使われている。
 さて、無事1時半前に到着し、ホエールウォッチングに必要な書類に名前や住所などを書き込み午後2時の出発を待つ。出発5分前になると、オフィスから船着場へ移動しそこで防水用のスーツを着込み、いよいよ乗船。その舟は約12人乗りの小さなゴムボートで「ゾディアック」と呼ばれるものである。間もなく出港、港を出るまでは割とゆっくりとしたスピードだったので「このままのスピードで進んで行くのかな…」と思っていたら、沖合いに出たとたん、スピードアップ。これにはびっくりした。体感時速は60キロか70キロくらいはあったのではなかろうか。防水スーツを着たときは暑いなと思ったのだが、沖合いでの速いスピードだと寒く感じられたのでスーツを着込んでおいて体感温度の面でも正解だったのだなと思った。
 しばらくして、まずは鯨を見る前にアザラシを見物。写真に撮ったのだが後で見直してみると肝心のアザラシにはピントが合ってなくて残念だった。
 その後、再び速いスピードでしばらく航行し、ついに鯨が見られるポイントに到着。そして、念願の鯨の姿を見ることができた。背びれや尾びれ、あるいはジャンプする姿を披露して(?)くれた。写真にも撮っておいた。何ヶ所かホエールウォッチングの場所を変えて何度も鯨の姿を見た後、帰りは速いスピードで一直線に出発地に戻った。
 船酔いこそしなかったものの、舟のスピードに驚かされたホエールウォッチングツアーだったが、鯨の姿が見られてよかったと思う。船着場に戻ってくるころには既に午後5時近かった。
 船着場の近くのティーショップで一休みした後は、ヴィクトリアの街並みを写真に収めながら歩き回った。街の至る所に花が飾られていて、とても綺麗な印象を受けた。
 そろそろ夕食の時間となってきたので、街中の適当な店に入り、自分は酒が飲めないのでソフトドリンクとサーモン&クラムの料理を、同僚はビールとシーザーサラダ&チキンの料理を注文。いずれもなかなか旨かった。
 夕食後はバスに乗ってまっすぐ寮へと戻ってきた。そして、まず寮に戻ってからしたのが、洗濯。寮内のコインランドリーで、洗濯に1ドル50セント、乾燥に1ドル50セントの計3ドル、時間にして約2時間かかった。洗濯・乾燥の間にシャワーを浴びておいた。
 今日も色々あってバタバタしていたものの、徐々に落ち着いてきてはいるような気がする。明日はもっと落ち着いてすごせるといいなと思いつつ、そろそろ就寝しよう。


2005.07.17 Sun.
 今日は日曜日、朝はとてもゆっくりと寝られた。完全に起床したのは11時半を過ぎたころだったと思う。学食は営業しているのかちょっと不安に思いながら、遅い朝食(もはや昼食?)を食べに向かったが、通常通り営業していたのでよかった。
 食事の後は、今日は2人で別行動をとることにした。自分は寮の周辺をぶらりと歩きながら写真を撮ることにし、同僚は買い物のためショッピングモールへ。
 さて、まずは今自分が寝泊りしている寮の写真を撮った。白い建物が抜けるような青空に映える写真となった。その後、カナダのバスを撮ろうと思い大学のバスターミナルへ。すると、昨日までと違って、バスが1台も停まっていない。なるほど、今日は日曜日だからバスの本数が少ないのだなと分かった。バスターミナルでダウンタウン行きのバスを待つ同僚に会い、ちょっと話をしていたら2階建てバス(ダブルデッカー)が来たので写真を撮りに向かう。この辺りでは、ダブルデッカーは珍しくなく、普通のバスと同様によく見ることができる。バスの写真を撮っていると、小学校高学年か中学生くらいの子どもに「これ、カメラ?」みたいなことを話しかけられたので、デジタルカメラだと答えた。すると、"New one?"(新しいの?)と尋ねられたので、"Rather old."(どちらかというと古い)と言っておいた。実際、自分が使っているデジタルカメラは寸法が大きく、4年くらいは前のモデルではないだろうか。
 バスターミナルを後にし、寮の周辺で草を食むウサギの写真を撮った。なぜかわからないが、この寮の周辺、やたらとウサギが多い。日本の野良猫以上によく見かけ、そこらじゅうをぴょんぴょん跳ね回っている。奈良の鹿のようと言えばよいのだろうか。これだけの数のウサギは日本ではまず見られないので、カメラに収めておいた。
 それから近くの海岸に向かった。こぢんまりとした海岸に、家族連れなどがけっこう訪れていた。数枚写真を撮ってから、ベンチに腰掛け、しばらく海を眺めていたのだが、陽射しの強さに耐えられなくなり、寮へ引き返した。


2005.07.18 Mon.
 先週同様、午前中は2つのクラスに分かれて授業。授業は前半と後半に分かれていて、必ずしも生徒たちと一緒にいなくてもよいということだったので、後半の時間は同僚とともに別の建物に行き、日本の先生方宛にメールを送った。今日は日本語でメールを打とうと思い、パソコンのコントロールパネル辺りをクリックしたりして、日本語が入力できるようにした。やはり日本語の方がはるかに入力しやすい。

 その後、昼食をとり、午後はハイキングに出かける。そのために今日は皆歩きやすい靴を履いてきた。向かう先は近くの山(mountainというよりはhillらしい)、500ミリリットルペットボトル1本のミネラルウォーターを手に出発。研修が始まって以来、必ず午後にはボトル1本の水を手渡される。少しずつでも水分補給をしておかないと脱水症状が出てしまうのだろう。さて、歩き始めてしばらくは住宅街の坂道を登っていたが、途中から岩肌も見える山道(?)に入っていった。途中で10分ほどの休憩をはさみ、頂上目指して登っていく。聞くところによると、この山にはブラックベリーが自生しているとのことだったが、確かに至る所にブラックベリーを見ることができた。まだ緑色の果実がほとんどだったが、ごく一部熟しているものがあり、1つ食べてみたが、甘くてよい味だった。ブラックベリーの旬は8月になってかららしい。
 山頂にたどり着くと、どこからやって来たのか、車のアイスクリーム屋が停車していて、たいていの生徒がアイスクリームを買っていた。アイスクリームを片手に、見晴らしのよい場所で全員揃って写真撮影。その後、自分もアイスクリームを買って食べた。
 ところで、このハイキングの間、生徒たちはカナダ人の学生(5人)と1人ずつ一緒に英語で話すことになっていた。おおよそ10分交代で、全ての生徒に英語で話す機会が与えられたのだが、皆一生懸命に英語で話そうと努力しているのがわかった。ほとんどの生徒が英語での会話を楽しんでいるようだった。自分も、カナダ人の先生と何とか話を続けることができた。

 ハイキングから帰ってくると、右手の甲に何かにかぶれたような跡がありかゆみもあるのに気付いた。大学からの帰り道に寮近くの薬局に寄り、身振り手振りでどうにか軟膏薬を買うことができた。しかし、何が起こったのだろうか?ハイキング中にかぶれる植物か何かに触れてしまったのだろうか。
 明日の午後はスイミングに出かけることになっている。自分は、水着を持ってきていないし、見学しているだけでもいいとのことだったので泳がないつもりだが。


2005.07.19 Tue.
 午前中の授業では、生徒たちは昨日の夜何をしたかを英語で話したり、カナダの通貨について学んだりしていた。今日も昨日と同様、授業の後半の間に日本にメールを送りに行った。すると、返信メールで「カナダから届いたメールが職員会議で披露された」という報告を受けた。まさか、メールが職員会議で「披露」されるとは思っておらず、正直言ってびっくりした。先週送った怪しげな英語のメールが披露されたのではないことを願っている。

 午後は歩いて30分ほどのところにあるスポーツ施設のプールに泳ぎに行った。その施設は屋内サッカー場やドーム式テニスガーデン、陸上競技のフィールドなどがある立派なものだった。聞くところによると、政府がこのような施設に投資して住民の健康増進を図り、結果的に病気の人が減って医療費の公的負担を減らす意図があるそうだ。なるほど、素晴らしい考えだと思う。
 大部分の生徒が水泳を楽しんだようだったが、男女とも数名ずつ泳がない生徒もいた。男子に理由を尋ねると、水着を持ってきていないからという返事がほとんどだった。泳がない女子にはその理由を聞かなかったが、様子を見てみると、英語で日記をつけているらしく、カナダ人の先生と話しながらノートに記していた。こうしていけば、英語を聞く・話す・書く力が伸びることだろう。
 帰り道はバスがわれわれを迎えに来た。途中、車窓から美しい海を望むことができた。

 昨日かぶれた部分が、今日になって範囲が広がったような気がする。かゆみも完全には引いていない。買った薬は1日2回と言われているので朝と寝る前に塗ることにしているが、足りないのだろうか。長期化しないことを願う。


2005.07.20 Wed.
 カナダに来てちょうど1週間が経った。先週の今頃は寮の周辺を歩き回って疲れきっていたころだろう。カナダでの初めての夕食が寮近くのスターバックスでの菓子みたいなパン2個とコーヒー1杯だったのがずいぶんと以前のことのように感じられる。今では、学生食堂での食事にも、日本に比べてかなり遅い日没にも慣れてきた。

 今日の授業が始まる際、担当の先生に「コピー機のところにCDプレーヤーを忘れたので取ってきてもらえないか」と頼まれたので、快諾して取りに行ってきた。しかし、プレーヤーを取ってきたのはいいが、それをどのように授業で使うのかを見られなかったのは今思うと残念だった。おそらく、自分がいなくなる後半に使ったのだろう。明日、生徒に聞いてみよう。
 今日の授業では、おそらく研修が始まって以来初めてだと思うのだが、「生徒たちが(英語で)理解できないところがあれば、日本語で説明してあげてください」と頼まれた。今までずっと担当の先生の英語だけで研修授業を進めてきたので、このように頼まれるのは意外だった。まぁ、先生に頼まれたことだし、生徒たちも困っているだろうから日本語で説明しようとしたら、その時は先生の英語を理解できていたようで、日本語で詳細に説明する必要はなかったのだが。
 午後の部は、"Workshop"(分科会)ということで生徒たちが少人数に分かれての授業なので、われわれ日本人教員はつきっきりの必要はないとのこと。そこで、2人でダウンタウンに出かけ、日本円からカナダドルへの両替などをしてきた。その後、ホームステイ先に帰る生徒たちを見送るため大学へ戻る。午後4時ころなのだが陽射しからすると日本ならまだ午後3時前くらいを思わせる。全ての生徒を見送って、午後5時近くになっても全然夕方とは思えない。毎日のように感じるのだが、陽射しの中にいるだけで疲れていくような気がする。

 一昨日のかぶれた部分であるが、今日になって痛みというかかゆみがなくなってきた。後は、早く皮膚のブツブツがなくなるのを待てばいいだろう。

 そう言えば、今日初めてカナダの救急車と消防車を見た。前者は今日の帰りにバスを待っているときに、後者は夜(と言ってもまだ明るかったが)に寮の前へ来たのを見た。


2005.07.21 Thu.
 今日の授業では、生徒たちはカナダの州や準州について学んだ。カナダの白地図に州や準州の名前・首都名を記入し、境界線に沿ってカラーペンで色をつけていく。その後、州と州の位置関係について前置詞の学習を兼ねて学んでいく。
 昼食後、同僚に誘われて大学内にあるトレーニングセンターに行ってみた。われわれでも使えるのかどうか、近くのスタッフに尋ねたところ、この大学に通っている人ならばよいということだったので、生徒3人と合計5人で少しトレーニングをした。

 午後のアクティビティーは、ダウンタウンに行き6人のグループに分かれて行動し、午前の内に渡されたプリントの答を探していくというものだった。各グループには授業担当の先生またはカナダ人の大学生が付き添い、英語で意思疎通を図る機会である。われわれ日本人教員は、それぞれ別のグループと一緒に行動した。
 そして、集合時間近くになってちょっとしたハプニング発生。自分は「集合時間は3時半、場所はバスを降りた『ミニチュア博物館』前」だと思っていたのだが、同行していた大学生は「集合場所を覚えていない」と言い、自分が「『ミニチュア博物館』前」だと言うと、「どの博物館か、ブリティッシュ・コロンビア博物館か?」と返してきた。そこで、自分が再度「『ミニチュア博物館』前だ」ということを「ミニチュア」のところを強く発音して伝えると、「『ミニチュア・ワールド』前ね」という返事。施設の名前を間違えていたのでは、正しく伝わるはずがない。そんなこんなで、ミニチュア・ワールド前に着いたのは3時40分、10分の遅刻だと思った。すると、着いたのはいいものの、周囲に誰も生徒の姿が見当たらない。「これはまずい。集合時間に遅れたのでバスが自分たちを置き去りにして大学に戻ってしまったに違いない。」という考えが真っ先に頭に浮かんできた。「これは責任問題になる、どうしよう」と思いながら、冷静にどうすべきかを考える。すると、大学生がどこかに携帯で連絡をしているようで、大学の先生に状況を伝えてくれているのだと思った。しかし、電話が終わっても彼女はわれわれに何も伝えてくれない。これは自分が先生に直接電話をするべきだろうと思い、彼女に先生の電話番号を聞いてみると、「私も知らない、あなたは知っているものだと思っていた。」との答え。目の前が真っ暗になりかけたところで、生徒の1人が大学のパンフレットに大学の電話番号があるのを教えてくれて、これで何とかなるとホッとしたら、別の生徒が「向こうから別のグループがこちらに来ている!」と声を上げた。確かに、別のグループのメンバーが視界に入り、心の底からホッとした。合流してきたメンバーに聞くと、「集合時間は4時10分前」とのことだった。自分の勘違いのせいで、われわれのグループだけ10分早く集合場所に来てしまったわけだ。まぁ、集合時間に遅れるよりはるかにマシで、結果オーライということにしておこう。待っていると、あるグループは4時ちょうどころに戻ってきた。それから、全員が揃ったころを見計らったかのように帰りのバスが到着。バスの方は、若干の遅刻である。

 今日は、大学から寮までの帰り道を初めて歩いてみた。いつもバスの車窓から眺める風景を頼りに道をたどって行くのだが、似た風景が続くせいか、いまいちどこをどう歩いているのか判然としない。自分では方向感覚は悪くない方だと思っていたのだが、同僚に「帰巣本能ないんじゃない?」と言われてしまった。「ここは外国だから。日本では土地勘はいい方。」と答えておいた。
 歩いて約30分、同僚の言う通りの道で無事に寮へ戻って来られた。

 手の甲のかぶれた部分であるが、だいぶブツブツも目立たなくなってきた。そろそろ薬を塗る必要もないだろう。

 夜、洗濯を終えて乾燥機から洗濯物を取り出すと、「パチパチパチ」と細かい音がした。よく見ると、布同士が反発している。静電気が生じているのだ。これはきっと湿度の低いカナダだからこそであろう。日本で夏に静電気が発生することは、湿度が高いのでまずあり得ないだろう。


2005.07.22 Fri.
 今日の午後のアクティビティーでは、郊外にあるゴールドストリームパークでナチュラリスト2人とともにハイキングに出かけた。
 先ずはパーク内の山小屋のような建物で、北米に生息するグリズリーなどの熊や狼に関する説明を聞き、その後2グループに分かれてハイキングへ。きれいな水の流れ落ちる滝や水の中に住む虫(多分カワゲラの幼虫)や魚、そして樹齢600年〜1000年の杉などを見たりしてカナダの自然を楽しんだ。

 今日は大学での解散後ダウンタウンへ赴き、週末の夕方を同僚とともに楽しんだせいか、若干疲れ気味であるため、ここまで。これだけしか書けなかったのは、カナダ入国以来初めてではないだろうか。

 そういえば、今日の朝は珍しく曇っていた。先週の金曜日、やはり曇りや雨のぐずついた天気だったので午後のハイキングで雨が降らなければいいがと思っていたのだが、昼ころには晴れてきて、ハイキングに行くころには快晴になったのでよかった。この研修中、天候には恵まれている。


2005.07.23 Sat.
 カナダ研修中2回目の週末、今回の研修も残すところあと1週間を切った。

 先週の土曜日はホエールウォッチングに出かけたが、今日はがらりと趣向を変え、同僚の意向で新渡戸稲造が息を引き取った病院と、新渡戸の言葉が刻まれている石碑を見学に出かけた。
 先ずは寮からダウンタウンまでバスで出る。ダウンタウンでバスを乗り換えて病院を目指すのだがその前に自分が絵葉書に切手を貼り投函するために郵便局へ。すると、郵便局は閉まっていた。仕方なく郵便局前を離れるが、確か「カナダでは薬局に郵便局が併設されている」というのを何かで読んだような気がしたのを思い出し、ダメ元で近くの薬局へ向かったところ、確かに"Post Office"という看板があった。これでようやく絵葉書を投函できた。その後、マクドナルドで休憩。すると、偶然にも男子生徒4人と出くわした。
 休憩後、いよいよ病院方面行きのバスに乗り、その病院を目指す。実は、事前に研修先の大学の先生に病院付近の地図を書いてもらっていたのだが、どこでバスを降りたらよいのか書いてもらうのを忘れてしまっていた。そこで、同僚と2人でずっとバスの外を凝視し続け、地図に書かれている目印を探していたが、自分がその病院の看板を発見、すかさずバスを降りるため車内の黄色いロープを引っ張った。バスを降りるとちょうど病院前、ビンゴであった。病院の敷地内をしばらく彷徨い、病院の職員に話を聞き、「新渡戸稲造終焉之地」という石碑にたどり着いた。これで1つ目の目的達成。
 次は新渡戸の言葉がある石碑を目指すが、一旦ダウンタウンへ戻る。そして2度目の休憩をとる場所を探していたところ、今度は女子生徒2人に通りの向こう側から声をかけられた。「偶然も重なるものだなぁ」と同僚と話しながら彼女たちの写真を撮っていたところ、こちらへ向かって女子生徒4人組が歩いてきた。これで、ダウンタウンで10人もの生徒と出会ったことになる。やはり休みの日のお出かけはダウンタウンに集中するのだろうか。
 さて、休憩の後改めてバスに乗り石碑のある場所を目指す。その石碑は"MILE 0"の近くにあるということで、バスを降りまずは"MILE 0"を目指す。それから、これまたやはり大学の先生による地図を頼りに石碑を探すが、それらしいものがなかなか見当たらない。あっても、新渡戸とは無関係の石碑しか目につかない。しばらく歩いていると、フェンスに囲まれた何やら水道関係の設備のようなものはあったが、無関係なので歩き続けた。が、さすがに2人とも「歩きすぎたのでは」という気になってきて、道行く人に尋ねてみた。1人目は知らなかったが、2人目の人は、「ここから歩いて5分くらいのところにあって、フェンスで囲まれている」と教えてくれた。つまり、われわれが目指していた石碑は、少し前に「無関係だ」と思って通り過ごした水道の設備みたいに見えたものだったのだ。
 引き返して水道設備らしきものを近くで見てみると、確かに「(盛岡とヴィクトリアの)姉妹都市提携10周年記念」と表記のある石碑で、その裏側には「願はくはわれ 太平洋の橋 とならん」という新渡戸の言葉が刻まれていた。ようやく、2つ目の目的地に到達。
 石碑を写真に収めた後、ダウンタウンへ戻るべくバス停に戻ると、ちょうどどこ行きだかは分からないがバスが出たところだった。時刻表を見ると、次のバスが来るのは約50分後!仕方なくず〜っとその場で待ち続ける。バスを待つ間、目の前の公園を何気なく見ていると、リスらしき動物が視界を横切った。長い待ち時間の後、バスに乗りダウンタウンで寮方面行きに乗り換えるが、この乗り換えはスムーズにできた。

 明日は日曜日、寮で1日ゆっくり過ごすつもりである。


2005.07.24 Sun.
 今日は日中本当にゆっくりと寝て過ごしてしまった。食事の時以外はほとんど寝ていた。
 しかし、夕食の後になってダウンタウンまで出かけてきた。夜の外出ということで同僚は心配してくれたのだが、その心配をも押し切って(?)の外出、その目的は州議事堂の写真を撮ることである。昼間の州議事堂の姿は何枚も写真に収めているのだが、夕暮れ時の姿は収めていない。日が沈むと、州議事堂はライトアップされるのである。
 寮を午後7時半ころに出て(この時点ではまだ十分明るい)、ダウンタウンに8時ころ着く。暗くなるのは9時ころ以降なので、1時間ほど歩き回ろうかと思ったが、疲れるので途中バス停のベンチなどに腰掛けていた。歩きながら、ヴィクトリア駅に立ち寄ったのだが、駅を見て驚いた。市街地から離れた場所に位置しているわけではないのに、とても質素な駅なのである。日本だと、田舎の無人駅みたいな感じで、短いプラットホームに小さな事務所らしき建物があるだけ。明日、1日1往復しか運行されない列車の写真を撮りに改めて来るつもりだが、列車が到着するとどんな雰囲気になるのだろうか。
 さて、9時を過ぎたので州議事堂が見える観光案内所近くのベンチに座り、空の色が徐々に夜の色に染まるのを眺めながら、議事堂がライトアップされるのを待つ。20分くらい待ったであろうか、ついに議事堂がライトアップされ、昼間とは違った雰囲気の美しさを披露してくれた。近くから、そして離れたところから、議事堂の夕暮れ時の姿を写真に収めることができた。
 寮に戻ってきたのは10時20分ころ、遠くの空にはまだうっすらと明るさが残っていた。同僚に無事戻ってきたことを告げ、自分の部屋に戻ってきた。


2005.07.25 Mon.
 今日は午後のアクティビティーの後、生徒たちを見送ってからわれわれはダウンタウンへ向かった。なぜかと言うと、自分の趣味のため。街中にあるヴィクトリア駅で列車の写真を撮るためである。初め、州都の駅だからたいそう立派で列車の発着もそれなりにあるんだろうなと思っていたら、とんでもない。その様子は昨日述べた通りである。
 で、列車の到着予定時刻が午後6時。10分くらい前には駅に着いて、列車の到着を待つ。すると、5分くらい前になって、駅の直前にある海に架けられた橋が上昇し始めたのである。海上の船を通すためらしく、15分ほど橋が上がったままの間に船が何艘か進んで行った。
 そして、橋が下がってきてすぐ、黄色いフロントマスクの列車が駅に進入して来た。定刻より約10分遅れだが、これくらいの遅れは日本以外の国では珍しいことではないだろう。2両編成の列車はホームに到着すると、車内から割と多くの乗客を降ろしていた。その間、自分はホームの反対側にも回って写真を撮っていた。やがて、全ての乗客を降ろした列車は、車庫へ向けて回送されて行った。夕方のほんのひと時、駅に活気が見られた時間であった。

 いよいよ語学研修も明日で最終日である。何だかんだ言っても、あっと言う間の2週間だなぁ。


2005.07.26 Tue.
 ついに語学研修最終日を迎えた。今日は生徒たち1人1人に認定証と研修初日に撮影した集合写真がフレームに入れられ手渡された。そして、われわれ引率教員には集合写真とアルバムが贈られた。その後、別室に移り、フェアウェルランチとしてピザを食べた。生徒同士で写真を撮り合う姿も見られ、本当に最後なのだなということを感じさせた。
 その後、ビーコンヒルパークへ行き、小動物と触れ合ったり、アイスクリームを食べたりした。

 夜になって、明日の出発に向けて片付け・準備を本格的に始めたら、往路に比べてずいぶんと荷物が増えていることに改めて気付いた。これは明日大変だぞ〜…はぁ。

 片付けが一段落したところで、同じ寮に寝泊りしているアメリカ人の客員教授の部屋へ同僚とともに赴いた。実は、その教授とは数回顔を合わせたことがあって、今日の夕食後会ったときにお誘いを受けていたのだ。そこで、日本文化について約50分ほど(同僚の方が)語り合っていた。自分は自らの不勉強さをひしひしと感じつつうなずいたりするしかできなかったのが残念である。

 さて、もう日付が変わってしまったので休むとしよう。


2005.07.27 Wed.
 朝9時、研修先の大学前に無事全員集合、バスに荷物を積み込み、集合写真を撮ったあと9時半前には大学を離れた。今は10時15分、バスの車内でフェリーの出港を待っている。バスが港まで走っている間は、ほとんど皆眠そうだが、今では元気におしゃべりなどしている。
 これからヴィクトリアアイランドを離れ、スキーなどのレジャーで有名なウィスラーへ向かう。
 フェリー内で昼食を取り終えるころにはフェリーの到着時間も近い。一同バスに乗り込み、上陸、一路ヴァンクーヴァーへ。ヴァンクーヴァーで小休憩の後、約2時間かけて一気にウィスラーへ。バスの車内では、疲れて寝ている者もいれば、楽しくおしゃべりしている者もいた。
 そして、今夜宿泊するウィスラーのホテルに到着、室内を見てみると大変に豪華な設備が整っている。寝室とリビング(キッチンつき)にテレビが1台ずつ、キッチンには冷蔵庫・コンロ・電子レンジ等もあり、長期滞在者向けの造りになっている。
 明日は夏山ハイキングに出かけ、その後ヴァンクーヴァーへ戻りそこで宿泊の予定になっている。今夜はしっかりと休息したい。


2005.07.28 Thu.
 昨夜の就寝が遅くなってしまったが、何とか朝は無事に起きられた。生徒たちも、きちんと起きられたようで、集合時間には遅刻することなく集まっていた。朝食後、ハイキングに出かける。
 山の麓(ふもと)からゴンドラに乗り込み、約20分かけて標高差約1200メートル上の駅を目指す。そこから、しばらくハイキングとなったのだが、割と傾斜が急なところもあった。途中、残雪に触れたり遠くの湖を眺めたりと、カナダの大自然を満喫できたが、気になったのが蚊の存在。なぜか知らないがやたらと蚊が飛び回っているのである。蚊に刺されずに済んだので、先日買った痛み・かゆみ止めの薬を使うことはなかったのでよかった。
 その後、ゴンドラの駅周辺で写真を撮ったりして、再びゴンドラで20分ほどかけて麓へ。運がよければゴンドラの車窓から熊が見られることもあるそうだが、今回は残念ながら見られなかった。

 昼食を取り、午後2時ころバスに乗り込みウィスラーを後にし、ヴァンクーヴァーへ向かう。バスの車中、自分を含めてほとんど皆疲れて眠ってしまっていた。ヴァンクーヴァー市内に入り、免税店で買い物タイムをとり、宿泊先のホテルへ徒歩で向かう。今夜泊まるホテルは昨日のホテルとはガラリと変わってビジネスホテルである。あまり高校生が宿泊するのにはふさわしくないかも知れない。

 いよいよ明日は日本へ帰国。帰国するとどうなっているのだろうか。地震、台風、猛暑などいろいろありそうだ。
 今夜こそはしっかりと睡眠時間を確保したい。


2005.07.29 Fri.〜07.30 Sat.
 ヴァンクーヴァーの空港を定刻より15分ほど遅れて、JAL017便は無事離陸、成田へ9時間かけて向かう。時差があるのでヴァンクーヴァーを昼間出発し、成田にも昼間到着する。
 日付変更線を越えたので日付が1日進む。機内では皆疲れた様子で、寝ている者も多かったが、自分はほとんど眠気を催さず、離陸してしばらくして少しうとうとした後は全く眠くない。窓のシャッターが閉められ、照明も落とされたのだがず〜っと起きたままで過ごした。機内放送の音楽を聴いていたら途中で放送が途切れるという些細なトラブルがあったものの、乱気流に巻き込まれたりすることなく無事に成田空港に到着した。
 成田に着いて、飛行機を降りるや否や皆「暑い」の一言。自分はスーツを着ていたので余計に暑く、日本ではなく熱帯地方の国に降り立ったのではないかと思ったほどである。暑い中、荷物をバスに積み込み、午後4時ころ成田を離れる。途中、通り雨に降られたものの、天気はだいたい曇りだった。
 午後7時半ころ、一同無事に学校に戻ることができた。学校では、生徒の保護者や校長を始めカナダ語学研修担当の先生方の出迎えを受け、簡単な帰国報告という形で派遣団長と代表生徒がスピーチし、校長先生からの言葉をいただいた。

 今振り返るとあっと言う間の18日間、何はともあれ、大過なく皆帰って来られたことを嬉しく思う。


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