をわりはかたはらに

初冬、京を歩いた。
澄み切った冬の空気は清澄な調べを奏でるようにこの地を包み、
古き都の底流を流れる何かと共鳴しているかのようだ。

紅葉などを観賞しつつ、寺院を巡る。
収蔵の宝物や美術、庭園などを堪能し、自らの精神の深奥と語らううちに
心は泰然と、内なる小宇宙に溶け響き・・・
要するに、アクティヴな引きこもりと化すわけなのじゃ。

あかんあかん!あかんよ!
せっかく、貴重な休みをフル活用して第2の故郷に帰って来とるいうのに。
そう自らに言い聞かせ、無理矢理我が内宇宙から抜け出した私は、
ちょっくら小じゃれた買い物でもしてけつかろうと、
若人が集う四条三条に向かうべく、街へと降りていったのである。

京都随一の繁華街、四条。
ちょいと高感度なショップが点在する三条。
・・・を、するりと通り抜けたら、そこは二条通り。
そのあたりにはそう、古道具屋が・・・

どこかでハイセンスな洋服でも買ってこましたろかという私の企みは露と消え、
あっけなく古道具&古家具巡りが始まったのである。

そんな中で発見した、ひとつの茶碗。

いわゆる天目茶碗、である。

釉薬の具合がいい。
漆黒の中央部に向かって、緋が駆け下る見込。

この紋様は禾目(のぎめ)といって、天目茶碗ではそれほど珍しくないモチーフ。
そもそも天目茶碗自体が、とりあえず安酒を飲むために作られたどぶろく茶碗のようなものだ。
主に宋代の中国で作られたものであるが、
当時は似たような茶碗が、それこそ「とっとこハム太郎」くらい街中に溢れていたことだろう。
ハム太郎ってまだ溢れてたっけ?まあいい。

しかしながら、強烈に惹かれたのだ。
その、黒。
そこへ向かって流れ落ちる、緋。

ふと、頭に浮かんだのはひとつの言葉。
「ビッグクランチ」
それは宇宙の全ての始まりとしてのビッグバンに対して、
全ての物質が一点に凝集したのち自らの重さで潰れて消える、宇宙の終わり(といわれている)。
見込を覗き込んだときに出会ったのは、浮世のあらゆる華やぎも空騒ぎも、
時の流れの果てにすべての人の営みを飲み込んでしまうほどの、大いなる終わりの風景だった。

東京に帰ったら早速これで茶を点ててこましたろと思い、いそいそと購入。
旅程はまだ一泊残っている。
そういえば、この碗には銘がないやんか。
茶碗の銘が「ビッグクランチ」いうのもどうかと思うし。あわわあ。

少し思案した挙句、ある場所に向かった。

京都府伏見区日野。
室町時代にその名をとどろかせた悪女・日野富子の生誕地でもあるこの地で、ある重要な思想が生まれた。
「ゆく河の流れは絶えずして・・・」でお馴染み、鴨長明の『方丈記』。
神官の息子として生まれ、琵琶や和歌にも秀でていた長明が、
平家の滅亡、朱雀門・大極殿の大火事、大地震、地獄そのものの飢餓の惨状など、
目を覆わんばかりに荒れ果てた都と人心を嘆き、放浪の果てに方丈(一丈=約3メートル四方)の庵を結んで隠遁したのがこの地なのだ。

「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
というが如く、長明の人生には俗世での大いなる浮き沈みがあった。
あったからこそ、世を棄てて日野に庵を結んだ58歳にして「空蝉の世をかなしむ」という境地にもたどり着けたのだろう。
少しの諦念を含んで文中に立ち現れる無常観は、しかしながらようやく本質にたどり着いた男の充足をも醸し出す。

人の生は、うたかたに弾け消えるだけだ。
長明の昔より遥かに多くの余計なものに囲まれている我々は、
本質から遠ざかるばかりの生を送る、いや、送るでもなく流れているのかもしれない。

端的に言えば、僕らは使う価値のない人や物に、時間を使いすぎる。
そもそも、明日にもバナナの皮で滑って転んで死ぬかもしれないじゃないか。
運命という名の偶然の奔流にくるくる回りながらも、自らの人生観や価値観の本質
(長明のように、それが「無為」である場合もあるだろう)を追っかけているだけで、人生なんて時間一杯なはずだ。
ああ、もったいな。くわばらくわばら・・・などとあとから後悔するのが常ではあるんだが、
「終わり」の風景をいつも傍らに置くことで、その意識をいくばくかは失わずに済むのではないか。

長明の庵の跡だという「方丈石」の前に立ち、
願わくば自分も世の風潮やムードに目を眩まされることなく、
研ぎ澄まされた本質だけを探していたいものだ、などと考えながら
この茶碗を「日野」と銘することにしたのだった。


結局なんら若々しいことはしないまま四条に帰り着き、ふと気づくと
「今日」という世界は燃え落ちていて。

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