古いギター

一本のガットギター。
大叔父が若い頃に弾いてたのを譲り受けたものだ。
って、何年ものだよって感じではあるのだが
なかなかまろやかで、かつ陰翳の感じられる音を奏でてくれる。


真の孤独とは、完全に一人の時には味わえないものだ。
僕は家を出て一人暮らしを始め、それなりに友人もできた頃にそれを知った。
若すぎた自意識や被害妄想、それはありふれたバカな若者のグラフィティの1ページであったのかもしれないが
当人にとっては洒落にならない深刻な状況であった。と思う。

夜ごと一人で泥酔しては、爆音で音楽を聴いてひとしきり踊ったあとに
疲れてソファに倒れこみ、ナイロン弦に指をかける。

「孤独な太陽 それが男と思ってた」

そんなフレーズを奏でながら、いつの間にか眠りこむ。
そんな日々の繰り返し。

孤独。孤高。
そんな言葉たちに感じていた、恐ろしくも甘美な響き。
それはいざ味わってしまうと、ただ寒々しい深淵のようだった。

永劫かとも思われた、完全なる「ひとり」の時間の中で
それでも「独り」で生きているのではないと思わされる瞬間があった。
動き始める街の音や朝の光がそんな瞬間を運んでくるのを、二日酔いの頭でぼんやり眺めていた。
その隣には、長い長い時間と人の手を経て僕の手に渡されたギター。


いつしか、ひとりの部屋から再び出てゆく気になっていた。
ナイロン弦に、また指をかける。

「孤独な太陽 それが男と思ってた
教えて 教えて 悲しみを いつの日にか
 やさしさに変えちまう そんな日を
あなたとふたり 生きられりゃ」
(エレファントカシマシ『孤独な太陽』)

ただの自己憐憫ではなく、その先へと道を開くための意志を奏でる。
音にどんな思いを乗せるか、それ次第でその響き方も、描く風景すらも、変わる。
そんなことを知って、少しだけ成長したんだった。

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