MAKING OF KEYHUNTER

   こうして「キイハンター」は作られた
 

 当時の雑誌、新聞記事
No.  53 「皆殺しの標的」
No. 161
162
「荒野の列車大襲撃作戦(前編)」
「蒸気機関車大渓谷の決闘(後編)」
No .125 「悪党黄金の大雪渓を行く」



 No.53 「皆殺しの標的」
昭和44年(1969年)4/3発売の
「週間 平凡」の記事より 
●空中滑降撮影中 地面にたたきつけられる

本誌カメラマンの目の前で
千葉真一がキイハンター』左足首を骨折!
   2ヶ月の重傷!!

  紙記者の目の前でこの事故は起こった。
 三月二十一日午後四時すぎ、テレビ映画『キイハンター』(TBS系)のアクション・シーンを撮影中、主演の千葉真一は、空中格好で着地に失敗して、左足首を骨折したのだ。
 本誌記者が目撃した事故の模様をそのままお伝えするとー。




                「危ないなあァ」と言う声が・・・

 その日、本誌N記者とTカメラマンが東映大泉撮影所にいたのは、まったくの偶然だった。が、ほかの取材で所内をまわっているうち、『キイハンター』のアクション・シーンのおもしろい撮影があることを小耳にはさんだ。
 そこで撮影現場、動画スタジオ前の庭に駆けつけてみると、おりしもその「すごいアクション・シーン」が始まる直前。演ずる千葉真一が、高さ10メートルの電柱によじ登ろうとしているところだった。
 
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 窓に飛び込むカットの撮影はすでに終了、この日は電柱から滑車ですべり降りるカットの撮影である。
 現場には、電線に見たてたワイヤーロープが、二本の電柱のあいだにピーンと張られていた― いっぽうがやや低く、つまり、ななめになったロープをすべり降りて、千葉は、最後にロープの下のマットに飛び降りるシカケ。
 そんな大がかりなシーンだったが、テストはなく、いきなり本番が始まった。
 電柱に登る段になって、彼はふと、つい二週間前の大島ロケでくじいた右足のことが心配になった。「気になるなァ」といいながら、右足首とひざに、タイヤ・チューブをサポーターがわりにはめる。そして、いよいよ電柱のてっぺんへ。
 下で見守るのは、十五人ばかりのスタッフと見物人が十人ほど。みんな、いちように「だいじょうぶかな」「あぶないなァ」と心配げだ。

                     原因はフィニッシュの失敗  

 着地したのは、事故防止のために敷いたマットから三〇センチほど離れた土の上だった。惰力のついている彼の体は、そのまま五メートルくらいダダダッと走って、庭の端の桜の木に体当たりする寸前、スタッフがあわてて抱きとめてようやくストップ。
 マットのある場所まで二、三メートル、彼は左足を上げて片ちんばでもどり、くるりと体を一回転させてマットに倒れる。そのまま二、三分ほどあおむけになって目を閉じてる。
― もちろん、これは台本に書いてあるアクションではない。周囲はいぶかしげに見守るばかりだ。
 と、とつぜん彼が叫んだ。
 「やったらしい!!」
 痛そうに顔をしかめ、左足をおさえている。
 「かなりひどいなァ!落ちたとき、プツンと音がしたでしょう。スジが切れるとああいう音がするんです」
 などといっているあいだにスタッフの者がクツをとる。左足のくるぶしが、みるみるはれあがり、紫色に、内出血の相を呈しはじめているではないか。
 「たいへんだッ!!」と、スタッフが担架を取りに走り、現場はにわかに騒然。テレくさかったのか、担架を断って、両わきをささえられながらも歩いて車に乗り、彼は近くの西部病院へ。― と、これだけのさわぎはわずか十五分ほどのできごとなのである。
 が、結果はあまりにも重大だった。西武病院で応急処置を受け、ふたたび撮影所にもどって夜九時までアフレコの仕事をしたという彼。四谷のマンションに帰ったときは苦痛であぶら汗が流れるほどの状態だったという。

              ・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   診断の結果は”不全骨折”

 
明けて二十二日朝十時、彼は名倉病院に入院した。平野重明副院長の診断は”左足関節内踝不全骨折”で全治二か月。

              ・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そこで彼を病室に尋ねてみると ― 左足は両側を砂嚢で固定し、微動だにもできない状態。痛みもまだかなり激しいらしく、どきどき、顔をしかめてはガマンにガマンといようすが痛々しい。
 が、人気アクション・スターらしく、二か月の重傷にしてはかなり元気な応対ぶり。
「きのうは、撮影中に雨が降っていちじ、中断しましてね、その間ぼくは控え室で眠ってたんです。
 助監督に起こされて、体をさますために三十分ほど逆立ちや柔軟体操をやりましたが・・・。雨のせいなんかで気分がのってなかったのか、体のどこかがまだ眠ってたのか、集中力が欠けていたのは確かです。
 カンがにぶったのは、けっきょく寝不足のせいかもしれませんね。疲れもあったし」

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・

 「生傷は絶えませんね。大きいのだけでも、この道に入ってから三度目です。六年まえ『講道館の鬼』と言う映画の乱闘シーンで肩の骨を折ったし、四十年二月『神風野郎・真昼の決闘』で台湾ロケに行ったときも死ぬ思いをした。
 走ってる車を追っかけてアンテナに飛びつくシーンで、後輪のはねた石がむこうずねに突き刺さって、一週間入院したんです。」
 そんな彼、3年まえに生命保険と傷害保険に加入した。木更津にいる父・七之助氏も、みずから受取人となって息子の体に生命保険をかけていると、彼は苦笑しながら教えてくれた。

                      買って出る危険な演技

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『キイハンター』が始まって一年、東映映画でもつねにアクションを得意としてきた彼。ときには進行係の制止をふり切って、危険な演技に身を投じることもある。
「ものすごくこわいですよ。これで死んだら・・・なんて時々思います。しかし、外国映画のすばらしいアクション場面などを見ると、負けたくない!と思っちゃうんだな。
 おもしろい映画を作るためには、俳優が自分の体を犠牲にしなければダメ、ということもあります。昨夜、寝ながらいろいろ考えたんですが、今までかんがえたこともなかったけど・・・、こんどというこんどは、つくづくスタントマンの必要性を感じました。」
 そして彼は、このケガを機会に、かねてからの夢だった『アクション・クラブ』創立を実現させようと決心した。自衛隊のレインジャー部隊にいるような人間や体操選手などを集め、スタントマンやスタントガールを養成したいというのだ。「アクション映画の決定版を作ってお見せしますよ」
 じっとしていられない性格なので、入院生活のたいくつが心配とぼやく彼 ― ベットの上でもアクション・スターとしての夢を大きく羽ばたかせるのだ。

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                    放送には影響ないが・・・

 TBS・番組宣伝課中西担当員の話はこうだ。
 「頭や胸などのケガでなかったのは不幸中のさいわいでした。『キイハンター』も、5月の初旬までのぶんはどうにか支障なく放送できそうです。4月二十六日の分をのぞいて四、五本が完成ずみですから」
 五月にはいれば、激しいアクションさえひかえれば、どうにか出演できるだろうということで、TBS側に実害はほとんどないもよう。さらに、東映テレビ室の近藤プロデューサーは、
 「こんどのシーンは、スタントマンを使うほど危険なものではありませんでした。彼自身も、やりたいといってやったのですし・・・。ただ、たまたま着地に失敗したのが不運だったわけですが、こんごはスタントマンの問題ももっと研究するつもりです」
 と語っている。」

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      【 『撮影風景の写真』
    『痛みに顔をゆがめた写真ーさすがのタフガイも痛みに耐えかねてー』
    『パジャマ姿の顔写真ー「まったくボクの責任です」と語る千葉ー』
    『病室でファンとベッドの千葉ちゃんの写真ーさっそくファン見舞いに・・・−』
                    
以上、コメント入り 他写真4枚入り 】



No.161  「荒野の列車大襲撃作戦(前編)」
No.162 「蒸気機関車大渓谷の決闘(後編)」
当時の
「荒野の列車大襲撃作戦」
「殺人列車大渓谷の決闘」(「蒸気機関車大渓谷の決闘」)
の新聞記事より 
      キイハンター 決死のアクション
     走る列車上で大格闘
   千葉真一ら西部劇もどき

    1日、8日に放送

  TBSテレビ系「キイハンター」(土曜午後9・00)は、この4月で放送3周年を迎えたが、 この機会に、日本では珍しい西部劇ばりの派手な”列車アクション”を織り込んだロケを 石川県小松市周辺で行った。

 五月一日と八日に放送する”荒野の列車代襲撃作戦””殺人列車大渓谷の決闘”がそれ。
 動乱の中東戦争で旅客機爆発事件が相次ぎ、キイハンターの、その犯人として面々は、リコ(深江章喜)をとらえた。しかしテロ組織はリコを救うためキイハンターのユミ(大川栄子)をとらえ、リコとの交換を要求した。風間(千葉真一)と壇(宮内洋)は指定の場所へ行ったが組織の罠にはまり、リコは列車で逃げる。これを追った風間と壇は走る列車に飛び乗り、組織の一味と大格闘を展開するという設定。
 ロケは石川県小松市の新小松駅から尾小屋駅まで16.8キロを走るローカル線の尾小屋鉄道を利用して行われた。
 山林に囲まれ西部劇を思わせる静かな地区。列車は、約一時間に一本で、その定時ダイヤの中をぬっての撮影。定時列車が走る時は、ロケ用列車は駅の引込み線に待機し、定時列車が出て行くと、すぐ撮影というあわただしさ。
 毎回、アクションに自分なりの工夫をこらし、かっこよさを披露している千葉真一も、初めての”列車アクション”にはかなり苦心したようだ。
 この種のアクションは列車のスピードを落として撮影し、あとのフィルム処理で激しく見せるのが普通だが、千葉はわざわざ機関士のもとへ出かけ、迫力が出ないからスピードをあげてくれ、と申し入れたほど。
 さて撮影―。走る列車の連結器に乗って列車を切り離したり、走る列車の屋根の上から車中にとびこみざま格闘したり。度胸のいい千葉は、屋根の上でのアクションの最中、深さ数十メートルもの谷を渡る鉄橋にさしかかっても、平気で屋根の上を動き回る。
 千葉を撮影するカメラマンも付き合わされて命がけ。機関車の手すりにロープでからだを結びつけて必死にカメラを回す。
 ロケ慣れしていない沿線の人たちは、各駅ごとに見物におしかけ黒山の人だかりだが、タレントたちの激しい動きにあっけにとられた表情。ちょうど統一地方選の最中で、立候補者が車でまわっていたが聴衆がロケに夢中でまるで耳をかさないので、候補者もやむなくロケ見物するありさまだった。
 撮影は無事終了し、出演と殺陣(たて)師一人二役で大忙しだった千葉真一も、思い通りのアクションができてごきげん。「一生懸命、気を入れてやっている限り、ケガなんてしないものです。でもやはり乗り物など動くものを使ったアクションはむずかしいですね。それぞれのスピード、タイミングの計算を十分にして取り組まなければなりませんから。今回は列車のスピードもあったし、かっこ良くいけたと思います」と語っていた。

     【『列車から振り落とされないよう、必死の演技に迫力充分』という解説入りの、アクション風景の写真付き】


No.125  「悪党黄金の大雪渓を行く」
昭和45年、新聞記事より
代役断わり ぶっつけ本番
千葉真一、滝上で格闘
 からだのシンまで凍りそうな谷川だけの渓流を舞台に、このほどTBS「キイハンター」(土曜・後9時)のロケーションが行われた。二十二日放送「悪党・黄金の大雪渓を行く」で、谷川岳のどこかに隠された金ののべ棒をめぐり、秘密ちょう報員の千葉真一と悪党役・杉江広太郎が追いつ追われつ・・・という筋書き。
谷川だけの登山口からしばらくはいったマチガ沢の奥にイブキの滝がある。深さ五メートルはある人口湖の水が、二十メートル下の岩場めがけてどうどうと白いしぶきをあげて落下している。ロケ隊がここにたどりつくや、さっそく”ここでワン・シーンを撮影しよう”ということになり、滝口すれすれのところをちょう報員と悪党がのべ棒をつめ込んだリュック 背に危険を冒しながら渡る・・・という設定となった。
 しかし、流れが急で危険をともなうことだし、台本にないシーンとあって保険もかけておらず、竹本監督は急きょスタントマンを起用する手はずをきめた。だが日ごろからこわいもの知らずの千葉は「ぼくは自分でやる」といいはってきかない。結局、杉江の代役と二人、一同ハラハラしながら見守る中をそろりそろり・・・と渡り、やっと渓流の中程まできたとき、流されまいとしたスタントマンがコケに足をすべらせ、あやうく滝の急流へ・・・。千葉がすばやく腕をつかんで上へ引き上げて命びろいする一幕まで持ち上がった。
 「まったくのハプニングですごい迫力でした。このシーンがとれたため、台本を書き直したぐらいですよ」とスタッフは強調していたが、危険をおかしての撮影に、千葉真一の株がまたまた上昇したことはたしかだ。
 
 【『イブキの滝の滝口でスリリングなシーンを撮影中の千葉真一(左)とスタントマン』という解説入りの、滝のアクション風景の写真付き】
ー新聞名は不明 ―