1968年4月6日 キイハンター放送開始!
第一回作品監督は深作欣二監督。脚本も、高久進との共同作品。テレビドラマでは、現在はもちろんの事、当時でも例を見ない撮影時間をかけ製作されたことでも、有名。局長は、横浜放送情報図書館(横浜情報文化センター)放送ライブラリーで視聴、念願の初対面に感激!ボスが渋い!啓子ちゃんが、ホントに綺麗!ユミちゃんがキュート!島ちゃん、風間君の若いこと☆!☆!モノクロ作品は、その後2年間、No.104まで続く。次週の「プロフェッショナル・キイハンター、赤いシグナル」は・・・と始まる芥川隆行氏の語りから、カラー編では、次週の「プロフェッショナル・キイハンター、カラーシグナル」は・・・という語りへと移り変わる。局長は、あの声の調子を聞くと、今でも次回まで一週間ワクワクして過ごした小学生にタイムスリップしてしまう。
「この部屋のグループは5人、彼らの愛するものは自由、求めるものは平和。
彼らの活躍がここに始まる。彼らの行くところ不可能の文字なく、彼らを遮る国境もない。
彼らはこう呼ばれる・・・K・E・Y・H・U・N・T・E・R 」
―― オープニングナレーションNo.1
No.60「パラシュート殺人部隊」(1969/5/24放送)から、吹雪一郎が加わり、メンバーは6人となる。テーマソングと共に流れる、芥川隆行の語りも一新。視聴率も18%から25%へ。スリルとサスペンスに、派手なアクション、エンターテイメント的な作品が加わり、どんどん数字が上がっていた。芥川隆行の語は、一度、以下のように変更されたらしい。
「彼らこそ、現代モーレツな仲間!彼らの愛するものは自由、求めるものは平和。
彼らの活躍がここに始まる。彼らの行くところ不可能の文字なく、彼らを遮る国境もない。
彼らはこう呼ばれる・・・K・E・Y・H・U・N・T・E・R 」
―― オープニングナレーションNo.2
1970年4月、No.105から、カラー放送となる。この頃多くの番組がカラー放送に変わっていった。局長は毎週土曜の9時には、テレビの前にカセットテープを持って待機するのが日課だった。新聞番組欄切抜き作業にも没頭した。
「今日もまた、地球のあらゆるところで、陰謀、裏切り、暴動が渦巻く。
その渦中に飛び込む彼ら。恋も、夢も、望みも捨てて、非常の掟命を賭ける。
彼らの求めるものは自由、願うものは平和。
彼らはこう呼ばれた・・・K・E・Y・H・U・N・T・E・R・・・」
―― オープニングナレーションNo.3(カラー編)
予告編もカラー放送開始から「プロフェッショナル・キイハンター、カラーシグナル」に変わり、同時にレギュラーメンバーとして国際警察特別室から捜査員の小田切さんと、壇君の2名が加わった。平均視聴率は当時28%だった!カラー放送は、その後3年間続く。途中No.210「いんちきキイハンター探偵局」(1972/4/8)から滝が加わるが、一時的な準レギュラー扱いで、出演回数は多くは無かった。
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