キイハンターが生まれた1960年代後半、
様々な刑事ドラマ、ハードボイルドドラマがお茶の間に流れていた。
アクション系、サスペンス系、ミステリー系、
人情ドラマ系、お色気アクション系、
バラエティーの富んだ作品が生まれては消えていった。
影響を受けた時代背景や、
キイハンターが生まれた当時の刑事ドラマ等を振り返り、
キイハンターの魅力の秘密に迫る!
「キイハンター」の生まれた時代
「キイハンター」が生まれた1960年〜1972年は、高度成長期と共に、歴史に残る出来事も多かった。
思い起こされる、事件・言葉を並べてみると・・・・
1960年 安保闘争全、学連所得倍増、チリ地震津波 1961年 交通戦争、ソ連核実験・死の灰、東西ベルリン境界線封鎖 1962年 無責任(時代)、スモッグ、サリドマイド、マイカー 1963年 ケネディー大統領良暗殺、巨人・大鵬・卵焼き、吉展ちゃん誘拐事件 1964年 東海道新幹線開通、東京オリンピック、原子力潜水艦佐世保寄航、マンション 1965年 ベトナム戦争激化、夢の島 1966年 黒い霧事件、早稲田大学学園紛争 1967年 グループサウンズ、フォークソング人気、「帰ってきた酔っ払い」 1968年 キイハンター放送開始 サイケ、アングラ曲、ノンポリ、情報化社会、 水俣病公害秒認定、3億円強盗事件、日本発心臓移植手術学園紛争、 1969年 アポロ11号人類初月面着陸、エコノミックアニマル、全共闘、東名高速道路開通 1970年 ウーマンリブ、光化学スモッグ、日航よど号ハイジャック事件、日本万国博開催 1971年 シラケ、経済大国、ドルショック、沖縄返還協定、イタイイタイ病、円切り上げ 1972年 横井庄一氏グアム島で発見、連合赤軍・浅間山荘銃撃戦、沖縄返還 |
東西冷戦の影響など、戦争の影をまだ引きずりながらの高度成長がもたらした歪みが、
歌やファッションにも反映され、世の中は紛争やショッキングな事件が起きた。
ざわつく世の中、しかし、その中で生きる人々は、まだパワフルで逞しかった。
キイハンター」の生まれた当時の刑事ドラマ
1960年前後、様々なアメリカ産テレビ映画が日本へ入って来て、
家庭に普及してきた白黒テレビを通して、お茶の間をにぎわしてきた頃、
「サーフサイド」「アンタッチャブル」「マーベリック」
などの影響を受け、和製の探偵ドラマや刑事ドラマが作られた。
「部長刑事」(1958−59)は、あらゆる警察もの原点とも言えるドラマ。
社会の治安維持の為、黙々と働く人間警察官の姿が、一人の部長刑事を通じて描かれ、
大阪府警の全面協力による、浪速の体臭漂う作品でもあった。
「事件記者」(1958−66)、 「七人の刑事」(1961−69)は、
ドキュメンタリータッチで制作された、リアルな迫力のスタジオドラマ。
刑事ものの古典とも言われた長寿番組である。
「特別機動捜査隊」(1961−77)は、
アメリカの刑事ドラマ「ハイウェイパトロール」の影響を受け、
その後、警視庁に作られることとなった架空の機動捜査隊を舞台に、
ロケとスピーディーな展開で視聴者の心をつかんだ。
「鉄道公安36号」(1962−63)という、
サスペンス&特急列車による各地ロケ・観光案内を取り入れた、
国鉄の全面協力による作品も現れ、千葉真一も数話出演していた。
「国際捜査指令」(1962、室田日出男、出演)は、
国際捜査局に属する7人の捜査官が偽造団、麻薬組織など国際的犯罪に敢然と挑む
ミステリー系の刑事ドラマだった。
「スパイキャッチャーJ3」
(1965 〜 1966、丹波哲郎、八名信夫出演)は、
1955年”ぼくら”連載の漫画(絵・堀江卓/原作・都筑(筑)道夫)が原作で、
当時流行したスパイ映画の和製版として、
東映がテレビ映画製作に本格的に乗り出した作品。
木曜日夜7時からの30分という時間帯だったが、
以下のような、オープニングの語りもあった。
『 ニューヨーク。 世界の平和を象徴するこの建物の中に、
そんなオフィスが あることを知る者は少ない。
その名を THE UNDERCOVER LINE OF INTERNATIONAL POLICE
--- 略して TULIP という。
この組織は世界各地に広がっていて、そこに働く人びとは、
俗に「スパイ キャッチャー」と呼ばれている。
これは、国際謀略叛乱グループ・タイガーと
対決する日本支部の腕利き、
J3・壇俊介(川津祐介)の活躍の物語である。
「チューリップJ3より、チューリップJ1(丹波哲郎)へ。定時連絡です」 』
企画/近藤照男、原作/都筑道夫、脚本/都筑道夫・池田 雄一、
監督/若林幹、小林恒夫、深作欣二、音楽/菊池俊輔
という「キイハンター」で、お馴染みのスタッフが集まり、
ニューヨークに本部をおく世界秘密警察「チューリップ」
(The Undercover Line of International Police)の
日本支部の3名の諜報部員が謎の組織・タイガーと対決するスパイアクションで、
「キイハンター」の登場を予感させる。
「ザ・ガードマン」(1965−72)は、
刑事物とは視点を変えた集団・日本警備保障をモデルに
昼夜安全のために活躍する東京パトロール社の警備マンの活躍を描いた
警備員が刑事のように捜査する異色ドラマでヒットし、高視聴率人気長寿番組となった。
「刑事さん」(1967−68)は、
映画「警視庁物語」(1959年東映)シリーズの続編で、
「犯罪は人間が犯し、それを防ぐのもまた人間である」という、
芥川 隆行のオープニングナレーションは、「キイハンター」の匂いも漂う作品だった。
「一匹狼」(1967−68:野際陽子・丹波哲朗・大川栄子、出演)は、
アウトローを主人公としたハードボイルドタッチの大人向け作品
「秘密指令883(はやみ)」(1967−68、川口浩、出演)は、
誘拐事件を解決するグループの活躍を描くサスペンス色の濃い作品だった。
1968年
「キイハンター」が生まれた年の
刑事ドラマ、ハードボイルド作品達は・・・
「東京コンバット」(−69)「特別捜査本部」
「裸の町」「事件とあいつ」
「東京バイパス指令」(−70、夏木陽介、竜雷太、出演)
「追いつめる」(原作、生島 治郎 )
「われら弁護士」は、弁護士たちの活躍を描いたもので、
「37階の男」(中丸忠雄、主役)は、キイハンターに縁のある、
当時、東洋一だった36階建ての霞ヶ関ビルの37階にオフィスを構える
探偵&作家・神振太郎大活躍するアクションドラマだった。
「キイハンター」が一周年を迎えた
1969年
集団アクションを売り物にした作品も、盛んに作られた。
「ヤングアクション、プロフェッショナル」(−70)
「プロファイター」「5番目の刑事」
「フラワーアクション009ノ1」
(金井克子、由美かおる、奈美悦子、初代・引田天功)は
お色気たっぷりの女性グループと人気マジシャンが共演という変わった趣向。
「プレイガール」(−73)は、
同じ女性グループでも、大人向けの桃色魅力がたっぷりで、今も新鮮だ。
「ブラックチェンバー」「特命捜査室」
(千葉真一の弟、千葉治郎=矢吹二朗、出演)は、
アクションも大きな見せ場となっていた。
初期の刑事物作品が、年々放送回数を増やす中、
事件の多い時代を背景に、 様々なバリエーションのグループが登場し、
グループ捜査等の人間ドラマに、アクションが加わった作品、
ハードボイルドを前面に押し出した作品、ミステリ−やサスペンス仕立ての作品など、
バラエティーに富んだ作品が、生まれては消えていった。
中でも、お色気の魅力も加わった女性達のグループの活躍は、
桃色魅力たっぷりで、今でも新鮮に見える。
「キイハンター」が生まれるまでのキャストの活躍
キャストの当時の活躍の様子を見てみると・・・
中心的な役を担う丹波哲郎は、
既にテレビ時代劇や事件ものの主演を果たし、
映画俳優としても国内各社の映画に出演していただけでなく、
ハリウッド映画”007”シリーズにも、第二の主役のといった役柄で出演を果たし、
アクション物に乗っていたところで、「女の警察」「7人の野獣」などの出演を断わり、
TBS初出演の作品に賭けて、番組設定、内容、タイトルに注文をつけるなど、
並々ならぬ意気込みで、望んでいたようだ。
野際陽子は、アナウンサーをしていたNHKを退社後、
テレビドラマ「悲の器」で女優デビューし、「赤いダイヤ」などドラマ数作品に出演した後、
フランスへ留学、帰国後、女優復帰第一作が「キイハンター」だった。
千葉真一は、東映ニューフェイスとして
「新七色仮面」等の子供向けテレビ番組で主演デビュー、
映画にも多数主演・出演するも、人気は今一つだった。
日本体育大学で器械体操選手としてオリンピックを目指していた経験を買われ、
映画デビュー作の監督でもある深作欣二監督に声を掛けられた。
谷隼人は、バスケット選手の経験があり、
梅宮辰夫主演の東映映画「不良番長」シリーズなどで人気上昇中で、
テレビの大型ニューフェイスの期待を背負って抜擢された。
愛くるしい大川栄子は、成城大学の現役大学生だった。