tik's  Diary 〜呟き日記 
since  2003/ 11/1 


tik's Diary 2010


2010.
January,16.
Staurday
 もう3年も日記を書けずにいました・・・
昨年からずっと書きたかったことを、やっと、胃腸炎(神様がくれた小休止!?!)の休養で書くことに・・・。

 思えば一年前、年明けの休日返上で売り上げに負われる多忙な日々、ミスを犯して、大迷惑をかけた同僚へのお礼の気持ちを誤解し激怒した上司の言動が、長い間悩んでいた職場の人間関係に結論を出す決心をする転機となった。ふつふつと沸き出した新しい世界への欲求に、もう前しか見えなくなっていた。

 もっといろんな人に出会いたい!もっともっと自分を磨いていきたい!誠意と向上心のある場所に(悪口・陰口が絶えない場所はNO!)身を置きたい!もっと、もっと勉強したい!!もっと丁寧に客様と、関われる仕事がしたい!
そんな思いを、大学生の娘に、涙ながらに聞いてもらった。(お恥ずかしい!) 「お母さんの思うようにすればいいんじゃない。」いつの間にか相談相手になった娘は、思っていたよりも、頼もしい存在になっていた。(感謝!)

 沢山の面接経験は、自分を知る良い機会になった。最終的に、介護バスの運転手の相方と保育士志望の娘を見ながら、決断したのは、以前、娘から勧められていた、資格のない自分の唯一の経験・子育てを使った仕事、将来へのお手伝い、育児サポートだった。

 先生代わりの娘に相談したり、会社での研修を受けたが、最初は緊張!ドキドキ!でも赤ちゃんの笑顔や寝顔、元気なママのパワーや頬笑みに勇気を頂き、一つ一つ、一人一人、とにかく心を込めて、丁寧にと言い聞かせながら、べビシッターとしての日々が始まった。

 我が子の時には出来なかった分も、丁寧に心を込めて、そして、一緒に楽しむように赤ちゃんと触れ合うと、生まれてまだ10日も経たない赤ちゃんが、ちゃんと自分に応えてくれる驚きと喜び。家事のお手伝いでは、沢山の料理を作り感謝される嬉しさを味わい、料理には辛口批評の相方にも、ちょっと感謝したり。初めて行く土地、初めて会うお客様に緊張を繰り返しながらも、先輩シッターの優しさに感謝し、沢山勉強できる仕事つけた嬉しさを感じ、日々過ごす一年となった。ちょっと忙しくヘバリ気味になることがあっても、お母様の、赤ちゃん笑顔を見ると、癒される。そして、宝物に触れさせて頂ける沐浴お世話は、本当に幸せなひと時だ

 昨年、もう一つの出会いがあった。MJ=マイケル・ジャクソンとの出会い。スリラーのダンスや、整形のニュースは知っていたが、突然の死亡のニュースに同じ年代だったことを初めて知り、追悼放送のビデオを見てダンスに魅了された。ネットで皮膚病を知り、本を読み、幼少時代の苦労チャリティー活動仕事に対する姿勢、そして、子どもへの思いを知り、ネットや中古CDで初めて聴くバラードにも、引き込まれてしまった。(お気に入りはSPEECHLESS)そして、公開された「THIS IS IT」を見て、号泣。それは、ダンサーの思いへの共感であったり、大好きなラストの「マン・イン・ザ・ミラー」の笑顔だったり、取り付かれたように踊りきる「ビリージーン」の姿に、胸がただただ熱くなってしまったから。

 裁判の本や自伝等、多くの本を読み、彼が『その昔、人々に尽くして、裏切られ、誤解され、死んで(殺され)再び、多くの人に愛された人(!?)』に、重なってしまう時がある。天から与えられた声、踊りの資質は、特別なもの。それを見守り育て支えた両親・兄弟の素晴らしさ。淵の病から救い出した少年からの裏切りは、本当に耐えがたかったに違いない。傷を癒す力になったのは、側で支えつづけた素晴らしい家族の愛。人生は幸せも、不幸せも、fifty-fifty。破格の幸せと苦しみの人生だったと思えて仕方ない。生きている間に何も知らず、何も出来なかった自分。「ありがとう、どうか安らかに」と、映画を見ながら何度も心の中で繰り返した。

 子どもへの思いや、世界各地で行ったチャリティー活動は、my hero のJackieに、納得するまで時間と労力を惜しまず我が信じる道を行く姿は千葉ちゃんにも、共通するMJの生き方・考え方に、完全にはまってしまった。

 そして、子どもと関わる仕事を選んだ自分にとって、心から子どもを尊敬し大切に思っていた、マイケル・ジャクソンという人間との出会いは、より特別なものとなってしまった。

     My heroというよりも、常に、我が心にある人になった、MJ。
 自分も、
目標を立てて出来ることから努力して』いこうと思う。
 そして、
『夢を実現する力を、人は皆持っている』と、
自分も信じ、叶うように強く願えるよう、まずは心の準備をしていきたいと思う。

 
 もうしばらく、MJの音楽を聴き、ネットでダンスパフォーマンス鑑賞し、癒される日々は続きそうだ。

 今年はどんな人に、赤ちゃんに出会えるのか、何が起こるのか、ワクワクしている。
tik's Diary 2007
February 4
Sunday
 
 ブログを書き始めても、ここでしか書けないことがある。
 ずっとずっと、昨年暮れから書きたかった。けれど、どういう風に書いていいか解らず書けずにいた。”いじめ””自殺”

 新聞の記事、TVのワイドショー取材などを見ては、心の中で繰り返していた言葉。
”強くなる”ということ。いじめをなくすなんて絶対無理だと思う。それは人間の性(さが)戦争が絶対なくならないのと同じように、いじめは無くならない。”いじめ”をやめさせたり、減らせることは出来るだろうが。それは、いじめられる人間でなければできない。そう”自ら強くなる”こと。

 「小公女」「小公子」「シンデレラ」「親指姫」「クオレ」「巨人の星」「サインはV」「エースを狙え」「アタックNo.1」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」・・・・幼い頃読んだり見たりした物語は皆主人公が辛い状況を克服していくストーリーだった。

 いじめは、学校以外にもある。どこにでもある。
 幼い頃姉ちゃん兄ちゃんと一緒に遊ぶ妹弟は、足が遅いとか出来ないとかいって、いじめられ泣かされる。そしてもっと出来るようになろうと頑張る。そうしなければ一緒に遊んでもらえないから。やっぱり、大きな子達の仲間に入れてもらって、一緒に遊びたいから。そして認めてもらったときは、ちょっと大人の仲間入りした気分で、とても嬉しくて、又、頑張る。そうして、大きくなってきた
 
 社会に出れば、会社の派閥がある。そう、病院、大学院、・・・人間が社会を作っている以上、集団が出来て、集団同士や集団の中で競争が起きる。それは上を目指す人間の性。人間社会の進歩のを支えてきた中に、この人間の性があることは否定できない。その競争の中で、自らの努力や進歩によって一歩前に出ることではなく、相手を貶めることで、自分が一歩前進したような気分、錯覚に身をゆだねる輩が現れる。人の悲しみ・痛みを感じられない鈍い心を持ったもの。いや、人間は強くなりたいし、負けて挫け泣いてしゃがみこむような人間に魅力を感じないのも、人間の性。なぜなら、自分自身が本当はとても弱いことを知っていて、強い自分になりたいと願っているから。強くなければ生きていけないと知っているから。

 だから、集団の中で、”いじめ”は弱いものに向かってドンドン激しくなっていく。気がつくといじめている人間がとても強い人間のような空気が漂い、周りの人間は強い風になびいて同様に倒れる草のように、同調していく。自分ひとりで考えようとせず、たとえ、間違ったやり方と気づいたとしても、、同調する人間の多いこと

 新聞で、ひどいいじめに親子二代であった女性の記事を読んだ。中学で、目立って、危害を加えられるひどい”いじめ”にあい、一言も「休め」と言わなかった親を恨んだ事。一年耐え続け、先生に睨まれている番長格のワルが声をかけ、理由を聞いた彼の「くだらねえ」の一喝で、いじめがなくなったこと。わが子がいじめられ親のつらさがわかった事。休めと言わなかった親に感謝した事。「死ね!」と言われた息子が「お前らにやる命はねえ!」言い返したことに誇りを持ったという記事を読んだ。
 
 強い子どもに育てることが親の役目。いじめた相手をいくらやっつけても、”敵”は一生現れる。”いじめ”と戦うのは、”敵”と戦うのは、子ども自身だ。身の危険を感じたら、親だって、黙っちゃいない!が、そうなる前に、いじめをやめさせるのは、子ども自身だ。親は、涙を拭くハンカチと、怪我を治す薬を渡すぐらいしか出来ない

 恨みを書いても戦いから降りた人間、この世から消えた人間の記憶は、ドンドン薄れていく。それは仕方のないことだ。人間は忘れやすいものだし、残った人間は、ずっと毎日何があっても、生きていかなくてはならない。目の前のことで必死。生きているかぎり、つねに困難に立ち向かわなくてはならないから。ずっと、いつまでも忘れられず、嘆き悲しむ親は悲惨だ。生きているようで生きていない、そんな、日々を、人生を送らなくてはならないから。

 結局、うまく書けない。でも年の初めに、このことを書かないではいられなかった。
 それでも、”強くなって!”とやっぱり言いたい。もと日ハムの新庄だっていじめられたと笑って話していた「ありますよ!普通ですよ!」その苦難を乗り越えた自身と誇りが、いじめられた人間にはある。だから、光り輝く。
 スターと言われる人でいじめられたことのない人はいない。

 いじめられている人は、誇りを持って!あなたは選ばれた人。強くなるチャンス!輝くチャンス!強いあなたを憧れの目で見る人がいる。

 
そう、誰よりも、あなた自身が、そんな自分を誇らしく思うはず。頑張っている人を応援する人が必ず現れる。

 そんな人を応援したくなるのも、人間の性。誰かが、声をかけずとも応援してくれているから。


 ”強く”なろう、人間の可能性は無限だから声を上げ、助けを求めてもいい。応援を探しに出かけたってかまわない!でも、自分の人生、戦うのは自分。戦う自分に誰かがきっと手を差し伸べてくれる!だから・・・
 
  
        輝く自分の未来を、決して手放すな!
       (中島みゆきの「宙船」が頭の中で流れてる・・・)


           
        そんな、
自分の永遠のヒーローは、
        小学生からずっと変わらず、

    
   「風間洋介」!!(爆)

 
 
 tik's Diary 2006

August 17
Thursday

              
       残暑お見舞い申し上げます
               

    アクセス15000回達成ありがとうございます


 ブログを作って以来ますますこちらは、更新滞っておりますが、特別な思いをやっぱり書き止める場所として、ここは特別な日記帳にしたいと思います。(^^)

 まずは、千葉ちゃん応援メッセージ、千葉ちゃんへの思いを綴りたいと思います。(笑)お蔭様で、アクセス15000回達成記念。是非紹介したいものを見つけました!

 最近、ある俳優の方が書かれているブログを読んで、胸が熱くなりました。その文を、こちらでご紹介したいと思います。(ありがたく、ご紹介の許可も頂きました。)


                 千葉 真一さんの 職業病


---親父---主役&監督の 千葉 真一先輩
「映画に掛ける情熱」には 今更ながら驚かされ触発された 若さって年齢の事だけではない

普段はアメリカに住み 日本の映画界を客観的に見ている からこそ「見える何か」がある
日本映画界が 歯がゆくって 仕様がないようだ

「ジャッキー・チェン」が 東映の京都撮影所に「千葉 真一」さんを訪ねて来た事があった 
ジャッキーが千葉さんの大ファンで TVの「キーハンター」の吹き替え無しの千葉さんの
アクションに惚れこみ刺激を受け 挨拶にわざわざ訪ねてきたらしい

千葉さんのような「アクションスター」になる事が 夢だったようだ
ジャッキーが 売れ始めた スターと認められだした頃の出来事 

「ワイヤー・アクション」も千葉さんが世界で最初に考えて取り入れた
今や 本家(日本)が分家(香港・中国・韓国・アメリカ)に完全に出し抜かれているが

「ブルース・リー」も「勝 新太郎」さんが 私の唯一の先生で「あこがれのスター」です
有名な セリフだが-----昔は 日本映画がアジア映画界のあこがれ・先生だった

韓国映画に最初に出演したのも 千葉 真一さんだった

<千葉さんの 職業病> テレビのヒット番組「柳生十兵衛」
----左の目を 刀のつばの眼帯で隠し 右目だけの 演技を4〜5年間もやった
その後遺症で右の目が 殆ど見えなくなった----

-----お陰で 北海道の名医と出会い「手術」視力を取り戻し 矯正用のコンタクトをはめ
左右のバランスをとっている 時々右目が何かの時に「ぴか!」って光る時があってね
不気味だよ----

橋の欄干から走る列車に飛び乗る・高いところから飛び降りる・などなど----
長年のアクションのお陰で 全身凄い傷跡 体を張って生きてきた 勲章だろうが

今も一線で 体を張っている先輩 負けてはおれんな

 
 キイハンターで何度も千葉ちゃんと戦っていた、俳優・堀田眞三さんが書かれた文です。

 沢山の怪我をしながらのアクションやスタント左の腕の傷は今でも確認できるし、膝のサポーターも良く見かけます)、あのジャッキー・チェンも会いに来たこと、(女性週刊誌の対談記事も!)まだ今のような交流のない時代に韓国に行き、合作映画に挑戦したこと(東京ーソウルーバンコック、実録麻薬地帯」で、タイ迄行き、ノラ・ミャオとも共演)、日本のいわゆるプログラムピクチャーといわれるB級娯楽作品が香港のアクション映画に大きな影響与え、今や日本に大きな影響を与えている韓国映画も、日本映画の後ろを追いかけていた時代があった事迄書かれていて、本当に嬉しくて、読んでいる途中で涙が・・・・

 自分が何時も、常に心の中で思ってきた事を、突然、ブログで読んで絶句してしまいました。長く一緒に仕事をしてきた俳優仲間、堀田眞三さんの言は、説得力があり本当に嬉しくありがたかった。
 
 そして、決して忘れていけない事は、堀田さんのような相手役の方がいるからこそ、千葉さんが素晴らしいアクションを演じてこられたという事実。映画もドラマも一人では出来ない、受け手が上手いからこそ、悪役の迫力があるからこそ、主役を演じる役者が思い切ったアクションが出来るし、光って見えるのだ。
 
  「親父」の共演シーンが見られるのを、今から楽しみにしている。
 そして、その時このブログの文をまた思い出すに違いない。(感謝!涙!)

    ★堀田眞三さんのブログはこちらです!お人柄がうかがえるステキなブログです。(^^)/
March, 23.
Thursday
受験サポートも終わり、張りつめた気持ちがぷつんと切れたのか?どうも気合が入らない。エンジンがかからない、パワーダウンの状態。ひとまず、年度が変わる前の3月だから、ちょっとインターバルがあってもいいかなと、焦る気持ちをなだめてみても、気持ちは落ち込み気味。そんな3月、トリプルパンチを食らった。ヤバイ!ダウンしそう・・・「エ・イ・ド・リ・ア〜ン」!?!倒れるなんて我身にゃ問題外のはずだが。(-_-;)



 東映出身大物プロデューサー近藤照男氏の突然の訃報に衝撃を受け、自分の少女時代がぐぐっと遠くなるのを感じた。続く、演出家・作家の久世光彦氏の訃報。小中学校のテレビの話題に必ず入っていた作品たちの産みの親が相次いで去った。そして、二人と全く同じように突然、宮川泰氏の訃報が届いた。紅白歌合戦のエンディングの「蛍の光」の指揮を見ては、お元気でいるとホッとしていたのに・・・。(涙)


 自分が大きな影響を受け続けている作品が二つある。小中学時代出合った「キイハンター」と中高校時代出合った「SHOW GIRL」.。
 「キイハンター」は言う迄もないが、福田陽一郎作・演出の「SHOW GIRL」は、好きな芝居が多い中でも、一番好きな作品。木の実ナナ細川俊之の二人が様々の男と女の恋の物語をおしゃれなセリフで演じ、お馴染みのメロディーに歌詞をつけて歌って踊る。これだけでも、エンターテイメントとして充分楽しめる舞台なのだが、幕間の休憩時間に当たる時間に、繰り広げられるショウタイムが、又また魅力的な舞台。宮川泰さんが指揮とピアノを担当するバンド、スリングスが舞台を盛り上げていた。宮川泰氏のノリノリで指揮をする姿が今でも目に浮かぶ。歌って踊るおしゃれな舞台は、自分にとって憧れの舞台で、いつか自分も!の思いがつのり膨らみ爆発し、遂に、借金してプロデュースし仲間を集め、多くの友人の協力のお陰で、2回だけ演じる事ができた。怖いもの知らずの23歳の春だった。

 自分を育ててくれた作品を、生み出しこの世に送り出してくれた人たちが、”お疲れ様、これでもう終わり”と、神様に言われるように消えていくのを見送るのは初めての経験で、年齢を改めて実感する。でも我人生は、このままなら、まだ折り返したばかり。これからも、自分の育ててくれた「キイハンター」「SHOW GIRL」に感激したあの気持ちを大切に、先人達に感謝しながら、へばってばかりの自分だが、人生後半戦、なんとか前を見て、夢を見て、生きていこう。
March, 12
.Sunday

 平然と嘘つくヤカラが、多すぎないか?!(怒!)信念をもっていると力説する、やつまで出て来るに至っては、正義感のはき違いも甚だしい。信念を持って嘘をつくとは・・・(嘆!!)『ライブドア事件』『耐震強度偽装事件』『米国産牛肉の輸入再停止問題』『堀江メール問題』etc......堂々たる嘘つきっぷり、世の中、極め付きの嘘つきだらけ!「まさか・・・」では済まされない事件の連続に、「嘘付きは、泥棒の始まり」って、小さい頃教わったはずなのにと、言ってみても空しいばかり。「〇〇い人は、嘘付きの始まり」と、言葉にして、子供に教える時代に変わってしまったとしたら、悲しすぎるし、許せない。


  「大事な事は、目に見えない」そう子供達に伝えよう。
     

 「星の王子様」の新訳本「小さな王子様を読んだ。昨年、書店に何冊ものが並んだ中から買った一冊。山崎庸一郎訳のもので、”訳者の註”が付き、作品が書かれた状況や背景がとてもよく解る。作品研究手引き本のようで、途中、一つ一つ確認していると、話しの内容が途切れ解からなくなりそうなので、後からまとめて読んだ。丁寧に訳された「小さな王子様」は、繰り返し呼んできた、内藤濯訳の子供向けの童話「星の王子様」とは趣が異なる、大人向きの物語のような印象だった。写真や参考文献のコピーの載った”註”は、今まで知らなかった、書かれた状況や、作者、アントワーヌ・ドゥ・サン・テグジュペリの事を知ることができて興味深かった。そして、解説あろうが無かろうが、読んだ感想はさほど変わらず、詳しい説明など無くても、充分伝わってくる、作品の魅力を改めて確認した。

 「大事な事は、目に見えない」。「かんじんなことは、目に見えない」と改めて訳された、言葉は、「星の王子様」の中のとても好きな言葉。単純な登場人物、子供にもわかりやすい言葉使いの奥の深い意味を感じ、本当に伝えたい思いが沢山隠されていることに気づいたのは、大人になってから。思い出したように読みかえすと、その時々の心境で、印象に残る登場人物や言葉が変わってくる、とても不思議な本。転校した時には、ラストの絵に涙し、恋愛の後は、狐の話が胸に沁みた。今回は、何故か、王子様が出会った変な大人たちが、いとおしく見えてしまった。自分の信じ込んだことを、ひたすら続けている彼らは、自分の考えに正直で、他人にも嘘はつかない。誰も騙さず、ただただ、自分の信じたことを、哀れなほど必死で、一人黙々と続けて生きている姿は、お疎かだが、なんともいとおしくさえ思えてきた。

 新しくつけられた題名「小さな王子様」より「星の王子様」のほうがやはり自分には、しっくり来る。私にとってこの大人のための童話は、キラキラ光る沢山の星が、いくつも隠れているような本だから。「大切な事は目に見えないだから、しっかりと見ようとする事が大切なんだと、うわべで判断しちゃいけないんだと、心の中で繰り返す。「星の王子様」を読む事は、自分への《戒め》であり《慰め》であり《救い》でもある。そして、いつまでも、箱の中の羊が見える人でいたいと、思う。そして子供達には、(大人たちにも?!)「おーい、バオバブには気をつけるんだぞ!」と、言いたい。
January, 25.
Wednesday

 
 『ホリエモン逮捕』でマスコミは大賑わい。東大卒の若手社長?などと書かれていたが、まさか、手錠をはめる事になるとは・・・渦中の人々の様子が映る度、人間の浅はかさを感じてしまう。 堀江少年を、紹介している番組を見た。それが全てではないとしても、納得できる部分もいくつかあった。人を育てる事は、損得勘定以外の所に、大きな価値があり、意義があり、生半可な気持ちでは続けられ無い事。成果も、すぐに目に見える形となって表れてくるものではない。そこが、恐ろしくもあり嬉しくもある。親として、メディアを賑わせる事件を見るたびに、子育ての難しさを思い知る自分である。


 
   『第48回(2005年度)ブルーリボン賞、
     主演男優賞真田広之(45)さん受賞、
      同じく助演男優賞、堤真一さん受賞。』



 JAC出身者二人の受賞!最高に嬉しい!!遂にこの日が来たと、心から感激した。千葉真一さんが仲間と、JACこと、ジャパンアクションクラブ を始めたのは、1970年、デビュー10年目にして、「キイハンター」 でのアクションやスタントで人気高騰、スターの仲間入りを果たし、もっと高度なアクション・エンターテイメントを!と作られた。(現在はより発展し、ジャパンアクションエンタープライズ・JAE となり、多方面でして活躍している。)アクション映画・ドラマ・変身ショーなどで活躍し、千葉さんのアクションシーンには欠かせないチームであり、俳優養成所では、千葉治郎 さんも殺陣を教えた事も有った。1973年には、世界に誇れるアクションでもファンを魅了した女優志穂美悦子 さんがデビュー、現在も、多数のJAC出身俳優が活躍中で、人気絶頂期には、一万人以上のファンクラブ会員を持ち、交流会も開いていた。(残念ながら、自分は会員にはなれずじまいだった。(-_-; )

 1983年頃のJACの写真集のおわりに、深作欣二監督 の言葉がある。
 
     『千葉君―

      君と初めて逢ってから、もう二十数年の歳月が流れた。
      しかしぼくの脳裏には、あの頃の輝かしい日々記憶が、
      今なおキラキラした光芒を放っている。
         (中略)
      ぼくらは浅間山麓に馬を走らせ、千葉の海岸をジープで疾駆し、
      無免許のオープンカーにカメラを載せて無鉄砲な撮影を
                                 くり返していた。
      そこにはまぎれもなくぼくらの青春があった。
      ぼくらは賭けていたのだ。
      映画に於けるアクションの無限の可能性に―。
      だが、そんな歓喜の裏側では、
      いつも失意と鬱屈の影が、重苦しくとぐろを巻いていた。
      アクションが不当におとしめられていることへの怒り、苛立ち―。
      カメラの裏側にいるぼくでさえそうだったのだから、
      鍛え抜いた肉体を持つ君自身の口惜しさは、
                         察するに余りあることだった。
      だが君はくさらなかった。いや、くさっても投げ出さなかった。
      君の信念のままに、黙々と、誰かがやらなければならない事を、
      たったひとりで押し進め、実現した。
      それがJACだった。
         (中略)
        
         君のさらなる飛翔の前途に、乾杯!

                             深作欣二  』



 あれから、23年、創設から36年が過ぎ、本物のアクションを見せる、ドラマや、映画はどんどん少なくなり、CGを使えば誰でもスタントがこなせる時代になった。それでも、
鍛えられた人々だけが表現できる、本物の美しくスピーディーな身のこなしのアクション が、胸の奥を熱くしてくれた、あの日の感動が忘れられずにいる自分。同じ思いの人が、少なくなってしまったようで、なんとも寂しい気持ちでいた。
 
 そんな中、届いた、嬉しいニュース!真田さんは
「プロミス」 の公開も間近。千葉さんと倉田さんとのアクション映画も夏公開と、うれしい年になりそうだ。もちろん、JACで鍛えられた俳優の活躍が、今年も、映画、ドラマ、舞台で見られるだろう。
 そろそろ、本物のアクションができる、鍛え抜かれた身体を持った俳優を生かしてくれる時代(とき)が来る?!心ひそかに、期待している自分だ。
January, 17.
Tuseday
2006年も、あっと言う間に2週間が過ぎてしまった。センター試験まで後3日、自分ではなくてもやはり落ち着かない。受ける当人が、思ったより平和そうにしているのがありがたくもあり、不安でもあり・・・・・。

 
 下妻物語を見ました。ハマリマシタ。笑って見ていたのに、エンドロールが始まったら、ジワ〜〜、涙。そして、号泣!?!自分でも気が付かないうちに、胸の奥に溜め込んでいた何かが、一気に噴出した。自分でも気が付かなかった胸の奥の思いに、この映画が気づかせてくれた。昼間から声を押し殺し泣いた。映画を見て号泣したのは、何時以来だろう?こんな幸せな気分で号泣した事はあっただろうか・・・。
 姑の介護の時、深夜レナードの朝を見たときは、翌日まで目が腫れていた。映画館で初めて号泣したのは「ポセイドンアドベンチャー」。3度目に見た時は、人目もはばからず、途中からずっとハンカチ口に当てて泣いていた。若かった・・・・。(^_^;)(先日、シェリー・ウィンタースさんが亡くなられたそうだ。太って勇気あるおばちゃま役、とても魅力的だった。)


      「夢大切に持ち続け、一人でも信じた道を
     自分の足で自分の歩き方で歩く。友と共に。



 そんな生き方に憧れ始めたのは、小学生の頃からだろうか・・・?子育てに終われ、自分の事は後回しにしていた。こんな自分でも(^_^;)
 気が付けば、子供たちも一人歩きを始める程になり、春からは、一段と遠くへ羽を広げて行く準備をしている様子。そんな時見た下妻物語。 
 パワーが切れたら、千葉さんの映画とキイハンターを見ていた自分。今年は、もう一つ下妻物語も見て、目下の目標に向かって頑張るぞ!と、〇6歳の自分に、活を入れた。(笑)

 果たしてどんな年になのるか、どんな出会いが、そして、別れが(このところ増えてきたのが寂しい。)待っているのか。年の初めは、なんとなく心がワクワクしてくる、自分がいる。
 
 遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 tik's  2005 Diary
December 3
Saturday

気がつけば、もうあと一ヶ月で2005年が終わる。書きたい思いを整理しているうちに、次に、又、書きたいことが・・・。事件が次々に起こり、嘆いてばかりのこの数ヶ月。でも、スポーツ選手の素晴らしい成績に、元気を貰っていた。

 待ちに待った「ハリー・ポッター、炎のゴブレット」が公開された。原作のハリーポッターの魔法界での冒険と、戦いは、年を重ねるごとに、苦悩に満ち、激しくなる。最新の日本語訳第5巻では、青春期に入り、益々悩みは多く深くなるが、最後の戦いはスリルに満ちパワフルになって、中盤までのハリーとともに味わう憂鬱な思いを、一気に張り払う展開で締めくくってくれる。このシリーズの魅力は、ハリーの勇気!久々のMyヒーローの出現だ。
 幼いころ、勇気を貰ったドラマがたくさんあった。当時の私のヒーローは、「サイボーグ009」そして「キイハンター」。正義の為、命がけで生きる姿、ボロボロになって頑張る姿が、最高にカッコ良く、最高に影響を受けた作品だ。『勇気』があって、『正義感』に溢れた主人公達に、正義とか、勇気とか、不正を憎む気持ちとか、知らず知らずに心に植え付けられ、折々、今でも自分に勇気を与えてもらっている。

 先日の耐震強度偽造問題の国会参考人質疑を、ドラマを見るように見た。ずらり並んだ人々の表情の裏の気持ちを探る。最悪の事件。日ごとに立てられ完成していく数え切れないビルが、どのくらい頑丈なのか?地震が起きたら、ドミノのように倒れないの?と、真面目に見上げていた自分は、事件が発覚した時、「やっぱり・・・」と溜め息を付くと同時に、事件を最初に告白した人の勇気を思った。

 若いころ見たとても好きなロバート・レッドフォードダスティン・ホフマン主演の映画「大統領の陰謀」ポール・ニューマンが好きで見た「評決」、どちらも、渦中にありながら告発する人々の、苦悩するシーンが心に焼きついている。過去の不正に傷ついた人々が、再び、その痛みを味わい、より深い傷を追う道を選ぶ、その勇気に、涙が溢れた。以前、輸入肉の不正を告発した、冷凍倉庫会社の社長の告発後の苦労を、テレビで見て、勇気をもって不正を正した正義の人が、不義理な、冷酷な人間のように、見られることに納得行かなかった。不正を声に出して公表したものへの、風当たりはいつも冷たい。これまで、何人の人間が、声を上げようとする勇気を出せず、開いた口を塞いできたのだろうか・・・。

 人間の世に、嘘や、不正は、消えることがないのなら、正義を貫く勇気をもった人間も、何時の世にも現われると、信じていたい。自分を笑う奴がいても!ミスチルの「HERO」を歌いながら、みんなのヒーローは、絶対いる!って信じている。
August 30
Tuseday

     残暑 お見舞い申し上げます!

 あっと言う間にお盆になり、暑さにへたれ、思いがけない肌寒さに縮こまり、年齢を実感する今日この頃、たくさんの勇姿にパワーを貰って、毎日を過ごしている。
 小学生時代、図書室の伝記物を何冊も借り(内容はほとんど忘れてしまった)、今も、ノンフィクションや、ドキュメンタリー、インタビューやトーク番組を見るのが好きな自分は、徹子の部屋や、裏番組のNHKのトーク番組のチェックは欠かせない。(笑)
 14日の「徹子の部屋」の、ヨットで単独無寄港世界一周の世界最高齢記録に 挑んだ斉藤実さん。6月6日帰港した時の、インタビュ―に答える姿が、とても若々しく、自分もこうありたいと思った方だ。
 一時間以上眠り込んだら死ぬという過酷な航海は、恋人を含め多くの人たちへの追悼の航海でもあったと話す斎藤さん。愛艇「酒呑童子2」に、缶詰、肉類、米、卵、カップラーメン、わずかな野菜、コーンフレークに水と大好きな日本酒の一升瓶数本などを積み込んだものの、冷蔵庫が壊れ多くが腐ってしまったというアクシデントをやり過ごし、約5万キロの航海を7カ月以上かけ終え、神奈川県三浦市母港の油壺シーボニアマリーナに帰港した時の斎藤さんの顎鬚を蓄えた笑顔は、何とも素敵だった。
 とても元気そうに見えても、陸に上がれば心臓病の持病を抱えた年金生活だと言う71歳のヨットマンは、初の単独無寄港世界一周を、世界最高齢という記録付きで達成しても、「失敗!」といって笑った。その姿は、10歳差し引いてもまだ若々しく見え、爽やかな笑顔が本当にカッコ良かった!

 「ダラダラと長生きしても仕方がない。
                     チャレンジこそが私の人生

と、いう言葉の裏に多くの努力が隠れている事を、今回改めて知り、
  「孤闘―Fighting Alone」
という斎藤さんの著書を読みたくなった。

 
 人間は必ず年を取る。そして、体力と共に気力が減ってくる。この頃、少しずつ実感し始めた自分にとって、気力体力共に絶頂期にいる若者たちと、同じ土俵に立って勝負する人の姿は、燻し銀のようにじんわり光って見える。
 野茂英雄投手、工藤公久投手、Qちゃんこと高橋直子選手、etc.....。
一時期、とてつもなく光り輝いた人たちも、いつかその光に影がさ射し、険しい道が見え隠れし始める。それでもなお、先へ先へと歩み続ける続ける姿を、自分は追い続ける。
 生き物だから、何時までも変わらないわけはない、人生を刻む皺は増え(無理矢理、素敵な皺を消してしまうなんて、もったいない!)必ず死ぬ時期が来る決まりごとの中、先へ進む姿に憧れ、自分も夢を描いている。
 かつて、自分の追い求める道を、駈けるというより飛ぶような勢いで進んでいったスーパースターたちが、亀の歩みのようになっても、進み続ける姿に憧れる、人間大好きな自分である。
July 15
Friday

暑中お見舞い申し上げます!

あっと言う間にお盆になり、暑さにへたれ、思いがけない肌寒さに縮こまり、年齢を実感する今日この頃、たくさんの勇姿にパワーを貰って、毎日を過ごしている。
 小学生時代、図書室の伝記物を何冊も借り(内容はほとんど忘れてしまった)、今も、ノンフィクションや、ドキュメンタリー、インタビューやトーク番組を見るのが好きな自分は、徹子の部屋や、裏番組のNHKのトーク番組のチェックは欠かせない。(笑)
 14日の「徹子の部屋」の、ヨットで単独無寄港世界一周の世界最高齢記録に 挑んだ斉藤実さん。6月6日帰港した時の、インタビュ―に答える姿が、とても若々しく、自分もこうありたいと思った方だ。
 一時間以上眠り込んだら死ぬという過酷な航海は、恋人を含め多くの人たちへの追悼の航海でもあったと話す斎藤さん。愛艇「酒呑童子2」に、缶詰、肉類、米、卵、カップラーメン、わずかな野菜、コーンフレークに水と大好きな日本酒の一升瓶数本などを積み込んだものの、冷蔵庫が壊れ多くが腐ってしまったというアクシデントをやり過ごし、約5万キロの航海を7カ月以上かけ終え、神奈川県三浦市母港の油壺シーボニアマリーナに帰港した時の斎藤さんの顎鬚を蓄えた笑顔は、何とも素敵だった。
 とても元気そうに見えても、陸に上がれば心臓病の持病を抱えた年金生活だと言う71歳のヨットマンは、初の単独無寄港世界一周を、世界最高齢という記録付きで達成しても、「失敗!」といって笑った。その姿は、10歳差し引いてもまだ若々しく見え、爽やかな笑顔が本当にカッコ良かった!

 「ダラダラと長生きしても仕方がない。
                     チャレンジこそが私の人生

と、いう言葉の裏に多くの努力が隠れている事を、今回改めて知り、
  「孤闘―Fighting Alone」
という斎藤さんの著書を読みたくなった。

 
 人間は必ず年を取る。そして、体力と共に気力が減ってくる。この頃、少しずつ実感し始めた自分にとって、気力体力共に絶頂期にいる若者たちと、同じ土俵に立って勝負する人の姿は、燻し銀のようにじんわり光って見える。
 野茂英雄投手、工藤公久投手、Qちゃんこと高橋直子選手、etc.....。
一時期、とてつもなく光り輝いた人たちも、いつかその光に影がさ射し、険しい道が見え隠れし始める。それでもなお、先へ先へと歩み続ける続ける姿を、自分は追い続ける。
 生き物だから、何時までも変わらないわけはない、人生を刻む皺は増え(無理矢理、素敵な皺を消してしまうなんて、もったいない!)必ず死ぬ時期が来る決まりごとの中、先へ進む姿に憧れ、自分も夢を描いている。
 かつて、自分の追い求める道を、駈けるというより飛ぶような勢いで進んでいったスーパースターたちが、亀の歩みのようになっても、進み続ける姿に憧れる、人間大好きな自分である。
May 19
Friday

十年程前、ジャッキー・チェンの中文記事が読みたくて、お小遣いをはたいて買った中日辞書は、もう大分よれよれになった。ラジオとテレビを頼りに、微妙に?続けている中国語学習は一進一退、進歩が見えない。
 
 いくつかの中文を訳したが、その中で、とても好きな文章がある。
 今から5年前、21世紀の初め、Jackie . Chan.がファンクラブツアーでファンに送った中文を、友人に頼まれ中日辞書を引き引き訳したものだ。


   今まで、僕らは矛盾の中で生きてきた

    僕らは 高くそびえ立つ建物を作った 
            けれど 浅はかな考えを身につけた


 
  広大な道を切り開いた、けれど視野は狭くなった

    学識が豊富になっても 気にも留めず見過ごしてばかり
 
    エリートがクモのようにどんどん集まっても、
               ますます多くの問題が広がっていく

    薬品が研究開発されているのに 傷痕をふさぎ切れない

    僕らは愛を歌うけれど、誓った愛はあまりに少なくて、
               口をついて出てくる不満は多すぎる

    僕らはただ生きたいと願っている
                   生きると言う事を知らぬまま

    苦労して生きている時間は延ばせても 
       無限に広がる命の素晴らしさに気づかずに入る

    世界を征服するほどの勇気はあっても 
                自分自身を直視する勇気は無い

    ぼくらは空気を浄化しても 魂は濁っていく

    新世紀に あなたが
    真の平和で豊な暮らしを始められますように希望しています
    
 あれから5年、今、ますますこの言葉が、心に沁みて来る
May 9th
Monday

「母の日」といっても、母にはたいしたこともせず、心苦しい自分だ。
 長女が、夜は用事が出来てしまったと、ランチにスパゲティーを作ってくれた。私の大好きなイタリアン、私の苦手な太目のクリームソースのパスタは、蟹と生クリームを使ったトマト風味のソースで、お世辞抜きで、とっても美味しくて、食べながら何とも幸せな気分。5日の晩、ちょっと奮発してみんなで外食した成果が出たか?!と、しっかりしてきた味覚に一安心。ちょっぴり胸が熱くなった。そこへ、サプライズ、プレゼントが!

 二十年の節目の記念と渡されたのは、カーネーションの花飾りのついた小箱。自分の為にリボンを解くのは何時以来だろう・・・ヤバイ、ウルって来る。これ以上ウルったら見えなくなると、必死に気持ちをそらし、中から出て来たのは、貝の花がついたシルバーのイヤリング。
 カワイイ!自分の好きな、おばさん系では無い、デザイン!!

 「う〜んちょっと、可愛いかな〜」と言う主人。「店員さんと相談してとっても迷ったんだから」と言う長女に、様子を想像して、又、ウルウル。思わず仏様に手を合わせ報告し感謝すると、あの姑の言葉が、又聞こえてきた。
 
20年前、突然、母親になって、うろたえていた自分に、見守るような眼差しで諭すように、
   
「あなた達の”子供”と言うだけでなく、
           社会の”子供”なのだから・・・」


と、静かに話してくれた姑。幼く子供だった自分は、何度も何度も、自分に言い聞かせながら成長させてもらった言葉、そして、娘にも、話している言葉。社会の子供を育てる役割を、自分は、どのくらい果たす事ができたのだろうか・・・。亡き姑は、どんな言葉を、今度は、話してくれただろう・・・。
 
 これからは、何時までも、このイヤリングが似合うように頑張らねば!嬉しさとともに、新たに子供から、シビアな課題を貰った気がしてきた。
April 20
Wednesday

テレビの憤激レポートを見ると、いろいろな問題が山積みの自分の国に、ため息をつく。少し前、新聞の面白い記事を見つけた。
 《世界のジョーク ベルギー》 と言う題で、中身は、以下の通り。
『ある国際機関化地球規模の問題について、世界各地で緊急アンケートを実施した。質問は、次の通り「よその国では、深刻な栄養不足に苦しんでいます。どう解決したらいいでしょう。どうか正直にあなたの意見をお聞かせください」しかし、結果は惨めなものだった。「質問が理解できない」と言う人が多かったからである。アフリカでは誰も「栄養」という言葉の意味を知らなかった。東欧では「正直に」西欧では「不足」中国では「解決」中東では「あなたの意見」中南米では、「どうか」と言う意味が理解されなかった。アンケートはアメリカでも失敗に終った誰も「よその国」を知らなかったのである。』

 笑い話とは言え、考える事の多い話。「日本」は何が理解できなかったのだろうと考える、さしずめ・・・「深刻」?!
ため息が出てしまったけれど、これは、笑い話!ポジティブに考えようと自分に言い聞かせる姿に、又、苦笑!
2005.
January,24.
Monday

遅くればせながら・・・・

      今年もどうぞよろしくお願いいたします!

 昨年は、これでもかこれでもかと、本当に悲惨な災害が起きた。人々の辛抱強さはどれ程か、人間の善意と悪意を量る神の与えた試練か?と、特にこれといって強い信仰を持っていない、無宗教の自分でも、大きな自然の力という神様に試されている思いがした。
 特に年の瀬に起きた津波の災害は、多くの国を巻き込み、まさに地球人、人類皆が共有する大きな悲しみとなり、それを支え援助する人々の大きな輪を作らなくては克服は困難な、地球規模の大災害となった。
 自分は幸いな事に、まだ災害に巻き込まれてはいないが、何時、自分が災害の被害者になるかは、覚悟しなくてはいけないと思っている。だからこそ、他人事でいてはいけないと、その度、自分に言い聞かせている。
 
22日は、我が家恒例の年始の行事の一つ、仲間との新年会。今年も懐かしい顔が6人やって来てくれた。20年以上やっていれば、主人の膝で参加していた娘も成人、病で亡くなったり、海外や地方に行ったりと、仲間が何人でも集まって来てくれるだけでも感謝!4年ぶりに参加してくれた仲間は、お酒が飲めない身体になってしまったが、会えた嬉しさに話が弾んで、昼ずぎから夜まで飲んで笑って食べて賑やかな一時を過ごした。準備の計画を立ててもその通り出来た試しの無い自分は、前日から大掃除に料理の仕込み、当日も時間ぎりぎりまでキッチンは戦場のような有様。何とか間に合い、料理を出しながらワインや芋焼酎でいい気分になって大いに笑いしゃべって元気を貰った。話題は、血圧や病気、会社の景気や、妻の更年期の鬱病など全く変わってしまったが、それでも、皆が集まってくれるならば、年をとっても、同じ時代を過ごしたもの同士、昔話に花を咲かせられる幸せに感謝しながら、ずっとずっと続けていきたいと思う。
tik's  2004 Diary
December.13.
Monday

 今年は10年ぶりの再開があったりと、懐かしい人たちとの再会が多い年だった。一方で、あまりにも短い急な別れもまた多かった。
 7月に続いて、長女の高校の恩師の通夜があった。お二人ともあまりにも若すぎる死。保護者会で、「子供達はとてもいい子達なんですが・・・」 と、いつも話し始める時の笑顔が忘れられず、寂しそうな表情の遺影に涙が溢れた。
 二年目に入り、メンバーも増えてきて賑やかになってきた新宿テコンドー同好会の仲間も、突然、しばしの別れとなって、忘年会をかねて送別会をした。時々帰国して参加してくれるそうだが、3年後の復活を今から楽しみにしている。
  自分は一期一会言う言葉がとても好きだ。たった一度、一瞬の出会いが、自分にとってかけがえの無い出会いとなることを何度も実感した。だから、別れを悲しむよりも、出会えた偶然に感謝しながら暮らしていきたいと思う。
 多くの偶然に出会えた人たちに、たくさんの幸せを貰って今生きている。だから、なおさら、身近にいる人たちに、感謝の気持ちを忘れず暮らしていきたいと心から思う。
November. 18
Thursday

この頃、よく月曜深夜番組で、小田和正氏の歌う懐かしいフォークソングを聞いて、一緒に口ずさんでいる。そして、翌日は、無性にギターでフォークソングを歌いたくなる。中学時代、初めて頂いたクラシックギターで弾いた曲が、中村雅俊さんの「ふれあい」だった。小椋圭氏の曲や、他のフォークソンググループ、シンガーソングライター(懐かしい響き!)の曲も、一人下手な弾き語りをしていた。20才の頃は、バイト先においてあったクラシックギターで中島みゆきの曲を良く弾いて歌ったりもしていたが、カラオケが流行り始め、子育てに追われ、気がつけば、部屋の隅でギターは埃を被っていた。今では、一年に数えるほどしか弾かなくなり、何とか最低限のコードだけ覚えているありさまだが、フォークソングはカラオケではなくギターを弾いて歌いたくなる。必ず弾くのは中島みゆきさんの「杏村から」と、オフコースの「言葉にできない」。数曲弾いて30分経たぬうちに、指先は限界!なんという軟弱さ。それでも、最低限のコードを忘れずっとぬよう、弾き続けて行きたいと思う。
 バイト先のママさんがカッコ良く弾き語りをしていた「プカプカ」が、そろそろ似合いそうな年齢?!いや、まだ自分はイマイチ、イマニだ。20年も前に買ったフォークソングの歌本をめくっては、タイムリミット睨みをながら、いつの間にか小さな穴の開いたギターを抱え、弾き語りが上手だった今は亡き恩人(結婚式に赤い鳥の「忘れた朝」弾き語りしてくれた)を思い出しながら弾いている。
October, 18
Monday

イチローの新記録達成!そして、松井の活躍と、嬉しいニュースが続いている。今日のボストン・レッドソックス対ニューヨーク・ヤンキーズの試合は、感動的だった。1時半近くになっても寒さに絶え応援する観客の熱い思い、手に息を吹きかけ温めながらの選手たちの必死のプレー、諦めない!絶対に勝つ!と、もう後がない負けられない中でのぎりぎりの一勝に、選手も観客も一緒になって喜び合う姿。こういうのに弱い自分は、また胸が熱くなった。歴史ある古い球場フェンウェイパークで、今年も繰り広げられる熱戦を、必死で応援する観客と明日も頑張ろうと皆で喜び合う選手の姿、頑張る人それを応援する人が入り乱れる、ずっとずっと昔から続いて来た人の世の風景だった。一方で、命を粗末にするニュースが流れている。どの生き物にもあるように、人に一つだけ、様々な条件の元で、みな同じく与えられた命を、「もう明日は(命は)いらない」と言う人たち。中学校に派遣されてきたカウンセラーは、『種の保存の観点から、強い種族だけが生き残る事になっている』と、意味深な言い方をしていた。ある人は、生きる気力がなくなっていても、身体は、生きようとしている。(生きること=身体が頑張っている事)』と言っていた。人は(庶民は)人災でも天災でも、ささやかな喜びを胸に、一瞬で消せるほどに儚い命一つを抱えて、頑張って来た。苦しい時を乗り越えて、その先に嬉しい事が隠れて待っている。『苦あれば楽あり、楽あれば苦あり』といいながら、しんどい時はその先にきっとある楽を信じ、楽な時は先に苦があると覚悟して。明日は寝ても寝なくてもやって来る。雨も、風も、止む。歩けば、誰かと出会う。そして、未知の自分に出会う時が来る。命があれば・・・、時が永遠に流れ続けていく限り。
September, 26
Sunday

 愛読書といえば、「星の王子様」をまず一番に上げる。第二は・・・・小学生時代から呼んでいる(が良く内容を忘れる)名探偵シャーロック・ホームズシリーズ。そして、ハリポッターシリーズ
 この夏、5巻の発売を前にして、改めて一巻から読み直した。巻を追うごとに増えるページ数と共に、内容が濃くなり、ワクワクにハラハラドキドキが加わり、読んだ後の思いも深くなっていくのも魅力の一つ。だんだん扱う内容が大人っぽく複雑になって、第一巻のハリーと同じような年で読み始めたならば、今年5巻を読むのにはちょうどいい年頃になっているかもしれない。
 魅力の一つは、たくさんの登場人物が、皆憎めないように描かれている事。良い所と悪い所、大人ぶっていても子供のようなところを紹介し、憎々しいが何処か弱みを押し隠しているようで哀れを感じたり、誰一人として完璧なだただた素晴らしい登場人物として、描かれていない。
 お菓子にいたずら、成功にドジ、嘘や友情、喧嘩、挑戦、子供だった事がある人なら、必ず、何度かにやにやして読むシーンが、いっぱいある。ちょっとお下品!と思うかもしれないが、子供だった頃は平気で言っていた言葉ももちろん出てくる。それらが、大人の読者達の心の奥にあった童心を、呼び覚ましてくれる。呪文や、グロテスクな想像力に富んだ魔法生物たち、その他想像してみるだけで笑える見たことの無い、本、教科書、授業、店、病気など、自分の想像力をフルに使って楽しめるのも魅力の一つ。映画でも見られるが、本の中にはその何倍もの、自分で想像してみなければならないアイテムが詰まっている。
 そして、毎回、ダンブルドアの言葉には、必ずずっと心にとめておきたい言葉がある。
 序盤でなんだか読み進む速さが上がらず止まってしまう人も多いかもしれない。そんな人には、ちょっとだけ我慢してもらって、2巻から読んでみるのがお勧めです。導入部からの展開が速めで、途中からラストの対決シーンまで、厚さの割には、加速度がついても後半一気に読み切れる筈。
 3巻、4巻、5巻は、登場人物が重なるので、続けて読む事をおすすめします。長くても、4巻の戦いの終わりには、感動の再会シーンが待ってます。この3つの話で、また新たな展開への準備が整うといった感じで、5巻を読み終えました。
 始まりは、いつも、暗くつらくて、そして、時に楽しい日もあるが苦しい戦いへと向かっていくストーリーは一貫しているが、その中で、それを助けてくれる仲間、師、先輩、等多くの人たちとの出会いがあり、最後は、決して読者を裏切らない、生きてて良かった、頑張ってよかったと、一緒になって安堵し喜べる結末。なんだかこの頃刺激が無くてつまらないと言う方は、是非、この本を手にとって試してみてほしい。
 表紙が魔法界へのポートキーか、はたまた、本に見えないフル―パウダーが降りかかっているのか、あっと言う間に魔法界へと飛んでいってしまう不思議な不思議な本の魔力に、何人か又、新たに引き込まれるだろう。魔法界とマグル(普通の人間?!)の世界を往復し、このところ魔法界にいる事が多かった?!この夏、やっとマグルの世界に戻ってきた。ハリーが6年生になる前に、又、本に手を伸ばすだろう。



   「・・・あからさまな憎しみより、無関心や無頓着の方が、
             往々にしてより大きな打撃を与えるものじゃ・・・

   「・・・若い者には、老いた者がどのように考え、
                 感じるかはわからぬものじゃ。
     しかし、年老いたものが、
      若いということがなんであるかを忘れてしまうのは罪じゃ・・・

                  ―  第5作、ダンブルドアの言葉より ―



  「・・・みんな、見えないところに隠れているだけなんだ。
                それだけだよ。あんたには聞こえたんだ・・・

                    ―  第5作、ルーナの言葉より ―

    ・・・・・・・・この言葉を読んだら、突然涙が出て来てしまった・・・・・・・・
September, 19
  Sunday

 先週、従姉妹が、今年こそは、「子供たちとディズニーランド!」と、週末飛行機で秋田から、小3の男の子・小1女の子・1歳の女の子の3人を連れ上京した。夫婦で泊まりがけは難しいが、自分も大好きなディズニーランドへなんとか子供たちを連れて行ってやりたいと、皆が何とかなるこの時期に強引に実行した企画だ。娘二人が、開園と同時に走ってファーストパスをとったり、迷子にならないよう手を繋ぎ、パレードでは肩車をしたりと大奮闘!夕方までと計算していたが、夜のパレード、花火を見て、予定より3時間以上長く、子供たちはディズニーランドを楽しんだ。10歳年の離れた従姉妹は、東京で暮らしていた時、出来たばかりのディズニーランドへ小さかった娘達と仲間と一緒に行って、何度かお守りしてもらった。それから15年以上経って、今度は娘達がお守り役、従姉妹が娘達の彼氏の心配をするのには思わず笑ってしまった。10年ぐらいのサイクルで、叔母と姪っ子のお世話したり、されたりの繰り返しが、4世代続いている。従姉妹の母(=叔母=母の妹)が、幼い私を世話してくれた写真もある。いつの間にか主役だった子供が脇役に、脇役の息子・娘が、子供が主役になる、皆がお世話になり、お世話することの繰り返し。新しく主役になった子供たちの歓声や笑い声に、遠い昔、子供たちと一緒に楽しんだ一時が思い出され、子供たちを見て、疲れはしても、幸せを実感し、感謝の気持ちでいっぱいになった。人は一人では生きられない、いつまでも繰り返され繋がっていく気持ちのリレーを、これからもずっと続けて行きたい、続けられますようにと祈ってしまった。
 歩き出したばかりの1歳の次女が、人混みの中、物怖じせずニコニコ大またでどんどん進んで行く。その姿を追いかけて身体は疲れても、心はリフレッシュ!なんだか勇気まで貰ったみたいだ。身体はぐったりしてしまったけれど、たくさんの元気をくれた従姉妹とその子供たちに感謝!そして、一度も怒らず過ごした子供たち、娘達、大人たちに拍手!(笑)
September,1
  Wednesday

テンションが下がってく〜と嘆く前に、大好きなハリーポッターの新作「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(上・下)」の発売日が来た。本日中に我家にも届くはず!自分は、ブームに乗るが嫌いなあまのじゃくで、実は、一巻を手にしたのは、ブーム半年近く過ぎてから。しかし、疑いつつ読んで、すぐはまってしまった。たくさんの不思議なアイテム、スピーディーな展開、悪との対決シーンはスリルたっぷりで、ゾクゾクしつつ最後は、爽快な気分にしてくれるこの物語に完全にはまった。特に3作4作は、長くなっていくストーリーと正反対にあっと言う間に読んで、最後は涙までしてしまった。
この夏、第三作目の映画を見てから、第1作目から4作目まで読んで5作を読む準備をしようと思っていたのだが、今日3作目を読み終わるところ。4作目を読み終わるまで、5作目は表紙で我慢。とは言え、昨年英語版を買い、1章初めの部分を訳してみた。4作目にも挑戦したが3章で発売日が来てしまい、今回もまた挫折。次回こそ!の思いをこめて先ずは一巻を英文で辞書退き引き読みたいと思っている。

 たくさんある大好きな台詞の中でもとても気に入っている言葉です。

     自分が本当に何者かを示すのは、持っている能力ではなく、
                 自分がどのような選択をするか
  
                   ―  第3作、ダンブルドアの台詞より ―
August, 30
 Monday

 アテネオリンピックが終った。興奮から脱力へ、テンションが下がる・・・・はずだったが、今日は年に一度の大好きな《青春夢舞台2004》の放送日。高校演劇が見られる日なのです。大道具でいいから、一緒に劇を作ってみたい!と、運動部無念の退部の後入った演劇部。女子高10人足らずの部員、朝練から始まって夕方方遅くまで、肉体訓練、発声練習、話し合い、泣いて笑って喧嘩して過ごした。千葉で行われた第23回大会を見に行ったりもした。(今でも鮮明に覚えているいくつかのシーンがある。)そして、月日は流れ・・・偶然、第47回大会優秀校作品をテレビで見た。あっと言う間に、高校生にタイムスリップして、涙した。それからと言うもの、8月の終わりが近づくとそわそわしてくる。第48回大会は神奈川まで娘と見に行った。第49回大会は、48回に続いて国立劇場のチケットを手に入れて見る事ができた。そして、今年の第50回大会、優秀作品をNHKBS2《青春夢舞台2004》で見るのは4年目だ。今年も高校生の熱演に、涙腺の大掃除、心の垢取りをさせてもらった。(笑)なかでも、北海道地区代表、網走南ヶ丘高等学校「チキンカレー」は、作年地区大会で、受賞した時の演技者が卒業して、一人だけ残った部員が、新入生6人と作った舞台と聞いてビックリ!また貰い泣き。(高校演劇の大会は秋に地区大会があり代表校が決まる。そのとき3年だった生徒は、当たり前の事だが卒業してしまうので、翌年夏の全国大会では、多くの代表校はキャスティングを変えて望む。部員が減って、新入部員が入らなかったら・・・と、演技以外の心配も多いのである。)来年の8月は、国立劇場で、また生の舞台を見て涙したい!
July, 14
Wednesday
修学旅行、改め、沖縄研修に行った次女から、《糸数アブラチガマ》の話を聞いた。 マリンスポーツ、バーベキュー、サンゴに流れ星と、何とも羨ましい修学旅行と思いきや、初日は全く違っていた。持ち帰ったパンフレットで初めて知った、戦時中、地元集落の避難所、日本軍の陣地壕、倉庫、病院分室などに使われた、壕=ガマ(沖縄方言で、洞窟、くぼみの事)のひとつ、糸数地区のアブラチガマに実際にその場に立った感覚は、言葉で表わせないほど全身にズンと来たようで、霊感が強い次女は中に入って説明を聞く時から、ザワザワと声のような音が聞こえ気を失ったという。入り口近くは、当時、破傷風患者や脳症患者地区で、攻撃にあって多くの人が亡くなった場所で、真っ暗なガマの奥は、治療室、病棟、井戸、かまど、食料・衣料庫、そして死体安置所まであったそうだ。軍手に懐中電灯を持ち、狭いガマの中を這うようにして出口まで行くのだが、必ず何人かの生徒が、入り口でリタイアしたり、途中で気を失ったり気分が悪くなってしまう。それでも毎年、先生方が負ぶったりしながら大変な思いで見学を続け、夜は、出発前に学校で見た映画「ひめゆりの塔」の主役、ひめゆり学徒隊だった方の話を実際に聞き、いつも騒がしい子供達も皆しーんとして泣くのだそうだ。
 小さくなったおばあさんは、この講演をもう20年以上近く続けているという。生き残った自分が、亡くなった人たちの思いを伝える為に・・・ガマを案内してくれたおじいさんも、同じ思いで、辛い場所を案内し続けていると言う。映画でも気分が悪くなった次女だが、本人が話すと全てが真実だと実感できると、目を潤ませて話した。聞いていた自分の方がウルウルしていたかもしれない、本当にいい体験をして来てくれたと思う。実際に体験した記憶、感じた思いは、忘れる事は無いだろう。
 長女と、初めて一緒に選挙に行った。ささやかな一票でも、いろんな人の思いが入り混じって大きな力となる。長女の思いをこめた初一票が、より良い未来へと繋がる一歩となるよう祈っている。終戦記念日まで、後一ヶ月。
Jun, 21
Monday

 昨日は父の日だった。めったに電話にも出ない父からの珍しい電話に嬉しいやら苦笑い。(かけるの遅れて御免!)高校時代から、自分は父に興味深々だった。早くから親と別れ違う土地へ、戦中戦後の東京で暮らし、故郷での母との出会い、上京等々。話題に事欠かない?!父の人生。自分は早くから親離れしたのか、人生の先輩として親を見ている時が多く、父と母の若き塩ご飯の日々の話に憧れたりした。殆ど父と話すことなく、顔を合わせる時間も無く過ごした中高校生時代。だが、小学生時代に金魚、小鳥、アヒル、カニ、、ヤドカリ、イソギンチャクと、様々な生き物を飼ったり、子供部屋を一人黙々と増築していた姿は、今でも目に心に焼き付いている。(犬猫は状況が許さなかった!?!が、今年も金魚の卵が孵ったとか言っていた。ちなみに、我家の主人も金魚とメダカの世話に追われている)気が付けば、一人の先輩、そして、大先輩夫婦として見ている。いつか自分も、夫婦二人の暮らしになる日が来るのか・・・今年も年に一度の里帰りが叶うなら、大先輩の日々の暮らしを勉強させていただくつもりだ。
Jun, 16
Wednesday

 『ER』にはまって、もう何年になるだろう。今年も4月からBSで見ている。善と悪、善意と悪意が交差し絡み合うスピーディーな展開を最近は家族で見ている。手術シーンを見るのもきつかった自分が、今では何とかついていっている。(笑)人の運命は、偶然の重なり合い。喜びも悲しみも一瞬の、善意や悪意が連れてくる偶然が引き起こす。そのなかで、必死に、ほんの少しでも笑顔が多くなりますようにと、身を削って頑張っている人たちがいることを、この番組を見ながら自覚する。善は悪を上回る事は出来ないのかもしれない。現実は、もしあの事がなかったら・・・・そんな風に考えたくなる、愚かで、浅はかで、痛ましく、悲しい事件の繰り返しが多すぎる。少し前のERでは、時間をどんどん遡る演出をしていた。初めはとってもわかりづらかったが、途中から「こんなことさえなかったら、こんな人に会わなかったら、こんなところに行かなかったら・・・等々自分も考えることがある」と、頷きながら見いっていた。

 大好きな中島みゆきさんの唄で
 とても詩が好きな「泣かないでアマテラス」と言う唄がある。
  
  『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  悲しみは誰をも救わない 憎しみは誰をも救わない  
  私には何もない 与えうる何もない 
  君をただ笑わせて 負けるなと願うだけ
  ・・・・・・・・・・・・・・・・
  地上に悲しみが尽きる日は無くても 
  地上に憎しみが尽きる日は無くても 
  それに優る笑顔がひとつ多くあればいい 
  君をただ笑わせて 負けるなと願うだけ
  ・・・・・・・・・・・・・・
  泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
  泣かないで、泣かないで、泣いて終らせないで。

 この曲は、落ち込んできた時の自分の応援歌。悪意に凹んでしまいそうになった時、歌う歌。人間の善意を信じたくて口ずさむ歌。テレビで、橋田幸子さんがモハマド君を、いとしそうに抱いている姿を見た。そして、この詩を思い出した。
Jun, 9
Wednesday

野茂の20日振りの登板試合を見て、NLBを見て・・・最近、時間が許す限りスポーツを見ている。どうにも身体や頭が動かない自分に元気をくれるのは、懸命に頑張っている人たちの姿。そして、先日の小学生同士の痛ましい事件のことが、いつも頭から離れないから、よけいスポーツを見るてしまう・・・バスケットボール部をやめて荒れてたって聞いた・・・・娘がめいっぱい頑張っていた部活が廃部になった時の事を思い出す。小さい頃から「暇だ、つまんない」を口癖のように言っていた娘、受験のプレッシャー、友達との難しい関係、異性や自分の性等結論が出ない事を、沢山考える時期だから、本当に心配で、エアロビやテコンドーに連れて行ったりと、疲れてぐっすり眠れるようにと毎日考えていた。「暇だ」とホームページに書き込んでいたと言う彼女の事を思うと他人事とは思えない。自分が小学5,6年の頃は、夕方まで校庭や家の周りで、ドッジボールや、缶けり等とにかく体を動かして遊んでいた。お習字塾と勉強も少々していたけれど、「キイハンター」を見ちゃ〜おてんば!(ハントウ棒の一番上からぶら下って、飛び降りた時は膝がジーンとしたっけ。)<ひまわり>と言う遊びも大好きだった。女の子特有の束縛が嫌いで、男の子とばかり遊んでいた自分は、あのスピード感と、駆け引き、弱い子、足の遅い子も皆でゴールできるように作戦を立てるこのゲームが大好きだった。今でも広場があったら自由にひまわりを書いてあのゲームをしたいと思っているくらい。骨折した子もいたが、激しいゲームの中でのことで、特に問題にはならなかった。うるさい大人が禁止といっても、子供はそう簡単に自分の特権を手放しはしない。校庭で何もなくても、仲間が集まって何時間でも遊べたのは、もう遠い昔の事になってしまった。大人の手無しには、安心して校庭遊びもできない時代、運動するにもお金がかかる時代。どうしてこんなに変わってしまったのだろう。
 機械だけ預けておけば大人は、子育てが楽に出来るのか?逆!絶対にそんな事無い。大人の自分も感じてる。人は人の中にあって人間。血の通ったつながり、心の通った付き合いがなかったら、涙も出ない(息絶えた友人の側で、ただ黙っていられるような)人がどんどん増えていくだろう。「バトルロワイヤル」をどんな思いで見るか、何を感じられるか、どう受け止めるか、それが問題、大事。作品の中の学生は自分からバトルゲームをしに行ったわけじゃない!同世代の子供が、平気な顔で見ていたら、何処か病んでいると考える。小学生がR―15指定を見ていたとしたら、違法の罰は親が受けるべき?!
 大人の努力無しには子供は育たない!両親を見ていて、祖父母を思い出して確信する。だから自分も手を抜けない、気が抜けない。だから今晩も、テコンドーで仲間と汗を流し、脛に痣を作って、サッカーの試合を見て、元気を貰う。
April,18
Sunday

 小一時間、芝生の草取りをする間、一人、想像の世界に入り込む。そういえば、以前、野際陽子さんが「草取りは面白い!」と話していたっけ、「野際さんも言ってたし、草取りもまんざらじゃあないね〜(^。^)」と、自分に言い聞かせる。お次は、愛読書『星の王子様』のバオバブの木の話。「大きなバオバブも、はじめ小さかったんだよ」「きちょうめんにやればいいことだよ。・・・・・とてもめんどくさい仕事だけど、なあに、ぞうさもないよ。」王子様も毎朝やってたこと、ぞうさもないさ!(-_-;)しかし雑草はいっこうに無くなる気配はない。その多さに少々興奮してむしり始めると、いつしか、気分は仁義なき戦い?!「ここは芝生の領分だい。入ってくんじゃねぇ!」鎌を持つ手に、異様に力が入る。芝か雑草かわからぬ地帯へ突入すると、遂にやぶれかぶれの掃討作戦開始!気が付くと、芝はあちらこちら土が・・・それでもちらほら、タンポポや白や青の小さな花が、何もなかったように可憐に咲いている。来週もまた戦いが始まる・・・。雨降らないかな・・・。
April,14
Wednesday

 「昭和の劇、脚本家 笠原和夫」と言う本を、やっと読み終えた。昨年深作欣二監督の対談集を読んでから、図書館で探してやっと取り寄せてたもの。千葉真一さんの作品の中でも、幼い頃からずっと見たかった”小沼正”役「日本暗殺秘録」を初めて見たときから、脚本家、笠原和夫氏の事がもっと良く知りたくなった。千葉真一さんの最も印象的な役”大友勝利”の「仁義なき戦い、広島死闘編」が、笠原和夫氏と、深作欣二監督の作品だということもあって、当時のエピソードを読めたらとも思って読み始めた。二冊とも映画制作の裏側が見えてとても面白かった。笠原氏の本は、自分の知らない『昭和』が書かれ歴史の本のようでもあり、戦争の話ではなかなかページが進まなくて困った。(苦笑)映画の作り方が、変わってくる中で、二人が活躍してきた『昭和』と言う時代の映画をもっともっと見たくなった。やっと少しずつ、見に行けそうと思っていた矢先、立て続けに上映していた映画館(新宿昭和館、自由ヶ丘武蔵野館、中野武蔵野ホール)が消えてしまった。寂しさが募るばかり。時代が平成になってもう15年が経ったけれど、私は『昭和』と言う時代の”元気”や”力強さ””明るさ”に、今、とても憧れている。もっと昭和の映画が見たい!
 March,14
Sunday

 「旅立ちの日に」と言う歌の事がテレビで特集されていた。卒業式で何度も聞いては泣かされてしまう歌。昨年、2度の卒業式でこの歌に涙した。いや、いつでも、この歌の前奏が流れてくるだけで、私は、ウルウルしてしまう。「今(今)別れの時、旅立とう明日を信じて・・・」(間違えていたら失礼!)この歌詞を聞いたら、鼻がツ〜ンとしてきて、目の前がじんわり霞んでくる。「蛍の光」と「仰げば尊し」が私の卒業式の歌だった。昨年の長女の卒業式では、もう一曲「旅立ちの時」が見事な男女の二部合唱で、最後に歌われた。娘達を羨むくらい、とても好きな卒業式の定番のこの歌が、実は13年前に、荒れていた学校を立て直そうと奮闘された埼玉県のある中学校の校長先生と音楽の先生が、「卒業生を送る会」の為に作ったものだと、初めて知った。一小節聞いただけで、心に染みて来るのは、きっと先生の生徒達への思いが沢山詰まっているからに違いない。昨年聞いた、セーラー服姿の生徒達の嗚咽が混ざった大合唱や、様々な衣装のホール一杯の卒業生達の素晴らしいハーモニーは、今も鮮やかに私の記憶の中に蘇ってくる。
February,15
Sunday

 別役実、作の「マッチ売りの少女」と言う舞台をテレビで見た。高校時代演劇部にいた時から聞いていた名前だ。一緒に見ていた高一の次女は彼の名前も知らないし、イマイチ解からないと不評。解かり安い説明の多いドラマや映画の見すぎかと、少々不安になる。長女もきっと同じような事を言うのだろうか。暗い題材、説明なしのストーリー展開は子供達には、イマイチなのか・・・と、ふと不安になる。自分で考える事、それぞれの立場になって考える手間と時間を、大切にしてほしいと思う。
January,25
Sunday

あっと言う間に、今年も、千葉真一さんのお誕生日も、野際陽子さんのお誕生日も、過ぎてしまった。(ちなみに私の誕生日は、お嬢様樹里差のお誕生日と一緒!)今日、野際さんと樹里の旅の番組を見ていたら、最後に樹里さんが言っていた言葉が印象に残った。”自分は父と似た考え方で、大きな目標を追って行く所があり、以前、母の考え方が理解できなかった。母は、明日は今日よりも少しずつ進歩して・・・と言うような考え方で・・・”と、話ていた。自分自身、学生時代から、身一つ、いつも夢を追いかけて生きていきたいと思っていた。母親になり、姑の介護生活も始まり、身動きが取れにくくなった時、無理せず自然体で、ゆっくりと少しづつ、今、時分ができることからちょっとだけでもも先へ行こうと思うように、いつの間にか変わってきた。千葉さんから野際さんへ、自分の考え方の変化に、改めて気がつかされた彼女の言葉だった。
2004.
January,1.
Thursday

      明けましておめでとうございます。
 又、誕生日が来た。自分の誕生部は、本当に簡単。年号で計算するのは一苦労でも、ビートルズ来日の年と計算すると簡単!?最近、「50代はすっごくいい!」と、桃井かおりさんや中村雅俊さんが言っていたのを聞いて、自分もいい50台が迎えられたらと思いつつ、今年一年大切にに過ごそうと思っている。
 正月のおせちは、嫁に来て亡きお姑さんに味見してもらいつつ覚えたもので、素材一つ一つ煮ていく。料理本で読んで作り出したものもある。お雑煮は、すまし汁で、大根、里芋、小松菜、寿鳴門に、お持ちを焼いて入れて食べる。里芋は”子”を増やす、小松菜は”名”を成す、大根は・・?思い出せないが一つ一つ意味があって、お姑さんに教わっていたのに思い出せない。孫には、伝えたいと思っていたのに。隣の叔母に今度聞いてみよう。食は文化、自分が消えても味を伝えていけたらと思う。ちなみに2日の朝の雑煮は、毎年、鶏がらスープの醤油味。鶏肉の入ったの、秋田の実家の母が作ってくれた、お雑煮です。
 今年一年、悲しみよりも、笑顔が多い年になりますように!
tik's  2003 Diary
December.17
Wednesday

 昨夜、「俺たちの旅」−三十年後の運命−を見た。特番3作目にして、子供たちに邪魔されず、初めてしっかり見た。久しぶりに涙が大決壊状態。思春期にめいっぱい影響され、(中村雅俊ファンになり、ギターもこのころ始めた?!)30年経って気が着けば、自分のモットーが、実は(中村雅俊演じる)”カースケ”の言葉と同じだった事を、再確認した。人生は楽しいもの。生きてるって楽しい事。何かの、誰かのせいにして、自分の一生をつまらないものにするなんてもったいない。頑張っていれば誰かが手を差し伸べてくれる。友の大切さ。金沢碧さんの演じる”ようこ”は、この歳になって?!ますます憧れが強くなる魅力的な女性だ。
December.3
Thursday

 今日、アルツハイマーの人と、どう付き合っていくか、と言う番組を見た。どんどん消えていく記憶を、思い出す手助けを、傍で一緒に時間を過ごしている人が、声を掛けて手伝ってあげる、思い出すためのヒントを、二人で過ごした時間の記憶の中から、病人に伝えてあげる事がどんなに患者さんの気持ちを勇気付けるかを、番組は伝えていた。 本人の不安を消して気持ちを落ち着かせてあげる事は、傍にいつもいる人間も、又、不安に打ち勝つ事だと思った。以前は、若すぎて、パーキンソン病の症状が不安定だった姑の、記憶力の変化にビビッて不安で堪らなかった。姑に本当に申し訳なかったと思った。 ある日、母の訓練になると思い病院から自宅に電話をかけてもらった。何度も間違えてしまう姑と途中で代わったが、今思えば、もっと手伝って、あげていれば一人で、電話をかける事も出来たのではないか?「頑張って!思い出して!」の言葉は、苦しめたに違いない。 傍で一緒に時間を過ごし、こんな事あったんだよと言いつつ、解からなくなる不安を、そっと軽くしてあげる事、それがアルツハイマーやボケの患者さんを、介護する事の基本だとよく解かった。 「何もわからなくなっても、愛を感じることは出来るのです」この言葉は、忘れない!
November.20
Thursday

 昨日の、カメルーン対日本のサッカーの試合は、いつもながら、シュートの拍手が出来ない残念な思いがつのった試合だった。ゴール前「シュウウウウッ?!」で、切れる悔しさ。誰が、何が、悪いとかでなく、ただ一つの願いは、誰か、シュート入れて〜!ゴールネットを揺らしてくれ〜。勝利の女神様はまだご思案中か?!
November.13
Thursday

 昨日、初めて、甲野善紀さんと言う方の古武術を見た。興味深々。やってみたくなってしまった!自分の身体を、少しづつ確認しながら動かし、新しい動きが出来る様になることは、私にとって、喜び、そしてささやかな感動の瞬間。二年前、テコンドーの後ろ回し蹴りは、自分にとって夢のまた夢だった。毎晩、キッチンで試して?!少しずつ身体の動きが自分なりにわかって来た。そして、最近、ミットにあたるようになった。感激!!ほとんどの人がすぐ出来る中、自分は亀の歩み。でも、少しづつ続けていくと、身体が、頭が、ちょっとずつ変化していく。それを実感できた瞬間が快感!その快感が味わいたくて、年齢を忘れ、すぐ何かに挑戦したくなる。
November.8
Saturday

 「木更津キャッツアイ、日本シリーズ」を次女と一緒に見て大爆笑!そして、ホロリ。テレビシリーズ見てなくても付いて行けてホッ。(次女が解説してくれました。)やっぱり皆で騒げる映画はいいな〜と実感。前売り券が後もう一声安くなってくれたら、大満足できるのに。
「普通に生きればいいんだよね」うん、うん。
November. 4
Tuseday

 毎晩、バレーボールのワールドカップをテレビ観戦している。昨日の韓国対日本の試合は本当に、胸が熱くなった。両国選手の諦めない粘りは凄い!そして私の横で選手の名前を呼びながら手のひら真っ赤にして、会場にいる人以上の迫力で応援している次女の迫力に脱帽!二人で熱烈応援の夜はまだまだ続く・・・
November. 1
Saturday

 ついに公開に辿り着いた。見切り発車的公開!?
何とか「Kill Bill」の興奮冷めやらぬうちに公開できた!