楽語びより

                                                東京都内
                                                高島彩アナ・千野アナ

第19回 お盆、里帰り、命のふるさと

吾郎「おはようございます、稲垣吾郎です。
   今朝は、お盆休みでふるさとに帰省した際に感じる
   家族の絆や命のつながりをテーマに
   4作品をご紹介します。」

朗読1 「人間に与える詩」山村碁鳥
      (「風は草木にささやいた」白日社)
明治17年、群馬生まれ
明治41年聖三一神学校卒業。聖公会伝道師として各地に転任
萩原朔太郎、室生犀星とともに人魚詩社を創設

朗読2 「いのち」関洋子
      (「卵の形」泰光堂)
       朗読・高島彩
昭和11年、長野生まれ
東京都の八幡学園やはた幼稚園の主事をするかたわらで詩作を続ける
主な詩集「あなたが好き」「野うさぎの詩」など

朗読3 「岡本太郎から父、一平に宛てた手紙」
      (「母の手紙」より 婦女界社)
「昭和14年、フランス、ソルボンヌ大学に留学中の画学生の元に
日本で暮らす父親から電報が届きます。
  カノコヤスラカニネムル キヲオトスナ
  ボクハキミノタメニイキル
  スコヤカニアレ クルシケレバ デンウテ
画学生の名は岡本太郎、父親の名は岡本一平。遠いフランスの地で、母カノコの死を
知らされた太郎は数日間の苦悩の末、その手紙を父に宛てました。」

朗読4 「誕生」中島みゆき
      歌・中島みゆき
      朗読・高島彩

吾郎「僕の誕生を父と母が祝い、
   その両親の誕生を祖父母が祝っていました。
   何百年も何千年も繰り返してきた誕生の奇跡が、
   一つの命でつながっています。」
第20回 まばゆい 恋ごころ

吾郎「おはようございます、稲垣吾郎です
   今朝は、8月の景色を揺らす陽炎のように
   まぶしく、淡い、夏の恋をイメージさせる
   4篇の作品をご紹介します」

朗読1 「愛のはじまりを予感する時」銀色夏生
      (「あの空は夏の中」角川文庫)
昭和35年、宮崎生まれ
昭和58年沢田研二の「晴れのちBLUEBOY」で作詞家としてデビュー
他に斉藤由貴、松本典子などに詞を提供
主な詩集 自らのイラストと詩で構成した「黄昏国」など

朗読2 「倒さの草」小山正孝
      (「雪つぶて」潮流社)
      朗読・高島彩
大正5年、東京生まれ
教科書の編集、大学教授などの経歴をもつ
一方、高校時代から詩作を始める
主な詩集「雪つぶて」「逃げ水」など

朗読3 「カブトムシ」AIKO
歌・aiko
      朗読・高島彩

朗読4 「芥川龍之介の恋文
         八月二十五日朝 一の宮町海岸一宮館にて」
「大正5年の夏、まだ無名であった25歳の芥川龍之介は1通の恋文を書きました。
その相手は、17歳の女学生・塚本文。2人はそれから2年後に結婚
この恋文がプロポーズの言葉となったのでした。」

吾郎「羅生門で知られる、あの文豪・芥川龍之介さえも
   人を好きになると、私たちと同じように非常に
   人間味あふれた恋文を書くんですね
   なにか、とても優しい気持ちになりました」
第21回 強く生きる

吾郎「おはようございます、稲垣吾郎です
   今回は、悲しい時や辛い時に
   生きる勇気を与えてくれるような
   4篇の作品をご紹介します」

朗読1 「雨ニモマケズ」宮沢賢治
      (自筆の手帳より)
明治29年、岩手県生まれ
主な作品「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」など

「雨ニモマケズの作者・宮沢賢治は明治29年、岩手に生まれました。
家業は農家に金を金を貸し、取った質種を別の農家に売るというもの。
この家業を嫌った賢治は、教職に就き、農業の研究に没頭
その後、自らも農業の道に入りますが、思うような収穫は得られませんでした。
そして32歳の時、病に倒れ、昭和8年、37歳という若さで他界
遺品の中から発見された雨ニモマケズは、賢治が病床で書いたものでした。」

朗読2 「自分の感受性くらい」茨木のり子
      (「自分の感受性くらい」花神社)
      朗読・高島彩
大正15年、大阪生まれ
学生時代は劇作家を志すが、結婚後の昭和23年頃から詩作を始め
28年「櫂」を創刊。主な詩集「見えない配達夫」「鎮魂歌」

朗読3 「I'm proud 」小室哲哉
      歌・華原朋美
      朗読・高島彩

朗読4 「何のために生きるか−私の場合」田辺聖子

昭和3年、大阪生まれ
昭和38年「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」で芥川賞を受賞
主な作品「女が愛に生きるとき」「鎮魂歌」

「昭和3年、大阪に生まれた田辺聖子は、終戦後、地元の金物問屋に就職
その傍ら、投稿生活を続け、昭和38年に芥川賞を受賞
以後、女流文学賞、菊池寛賞など、数々の栄誉に輝く作家として
現在も活躍する人物です。」

吾郎「人に愛されるために努力をする
   人を愛すために努力をする
   それは、とても素晴らしい生き方だと思いました」


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