*資料紹介(1)〜2000年7月まで〜*


○一般/○法律関係 /○医学関係 /○報道関係
 
 

○一般
 

特集アスペクト〈81〉 ドナー・脳死・臓器移植―日本における移植医療の「現在」
黒川 清 厚生省公衆衛生審議会臓器移植専門委員会委員長 協力
アスペクト (2000-02-04出版)  223p 21cm(A5) NDC分類:490.15 本体価:\1,200
ISBN:4757206747

1999年に4例の脳死・臓器移植が実施されたことをもとに、脳死・臓器移植に関する知識・情報を
まとめたもの。
黒川清氏への巻頭インタビューから始まっており、 臓器移植専門委員会委員の氏名・役職の表もある。
脳死、脳死判定、臓器移植の歴史、諸外国の移植事情、レシピエント登録、移植後の生活、
臓器移植ネットワークの役割・組織構成・財源と支出、移植コーディネーターへのインタビュー、
意思表示カード、臓器摘出承諾書、骨髄移植・皮膚移植・骨移植・心臓弁移植・血管移植、その他。
巻末の関係資料に、臓器移植施設名簿、世界の臓器移植関連法の紹介(法律名・臓器を提供できる
条件・死亡判定者・記録・臓器摘出の実施者等)がある。
現状ではまだ移植医療の定着までに努力が必要であるという意識で全体が記述されているが、
移植医療の未来というテーマでは、インタビューを受けた寺岡慧氏(東京女子医大教授)が、
臓器不足になるのは目に見えているので、人工透析や移植が必要な段階に到る前での予防医学や、
治療医学の確立が重要である、と述べている。
 
 

厚生労働省厚生科学審議会(旧厚生省公衆衛生審議会議事録
 
 

(社)日本臓器移植ネットワーク
 
 
 
 

○法律関係
 

臓器移植法ハンドブック
・中山 研一・福間 誠之編
日本評論社 (1998-03-10出版) 263p 21cm(A5) 本体価:\3,000
ISBN:4535511373
臓器移植法案の成立の経緯・臓器移植法の性格と特色の解説、
臓器移植法・省令とガイドライン等の内容の逐条解説、
心臓移植シナリオ;移植医療への影響と問題点についてのQ&A、
資料として、臓器移植法施行規則(厚生省令)および関連書式例、
臓器移植法の運用に関する指針(ガイドライン) ほかが収録されている。
 
 

臓器の移植に関する法律(平成9年7月16日 法律第104号)
 
 

資料・生命倫理と法〈1〉
脳死と臓器移植 第三版
・町野 朔・秋葉 悦子編
 信山社出版 (1999-05-25出版) 377p 21cm(A5) NDC分類:490.15 本体価:\3,000
1997年に制定された臓器移植法、制定前に提出された法案や日本弁護士連合会の意見書などの資料、
「生命倫理懇談会・脳死と臓器移植問題研究チーム・臓器の摘出に関する法律(試案)」(平成3年11月20日)、
その他の関連資料、臓器移植関連の判例等が収録されている。
「第四章 脳死」では、
「日本医師会生命倫理懇談会・脳死および臓器移植についての最終報告」(昭和63年1月12日)、
「日本法医学会脳死に関する委員会・報告-脳死と個体死-」(昭和63年)、
臨時脳死及び臓器移植調査会答申脳死及び臓器移植に関する重要事項について〔脳死臨調最終報告〕」(平成4年 1月22日)、
「日本移植学会理事会・脳死臨調最終答申に対する見解」(平成4年1月)、
「日本救急医学会理事会・脳死体からの臓器提供について-脳死臨調答申を受けて-」(平成4年1月28日)
等の脳死の概念についての見解、
「厚生省科学研究費特別研究事業『脳死に関する研究班』昭和六〇年度研究報告・脳死の判定指針および
判定基準〔竹内基準〕」(昭和60年12月6日)、
および、竹内一夫・武下浩他の諸氏による、その補遺が収録されている。
 
 
 

成文堂選書〈14〉 脳死論議のまとめ―慎重論の立場から
・中山 研一著
成文堂 (1992-05-01出版) 316p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\2,427
ISBN:4792312760

「日本医師会生命倫理懇談会・脳死および臓器移植についての最終報告」(昭和63年1月12日)、
臨時脳死及び臓器移植調査会答申脳死及び臓器移植に関する重要事項(中間意見)について
平成3年1月22日)、
臨時脳死及び臓器移植調査会答申脳死及び臓器移植に関する重要事項について〔脳死臨調最終
報告〕」(平成4年1月22日)、
立花隆著「脳死再論」、
加賀乙彦編「脳死と臓器移植を考える」、
竹内基準
特に、脳死臨調については、多数意見・少数意見それぞれについて、詳細に検討し、問題点を指摘している。
脳死を人の死と認める脳死説と従来の伝統的な心臓死説との対立点、死の定義、脳死と医学的な死、
脳死と社会的な「人の死」、脳死の判定基準をめぐる問題、脳死の社会的合意とその意味、
脳死と患者・家族の意思、死の自己決定、死亡時刻の決定、違法性阻却論、
等、脳死と臓器移植に関する法的な問題点を網羅的に列挙し、検討している。

「(脳死臨調の多数意見では、)
従来の三徴候説のうち、呼吸停止が人工呼吸器によって変動し、将来人工心臓が開発されれば心臓停止
も基準たりえなくなるとすると、死の基準を考え直す必要が生ずるとした上で、医学的に見た『人の死』とは、
有機的統合体としての身体各部を統合する脳の機能が不可逆的に失われたとするのが合理的な判断で
あって、それが現在の医学界における多くの考え方であるとの指摘がなされている。」(p.265)

「脳幹死・大脳死・全脳死という区別についても、医学はその機序の解明はなしえても、
そのいずれを『人の死』とすべきかは医学的実証をこえた社会的な評価の問題である」(p.266)

「全脳の不可逆的機能停止の判定は、身体各部を統合する脳の主機能の不可逆的な喪失を
臨床的に判断すること」である(p.266)

(内容の一部の要約)
脳死判定や人工呼吸器のとりはずしに、患者や家族の同意を必要とすると、脳死を個体の死と認めない
人に対して配慮するという点ではよいが、こうすることによって、客観的には同じ脳死状態であるのに、
患者または家族がこれを認めるか認めないかによって、死の判定基準と死亡時刻が変わるということに
なりかねない。
臓器移植を認めるかどうかは本人や家族の意思に任せてよく、それについては自己決定権に任せるべき
である。
 しかし、脳死を死と認めるかどうかも本人や家族の意思や自己決定権に任せてよいかどうかということは、
全く別の事柄である。
もしも、後者を認めると、生と死の区別が客観的に定まらず、当事者の意思によって決まるということになる。
そうすると、たとえば、植物状態ですでに死であると認める大脳死説の立場に立つ患者から臓器を摘出する
ことも認めてもよいということになりかねない。
それゆえ、生と死については、個人の意思を越えた客観的な基準が前提とされなければならない。
また、脳死を死とするが、反対の人には拒否権を認めるとした場合に、脳死を認めない人には心臓死を
死亡時刻にするというのであれば、同じ脳死状態の人のあいだで、当事者の「受容」によって二つの死を
認めることになり、反対に脳死を死亡時刻とするのであれば、死体に対する治療を認めることになる。
 
 
 
 

○医学関係
 

手術室の中へ 麻酔科医からのレポ−ト
弓削孟文著
集英社新書 集英社 2000/04出版  18cm 222p NDC分類:494.2 本体価:\660
ISBN:4087200302

(内容の一部の要約)
手術とは人間のからだに加えられる「侵襲」であり、輸血は臓器移植である。そして、麻酔そのものも
生命体への侵襲である。
手術のために全身麻酔をかけられた人は、中枢神経機能が抑制されるので、自発呼吸ができなくなり、
人工呼吸器をつけ、のどに異物が入っても咳をして吐き出すことができなくなる。脳視床下部からの
ホルモンの分泌も抑えられる。もちろん、痛みがなく、痛み刺激に反応しない。
ただし、麻酔の大前提は可逆的である、ということである。

立花隆の『脳死』を読む前に、この本を読んでおくと、脳死状態を理解する上で参考になる。
 
 
 

脳死
立花 隆著
中公文庫  中央公論社 (1988-11-10出版) 560p 15cm(A6) NDC分類:490.15 本価:\932
ISBN:4122015618

脳死とは何か、脳死判定とは何かについて、これ一冊で基本的な知識を得ることができる。
以下のキーワードは、他の脳死・臓器移植関係の本でも登場する。
この本で図や表を使った詳しい説明を読んでおくと、他の本を理解するのに便利。
辞書代わりにも使える。

心臓死
植物状態
浮腫
血管攣縮
脳波学会
判定対象
急性一次性粗大病変(脳挫傷・脳出血など)
脳死
脳死判定
脳死判定基準
竹内基準
不可逆的な全脳機能の停止
器質的変化
脳の自己融解
脳幹死
全脳死
脳幹反射
除脳姿勢
聴性脳幹反応
脳血管撮影
CT
PET
SPECT
深昏睡
グラスゴー方式
 

立花隆の脳死と臓器移植についての基本的な考えは、以下のようである。

○脳は、個々の人間のアイデンティティの最終的なよりどころたる臓器である

○蘇生例の有無が脳死判定基準の正しさの証明にはならない

○脳死判定は、何のための脳死判定かという、脳死判定の目的と切り離して論ずることはできない

○脳死判定を患者の予後診断と加療方針の決定のためにだけなすのであれなら、
   脳死を機能的に定義し、機能チェックによりそれを判定するだけで充分である

○いかにその目的が善意のものであっても、その肉体に対して臓器摘出といった恐ろしい暴力をふるうことが
   許されるのは、絶対的確実性をもって脳の死が確認されたときである

○脳死の判定にあたって、死んだ人を誤って生きていると判断することはあってもよいが、
   生きている人を誤って死んでいると判断することだけは絶対にあってはならない

○脳死が個体死と認められないかぎり、脳死者からの臓器移植は殺人行為になる

○脳死を個体死として認容することに踏み切った社会は、すべて、従来の社会の死の定義を変更して、
   脳死を死の中に繰り入れる手続として正規の立法機関で立法措置を講じるか、あるいは、医学界内部で
   医プロフェッション総体としてその変更を認容する手続を踏んでいる

○脳死が人の死であることに納得できない人には、古典的な死の概念にもとづいて行動する権利を
   保障しておくべきである

○脳死を死と認めるにしろ、認めないにしろ、医者の脳死判定に対して、
   患者側が、より厳密な確認検査を求める権利を保障するべきである

○脳死判定から、臓器摘出手術の開始まで、24時間の時間を置くべきである
 

「先にも述べたように、脳死は人工呼吸器なしには発生しない。そして、人工呼吸器が発達したのは、
1950年代に入ってから、朝鮮戦争を契機としてなのである。50年代後半に、朝鮮戦争で急激に発達した
人工呼吸器が一般の医療現場にも積極的に導入されるようになったとき、人工呼吸器を使用している
重篤な患者の中に、たしかに心臓は動いているが、どう見ても生きている徴候が全く見られない患者が
観察されるようになった。
そういった症状に対して、'coma depasse'(行きすぎた昏睡、超過昏睡)とか、卑俗には
『力強く脈打つ死体』といった表現が用いられるようになった。
その後さまざまの表現が学者によって提案されたが、
『脳死』(brain death)という表現が出てくるのは、バーナードの心臓移植の翌年、1968年のことである。
しかし、この表現がただちにポピュラーになったわけではない。同じ1968年に定められたハーバード大学の
『脳死』判定基準においては、'brain death'ということばは用いられず、'irreversible coma'(不可逆昏睡)
ということばが用いられている。」(p.44-45)
 
 
 

脳死臨調批判
立花 隆著 (初版 中央公論社  1992年9月)
中公文庫            中央公論社 (1994-06-10出版) 325p 15cm(A6) NDC分類:490.15 本体価:\686
ISBN:4122021081

脳死臨調とは、1990年に設置された、臨時脳死及び臓器移植調査会のことである。
この調査会は、1992年に、「脳死及び臓器移植に関する調査事項について」という答申を出した。
本書は、巻末にこの答申の全文を載せ、本文で立花隆が批判意見を述べている。
脳死臨調の問題点について明確に指摘している。
ただし、著者がまえがきで断わっている通り、始めから一書として編まれたものではなく、随時発表された
ものをまとめたものなので、重複する文章も幾つかあり、前著「脳死」のようにこれ一冊で脳死について
基本的なことがすべて分かるといったような、網羅的で完成度の高い書物ではない。
ただし、「第七章 視床下部を無視してもよいのか」は、前著「脳死」であまり触れられていなかった、
「視床下部の生き残り」の問題について詳しく述べられており、前著の補遺として読んでもよい。
 
 

人体再生
立花 隆著
中央公論新社 (2000-06-10出版) 238p 21cm(A5)  NDC分類:491.4 本体価:\2,200
ISBN:4120030083

「ぼくはなぜドナーカードに署名したか」で、臓器移植法についての考えを述べている。
「ドナー本人の明確な意思表示を移植の要件にした(つまり、家族の同意だけではだめ)」
ことを賞賛すべきこととしている。しかし、
「本人の意思表示があっても、家族の同意がなければ、本人の意思に沿った決定がなされない」
ことをおかしいと述べている。
立花隆は、脳死を人の死と考えていて、心臓死も脳死をもとに再定義するべきだと述べている。
また、日本で移植医療がなかなか進まないのは、ドナーカードが普及しなかったからであると考えている。
ドナーカードの書式がまた、わかりにくくて面倒くさい。
「脳死でも、心臓死でも、どの臓器でもいい」という人が簡単に丸一つですませられるような項目がない。
などの批判をしている。
 
 
 
 

脳死移植
NHK脳死プロジェクト【編】
日本放送出版協会 (1992-04-30出版) 252p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\1,165

脳死臨調が非公開であったことに対し、"開かれた脳死討論"を目指して制作・放送した「NHKスペシャル」を
まとめたもの。脳死臨調の争点やメンバーの意見、台湾での死刑囚からの移植、USAでの移植、
ドイツでの「臓器移植法」施行前の移植、脳死妊婦の出産などについて紹介している。
 
 
 

新々見えない死―脳死と臓器移植 増補最新版
・中島 みち著
文芸春秋 (1994-09-15出版) 373p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\1,748
ISBN:416349250X

1985年に出版された「見えない死」の増補最新版。
和田心臓移植事件(1968年)・筑波大病院膵腎同時移植(1984年)、および、九大病院肝移植(1993年)
等について、臓器提供者の遺族や移植関係者への取材をもとに、検証している。

「九大病院肝移植」では、1993年10月4日未明に、気管支喘息の持病のある男性が自宅で昏倒して
頭を強打し、大阪府立千里救命救急センターで、21日午後4時に「脳死」、22日午前5時に「心停止」、
肝臓、腎臓二つ、膵臓、眼球二つ、大動脈、皮膚を摘出された。
家族は、脳死判定後、医師から献体を申し入れられた、と理解して承諾したが、その翌日、病院に行くと、
移植コーディネーターがおり、コーディネーターの指導のもとに、「臓器組織提供承諾書」に署名した。
臓器摘出を担当した医師は、脳死状態からではなく、心停止後の摘出であると主張している。
頭を打ったことと脳死の間に因果関係があると、刑事訴訟法により、検視をしなければならないが、
医師が、病死としたので、検視は行なわれなかった。
患者は生命保険に加入していたが、死因が「気管支喘息集積」とされたため、保険金が支払われなかった。

巻末には、「生命倫理研究会・脳死と臓器移植問題研究チーム」が1991年11月20日に発表した、
「臓器の摘出に関する法律」(試案)がある。

著者が原点という、1985年版「見えない死」の序章より

「脳死とは、見えない死である。
 医師以外の誰にも、見えない死である。生きているのか、死にかかっているのか、すでに死ん
でしまっているのか、どんなに見つめても、見えない死である。
 人は長いあいだ、呼吸がとまり、心臓の拍動がとまり、もはやそれが元に戻ることのない時点
をもって、死としてきた。肺の死、心臓の死、そしてさらに瞳孔が開いて脳の死を知る三徴候死
は、誰の目にも、見える死であった。
 しかし、人工呼吸器という蘇生機器の発達により、死の情況に変化が起きた。
 脳が死ねば、まもなく呼吸停止、心臓停止となるところを、機械が呼吸を代行して、生命の中
枢と考えられる脳の死後も、ある程度の日数、心臓というポンプの役目をする臓器を生かしてお
くことができるようになった。心臓が動いて、血液が循環していれば、脳は死んでいても、各臓
器は生き続ける。脳死状態とは、人工呼吸器によって作り出されたものである。」

 
 

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
柳田 邦男著
文春文庫 文芸春秋 (1999-06-10出版) 294p 15cm(A6) NDC分類:916 本体価:\495
ISBN:4167240157

著者の息子洋二郎氏は、25歳で鬱病に苦しんだ末に自殺を図った。脳死状態に陥った洋二郎氏を介護した
著者とその家族の11日間の記録である。洋二郎氏は生前、骨髄バンクにドナー登録していたが、骨髄提供を
果たさないうちに脳死状態になっていしまった。著者は洋二郎氏の果たされなかった意思を実現するため、
心臓停止後の腎臓提供を申し出る。
当時、臓器移植法はまだ施行されていなかったが、「角膜及び腎(じん)臓の移植に関する法律」いわゆる
角腎法により、本人の生前の意思表示がなくても家族の同意だけで心臓死後に腎臓を提供することができた。
医師や看護婦は暖かい助言をくれ、人工呼吸器をはずしたあとも、家族が声をかけると血圧が上がった。

命のボランティア〜骨髄移植とは?

角膜及び腎(じん)臓の移植に関する法律(1979/12/18法律第63号)
 
 

脳治療革命の朝(あした)
柳田邦男著
文藝春秋 2000/03出版 427p 20cm NDC:493.73 \1,857
ISBN:4163560106

日本大学附属板橋病院救命センターの林成之教授が改良し成果を挙げた脳低温療法について、幾つかの
実例を挙げて具体的に説明したもの。従来の蘇生限界点を先へ動かしたとされる。患者の家族の熱心な介
護や、事故発生時の救急搬送の連携プレーがみごとに行われた事例も挙げられている。一方、蘇生したあ
と、患者の社会復帰を促すリハビリテーションのできる病院や施設など社会的な援助の遅れも指摘している。
 

緊急発言いのちへ〈1〉―脳死・メディア・少年事件・水俣
柳田 邦男著
講談社 (2000-07-25出版) 225p 19cm(B6) NDC分類:304 本体価:\1,500
ISBN:4062101424
第一章「発言1 脳死者の尊厳を守るために」、第二章「発言2 メディアに新しい座標軸を」で、脳死状態の
人からの臓器移植について述べている。特に、救急医療・集中治療室でのターミナルケアの重要性について、
家族の看取りの時間と場を確保するための方法について、具体的にくわしく述べている。
また、現行の臓器移植法は、脳死と死と認めたくない人の権利を保障した優れたものであると評価している。
 
 
 
 

日常生活の法医学
寺沢浩一著
岩波新書 岩波書店 2000/08出版 18cm NDC分類:498.9 本体価:\660
ISBN:4004306876
異状死について説明し、脳死についても随所で触れている。

6歳以下のこどもの脳について、小児科医に確認したこととして、次のように述べている。

   「ふつうの心停止が五分も続けば脳に酸素が行かないため脳は活動できなくなって死んでしまう(脳死)。
    酸素を使ってブドウ糖からエネルギーを作り出しているためである(糖代謝)。一方、胎児は脂質と乳酸
    からエネルギーを作っている(脂質代謝)。生まれて空気呼吸を始めると糖代謝が始まるが、脂質代謝
    機能は六歳くらいまで残っているという。
    この機能は体温が三四度以下に下がると働き始める。それで心停止して酸素が供給されな くなっても
    脳の活動は停止しない。また冷たい水に体がつかっていれば体温が下がり、脳の温度も一緒に下がって
    脳細胞は死滅から免れる。」 (p.72-73)
 
 
 
 

脳死・臓器移植拒否宣言 臓器提供の美名のもとに捨てられる命
山口研一郎・桑山雄次著
主婦の友社 (角川書店主婦の友社 ) 2000/04出版  20cm 191p NDC分類:490.15 本体価:\1,500
ISBN:40722748

大阪府高槻市の病院に勤める脳神経外科医の山口研一郎と、山口医師に息子の治療を受け、後に
「頭部外傷や病気による後遺症を持つ若者と家族の会(若者と家族の会)」の会長になった桑山雄次
による、脳死・臓器移植はいずれは過去の医療になる、とするもの。脳神経外科医の山口医師による、
脳死はもとは脳不全といった、という説明は、立花隆とはまた文体が違うが、わかりやすい。

「しかしながら、心臓移植の波は止まることなく、特に翌年アメリカに舞台を移すと、
不可逆性昏睡(irreversible coma)』(ハーバード大学基準、1968年)、
脳不全(cerebral failure)
という文語が、いつの間にか
脳死(brain death)
に置き換わり、
『脳死には死という文字がついているから人の死亡を意味する』
と考えることに、人々は慣らされてしまった。」(p.13)

もう一人の著者桑山氏の息子敦至君は小学校2年生で交通事故に遭い、「遷延性意識障害」となった。
両親は懸命の介護を続け、言葉は話せないが、意思を疎通し、食事を口からとることができるように
なった。
桑山氏は大阪府教育委員会や新聞に働きかけ、敦至君は元の小学校に通学し、音楽を聞きながら
リハビリテーションをしている。
交通事故の被害者への補償を充分に果たせない保険制度や、リハビリテーションのための人員の
整わない医療制度、障害者が復帰しにくい社会、交通事故の多さなど、さまざまな問題を指摘している。
また、日本尊厳死協会の宣言書「リヴィング・ウィル」が、意識障害の人を介護する家族にとって、
社会的にマイナスの影響を与えることも指摘している。
 
 

脳死は本当に人の死か
梅原猛著
PHP研究所 2000/04出版 20cm 189p NDC分類:490.15 本体価:\1,100
ISBN:4569610102

「臨時脳死及び臓器移植調査会」の1992年の答申「脳死及び臓器移植に関する調査事項について」で
少数意見を述べた梅原猛の本。当時、一緒に少数意見を述べた、原秀男、光石忠敬、米本昌平らと
再び集まり、高知赤十字病院で行われた脳死移植の例をふまえ、また、2000年10月に行われる予定の、
臓器移植法の見直しを見据えて、
「現在は本人の意思がなければできない臓器移植が、家族の意思さえあればできる」という改正案を
批判している。
また、柳田邦男との対談もある。
巻末には、1992年の答申「脳死及び臓器移植に関する調査事項について」別添えの意見書全文
載せられており、梅原・原・光石・米本らの、当時の「臨時脳死及び臓器移植調査会」における少数意見を
読むことができる。
 

臓器の移植に関する法律 (平成9年7月16日 法律第104号)
 

「小児臓器移植」に向けての法改正――二つの方向――
町野  朔
 

研究課題:臓器移植の法的事項に関する研究 ―― 特に「小児臓器移植」に向けての法改正のあり方――

 町野 朔ほか、厚生科学研究費研究班

 
 

脳死の人 生命学の視点から
森岡正博(もりおか・まさひろ)著
法蔵館  2000.07 初版:東京書籍 1989年刊 分類:490.154 件名:脳死 00029900 本体2400円  20cm 271p
4-8318-5603-7
脳死後の臓器移植は、脳死身体の利用の一つである。
脳死の倫理問題とは、脳死の人と他の人との「共生」をいかに確立するか、という問題である。
としている。
 
 
 

医療倫理の夜明け―臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって
[原書名:STRANGERS AT THE BEDSIDE:A History of How Law and Bioethics Transformed
Medical Decision Making〈Rothman,David J.〉 ]
・ロスマン,デイヴィッド【著】〈Rothman,David J.〉・酒井 忠昭【監訳】
晶文社 (2000-03-10出版) 371,46p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\3,600
ISBN:4794964323
 
 
 

臓器交換社会―アメリカの現実・日本の近未来
[原書名:Spare Parts:Organ Replacement in American Society〈Fox, Ren´ee C.;Swazey, Judith P., Copyrihgt 1992 by The Acadia Institute. Translated by agreement with Oxford Unibersity Press, Inc.〉]
フォックス,レネイ・C.〈Fox,Ren´ee C.〉・スウェイジー,ジュディス・P.【著】〈Swazey,Judith P.〉
・森下 直貴・倉持 武・窪田 倭・大木 俊夫【訳】
青木書店 (1999-04-22出版) 432,4p 19cm(B6)
ISBN:4250990087
前半は、1980年代から1990年代にかけてのUSAの臓器移植の現状、後半は人工心臓の話である。
臓器移植が「命の贈り物」と呼ばれ、移植医療が始まった頃は、ドナーとレシピエントとがお互いに
知り合うようにされていたが、いろいろな弊害があるので、匿名を原則とするようになったことが
述べられている。
 
 
 

私は臓器を提供しない
近藤誠・阿部知子・近藤孝・吉本隆明・小浜逸郎・宮崎哲弥・山折哲雄・平澤正夫・
中野翠・橋本克彦
新書y 洋泉社 2000/03出版 18cm 220p NDC分類:494.28 本体価:\660
ISBN:489691452X

医師・思想者・仏教者・ジャーナリスト・ライターの立場から、臓器移植反対の意見を述べたもの。
 
 
 

死の淵からの帰還
野村 祐之著
岩波書店 (1997-08-07出版) 223p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\1,900
ISBN:4000261746
著者の 野村裕之は、USAで脳死の人から肝臓移植を受けた。
その手術のようすは、NHKスペシャル「肝臓移植:米国で手術を受けた日本人患者の記録」で放映された。
著者の妻のカリンは、USAに住んでいたら臓器提供をするが、日本に住んでいたら臓器提供しない、という。
なぜなら、
  「日本では臓器提供を、まるでこちらの患者からそちらの患者に
  物でも受け渡すように考え、議論している」
  (「死の淵からの帰還」岩波書店、1997年、p.150)
  「臓器提供を、神の前に責任をもった応答とするに足るだけの
  信頼を、日本の医療界がわたしにもたせてくれない」(同書、p.151)
野村裕之は、 「提供者」をさす「ドナー」という言葉の意味を次のように説明している。
  「『ドネーション』とは『神への献げもの』という意味であり、
  『ドナー』は『神に奉献する者』のことである。
  非宗教的に使われる場合でも、
  慈善団体や非営利団体への寄付であって、
  個人間の受け渡しというイメージではない。
  個人に渡るとすれば、団体を通して、
  条件にかなった相手に寄付されるのである」(p.152)
  「ヨーロッパの臓器提供で一般的な、
  いわゆる『オプション・アウト』の考え方もこの延長にある。
  すなわち、臓器はその人のものではなく、
  神や社会に属するものであり、
  本人があえて『ノー』といわない限りは、すべて提供の対象となる」
  (p.153)
 
 
 

臓器移植はなぜ必要か
太田 和夫著
講談社 (1989-11-13出版) 300p 19cm(B6)
ISBN:4062044056

腎臓移植の草創期からの経験豊富な医師として、移植を必要とする内臓の病気や、
生体腎移植・人工臓器について、くわしく説明している。
特に腎臓病については、腎臓移植の歴史、腎臓移植を受けて元気になった元患者さんの生活と明るい
表情、それに対して移植を受けられない患者さんの苦しみや死、人工透析を長年続けていると起こる
障害の苦しさ等、移植を受ける側の人々についてくわしく述べている。
人工透析は、週に3回程度、1回に4〜5時間、人工腎臓にからだをつないで体内の老廃物を除去する。
これによって、腎不全による死は避けられる。しかし、10、20年と続けていると、いろいろな障害が起こって
くる。その一つに「手根管症候群」がある。指が曲がらない、肩が痛い、横になって眠ることができず、
座ったままで寝る、切符などを落としてしまう、小銭を財布から出せない、歯磨きのチューブが絞れない、等。
また、臓器を提供する側については、夫の臓器提供に同意した妻に対する親族の白眼視など、
日本における移植に対する偏見の強さに怒りを込めて書いている。

腎臓と並んで移植を必要とする病気に、肝臓の病気がある。その一つに、先天性胆道閉鎖症がある。
成人を迎えずに亡くなることが多いとされる。この病気についての記述や患者さんの具体例もくわしく、
この病気の子供のための移植手術を、オーストラリアで受けさせた母親の意見も紹介されている。

このほか、生体腎移植における人間関係の問題のむずかしさ、健康な人から腎臓を摘出する手術の
気苦労・生体腎の売買などについての記述は、脳死の人からの臓器移植について慎重な人々の意見
とほとんど変わりがないほどである。夫婦間の生体腎移植で、妻が夫に腎臓を提供したことが美談とし
て報道されると、全国の妻が夫の親族から圧力をかけられるのではないか、と述べている。生体腎の
売買については、日本国内で、腎臓を売りたいと言ってくる人や、海外での売買を斡旋する業者がいる。
それに対して、死体腎の移植は、遺族に対して配慮するものの、生体腎の摘出ほどの気苦労はない。
同じ人から死体腎の提供を受けた人同士が、腎兄弟となり、親しくなることもある、という。
死体腎も、心臓停止後よりも脳死後のようが予後がよい。

臓器移植について、著者の本田和夫氏は、次のような見解を述べている。

○臓器移植は、ほかのどんな医療とも異なって、臓器を誰かからもらうという点で、必ず第三者を巻き込む。

○生体腎の移植では、腎臓の摘出は、健康なドナーにとっては、なんら治療としての意味がない。
   しかし、摘出行為に、移植に役立てるという高度な文化的・倫理的目的があり、
   社会的な了解を得られているので、ドナーが成人に達しており、肉体的・精神的に健全であれば、
   問題はないとされている。

○生体腎を摘出する手術では、医師の精神的な負担は、はかりしれず、万一のことがないように、
   手術にはベテランを配置し、万全の態勢を整えて臨むのが普通である。

○死体腎の移植では、遺族に対する心配りや、死の尊厳を傷つけないような配慮を欠かせないが、
   ドナーは既に亡くなっているので、生命の危険にさらすという、心理的な負担を医師が負わなくてもよい。

○死体腎移植では、ドナーの遺族とレシピエントの遺族との間で、感情のしこりを含め、後々、なんらかの
   トラブルが生じないよう、ドナーの姓名などをレシピエントに告げず、同様に、レシピエントの姓名などを
   ドナーの遺族に告げない。この点で、生体腎移植におけるような人間関係の生々しさを免れている。

著者は、脳死の人を完全に死者として考えており、脳死による臓器移植に慎重な人々の意見をゆえなき
偏見によるものととらえている。
ベルギーやシンガポールなど、生前に拒否の意思表示をしておかないと臓器を摘出される国々について、
臓器提供が社会の意思となっているとして、高く評価している。
人工臓器については、臓器移植と車の両輪のように共に発展していくものとしている。
立花隆の『脳死』が、一冊で脳死についての基本的な知識をすべて網羅したものとすれば、こちらは、
移植についての基本的な知識を一冊ですべて網羅したものであると言える。
 
 

死は共鳴する―脳死・臓器移植の深みへ
小松 美彦著
勁草書房 (1996-06-20出版) 296,18p 19cm(B6)
ISBN:4326153199

「第三章 臨床医学の暗流」で、太田和夫著「臓器移植はなぜ必要か」(前掲書)を批判している。

「共鳴する死」「個人閉塞した死」という概念を用いて、「死の自己決定権」を批判する。
「脳死」か「心臓死」かどちらかを選ぶことができる、という「死の自己決定権」において、
死は、
「死が死亡に還元され、かつ個人に属し、それゆえ個人の所有物であるとする」
「個人閉塞した死」
である、とする。
それに対して、「共鳴する死」は、
「無限の起伏を有している。」
「死者とのかかわりの質や量に従って、ないしはわれわれ個々人の理性や感性や諸々の生活内容
に応じて、厚みや拡がりや襞やわれわれとの距離をおのおの備えつつ無数に存在している。」
「われわれは、生活場面では、このような起伏に富む死を生きている。」
もっとも、
「『共鳴する死』を強調することには、多大な危険性がつきまとっている。」
それは、
「戦争に身を投じることで小さな死を遂げ、それによって国家という大きな生に組み込まれる途」
を選ぶことを可能にする。
「このような危険性を感じつつも、『個人閉塞した死』に呪縛されている今、ひとつひとつの『死の正視』
を通じて『共鳴する死』を宣揚すること」、
そして、
「『共鳴する死』を破砕させしかもその破砕の事実すら気づかせない『死の自己決定権』を批判すること」
が肝要である、としている。
 
 

脳死―ドナーカードを書く前に読む本
水谷 弘著
草思社 (1999-08-10出版) 175p 21cm(A5)
ISBN:4794209088

移植医療の "慎重な促進派" としての立場から、臓器移植の歴史、アジア・ヨーロッパ・USAの移植事情、
臓器不足、移植医療の定着を阻む、日本の医療事情や社会事情などについて、述べている。
臓器移植の歴史では、1967年に南アフリカ共和国で行われた、世界最初の心臓移植について、比較的
詳しく紹介している。
移植技術の発達と成績の向上とともに、ますます移植の適応患者や移植希望者がふえて、臓器が不足する。
ヨーロッパでは、前もって臓器提供を拒否していない人は臓器を提供する「予想同意」にしている国々がある。
USAでは、ドナーの家族に報酬を払うという案や、無脳児や植物状態の患者から臓器を移植しようという案が
出ている。
 
 

臓器移植 我、せずされず
池田 清彦著
小学館文庫 小学館 (2000-04-01出版) 222p 15cm(A6)
ISBN:4094043012

「第6章 ドナーとレシピエントの非対称性」で、
水谷弘著「脳死―ドナーカードを書く前に読む本」(前掲書)を批判している。

「第3章 死の自己決定権について」では、死の自己決定権を批判している。
その根拠は、自分の身体や命は自分の所有物ではないという考えである。
同じく「死の自己決定権」を批判している、
小松美彦著「死は共鳴する―脳死・臓器移植の深みへ」(前掲書)に触れて、
脳死・臓器移植もまた、「共鳴する死」になりうるものであるので、「共鳴する死」という概念で
「死の自己決定権」を撃とうとするのはピンぼけではないか、と述べている。
 
 

なぜ日本では臓器移植がむずかしいのか―経済・法律・倫理の側面から
須藤 正親・池田 良彦・高月 義照著
東海大学出版会 (1999-03-20出版) 234p 21cm(A5)
ISBN:4486014723
国際経済、環境経済を専門とする須藤正親が「第1部 臓器移植の経済」について、
刑事法学を専門とする池田良彦が「第2部 移植医療と医の法律学」について、
西洋哲学、倫理学を専門とする高月義照が「第3部 日本人の死生観と臓器移植の倫理」について、
述べている。
 
 

臓器移植―生命重視型社会の実現のために
・野本 亀久雄著
ダイヤモンド社 (1999-10-28出版) 202p 19cm(B6) NDC分類:494.28 本体価:\1,500
ISBN:4478860270
 
 
 
 

免疫の意味論
多田 富雄著
青土社 (1993-04-30出版) 236p 19cm(B6)  NDC分類:491.8 本体価:\2,200
ISBN:4791752430
「心臓や肝臓などの生命維持にエッセンシャルな臓器の移植を行なうためには、脳死を個体の死として
受け入れなければならない」
「この問題が困難である理由のひとつは、『脳の死』、『身体の死』の間には、まだ埋められていない隙間
があいているからである。脳死がやがて必然的に身体の死を生み出すとしても、現実には呼吸維持装置
によって身体は生きている。この身体は、移植を拒絶するし、その個体に特徴的な免疫反応を起こすこと
もできる。身体の自己は死んでいない」(p.24)
「私は、脳死を死の判定に取り入れることに反対なのではない。脳死は、まもなく成熟する身体の死より、
しばらく前に起こる。しかもその間の時間は、人工的に調節することさえできる。死が完成するまでの長い
過程の中で、トータルな個体の死を判定する時間を少々前にもってゆくだけのことである。それには新しい
取り決めが必要だし、取り決めのための議論と、受け入れのための準備期間が必要である」(p.25)
 
 
 

移植医療の最新科学―見えてきた可能性と限界
坪田 一男著
講談社 (2000-01-20出版) 165p 18cm NDC分類:494.28 本体価:\800
ISBN:4062572753

著者の坪田一男氏は、自身で、日本で一番たくさん移植手術を行なっている医者だと書いている
だけあって、移植に関してたいへん積極的である。
基本的に、なんでも移植できるということで、心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、角膜、羊膜の移植手術
の実際について、説明している。手術の費用についても述べている。
移植医療の定着に果たすコーディネーターの仕事の重要さにも触れている。
移植医療では、免疫をいかに抑制するか、という、免疫寛容(トレランス)が重要な課題である。
この免疫というのは、自己とは何か、という、人にとって本質的なことに関わるものである。
角膜の移植を受けた患者さんの話で印象深いものが紹介されている。
角膜移植後の拒絶反応で入院し、免疫抑制剤を使ってもよくならない。ところが、夢の中で角膜を
提供してくれた人が登場し、優しく慈悲に溢れた言葉をかけてくれた。それ以来、拒絶反応が改善し、
予後がよくなった。
著者は、そのあと、精神免疫学のことを書いている。
癌でも、移植後の拒絶反応でも、精神的なケアがよいと、予後がよくなる。実際、からだのなかで
分泌されるものの量が変化して、ちょうどいい免疫の状態になるらしい。
著者はまた、クローンのことも取り上げている。さらに、臓器売買について、臓器売買をめぐる
犯罪を防ぐために、ビジネスとして確立するほうがよいと述べている。
 
 

人体部品ビジネス―「臓器」商品化時代の現実
粟屋 剛著
講談社選書メチエ 講談社 (1999-11-10出版)  260p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\1,600
ISBN:4062581698
USA、フィリピン、インドなどの「臓器」売買の事情が紹介されている。
 
 

死にゆく人の17の権利
[原書名:THE RIGHTS OF THE DYING〈Kessler,David〉 ]
・ケスラー,デヴィッド著〈Kessler,David〉・椎野 淳訳
集英社 (1998-09-30出版) 324p 19cm(B6) NDC分類:490.15 本体価:\2,500
ISBN:4087733068
解説を粟屋剛が書いている。

*生きている人間として扱われる権利

*希望する内容は変わっても、希望をもち続ける権利

*希望する内容は変わっても、希望を与えられる人の世話を受け続ける権利

*独自のやり方で、死に対する気持ちを表現する権利

*自分の看護に関するあらゆる決定に参加する権利

*必要なことを理解できる、思いやりのある、敏感な、知識のある人の介護を受ける権利

*治療の目的が「治癒」から「苦痛緩和」に変わっても、引き続き医療を受ける権利

*すべての疑問に正直で十分な答えをえる権利

*精神性を追求する権利

*肉体の苦痛から解放される権利

*独自のやり方で、痛みに関する気持ちを表現する権利

*死の場面から除外されない子供の権利

*死の過程を知る権利

*死ぬ権利

*静かに尊厳をもって死ぬ権利

*孤独のうちに死なない権利

*死後、遺体の神聖さが尊重されることを期待する権利
 
 
 
 

○報道関係
 

岩波ブックレット No.497
検証脳死・臓器移植―透明な医療をどう確保するか
平野 恭子著 岩波書店 (2000-01-20出版) 63p 21cm(A5) NDC分類:490.15 本体価:\440
ISBN:4000091972
1999年2月,5月,6月に実施された、脳死の人からの臓器移植について、報道と検証の実際を書いている。
終章で、1996年6月26日に開かれた、「ドナーファミリーの集い」について述べている。移植ネットワークの
よびかけに応じて、家族の心臓死後および脳死後に臓器を提供した人々が意見を述べている。
USAで心臓移植医として仕事をした川合明彦・東京女子医大講師は、日本での移植医療の検証の透明性
の確保やドナーの家族に対する精神的ケアの必要性、本人意思の優先などの意見を述べている。
 
 

脳死移植いまこそ考えるべきこと 生命のゆくえとは、脳死の本質とは
高知新聞社 河出書房新社 2000/03出版  20cm 222p NDC分類:490.15 本体価:\1,500
ISBN:4309013309
高知新聞 脳死移植

1999年に高知赤十字病院で行われた臓器移植について、地元新聞社である高知新聞社取材班が検証したもの。臓器移植法施行後最初の臓器移植ということで、臓器提供者のプライヴァシーが侵害された報道の問題点も指摘されている。
 
 

脳死移植報道の迷走
浅野健一著
創出版 2000/04出版 19cm 236p NDC分類:490.15 本体価:\1,600
ISBN:492471836X

臓器移植法施行後の四例の脳死・臓器移植の報道を検証し、五例目の移植がなかなか行われないこと
について、報道のありかたをさぐる観点から問題を指摘している。著者が臨時委員として参加した、
厚生省の臓器移植専門委員会の第15,19,20回の委員会でのやりとりについてもくわしく報告している。
 

厚生労働省厚生科学審議会(旧厚生省公衆衛生審議会議事録  
 
 
 
 
 

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