ドナーとレシピエントの交流について


(著者、てるてる)


ドナーとレシピエントの交流について、USAでは、ここ数年、議論が続けられており、"Jouranl of transplant coordination" という移植コーディネーターの専門雑誌には、幾つもの論文が発表されて
います。
1996, December:6(4), Lewino, Stocks, Cole, " Interaction of organ donor families and recipients"
「ドナー家族とレシピエントとの交流」
1997, September:7(3), Vajentic, A., " Correspondence and personal contact between donor families and organ recipients: one OPO's procedure and experience."
「ドナー家族とレシピエントとの文通と個人的接触:あるOPO(organ procurement organization, 臓器獲得機関)の方法と経験」
1998, September:8(3), Albert, P., " Direct contact between donor families and recipients: crisis or consolation "
「ドナー家族とレシピエントとの直接接触:危機か慰めか」
1999, June:9(2), Clayville, L., " When donor families and organ recipients meet "
「ドナー家族とレシピエントとが出会うとき」
December:9(4), Albert, PL., " Clinical decision making and ethics in communications between donor families and recipients: how much should they know?"
「ドナー家族とレシピエントの交流における臨床的判断と倫理:どれだけお互いを知るべきか?」
また、1997年には、ドナーファミリーとレシピエントの交流についてのガイドライン
" National Communication Guidelines" が発表されています。
このガイドラインというのは、もとは日本の腎臓バンクにあたるNational Kidney Foundationのドナー委員会、National Donar Council of National Kidney Foundation が1995年に発表したもので、それを叩き台として、American Association of Critial Care Nurses, Eye Bank Association of America, Transplant Recipient International Organization(TRIO, トリオ・ジャパンはこれの日本支部)など、移植医療に関わる幾つもの団体が参加して共同討議し、1997年に発表したものです。http://www.kidney.org/recips/donor/suggid.cfm)
このガイドラインでは、ドナーとレシピエントとの交流は、カウンセリングを受けながら、注意深く段階を追って徐々に進められます。段階ごとに、交流を先に進めるかどうかが、ドナー家族・レシピエント双方の自主的な判断に任されます。最初は、カードなどで、ファーストネームだけ、住んでいる所は州のなまえだけ、内容は、ドナー本人・レシピエントの趣味や仕事、家族や友達についてなどで、その後、ドナー家族側とレシピエント側の双方が望めば、本名を明かして直接の対面に臨みます。

 このような試みが行われるのは、一つには、ドナー家族側・レシピエント側双方 からの要望があったのと、もう一つには、このような交流を進めることによって、より一層、ドナーをふやすことができるという希望によっています。TRIOの幹部の一人、Lisa Kory は、「70,000人の人々が待機リストにおり、16分ごとに新しいなまえが加わっている」「レシピエントとドナーは臓器提供と移植の最良の歩く広告塔(the best spokespeople)である」と述べています。
("Meetings after transplantation increasing, along with concerns" 'More recipients and donor families are choosing to meet, raising questions about the potential impact on those involved -- and on the organ shortage. ' By Deborah L. Shelton, AMNews staff. Oct. 25, 1999.,
http://www.ama-assn.org/sci-pubs/amnews/pick_99/hlta1025.htm)

しかしながら、ドナー家族とレシピエントとの交流には、むずかしい問題もあります。
ある例では、12歳の男の子から心臓を提供してもらった女性が、ドナー家族に会うことを希望しました。しかし、その12歳の男の子は、義父から性的および暴力的虐待を受けていました。カウンセラーたちは、移植を受けた女性にとって情緒的な危機が訪れることと、彼女の3人の息子たちの身の安全を心配しました。このようなドナー側の事情をレシピエントに明かすことは刑事罰に相当するので、コーディネーターは、一般的な、ドナーとレシピエントの直接対面の場合に想定される弊害を警告するだけでした。レシピエントの女性は強くドナー家族に会うことを希望し続け、結局、その女性は、ドナーの義父だけを除いた残りのドナー家族との対面を果たしました。
("Meetings after transplantation increasing, along with concerns" 同上)
それにしても、その12歳の男の子の心臓を提供するにあたっては、その虐待者も、親として承諾を与えたのでしょうか。

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*参照1:「臓器交換社会─アメリカの現実・日本の近未来」レネイ=フォックス、ジュディス=スウェイジー共著、
    Arcadia Institute, 1992年、森下直貴、倉持武、窪田倭、大木俊夫共訳、青木書店、1999年

    この本には、ドナーとレシピエントの交流において浮上する人間関係の問題となる側面と、1980年代から、
    臓器不足が深刻になるにつれて、問題となる側面を軽視し、救済の側面を強調する傾向があったことが、
    くわしく述べられている。

「人間の臓器移植が始まったばかりの数年間、医療チームは、死体臓器の提供者や移植患者、家族の身元をそれぞれに明かし、お互いの生活や背景の詳細を教える傾向にあった。臓器移植には与え・もらうという親密な行為が含まれるのだから、関係者にはこれらのことを知る権利があると医師たちは信じていた。さらに、こうした知識は、もらい主とその家族がもつ移植体験の意味を強化し、提供者の家族には慰めと充足感を与えるはずだと彼らは考えた。だが、時が経ち、臨床経験が積み重なるにつれて、移植チームはしだいに慎重に用心深くなっていった。死体移植をめぐって、匿名の方針がたいした議論もないままに徐々に広がっていった。移植を受けた人やその近親者、提供者の家族が、死体臓器を死んだ当人のごとくに人格化して、会う手立てを整えるだけでなく、恩を負い合って他人ではないかのようにお互いの生活に入り込んでいこうとする場合が多いことに、移植医たちは困惑させられた。
こうした相互の働きかけが大きく作用して、多くの移植チームは、移植患者には提供者のことを教えるべきではないし、提供者の家族には移植患者のことを教えてはいけないという慣例をつくりあげたのである。」(p.83-84)
「1980年代をつうじて、贈り主の家族ともらい主とが結びつきをもったときに、恐ろしいほどの干渉や
激しい苦しみが生じることを軽視し、反対に救済の側面ばかりを重視する傾向が続いた。この傾向を促したおもな理由の一つは、移植可能な臓器の不足とこれを解消する方策とに、ますます関心が集まったことにある。この10年間の特筆すべき点は、これまで見てきたように移植や再移植の数と種類を
はじめとして、移植手術をおこなうようになった病院の数や、待機者リストに載る患者数の大幅な増加であった。
 臓器調達機関や移植医にとって悩みの種となったのは、死体臓器の提供者が3年平均して年間4000人で頭打ちとなり、生体臓器の提供者もわずかだが減少していた状況のなかで、こうした種々の増加が生じていたことである。」

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*参照2:「脳死否定論に基づく臓器移植法改正案について」(現代文明学研究:第3号(2000):139-179)
「2.0. 脳死否定論に基づく臓器移植法改正案作成の試み」
「2.2.7. ドナーの遺族とレシピエントとの交流」 「2.3. 試案本文」

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(追加)
「生命学ホームページ」 メイン掲示板 2001年
投稿者:てるてる 投稿日: 1月26日(金)21時43分35秒」より

     ドナーとレシピエントとの交流は、双方に希望する人々もいますが、また、海外では
     「臓器調達(獲得)機関」等が、ドナーをふやすのに役立つのではないかという期待
     をこめて進める傾向もあります。

     しかし、「臓器調達(獲得)機関」等の希望通りにドナーがふえようとふえまいと、
     脳死または心臓死の人からの移植医療は、移植を受けた人が元気に回復することが、
     最大の目的だけど、それだけで終わりではなくて、レシピエントとドナーの遺族とが
     出会っても、友情とか信頼といった関係を保つことができて初めて、ほんとうに成功
     したといえるのではないか、と思います。

     臓器移植法改正は、脳死のこどもからの移植を可能にすることが、最大の目的と
     みなされていると思います。
     森岡案では6歳以上のこどもしか脳死後の臓器提供を認めていないし、てるてる案
     も3歳以上しか認めていない、それも6歳以上しか認めていないも同然の厳しい条件
     (のつもり)です。
     しかし、そんな案は、移植患者団体の人々は承知するはずがない。なんとしても、
     1歳、2歳の赤ちゃんでも心臓移植や肝臓移植ができるように、社会へのアピールも
     議員さんへの要望も続けるでしょうし、議員さんのなかにも、脳死のこどもからの
     移植のために法改正をめざす方々もいると思います。そして実現の可能性が高いと
     思います。
     私自身、それが悪いことだとは思いません。
     できるだけ、1歳、2歳の赤ちゃんでも、心臓移植でも肝臓移植でも受けることが
     できるように、なってほしいです。だから無理とわかっていても、3歳以上なら
     脳死後の臓器提供ができるような案を作っています。とても無理があるけど…。

     でも、1歳、2歳の赤ちゃんでも心臓移植が受けられるように法律が改正されたと
     して、そして、脳死の赤ちゃんのドナーからの提供があったとして、それだけで
     済むものではないと思います。
     脳死の赤ちゃんのドナーの親御さんと、レシピエントの親御さんとが、もし仮に、
     出会ったとしても、双方、満足して会話をかわすことができるようにならないと、
     その移植医療は、完全に成功したとは言えないのではないか、と思います。

「生命学ホームページ」 メイン掲示板 2000年
投稿者:てるてる 投稿日:04月20日(木)01時15分03秒
投稿者:てるてる 投稿日:04月20日(木)07時43分13秒」より

「移植医療の最新科学」(坪田一男著、BLUE BACKS,2000年)について。
いろいろな臓器や組織の移植手術そのもののことにくわしく、特に免疫のことにくわしい。なぜなら、この免疫というのは、自己とは何か、という、人にとって本質的なことに関わるものだからです。
角膜の移植を受けた患者さんの話で印象強いものがあります。角膜移植後の拒絶反応で入院し、免疫抑制剤を使ってもよくならない。ところが、夢の中で角膜を提供してくれた人が登場し、優しく慈悲に溢れた言葉をかけてくれた。それ以来、拒絶反応が改善し、予後がよくなったということです。
坪田一男氏は、そのあと、精神免疫学のことを書いています。癌でも、移植後の拒絶反応でも、精神的なケアがよいと、予後がよくなる。実際、からだのなかで分泌されるものの量が変化して、ちょうどいい免疫の状態になるらしいです。
坪田氏は、クローンのことも取り上げています。自身で、日本で一番たくさん移植手術を行なっている医者だと言っているだけあって、移植に関してとても積極的です。さらに、臓器売買について、臓器売買をめぐる犯罪を防ぐために、ビジネスとして確立するほうがよいと述べています。
私は、臓器売買には反対ですが、移植とか、免疫とか、人のからだというものは、不思議なものだとつくづく思います。移植は不自然だと思いますが、しかし、その不自然なことをして生きていけるとは不思議なものだ、と感心してしまいます。もし、神様がすべてを創ったのだとしたら、人間が不自然にも見える医療で生きていけるということもまた、神様がそのようにひとのからだをつくったのだろう、と思います。
脳死と判定されそうな人でも蘇生するというのもまた、不思議です。そして、きのうの集会で、救急医学の濱邊さんがおっしゃっていましたが、意識のない重篤な容態の患者さんが、家族が病室に入ると血圧が上がるとかいうようなことは、救急の現場では、よく経験するのだ、とのことでした。それもまた、不思議なことですが、人情としてわかりやすいとも思います。
臓器移植法の改正案の対案のことを考えていて、脳死や心臓停止後の移植のことは、人と人との関係の問題として、考えることができる、と思うのです。臓器を提供する人も、提供しない人も、移植を望む人も、移植を望まない人も、自分の人生観で選んで、人と人との関わりの中で納得して行なえばいいのだ、と思います。いくら移植がさかんな国でも臓器は不足するというのは、レシピエントがドナーのことを知らないでもすむからだけではなく、ドナーの遺族にレシピエントのことを知られないでもすむからではないのか?
それは、いかにも「無痛文明」という言葉にふさわしくないか?と思います。

しかし、「移植医療の最新科学」に出てきた、角膜移植のあとの拒絶反応がひどかったのがドナーの夢を見て、よくなった女性の話などを読むと、レシピエントにとっても、ドナーの人となりを知っているほうがいいみたいだと思えてきます。ドナーがどんな状態で亡くなり、どんなふうに遺族とおわかれをしたのか、レシピエントも知った方がいいのではないか、それを知っても、レシピエントが苦しまなくてもすむような移植のしかたがいいのだ、と思います。

投稿者:てるてる 投稿日:04月15日(土)15時15分49秒」より

「臓器移植はなぜ必要か」(太田和夫、講談社、1989年)の著者は、ベルギーやシンガポールなど、生前に拒否の意思表示をしておかないと臓器を摘出される国々について、臓器提供が社会の意思となっているとして、高く評価しています。
この著者が生体腎移植について語るときの、人間関係の問題についての慎重さ、生体腎摘出手術のときの感覚は、脳死の人からの臓器移植に対して慎重な人々の意見とほとんど見まごうようです。臓器売買についても事実をふまえて適確に批判しています。

著者は、脳死を完全に死とみなしているので、脳死からの臓器提供は、移植後の予後も心臓死後の臓器提供よりもよく、腎臓や肝臓の病気で苦しむ人々を助ける、完全に人道的で望ましいことと考えています。そして、脳死からの移植について慎重な意見や反対意見を、ゆえなき偏見によるものとしています。

私には、脳死の人も完全に死んでいるかどうかわからないし、愛する人の死を受け入れるには、医者の死の判定だけではかたづかない、時と場とが必要で、その時と場とが提供されなければ、ほんとうの意味で「死んだ」とは言えないのだろう、と思えます。ほんとに「死」を受け入れるのには何年もかかりますが、とりあえず事実としての「死」を認めるのには一日でも一時間でもいいのです。それだけの時と場とが過ごせないうちは、ほんとうの意味では「死んだ」とは言えない。
だから、脳死を死と認めようと認めまいと、生体からの臓器移植と同じぐらいの慎重さを、移植を推進する医師も持って欲しい。
私は、臓器提供を社会の意思とすることには反対です。
本田和夫氏も、もし、生体腎の提供を社会の意思とすると聞いたら、反対するでしょう。
死体からの臓器提供を社会の意思とすることに本田和夫氏は賛成しています。
しかし、それは、死者といえども生きている人々との関係の中で生きている、ということを忘れているのではないか、と思います。そして何よりも、脳死を完全に判定することはむずかしく、脳が融解しないうちにその人が完全に死んだとみなすのは無理だと思います。
脳死後であれ、心臓死後であれ、臓器の提供は、あくまでも個人の自由な意思に基づいたものでなければならないと思います。
そして、本田和夫氏は、死体腎の移植では、人間関係や金銭の問題が起こるのを避けるために、腎臓提供者の氏名がレシピエントにわからないようにしてあることを良い方法であるとしていますが、私は、今、そういうやり方に疑問を持ち始めています。
ドナーとレシピエントとがお互いに顔が見えた方がいいのではないか、と思います。
そのほうがお互いに責任を持って、生きられるのではないでしょうか。
ただし、ドナーにレシピエントを選択する権利はない。
それはあくまでも医者によって医学的な判断に基づいて選択されるべきだと思います。
匿名でない臓器提供 投稿者:てるてる 投稿日:04月14日(金)22時41分41秒」より
臓器提供が、個人の自由な倫理的判断の元に行われるためには、移植後に、レシピエントは、ドナーの氏名や年齢や病名や職業・家族構成などを知り、ドナーの遺族(対案では保証人)は、レシピエントの氏名・年齢・病名・職業などを知るようにしたほうがいいのかもしれない、という気もします。
臓器が無名のものとして扱われるから、移植治療が定着すればするほど、移植を望む人がふえて、臓器が不足し、本人が拒否の意思表示をしなければ臓器を提供させることにしたり、ドナーとなる範囲を脳死から無脳児や植物状態患者へと広げたりするようになるのではないでしょうか。