2007/09/16 by てるてる
ミンナウリのカード〜懐夫歌(一)〜
〜懐夫歌(二)〜
〜大長今〜
〜懐夫歌(三)〜
〜エピローグ〜
「人間の中には特別な定めの人がいるのです。
「わたしはそんな名誉など望んではいません」
「名誉ではなく、幼かった頃の疑問を思い出してください。
「わたしはひとりで進まなければいけないのですか。
〜〜〜〜懐夫歌(二)〜〜〜〜
泣き崩れたチャングムのそばに、チョンホは、後ろ手に縛られた動きにくいからだで、膝を落としていった。うつむいて泣くチャングムの顔のそばに、できるだけ自分の顔を近づけると、囁いた。
「あなたに、ひとつの歌を、教えてあげましょう。わたしは毎日、あなたのことを想いながら、この歌を歌いましょう。むかし、くにのいくさではなればなれになった夫婦が、遠く離れた場所で、お互いに歌っていた、という歌です。いつか再び会えると信じて」
そして、小さな、とぎれとぎれの声で、歌いだした。
「オナラ オナラ カジュ オナ
チャングムは、泣きながら、その歌を、始めから歌ってみた。
「オナラ オナラ カジュ オナ」
嗚咽で途切れた。チョンホが、続きを歌った。
「カナラ カナラ アジュ カナ」
チャングムが涙で途切れながら歌った。
「カナラ カナラ アジュ カナ」
チョンホが続けた。
「ナナニ タリョド モッノナニ」
チャングムが歌った。
「ナナニ タリョド モッノナニ」
チョンホが涙を浮かべながら、歌った。
「アニリ アニリ アニノネ」
チャングムが、涙を浮かべた顔を上げて、チョンホを見ながら、歌った。
「アニリ アニリ アニノネ」
チョンホはチャングムの顔を見ながら歌った。
「エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ」
チャングムがチョンホの顔を見ながら歌った。
「エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ」
チョンホが歌った。
「オジド モタナ タリョカマ」
チャングムが歌った。
「オジド モタナ タリョカマ」
チョンホとチャングムと、声を合わせて歌った。
「エイヤ ディイヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ」
ふたりは、一緒にゆっくりと立ち上がりながら、もう一度始めから、声を合わせて歌った。
「オナラ オナラ カジュ オナ
カナラ カナラ アジュ カナ
ナナニ タリョド モッノナニ
アニリ アニリ アニノネ
エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ
エイヤ ディイヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ」
歌い終わったふたりは、しばらく、見つめあった。涙が流れていた。それから、チョンホは、ゆっくりと歩き出した。チョンホを見送りながら、チャングムは、歌いだした。
「オナラ オナラ カジュ オナ」
チョンホが振り返って歌った。
「カナラ カナラ アジュ カナ」
チョンホが前を向いて歩き出した。チャングムが歌った。
「ナナニ タリョド モッノナニ」
チョンホが振り返って歌った。
「アニリ アニリ アニノネ」
チャングムが歌った。
「エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ」
チョンホが振り返って歌った。
「オジド モタナ タリョカマ」
チャングムは、二、三歩、チョンホを追いかけて、歌った。
「エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ」
チョンホが振り返って歌った。
「オジド モタナ タリョカマ」
チャングムはもう一度始めから歌いだした。
「オナラ オナラ カジュ オナ
チョンホはもう、振り向かなかった。振り向かずに、チャングムと声を合わせた。
「エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ
ふたりの距離が開くにつれて、声は、大きくなっていった。
「オナラ オナラ カジュ オナ
いつかチョンホは力強い声で朗唱していた。チャングムが高らかに歌う声が聞こえてきた。やがて、ふたりは、一節ごとに、相手の声が聞こえてくるのを待つようになった。ふたりの歌は、掛け合いになって続いた。
チョンホは、どんなにチャングムの声が小さくなっても聞き漏らすまいとした。声が聞こえる限り、与う限りの声で歌い返した。チョンホは耳を澄ました。チャングムの小さな声が届いた。一歩、進むごとに、声は、ますます、小さくなった。とうとう、聞こえなくなった。チョンホは立ち止まった。振り返り、耳を澄ました。チャングムの声がかすかに聞こえたような気がした。チョンホはもう一度、歌った。もう、チャングムの声は、返って来なかった。チョンホは、前に向き直り、歩き始めた。歩きながら、心の中で、歌い続けた。いつまでも、どこまでも。
〜〜〜〜大長今〜〜〜〜
医女大長今の名は、朝鮮王朝第十一代中宗の実録に記されているという。大長今というのは、医女が王の主治医になることなどありえなかった時代に、王の主治医になったために、人々にそう呼ばれたのだということである。あるいはまた、長今という医女は、王の主治医の補佐的役割を務めていた医女で、同じなまえの医女が他にいるので、背が高いほうの長今とか、年配のほうの長今とかいう意味で、「大長今」と呼ばれたのだ、という説もある。というのも、もしも大長今がほんとうに王の主治医だったとしたら、中宗が臨終を迎えたときには、それまでの歴代の王の主治医達と同じように、処罰を受けたはずである。しかし、大長今には、中宗が亡くなったときに、処罰を受けた記録がなく、王の死後、どうなったかもわからない。それゆえに、やはり、王の主治医ではなかったのだ、というのである。
しかし、ミンナウリの物語は、別の話を伝えている。
〜〜〜〜懐夫歌(三)〜〜〜〜
朝鮮王朝において、政争に負けた官吏が流刑になることはしばしばあったのだという。罪の重さによって流刑地も分かれ、都に近いところで、家族も呼び寄せて住む人もいれば、辺境の地に流されて苦難を舐める人もいた。流刑になっても両班の身分を取り上げられない人は、学問や修養の機会として生かし、そのまま世俗を捨てて文人として生きる人もいれば、中央の政界の風向きが変わって呼び戻され、出世の道を驀進する人もいた。
ミンジョンホは、今の王の代が続く間は両班の身分を取り上げられて流刑とする、と定められた。行き先は辺境の荒れ地であり、そこで開墾作業に従事させられた。初めは慣れなかった労働にも、よく耐えて、よく働くようになった。彼はもともと、自然のなかで働くことに楽しみを見出すたちだったらしい。彼はその貧しい住まいの前に、花を植えていた。荒れ地で花を咲かせることが何よりも楽しみだった。彼は親切であった。誰かが困ったことがあるときには、自分がその人の仕事を引き受けてやったり、代わってやったりした。誰に対しても、逆らったり、怒ったり、あるいは嘲笑うなどということは、さらになかった。めったにないことなのだが、ときに、身分の高い人や学問のある人が、何かの縁で通りすがりに彼と詩文の話をして、愉快に過ごすことがあった。だが、彼は、こどもたちに読み書きを教えてやることのほうがすきであった。彼には都からしばしば手紙とともに、着る物や食べる物が届いた。彼の心を慰めようとし、健康を気遣っているのだった。もっとも、彼の方が、逆に、都に残した人のために、慰めや励ましを返事に書いてやることが多いようだった。彼はいつも、自分の身の回りのことには満足していた。だが、寂しそうであった。手紙ではなく、手紙を寄越す人に会えたなら、寂しさは晴れるであろうが、それは許されないのだった。
彼の罪は、ひとりの女を愛したことである。それ以上でも、以下でもない。
彼は寡黙に働いた。ただ、よく歌を歌った。いつも同じ歌だった。いつしかその地にいる人々は皆、その歌を覚えてしまった。
彼の住まいのまわりや、彼が田畑を耕しに行くために通う道は、夏になると、ささゆりや、丘虎の尾の花がよく咲くようになった。彼が持ち込んだ種が芽を吹き、花を咲かせ、種を飛ばし、すっかりこの地にふえたのだった。
彼がこの地に来て数箇月後、一通の手紙が彼を驚かせ、喜ばせた。さらに数箇月後、手紙が届くと、彼はほんとうに喜びが大きくて黙っていられなかった。彼が都に残してきた妻に女の子が産まれたのだ。最初の手紙は、身籠っていることを知らせるものだった。女の子と男の子と両方のなまえを考えておいてほしい、と書いてあった。彼は娘にはソホンというなまえがいいと返事を書いていた。
彼のもとにはまた都から、杏の種が幾粒か送られてきた。彼はそれらを蒔き、年々、木が育って、春になると美しい花が咲くようになった。
ミンジョンホは、いつしか、この地の人々から、ミンナウリと呼ばれるようになった。ナウリなどと呼ばれる身分では決してないのだが、彼の人柄や物腰や態度から、人々が自然とそう呼ぶようになったのであった。
ミンナウリは、きょうも、荒れ地を耕しながら、歌を歌っていた。その歌に、歌で答える者があった。その地の人々は皆、その歌を覚えてしまったのだから、誰かがナウリの歌に合わせても、何の不思議もない。だが、ナウリは、そのとき、雷に打たれたような顔をした。手を止めた。耳を澄ました。もう一度、聞こえないか? ナウリは、自分から、歌いだした。一節だけ歌って、止めた。すると、続けて一節、歌う声が聞こえた。ナウリはまた、一節、歌った。また相手から、一節。
ナウリは、周りを見回した。どこから聞こえてくるのか。どこに、その声の主がいるのか。わからない。幻なのか。夢なのか。それなら今まで何度も聞いた。今もそうなのか。
また一節、聞こえてきた。ナウリはその声のする方へ歩み出しながら、一節、歌って返した。次に一節、前よりも近づいたように思える。ナウリは歩き始めた。一節歌っては一節聴き、声のする方へと歩いた。相手も近づいてくるようであった。
ひとりの女の姿が見えた。ナウリは歩を早めた。相手も、同じであった。歌は、よく聞こえた。相手の姿が大きくなるにつれ、歌う声は小さくなった。気がつくと走り出していた。歌うのをやめていた。あと数歩、というところで、足を止めた。そしてまた、一歩、近づいた。また、一歩。手を伸ばせば届く。彼女が息を切らしているのがわかる。瞳がきらきらと光っているのがわかる。だが、手を触れたら、すべては消えてしまうのではないか? 恐る恐る、手を伸ばした。彼女がもっと近づいた。ミンジョンホは、チャングムの肩に手を触れた。そして抱き寄せた。強く抱き締めた。
彼の腕の中にいるのはチャングムであった。まさか、と思った。まさか、チャングムが流刑になったのか? だが、チャングムの身態はよかった。何も縛めや咎めを受けた跡などなかった。チャングムはさっきから泣いてばかりいる。チョンホもまた同じであった。チョンホは、このままふたりで抱き合い続けていられれば、それでよいと思った。夢ならば覚めてほしくない。だが、これは夢ではなかった。そして、チョンホは、落ち着きを取り戻し、チャングムの顔を見て、話そうと思った。しかし、彼女の顔を見ながら、なかなか声が出なかった。やっと、かすれた声で、
チョンホは、今度こそほんとうに、落ち着きを取り戻した。そして、チャングムに、言った。
チャングムは尚膳の手紙を取り出した。チョンホはそれを受け取った。しかしすぐには読まずに、チャングムを連れて、井戸のある方へと歩き出した。そこには日除けになる屋根も腰掛けられる場所もあった。チョンホはそこで、尚膳の手紙を読んだ。
「ミンジョンホ殿。この手紙をそなたが読まれる頃、わたしは職を退くことになるだろう。そなたの元にチャングムとソホンを送り届けるのが、わたしの最後の仕事だ。これは王様がお命じになったことである。王様の主治医であるチャングムを密かに宮廷の外に逃がし、娘とともにミンジョンホの元に届けよと、命じられた。チャングムは実にりっぱに勤めを果たした。王様の主治医であるとともに、名実ともに国一番の名医であった。そなたならよく知っておろうが、チャングムは常に研究を怠らず、時にはこれまでになかった治療法にも挑む。そのことが非難の的になることもある。このたびもやはり、そうしたことがあった。それゆえに、王様は、チャングムを危険から救おうとされた。王様からの御命令は、内侍府の者がそなたに届ける。王様は、そなたたち三人ともに明国へ行けと命じられるはずである。この機を逃してはならぬ。そなたはどんなことがあってもチャングムの手を放すな。明国でもどこでもよい、三人で行きたいところへ行き、そこで暮らせ。宮中や、都に残してきた人々のことは、何も考えるな。ただ三人で生きることだけを考えるのだ。実はそなたが流刑になってからもずっと、絶え間なくわたしのもとにそなたのようすが伝えられるように、手配をしておった。そなたは気づいたかどうかしれぬが、そなたが労役を代わってやった低い身分の流刑囚や、そなたとしばし歓談を交わした旅人のなかに、わたしがそなたの便りを届けてくれるように、頼んだ者達がおったのだ。また、流刑地には両班もおる。彼らのなかには流刑を学問の修業の場とするものや、地誌を著すものもいる。彼らのなかにも、そなたのことを知り、ひそかに感心している者がいたのだ。わたしはそなたが、一日としてチャングムを忘れたことがなく、遠く離れているにもかかわらず、日々、ますます想いが深くなっていることを、知っておる。チャングムもまた、同じである。侍医としての忠実さにいささかも欠けることなく、なおかつ、婦人の徳と心はそなたのもとにあった。それはついには皇太后様のお心さえ動かした。皇太后様は先年身罷られるときに、王様に、チャングムにはその徳にふさわしい報いを与えてやってほしいと言い遺された。それゆえに、王様はそなたの許にチャングムを返されるのである。チャングムはそなたのものである」
チョンホは尚膳の手紙を畳んだ。そして、二、三度、眼をしばたたくと、チャングムを見た。チャングムはずっと彼の顔を見つめていた。チョンホはチャングムの手をとり、
さらに十年の歳月が流れた。この十年の間に、デジャングムが主治医を務めた中宗は崩御し、次に即位した仁宗もまた崩御、今は、明宗が即位していた。
白丁の村に、ミンナウリとチャングムさんと呼ばれる夫婦が住んでいた。ナウリは婦人ものの靴を作りながらこどもたちに読み書きを教えていた。ナウリが作る靴はきれいで丈夫なのでよく売れた。ナウリは、自分が作った靴を履いて駆ける娘や、娘に靴を履かせてやる男の姿を思い描きながら、靴を作った。
チャングムさんは医女だった。この夫婦はこれまでに何度か、白丁の村から村へと引越しをしてきた。というのも、医女のチャングムさんの腕が良すぎて評判になるため、人目につくのを恐れて、住む場所を変えるのであった。二人の間には娘がひとりいた。娘は明るく健康に成長していた。そのうえ美しくて賢く、母チャングムのりっぱな助手だった。ナウリは、幸せな男だと言われていた。他のどんな夫婦よりも妻が夫に尽くす夫婦だと言われていた。だが、チャングムさんが診ている患者はたいてい貧しくて薬代が払えないので、ナウリが自分の稼ぎを差し出してやることが多かった。ナウリは、チャングムさんがそばにいるのがうれしくて仕方がないらしく、ときどき、歌を歌った。それはむかし、胸を引き裂かれるような想いで歌った歌なのだが、いまはしあわせな想いを口に出さずにはいられなくて湧き出てくるのである。ナウリが歌うと、チャングムさんも歌った。ふたりが歌っているときには、娘もうれしそうに微笑んで聞いていた。
ある日、村に、兵士達が入って来た。内禁衛の武官達だった。ナウリに娘とチャングムが寄り添った。三人は心配そうな顔で武官達を見ていた。その先頭の男が近づいてきたとき、ナウリは、彼が、むかし、ただひとり、「おまえ」と呼んでいた副官であることに気づいた。副官はナウリのそばまで来ると跪き、驚かせて申し訳御座居ません、と言った。彼等は、ミンジョンホとチャングムを宮廷に迎えるために来たのである。かつてチャングムに王を直接診察することを許した皇后が、今では皇太后となっていた。
チョンホとチャングムとは、娘を連れて、都に帰った。廷臣達が彼らに深い尊敬の態度を示した。かつて、ミンジョンホを流刑にせよと迫った右議政、左議政、右賛成、左賛成などの人々は、皆、年老いたか、失脚するかして、いなくなっていた。内医院では、チャングムが突然いなくなったときには少し混乱したが、チャングムが育てた医女達のなかから優れた仕事をする者が現れていた。彼女達をまとめていたのは、シンビだった。シンビは、チャングムがいなくなった後、大長今のような称号もそれに相当する地位もなかったが、単なる医女長というのではなく、チャングムに並ぶ優れた医女として実力を認められるようになっていた。シンビは、従三品堂下官に相当する俸禄を貰っていた。皇太后の命令で、チョンホとチャングムは、もとの同副承旨の身分と大長今の称号を返された。だが、ふたりとも、宮廷ではなく、街で、また村で、小さな書堂と大きな薬坊を開き、こどもに文字を教え、病の人を癒して暮らしていきたいという希望を述べた。皇太后は許した。
チョンホとチャングムとソホンは、ミン家に、そしてまた、カンドックの家に挨拶に出向いた。カンドックとおかみさんとは、チャングムとチョンホとが、両班の新郎新婦として挨拶をするのを、驚き畏まりながら受けた。チャンドクも横で見ていて、感嘆すること頻りだった。
チョンホとチャングムとは、新しい土地を目指した。ただ、娘ソホンは、典医監で医女の修練を受けるために、都に残った。
旅立つ日、チョンホはチャングムにきいた。
「後悔しませんか?」
〜〜〜〜エピローグ〜〜〜〜
ミンナウリに関する長い物語のなかで、一つだけ疑問に思われることがある。それは、朝鮮国王に仕える忠実な文官でありながら武芸にも優れ、三浦の乱で功績を立てた、というナウリの、倭人こと日本人に対する優しさ、である。ナウリの物語を伝えたのは宮廷の女官達であり、彼女達は、豊臣秀吉による壬申倭乱・丁酉再乱こと文禄・慶長の役など、日本に対しては良い感情を持てない事件を経験している。徳川時代の朝鮮通信使による日本との交流の歴史があるにしろ、それが女官達にとって日本への興味や友情をどれほどかきたてたかは不明である。ただしこの物語は、1895年の閔妃暗殺の頃までにはまとめられていたので、その後の日本との関係からは影響を受けていない。それにしても、人生の大部分を宮中で過ごした彼女達が、三浦の乱を起こした朝鮮在住の倭人に対して、少しでも共感を寄せる理由は何もないはずなのである。
これについては、別のある話が伝わっている。壬申倭乱よりも少し前に亡くなったと推定される、ある医女がいた。その医女は、女官達の間で親切な医女として頼りにされていた。病気の治療だけでなく、足を揉んでやったり、肌の手入れをしてやったりしながら、女官達の悩み事なども聞いてやり、年配の尚宮達からさえ信頼されていた。医術の腕が優れていたにも関わらず、ついに王族を診ることなく、医女長になる実力がありながら常に後輩に譲り、長年宮中に仕えたあげく、70歳頃に隠退した。非常に美しいひとで、70歳になってもまるで50歳ぐらいに見えた、と言われている。
その医女はあるとき、ひとりの女官に、自分の生まれを語ったことがあるという。それによると、まだ六歳頃のこと、三浦の乱に遭った。父親は朝鮮人、母親は倭人であり、父は倭人達とともに乱に加わったのである。戦が劣勢となり、ついに親子が暮らす家にも朝鮮の兵士達が踏み込んできたとき、幼い娘だけ長櫃の中に隠した。娘が櫃の蓋を開けたとき、目の前で、若い朝鮮の武官が、父と母とを殺したところであった。その若い武官は娘を見て驚き、次いで今自分が殺した人々に目を戻した。そのとき、父親が、切れ切れの声で、朝鮮語で武官に話しかけたのである。武官は跪いて耳を傾けた。父親は、娘を助けてほしい、とひとことだけ言い遺して、こときれた。武官はしばし茫然とするようであった。が、やがて櫃の中から幼い娘を抱き上げた。その後のことはよく覚えていないのだが、娘はしばらくその若い武官とともに過ごし、やがてその若者の家でも暮らした。それから、あるとき、街で薬房を開いている医女と知り合いになり、彼女のもとで医術を学びながら一緒に暮らすようになった。そして医女試験に合格し、宮中に配属された、というのであった。
この話を聞いた女官は日誌に書き留め、それは親族の家に残された。のちに見つかった、ミンナウリのモデルといわれているミンジョンホの日記と照らし合わせて、どうやらそのむかし三浦の乱で幼い六歳の少女の両親を殺し、生き残った娘を託された若い武官というのはチョンホのことだったと推測された。まったく別の家の出身であった女官の日誌と、ミンジョンホの日記とが、どうして照合されるに到ったのか、それもまた不明であるが、いつしか、この話はミンナウリにまつわる別の話として、語り伝えられるようになったのであった。
〜〜〜〜懐夫歌(一)〜〜〜〜
自ら望まなくても歴史を変える人がいるのです。
あなたがそうなのです。
あなたはこの国の歴史で初めて、女でありながら王の主治医になるのです」
書堂に行ってはお母上にふくらはぎをたたかれたこと、
男の子と遊んでは叱られたこと、
うさぎをつかまえては怒られたこと。
そんなに叩かれても勉強したかったのでしょう?
あなたがいつか話してくれました。
どうして、空を『天』と書くのか、日はどこから昇るのか、月はどこに沈むのか、うさぎはなぜ人のように歩かないで飛び跳ねるのか。
不思議で、知りたくてしかたがなかったと。
あなたは、ものを覚えるだけではなく、ものを考える人です。ものを考えて知る人です。
あなたはなぜと思ったから、あなたは不思議だと思ったから、あなたは疑問を持ったから、ものを考えて知る人だったから、ここまで走ってこられたのです。
成し遂げられそうもないことを成し遂げてきたのです。
あなたは前へ進まなければなりません。
いつもひるまずに前へ進むことが、あなたの一番良いところだと、ハン最高尚宮様がおっしゃったでしょう。
あなたは投げ出されても花を咲かせる花の種だと、先へ進みなさいと、おっしゃったでしょう。
ハン最高尚宮様は御自分の命が絶えるとき、あなたに託されたのです。
誰もがこどものときに心のなかに持ったことのある、なぜという問いを、あなたが続けていくことを」
あなたは一緒に来てくださらないのですか。
来てください、来てくださいといえば、来てくださいますか。
行ってください、行ってくださいといえば、行ってしまいますか。
あなたに来ていただいても、一緒に種を蒔くことはできないのですか。
いいえ、いいえ、花の種はひとりで蒔くのですね。
来てくださらないのなら、わたしも行きます」
カナラ カナラ アジュ カナ
ナナニ タリョド モッノナニ
アニリ アニリ アニノネ
エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ
エイヤ ディイヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ」
カナラ カナラ アジュ カナ
ナナニ タリョド モッノナニ
アニリ アニリ アニノネ」
オジド モタナ タリョカマ
エイヤ ディイヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ」
カナラ カナラ アジュ カナ
ナナニ タリョド モッノナニ
アニリ アニリ アニノネ
エイヤ ディィヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ
エイヤ ディイヤ エイヤ ナラニノ
オジド モタナ タリョカマ」
「チャングム」
と言えた。チャングムが、
「チョンホさま」
と、懐かしい声で言うのが聞こえた。
「チャングムさん。あなたがここに来たのは、王様の御命令ですか?」
チャングムはうなずいた。
「王様の御命令で、内侍府の尚膳様が、わたしを宮中の外へ逃がしてくださり、内侍の方々に連れられて、ここに来たのです。ソホンは内侍達と一緒にいます。王様からチョンホ様への御命令もあります。でも、わたしはその前に、尚膳様のお手紙をチョンホ様に渡さなければなりません」
「内侍達のところへ行きましょう」
と言った。
「後悔しません。宮廷は悲しいところです」
「では、これからゆくところは悲しくないところですか?」
「はい。これからゆくところは希望のあるところです」
「わたしも、そう思います」
「ソホンにも、きっといい便りを出すことができます」
「ソホンも、きっと希望のある道を歩いていきますよ」