2008/01/22 by てるてる
ミンナウリのカード〜(七十七)〜
鄭雲白殿
取り急ぎお知らせする。忠清道にて天然痘が発生し、村々に広がりつつある。
これは予防が肝心にて、徐長今医女が対策方を書き誌し、役所にも届け、早
馬で四方に知らせている。漢陽においても早急に対策をとられたく、長徳医
女に徐長今医女がこれと別便にて知らせている。内医院でも医局長殿にお知
らせし、一致団結して対処をお願いしたい。徐長今の予防対策方および罹病
者の処方は同封の書状に誌してある。先年、集団食中毒の村を疫病と間違い、
封鎖し焼き払いたることあり、当時の村人達の絶望と恐慌を知る者として我
等二人共、こちらの状況が落ち着き次第すぐに漢陽に帰り、罹病者の隔離と
治療に当たり、村ごと封鎖焼き払いせずとも済むよう、全力を尽くす所存である。
閔政浩拝
内医院のチョンウンベク医務官のもとにこの手紙を持ってきたのは、内禁衛の兵士だった。ミンジョンホが唯一「おまえ」と呼んでいた副官である。この副官は、半年前、今の右議政、もとミンジョンホの上司の左賛成に命じられて、チョンホとチャングムを捕えに向かったが、帰ってきて二人を見つけられなかったといい、減俸処分をくらったのだった。ウンベクはそのようなことなど何も知らず、今まで行方をくらましていたチャングムとチョンホとが突然便りを寄越したかと思えば、断りもなく出奔したことを詫びるでもなく近況を知らせるでもなく、ただ疫病の発生をいちはやく知らせ、対策を講じるように要請していることに、苦笑したのであった。疫病が発生しなければいつまでも姿をくらまし、便り一つ寄越す気がなかったのであろう。身勝手な連中だ。そう思いつつ、ことがことだけに、個人的な感傷にひたる暇もなく、すぐに医局長シンイクビルにもこの手紙を見せて事の次第を知らせ、内医院の全員を招集し、イグゥアンヒにも臨席してもらい、疫病対策を始めた。イグゥアンヒは王に疫病発生を報告し、国を挙げての対策を取ることになった。
一方、チャンドクは、内禁衛の副官から手紙を受け取ると、これもすぐに患者の発見と薬の確保に取り掛かり始めたが、副官には、チャングムの育ての親であるカンドック夫婦に、これまでふたりがどこでどうしていたか、できるだけ詳しく話してやってほしい、と頼んだ。副官は言われたとおりにカンドックとおかみさんに、チャングム達のこれまでの暮らしぶりを話した。それによると、副官は始め、ふたりの「遺品」と思われるものを、河を行く船の中に見つけたのである。副官率いる内禁衛の兵士達はその船に確かにふたりが乗り込んだときいて、急いで別の船を出して追いつき、乗り込んだのだが、そのときにはふたりの履いていた靴しか、残っていなかった。副官は先に兵士達に、ふたりの靴を持って、自分達が乗ってきた船で帰るようにといい、後は自分ひとりで遺体を捜すと言って残った。副官はふたりの靴が見つかった船で、忠清道まで行った。そこで船を降り、積荷が全部降ろされた後も、夜になるまで待っていると、船から二人が降りて来た。副官はふたりの後をつけた。ふたりは一軒の家を訪ねた。そこはチョンホの古い友人の家だった。副官はその家の主を知っていた。チョンホと、その家の主と、副官の三人は、三浦の乱で生死をともにした仲間だったのである。副官はふたりの後からその家を訪ねた。はじめ、副官は、宿を借りたいといって断わられた。三浦の乱の戦友を門前払いするとは、と押し問答していると、チョンホが出てきた。そこで、副官も家に上げられたのである。副官は、家の主から、チョンホとチャングムの祝言の介添えを命じられた。えらく略式だったが、チョンホとチャングムとはその家で祝言を挙げると、翌日にはまた旅立っていった。ふたりは落ち着き先をその家の主に知らせると約束し、主はそれを内禁衛の副官に知らせると約束したのである。副官はそこから内禁衛に帰り、右議政には、結局、ふたりの遺体は見つからず、死んだ可能性のほうが大きいが生死不明と報告したのであった。それから半年の間は、ほぼひと月に一度、便りがあった。ふたりはとある村で落ち着き、チョンホは書堂を開き、チャングムは薬坊を開いて、仲睦まじく暮らしているようすが伝わってきた。最後の手紙は忠清道の友人が自分で早馬を仕立てて届けに来て、内禁衛の副官に渡すとすぐに引き返して行った。そして副官も疫病対策のために奔走することになったのである。
(「内侍府尚膳の日記」……写本にて伝わる)
某月某日。やはり、やりおった。チャングムは、王の病状日誌を盗み出し、書き写した。三日間、泳がせておいた。その間に三冊の日誌をすべて写し終えた。あれでは一睡もできるはずがない。誰か手伝う者がいたのかもしれぬ。それは問うまい。日誌を三冊とも返したところを見計らって、内侍府でとらえた。少し懲らしめ、脅しをかけておくようにしたが、あれぐらいせねば、口で言っただけでは聞かぬ。もっとも、どう懲らしめ、脅したところで、やはり、聞かぬだろう。
充分怖い思いをさせてしばらくは懲りるだろうと見定めてから、釈放し、内医院に連れ帰るつもりだったのだが、女官長が横槍を入れてきた。前の女官長のパク氏も権高な人だったが、今の女官長はそれよりさらに権高な人だ。そもそも、前の女官長を、オギョモの後ろ盾とチェ一族の財力を以てして追い払い、自ら女官長の地位に就いたような人物である。しかし、内侍府の裁きにまで口出しできると考えるとは、思い上がりも甚だしい。そのような思い違いをいつからするようになったのだろう。富と権力の絶頂にある者が油断して躓き、全てを失う例はいくらでもある。女官長はそんなことも忘れているのか。それとも、チャングムへの恐れが、愚かしい行いへと駆り立てているのかもしれぬ。
某月某日。ミンジョンホが緊急の用件で会いたいと言って来た。会ってみると、チャングムが危ないという。内侍府の者が例の件を口外したと。女官長が次の一手を打ってくる前に備えをしなければならぬ。
皇后様の賢明な御判断に頼るしかない。それがなくてはチャングムにはこの先、どうやってもハン尚宮の名誉を挽回することはおろか、自分の命を守ることもできないだろう。
某月某日。皇后様の賢明な御判断により、チャングムは菜園で医女チャンドクとともに、王の御病気の原因の解明と治療法を研究することになった。チャンドクは内医院の者たちよりも優れている。この者が、王の病状日誌を写すのも手伝ったのだろう。
ミンジョンホはチャングムが王の病気を必ず治すと信じて疑わないようである。済州島には内侍府の手も届かぬので、あの島でどう過ごしていたのかは判らぬ。だが、ミンジョンホが内医院の副審議官を兼任する前、都に帰ってきてからのふたりは、そうしてもおかしくはなかったのに、夫婦同然に暮らすようなことをしなかった。まあ、せいぜい、婿殿候補といったところか。チョンホはオギョモとチェ一族の内偵には内禁衛の者を使っているが、チャングムを守るためには、養父母を密偵代わりにしている。公私の区別を弁えている。養父母ならばチャングムのために命も惜しまぬ。それにカンドックは役に立つ男だ。その妻も抜け目がない。
チャングムが普通の女なら、医女になるなどという面倒なことをせず、両班の男に身を任せる代わりにチェ一族への復讐を果たさせようとしただろう。だがチャングムはそうした娘ではない。
医女となって自力で宮廷に戻ったのは感心だが、そのあとはじっくりと経験を積み、少しずつ内医院での地歩を固めて宮中の風向きが変わるのを待ち、時間がかかっても、オギョモの勢力が弱ってから、ハン尚宮の名誉挽回を願い出たほうが無難であるのに。人より優れた能力を持ち、皇后様や皇太后様のお気に入られたのが、かえって仇となってチェ一族を刺激し、危険を招いている側面もないわけではない。だが本心から目立たぬようにしようと努めればできぬことはあるまい。そうできないのは、一つにはハン尚宮の名誉回復を急ぐ気持ちと、もう一つは、そのハン尚宮から教えられた料理人の信念が、今は医女としての信念に変わり、身分秩序を重んじる人々の前では自身に不利を招くとわかっていても、務めを果たさずにはおれないのだ。いやむしろ、王の侍医にチャングムほどの気骨が備わっていないことのほうが問題なのだ。
チャングムのような娘には、ミンジョンホでなくても、手を貸してやりたくはなる。しかし危険極まりない。チョンホは元より覚悟のうえだろうが、あのように賢い男でも、見境がなくなることはあるものだ。
(この間約三ヶ月分略)
某月某日。ミンジョンホとソジャングムとが出奔した。皇后様がチャングムに下された命令が引き金になったものと思われる。王様が問い質そうとされた矢先にふたりで宮廷から出て行った。王様は東宮様の主治医となったチャングムに皇后様がどんな命令を下されたのか聞き出そうとされたのだ。皇后様はチャングムに自分付きの女官になるようにと命じたのだとおっしゃった。チャングムが姿を消した今となっては、真実を知ることは叶わぬ。ミンジョンホは、皇后様が東宮様の主治医に何をさせようとしたのかを闇に葬り去った。
(この間約半年分略)
某月某日。慶源大君が天然痘を発病した。なんということだ。左議政イグゥアンヒが、忠清道と京畿道で天然痘発生の知らせがあり、すぐに対策をとらねばならぬと王様に申し上げた直後に、判明した。慶源大君は隔離された。皇后様のお嘆きとお苦しみは見るに耐えぬ。内医院では慶源大君の治療に全力を挙げるとともに、宮中に他にも発病した者がいないか検診を始めている。宮中が恐慌に陥らぬよう、皆の者に浮き足立って騒がぬように申し付けねばならない。病も恐ろしいが、恐れの心が病をより一層惨いものとする。
某月某日。都でデジャングムという医女の噂が広まっている。天然痘に罹ったこどもを活人署に連れてきた父親母親達が、医務官が誰も診たがらないのにデジャングムなら診てくれるといって感謝している。ことに極貧のもの、良民よりも身分の低い者達にとっては診てもらえるだけでもありがたいのだ。良民も賎民も、デジャングムなら我が子を救ってくれると言っている。顔にあばたが残ったもの、片目を失ったもの、両目とも失わずに助かったもの、あばたが少なかったもの、病の跡の程度はいろいろでも、命が助かった者達がデジャングムに感謝するのは言うまでもない。命を失ったこどもの父親母親までが、デジャングムに感謝している。まるで母親のように病んだこどもを抱いて慰め励ましていたという。デジャングムを助けている男はナウリ、またはミンナウリと呼ばれている。病に罹った者を西の活人署に連れて行き、活人署の建物から離れた小屋に隔離している。残った家族達が不安がらぬように慰め、また病気に感染せぬよう細心の注意を払いながら見舞いに来られるようにしている。チャンドクという街の医女と連絡を取りながら薬も配っているという。それに、あのカンドックやその妻が、チャンドクを手伝っているらしい。家がチャンドクの診療所の近所だということだが。デジャングムとミンナウリとは忠清道から来たと言われている。忠清道の役人の推薦状があり、それが西の活人署の近くに隔離小屋を建てるときに効いたらしい。ふたりに付いて忠清道から来た商人が、天然痘の患者を治した医女がデジャングムと呼ばれていると都の人に教え、その呼び名が広まったとも言われている。
某月某日。皇后様が慶源大君をデジャングムに診せたいと王様に願い出られた。王様はお許しになった。内医院のチョンウンベク医務官がデジャングムのいる西の活人署に行った。だがチョン医務官はデジャングムを連れてくることができなかった。お咎めを恐れているのだという。王様はチョン医務官を呼び出し、なんのお咎めか、とおききになられた。チョン医務官は申し上げにくいことだが、と言ったきり、口を閉ざしている。王様が、では内禁衛の兵士に連れて来させよと命じられた。内禁衛の長官は一旦は御命令に従ったが、あとで王様に、内禁衛の兵士どもはデジャングムを助けている男のいうことをきいているので連れてくることができなかったと報告した。王様は内禁衛の長官に自らデジャングムを連れて来させよと命じられた。長官は自らデジャングムを連れに行ったが、帰ってきて、王様に、何も咎めぬ、何も問い質さぬ、慶源大君の病が治ればすぐに宮廷から出て行かせると約束してくださらない限り、デジャングムは出仕できぬとの返事であると報告した。王様はすべて望み通りにすると仰せになった。
某月某日。ミンジョンホとソジャングムとが内禁衛長官に連れられて宮廷に現われた。王様と皇后様はふたりを見て驚かれたが、約束通り何も問わず、すぐに慶源大君の隔離されている部屋に行くように命じられた。内医院の者達がチャングムの補佐を務めた。わたしは内侍のひとりを使いに遣り、ミンジョンホをお茶に呼んでこさせた。ひさしぶりに会ったチョンホは、少し窶れてみえた。しかし眼の力強さと美しさは以前と変わりがなかった。しかもその挙措動作には幸福そうなゆったりしたようすがあった。宮廷に仕えていた頃よりも貧しい暮らしをしているはずなのに、かえって悠揚迫らざるといった、大人然としたところがみえた。わたしは彼に忠清道での暮らしぶりをきいた。チョンホが書堂を開き、チャングムが薬坊を開いて、村のこどもたちを教え、村人の病を治し、ふたりで宮廷から出奔する前に想い描いていた通りの暮らしをすることができたと言った。忠清道に行ったのは、三浦の乱でチョンホと生死をともにした仲間がいたので、頼ったということだ。疫病が広まらなかったら、そのままの暮らしを続けていたのだろう。
某月某日。慶源大君の病が癒えた。跡も残っておらぬ。皇后様は大層喜ばれた。チャングムは、自分が来る前に慶源大君を診ていたチョン医務官の治療が適切だったから、後を引き継いだ自分の治療も効果を挙げることができたのだという。チョン医務官は、実はチャングムから前もって天然痘の処方を手紙で知らされていた、と打ち明けた。しかしこどもはおとなよりもからだが小さいので、薬の量の加減を変えねばならなかった。チャングムは、その匙加減が、日頃から慶源大君を診ていたチョン医務官ならではの絶妙さであったと称えた。王様はチャングムとミンジョンホに何か褒美をとらせたいと仰せられた。しかしふたりは約束どおりすぐに宮廷を下がらせていただきたい、とお答え申し上げた。王様は、なおしばらくはふたりとも都に逗留するようにと命じて、宮廷から下がることをお許しになられた。
某月某日。内医院の医局長シンイクビルから、江原道で天然痘が広がっているので、チョン医務官にチャングムとミンジョンホを補佐に付けて治療と隔離に向かわせたい、との願いが出ているとのこと。左議政イグゥアンヒが王様に申し上げた。王様はチョン医務官に疫病対策の指揮権を与え、江原道に赴くことをお許しになった。
某月某日。チョン医務官が江原道から帰ってきた。そして、このたびのミンジョンホとチャングムの働きに恩賞を与えていただきたいと願い出ていることが、左議政イグゥアンヒから報告された。チョン医務官は王様から疫病対策の指揮権を与えられていったが、江原道で実質的に指揮をとったのはミンジョンホであり、チョン医務官は形式的に許可を与えていただけであったそうである。それは現地の役人と交渉するときのための便宜であった。ミンジョンホは忠清道では、三浦の乱以来の仲間に、同じ便宜を図ってもらったのだとのこと。江原道では、現地の役人が既に封鎖を命じた村があった。ミンジョンホとチャングムはふたりでその村に薬を持って入って行って調査し、帰ってくると封鎖の必要はないと報告した。その後はチョン医務官と協力して罹病者だけを隔離して治療を行い、それが効果を挙げて、天然痘の蔓延も抑えられたとのことである。
某月某日。京畿道と忠清道では、天然痘の発生後、封鎖された村は一つもなく、江原道でも封鎖された村の数は一つだけで、焼き払われることはなく、封鎖は比較的短期間で終了した。このたびの天然痘では、罹患者の数に比べて死者の数が少なく、快癒したものが多い。あばたが残ったにしても、この病は一度罹って治ると、二度と罹らないといわれており、多くの民は安心したようである。疫病の蔓延が長引くと、怪しげな呪いや占いに走る者が多く出て、無知な民から金品を巻き上げる不逞の輩もいるのだが、このたびはそういうこともほとんど聞かなかった。これは適切な隔離と治療の指導が行われたからであり、それはミンジョンホとチャングムの功績である。王様はふたりに官職と恩賞を与えるとおっしゃっている。しかしふたりとも辞退し続けている。漢陽でも忠清道でも江原道でもデジャングムを賞賛する民の声が広がっている。
ミンジョンホとチャングムは、硫黄家鴨事件の発端となった温泉村に来ていた。イヨンセン淑媛が幼い翁主とともに療養に来ているのである。翁主はチャングムが宮廷から出奔してから一ヵ月後に生まれた。療養といっても病気になったわけではなく、イ淑媛が一度翁主に宮廷の外の空気を吸わせてやりたいと王に願い出て、許しを得たのである。王の行幸に比べればずっと小規模だが、お付きの女官達、内侍達、内禁衛の武官達が、同行していた。この村には、ハン最高尚宮に連れられて、ヨンセンもチャングムも来たことがあった。あのとき、ハン最高尚宮が家鴨料理の腕を振るい、チャングムが手伝い、王は御機嫌がよく、晴れやかであった。王が宮廷に戻るまでは、だったが。
チャングムとヨンセンは、東屋で翁主を遊ばせながらお茶を飲んでおしゃべりに余念がない。お付きの女官達も一緒になって笑ったりしゃべったりしていた。水刺間時代に仲のよかった女官同士が集まって、宮廷を離れて遊んでいるのである。
チョンホはそのようすをほほえましく眺め、邪魔をしないようにと散歩に出た。あれで放っておくと半日はしゃべり続けるだろうな、と思い、ゆっくりと遠くまで歩くことにした。尚膳がそばに来た。ふたりはともに手を背中に組んで、並んで歩いた。尚膳が話しかけた。
「王様から官職をいただいたらどうかな」
「右議政殿が王様に申し上げていた。ミンジョンホは疫病対策において右に出る者のない優れた指揮官となっている、と。そなた、疫病に限らず、民の病気を防ぐことについて何かゆうておっただろう」
尚膳の口調が少し深刻な調子に変わった。
「皇后様がチャングムをおそばに置きたいと思われるのは、御自身が流産のときに命を救われたからであるし、王様の病を治したからでもあるし、慶源大君の病もまた治したからでもある」
今度はチョンホが溜め息をついた。
〜〜〜〜(七十八)〜〜〜〜
〜〜〜〜(七十九)〜〜〜〜
チョンホは首を横に振った。
「忠清道での暮らしは、宮廷にいた頃とは比べものにならないくらい幸せでした。二度と宮中に戻ろうとは思いません」
「そなたの望みの仕事ができるかもしれぬぞ」
チョンホは尚膳の顔を見た。
「それはチャンドクという、優れた医女のことです。貧しい人のためには、病気を治してあげるよりも、病気を防いであげるほうがたいせつだと。チャンドクはそのために、真水の少ない済州島で、雨水を濾過する装置を作りました。水軍の兵士達を駆り出して。わたしもそのときから民の厚生に気を配るようになりました。チャンドクのような優れた医女が必要なことを調べて報告し、対策を立て、わたしがその実行のために兵士を差配しました」
「チャンドクは都で天然痘の治療と隔離にも、チャングムと協力して功績があったとゆうていたな」
「チャンドクはもともと、貧しい人々の栄養と衛生の指導に力を入れています。役所ももう少し彼女の進言を取り入れればいいのですが」
「そなたがその仕事をしたらどうだ。済州島でしていたことなら、漢陽でもできるだろう」
「わたしはチャングムと一緒にこどもたちを育てたいのです。貧しい家のこどもでも、身分の低い家のこどもでも、読み書きを教え、病を防ぎ、賢く、強く、健やかに育つのを見るのが楽しみなのです」
「確かにそれもりっぱな仕事だが。ほんとうにそれだけが理由なのかな。右議政殿はそなたに官職に戻ってほしいと言っていたぞ」
チョンホは再び尚膳の顔を見たが、少し苦笑した。
「それに、わたしがもし官職に就いたら、左議政イグゥアンヒ殿やその一派の人々が黙っていないでしょう。わたしは職を捨てて医女と駆け落ちした男です。あの疫病がなかったら、漢陽の街をチャングムと一緒に歩くことなど考えられませんでした」
「その、医女のことだが」
「王様も、皇后様も、御自分のそばに置いておきたいと望んでいらっしゃる」
チョンホは尚膳の顔を問いかけるように見た。
「王様も、皇后様も?」
「そうだ。皇后様も、王様も、だ。どういうことかわかるかな」
「いえ、わかりません」
尚膳は溜め息をついた。
「はい」
「それに、東宮様のことに関して皇后様は一度無理なことをチャングムにさせようとされたが、それがいかに無道であったかに気づかれて、今はチャングムに対する信頼をかえって深めていらっしゃる」
「はい」
「王様は、チャングムを、御即位になる前から御存知だった」
「その話ならチャングムから聞いたことがあります。まだ8歳だったとか。酒を配達して、燕山君への謀反が企てられていることを知らせたのですね」
「中宗反正はチャングムの働きがあってこそ成功したようなものだ」
「幼いこどもに、たいへんな重荷を背負わせたものです」
「だがチャングムはりっぱにやってのけた。王様はチャングムとの深い縁を感じられてな」
「ええ」
「王様はチャングムがりっぱな女官に育ったことを喜ばれた」
「今は医女ですが」
「そうだ。だが王様は、チャングムが自分から王様に女官にしてくださいとお願いし、そのとおりに女官にしてやったことを尋常でない深い縁であると感じられている。女官のなかでも特に自分と深い縁のある者だと思われている」
「しかし、チャングムは……」
「今は医女だ。そしてそなたの妻だ。だが王様にとっては、今も女官なのだ」
「そのようなお話は」
「聞けぬ、とな」
「ええ」
「王様は近いうちにチャングムを召し出そうと考えられている。皇后様のお望みの通り慶源大君の主治医にせよと命じられるだろう」
「お断り致します」
「そうはいかぬかもしれぬ」
「なぜです」
「そなた、さっき、自分で申したであろう。職を捨てて医女と駆け落ちした、と」
「何のお咎めもしないというお約束でチャングムは慶源大君の治療を引き受けたはずです」
「チャングムをお咎めにはならぬ。だがそなたはお咎めを受けるかもしれぬ」
「結局、そういうことになるのですね」
「お咎めを受けないようにしたければ、今度王様がそなたに官職を勧めたら、遠慮せずに受けるのだ。仕事の内容はそなたの望みを言ってよいだろう。漢陽の街の人々のために一仕事したいといえば許される」
「お断りしたら」
「そなたは疫病を防ぐのに功績があったゆえ、命まで取るとは申されぬ。しかし、わたしが心配しているのはチャングムのことだ。そなたがお咎めを受ければ、チャングムはどうなると思う」
「あの人は自分を責めるでしょう。ああ、結局、忠清道には帰ることができないのですね」