ミンナウリのカード

2008/01/04 by てるてる

ミンナウリのカード〜(七十四)〜

〜(七十五)〜

〜(七十六)〜


〜〜〜〜(七十四)〜〜〜〜

 ミンジョンホとチャングムとが、文字通り、手に手を取って、王宮の奥から宮城門まで突っ切って出て行ったことは、たちまち、宮中の噂となった。誰もふたりを止めることができなかった、チョンホの顔は鬼気迫るものだった、と言われていた。

 皇后は、ミンジョンホという男の名を聞いて、王が病気になったときに、チャングムのそばにいるチョンホと話したことがあったのを思い出し、そのときのふたりの態度やようすを思い浮かべ、チョンホがソ医女になら王の病を治すことができるといったときの自信たっぷりな調子をつくづくと思い返し、そのうえなお、王の眼が見えるようになったときに、チャングムがすぐに義禁府に行く許しを請うたときの、いっときでもおろそかにできないという思いつめた顔をありありと思い出した。なんと自分はうかつだったことか、と皇后は、舌打ちせんばかりだった。実際には舌を鳴らしたりしなかったが、心の中では舌を鳴らし、手で机を打っていた。あのチャングムが、東宮を診ることはこれ以上できない、皇后から貰った命を返したい、命を取ってくれとまで言い出し、それならば自分のお付きの尚宮になれと命じたときの、困り果てた、命を取られるよりもつらいといった表情は、チョンホのためだったのだ。女官になれば、たとえ皇后付きであろうとも王の女であるから、他の男と夫婦になることはできぬ。あのふたりを間近でよく見ておりながら、自分の目は節穴だったかと思うと、皇后は恥ずかしささえ感じた。こういうことは、下々の者のほうが気がつくものだ。王の病が重大だったからとはいえ、恐らく誰もが既に知っていたであろうふたりの関係に自分がまったく気づかず、チャングムを自分のそばに留めておくために利用できなかった間抜けさ加減は許しがたい、と思った。

 王は、皇后の御殿に行く途中、自分を通すために脇に控えて礼をしていた男のことを思い出した。あれは、ミンジョンホではなかったか。あの男が、自分が皇后の部屋に入った後、下がっていったチャングムをつかまえ、駆け落ちよろしく、宮城を人目も憚らずに突き切って出て行ったのか。ミンジョンホという名は、左賛成の片割れとして覚えていた。出奔する前は、内医院の副審議官にもなっていた。内医院でチャングムと知り合ったのか。いや、そもそもチョンホが内医院の副審議官となったきっかけは、封鎖を命じた疫病の村に残って村人達の救済に務め、疫病ではなく集団食中毒であることを突き止めたという手柄があったからだ。あのときにチャングムと知り合ったのか。その前は、どうだったのだ。チョンホは、済州島水軍の指揮官で、倭寇を討ち取った功績があった。それで官位を上げ、左賛成の配下になったのだ。チャングムも済州島にいた奴婢だった。チャングムは始め、済州島に襲来した倭寇と内通したかどで捕えられたが、後で、反対に、倭寇の内情を探って済州島水軍に知らせ、討ち取りに貢献したという功績で恩賞を与えたのだ。あのときに、チョンホとチャングムとは知り合ったのか。その前は、チャングムは水刺間の女官だった。チョンホは内禁衛にいたのだ。三浦の乱で功績を挙げたので、文官でありながら内禁衛の長官に請われて兵士の訓練を任されていた。その頃のふたりはどうだったのだ。ミンジョンホという名を最初に聞いたのは、十六歳で科挙に合格したという少年に、茶を振舞ったときだ。あのときはまだ髭も蓄えていなかった。あれが、堂上の文官となり、王の目の前で、王の病を治した医女をさらっていったというのか。チャングムは、まだ十歳になるやならずのときに、燕山君へのクーデターを企む者達から託された酒を配達に来た。そして酒を順番通りに並び替え、難しい漢字で書かれたその名を見事に読み、そこに隠された意味を正確に伝えたのだ。そのうえ、こちらのようすを見て、深くお悩みのご様子でした、という返事まで伝えたのだ。実に利発な賢い少女だった。その少女は、見よう見まねで女官の礼をまちがったやりかたでして、その場にいた尚宮に無礼者と叱られながら、女官にしてください、と頼んだのだ。幼い娘が、女官にしてくださいと、懸命に、何度も頼む姿を、ほほえましく、いじらしく感じて、王となって即位した後も思い出し、願いを叶えてやった。あれがチャングムであった。女官になったチャングムは、いつ、ミンジョンホと知り合ったのか。

「尚膳」
 王は、そばに控えていた内侍府の尚膳に声をかけた。

「はい、王様」
「ミンジョンホとソジャングムは、いつから知り合いだったのだ」
「はい、ミンジョンホは内医院の副審議官になりましてから、ソ医女の研究熱心さを見抜き……」
「その前に、ふたりは、余が封鎖を命じた疫病の村で一緒に村人の救済に当たっていたであろう」
「はい、ミンジョンホは王様の封鎖の御命令を伝えに疫病の村に参りましたが、後から、医女がひとり、村の中に取り残されていることに気づきまして、封鎖の責任者として探しにいき……」
「その前に、済州島に倭寇が襲来したとき、チャングムは倭寇の内情を探ってチョンホに知らせ、捕縛討ち取りに貢献したとして恩賞を授けておる」
「はい、ミンジョンホは済州島の水軍の指揮官でしたが、チャングムはその頃、済州島の高名な医女チャンドクの弟子として修業に励み、チャンドクは水軍の武官からも一目置かれる島の名士でありましたから、その頃にチャングムとも知り合ったものと思われます」
「その前はどうだったのだ」
「その前と申しますと」
「チャングムは水刺間の内人だった。チョンホは内禁衛の武官の指揮を執っていたな」
「女官は王の女でございますれば、武官などと知り合う縁もなく」
「しかし、同じ宮廷のなかで勤めておるのだ。どこぞで顔を合わし、名を知り合っていたとしても、おかしゅうはない」
「は、それはそのとおりでございますが、その程度でございましたら、どの女官にも武官にもあることでございます。知り合う縁というほどのことでは」
「そのほうはさきほどから、余が既に知っていることを話し、問い詰めてからでなくては、自分の知っていることを申さぬ」
「恐れ入ります。日々内侍としての仕事に精勤し、王様に忠義を尽くさんとしておりますが、愚か者ゆえ、以前のことは、王様にお話しいただいてやっと思い出すというありさまでございます」
「尚膳。十日前、余の夜食がなんだったか、ゆうてみよ」
「カンナンでございます」
「余の嫌いなしょうがを使っているにもかかわらず、余の好みのお菓子だ。余が最初にカンナンを食したのはいつじゃ」
「ハン最高尚宮がまだ尚宮だった頃、退膳間に忍び込んで夜食を引っ繰り返したこどもがおりまして、そのときに急遽、ハン尚宮と、今の最高尚宮で当時は内人だったミン氏が作ったものでございます」
「よく覚えておるではないか」
「……」
「ソ内人はいつミンジョンホと知り合ったのだ」
「さて、いっこうに」
「思い出せぬと申すか」
「はい」
「今更咎めはせぬ。ありのままを申してみよ」
「ありのままを申し上げますならば、わたくしめにはいっこうに覚えがございませぬ」
「たぬきめ」
「は?」
「もうよい。下世話なことを口にした。口直しがほしい。茶が所望じゃ」
「すぐに用意致させます」

 尚膳は王の前から下がった。王はひとりごちた。
「いまいましい者共じゃ。ふたりは今どこにおる。余の目の前で、女官をさらってにげるとは、不届きな男じゃ。医女になったとて、元は余に女官になりたいと願い出て宮中に上がった者じゃ。ミンジョンホとはどのような深い縁があるというのじゃ」


〜〜〜〜(七十五)〜〜〜〜

 内侍府の尚膳はこう思っていた。

 王様がカンナンのことをおききになったのは、偶然だっただろうか。王様が、最初にカンナンを食したのはいつかとおききになったとき、咄嗟に、ミンジョンホのことは話さず、退膳間に忍び込んだこどもの話をした。その夜、王様は、十六歳で科挙に合格したミンジョンホに茶を賜っていた。退膳間に忍び込んだこどもというのは、宮中に上がったばかりのチャングムのことだ。こどもはふたりいた。チャングムともうひとりは、イヨンセン、今の淑媛様だ。もしそのこどものことを聞かれたら、チャングムのことは伏せてヨンセンのことだけを話し、淑媛様のおかげで王様はカンナンを召し上がることができたのですと申し上げるつもりだった。

 ヨンセンは退膳間でころんで王様のお夜食を引っ繰り返したときに、けがをした。それをチャングムが上手に手当てしてやった。チャングムは、こどものときからけがの手当てが上手だった。それがチョンホと知り合う縁ともなったのだ。チョンホが初めてチャングムのことをきいてきたのは、見習いが内人になる料理試験の数ヶ月前のこと、ちょうど明国の使者が来ており、王様へのおみやげに錦鶏を持ってきて、水刺間でチェ尚宮が料理した頃だった。チョンホは、こう言ったのだ。「ゆうべ、水刺間の女官が宮廷から抜け出したという話を小耳に挟んだのですが」「私はきのう、賊に襲われ、傷を負ったところを、錦鶏を持った女官の手当てを受けて、命を拾いました」「胸に傷を負っているのです」あの男の頼みを容れて、鞭打ち二十回の後に宮廷を追放されるところだったチャングムを、菜園への追放で済ますことができた。チョンホだけではなくハン尚宮やチョン最高尚宮もまた給与を返上するなどといって願い出たおかげであったが。あのとき、チョンホは、チャングムに命を助けられたのを恩に着て、その後のことが心配になってわたしのところに聞きに来たのだった。恩義のこころはすぐに深いなさけに変わった。チャングムに何かあるたびに、チョンホがわたしのところに来た。いずれはかなえられぬ想いに苦しむことになると知っていたが、止めなかった。あの男に秘かに期待を賭けていた。わたしにはできなかったことを、この男ならやりとげるかもしれないと。あの硫黄家鴨料理事件がなかったら、チョンホが手を取って出奔したのは医女ではなく女官だったかもしれぬ。あの男にはどこか、人の道を踏み外さずに則を越えようとするところがある。わたしはそれに期待を賭けていたのだ。

 王様はチャングムが御病気を治し、一時見えなくなっていたお眼に光りを取り戻したので、チャングムのことを心に留められた。王様も、恩義の心が情けに変わろうとされている。あのチャングムが最高尚宮の期間を終えて、医女の姿でお礼に伺ったとき、まだ御即位になる前にチャングムが酒を配達に来たことを思い出された。チャングムはそのときに女官にしてくださいとお願いして、王様は即位されてからその願いをかなえてやったのだと、それはうれしそうにおっしゃっていた。チャングムも、王様にほめられてうれしそうだった。あの娘はいくつになっても抜けておる。あのようにうれしそうな顔を見せれば、男が勘違いすることがわかっておらぬ。王様とてミンジョンホと同じ男であることがわからんのか。わからんのだ。

 あの朝、王様が皇后様のお部屋に入ろうとされたとき、チャングムの声が聞こえてきた。「私の命は差し上げられても、心は差し上げられません。ですから私の命をお取りください」王様がお部屋に入られると、皇后様は、チャングムに皇后様付きの尚宮になるようにと勧めていたのだとおっしゃった。王様は、皇后様の御命令ならチャングムが拒むことはできぬだろう、とおっしゃった。だが王様は見抜いておられた。わたしに、淑媛様のお部屋にチャングムを呼べとお命じになった。以前、淑媛様のお部屋で、チャングムは、硫黄家鴨事件の再審とハン最高尚宮の名誉回復を王様にお願いしたことがあった。しかし王様は、オギョモが倒されると皇太后様と東宮様の勢力が弱くなり、皇后様の発言力が強くなりすぎるゆえ、父として夫として深く悩み、決断を下すことができぬと仰せになった。あのときのことを思い出されたのに違いない。チャングムが命を差し出しても拒みたいと思った皇后様の御命令とは、恐れ多くも東宮様に関わりのあることと、お察しになられたのだ。わたしがチャングムを呼びに内医院に行ったときには、もうチョンホとともに宮廷を出た後だった。チョンホはうまくやりおおせたものだ。あの男は、チャングムは自分のものであると宮廷中に見せつけて出て行きおった。

 だが王様がこのうえ本気でチャングムを自分のものにしようとされるなら、チョンホとても敵わぬ力で引き離されてしまうだろう。あのふたりは今どこにいるのか。


〜〜〜〜(七十六)〜〜〜〜

 イヨンセン淑媛も、ミンジョンホの顔となまえぐらいは知っていたが、直接に話をしたことはなかった。チャングムの口からはっきりとそのなまえを聞いたのは、医女となって済州島から戻ってきてからである。そのときはヨンセンはまだ特別尚宮で、しかも名ばかりの特別尚宮に過ぎず、お付きの女官もおらず、王のお渡りは二年も途絶え、寂しい毎日を送っていた。ヨンセンは毎日、醤庫の外で祈りを捧げていた。そこはかつて見習いだったころに自分が仕えていたチョン尚宮の部署だった。チョン尚宮は毎日のように醤庫でヨンセンにお話をしたり歌を歌ってくれたりした。夜は母親のようにヨンセンを抱いて寝てくれた。チョン尚宮は後に最高尚宮になった。ヨンセンの少女時代はチョン尚宮とチャングムがいたから幸福だった。その後、チョン最高尚宮が亡くなり、チャングムが済州島に流されてからは、毎日が悲しく、もう一度チャングムに会いたいと、チョン最高尚宮の霊に祈るばかりであった。その祈りが通じたのか、チャングムが医女になって宮中に帰ってきたのである。その後はたびたび特別尚宮の部屋で一緒に話をした。チャングムに済州島でいた頃の話を聞くと、何度か、師匠の医女チャンドクのなまえと並んで、水軍の指揮官のミンジョンホのなまえが出てきた。後に、チャングムが疫病の村に取り残され、ミンジョンホが捜しに行ったまま、ふたりとも半月も帰らないでいたときに、ヨンセンには二人の仲がどういうものかわかった。無事に帰ってきたチャングムにさっそくチョンホのことを聞いた。チャングムは、チョンホに命を助けられた、いくら感謝してもし足りないと、何度も繰り返した。しかしヨンセンが、火を放たれた村でチャングムがチョンホに救い出された後のふたりの暮らしぶりについてきくと、チャングムは笑ったり照れたりしてあまり話さなかった。それこそ雄弁な態度であった。だから二人が宮中から出奔したことを知ったとき、ヨンセンはチャングムのために喜んだ。それほどまでにチョンホに愛されているなら、チャングムは幸せに違いないと思った。ふたりがこのまま逃げ延びて幸せに暮らすことを願った。ただ、チャングムから、落ち着いたら元気でいると便りを寄越してほしいと思った。ヨンセンは赤ちゃんが生まれるときが近づいていた。生まれたらすぐにチャングムに知らせたい。ほんとうはチャングムに分娩を診てほしかったが、それはこの際諦めなければしかたがない。シンビがいる。シンビもまたチャングムの親友でしかも優れた医女だから、ふたりでチャングムの話をしながら過ごしたら、チャングムに見守ってもらいながら赤ちゃんを産むのと同じだ。

 シンビは、疫病の村からチャングムと一緒に帰ってきたミンジョンホが内医院の副審議官になるとすぐに、ふたりは深い仲であると医女達が噂するようになったのを聞いていた。しかし、ヨリと医局長との関係には嫌悪感を催したのにも関わらず、チャングムとチョンホとに対しては、何の嫌悪感も感じないばかりか、むしろ、うらやましさやまぶしさを感じた。何かできることがあればふたりが幸福になれるように助けてやりたいとさえ思っていた。シンビは、ふたりが宮中を出て行くところを見ていた。その何ものにもとどめがたい静かな迫力で、歩いているのにむしろ疾走しているといったほうがふさわしいふたりの姿に声も上げられず、息を呑んで見つめていた。どういうふうに結ばれるにしろ、このようにして出て行くとは思いも寄らなかった。しかし、ふたりの姿が見えなくなった後、シンビは、ふたりらしい道行だったと思うようになった。イヨンセン淑媛に会ってその話をすると、チャングムはきっと幸せになれるだろうと言った。ふたりはチャングムの話をしながら、赤ちゃんが生まれる日が来るのを待った。


ミンナウリのカード〜目次〜