ミンナウリのカード

2007/11/19 by てるてる

ミンナウリのカード〜(五十八)〜

〜(五十九)〜

〜(六十)〜

〜(六十一)〜

〜(六十二)〜


〜〜〜〜(五十八)〜〜〜〜

 以下は、後でミンジョンホが、内禁衛の副官と内侍府の尚膳から聞いた話を、まとめたものである。

 内禁衛の副官がキムチソンの屋敷に着いて、御子息にお取次ぎ願いたいと言ったとき、本人がすぐに出て来た。まるで彼が来ることを知っていたかのように、出かける用意ができていた。父親のキムチソンが後から出てきたときには、子息はもう家を出るところだった。チソンに一言、皇后様にお会いしてまいります、と言って、子息は馬に乗った。続いて馬に乗った副官に、自分が前を行くから後を、と言った。月明かりがあるとはいえ、まるでよく知っている道を昼間駆けていくかのように馬を走らせる子息を、副官は不思議な思いで追った。宮中に着いたとき、まだ夜は明けていなかった。少年はまっすぐに大殿に行った。副官はそこで、内侍府の尚膳に取次ぎを願った。尚膳が出て来ると、キムチソン殿の御子息をお連れしました、ソジャングム様が、まだ医女の修練を受けられる前に病気を治して差し上げた方です、と説明した。子息は尚膳に礼をして、言った。

「皇后様にお引き合わせを。今の王様の御病状について、私が御説明できると思います」

 尚膳は驚き、あっけにとられたが、子息の顔を見て何か名状しがたい想いに打たれたらしく、ではこちらへ、と言った。子息は尚膳に付いて大殿に入った。病で臥せる王のそばに、皇后がいた。子息は皇后に向かって礼をした。尚膳が皇后に取り次いだ。

「恐れながら皇后様。キムチソンの息子が参りました。王様の御病状について御説明申し上げたいとのことでございます」

 皇后は怪訝そうに尚膳を見て、次にキムチソンの子息を見た。子息は言った。

「皇后様。どうか、内医院の医務官に、王様を診断させてください。今まで王様に鍼を打っていた方ではなく、別の方に」

 皇后は、なぜか、というように子息を見た。子息は答えた。

「王様に鍼を打っていた方は、ソジャングム医女のなさっていることがわからずに鍼を打っておいででした。鍼を打っていない医務官のなかに、ソ医女のなさることをよく知っておいでの方がいます。今までにソ医女に医術を施したことのある方か、教えたことのある方です」

 皇后は尚膳に、内医院のなかで、チャングムに医術を施したことのある医務官か、教えたことのある医務官を呼んでまいれ、と命じた。

 チョンウンベク医務官とシンイクビル医務官とが来た。ウンベクはチャングムに蜂の針の治療を施して味覚の麻痺を治してやったことがあり、イクビルは医女修練生のときの恩師であった。ふたりは交互に王を診察した。そして、喜色を浮かべて皇后に告げた。王のおからだはよくなっている、皮膚の症状がなくなってきれいになっている、チャングムの治療が効果を挙げている、と。

 キムチソンの子息は言った。

「皇后様。私が以前、ソ医女の治療を受けたとき、医女の勧める食事を吐き、父が心配して、治療をやめさせようとしたことがありました。しかしソ医女はこの時期を経て病は治り、からだがよくなっていくのだと言いました。私は最初にソ医女の治療を受けようと決めた自らの心に従い、医女を信じて治療を続けました。そして、私の病は治りました。皇后様。ソ医女に王様を診ることをお許しになったのでしたら、どうか最後までお信じになってください。ソ医女は必ず治します。もし治せなければ、ソ医女の命とともに私の命もおとりください」

 皇后は、キムチソンの子息に言った。

「よくわかった。そちの言う通りだ。尚膳、チャングムをここに連れて参れ」

 そして尚膳はいそいそと内侍達を連れて義禁府に向かい、チャングムを連れて戻った。皇后もウンベクもイクビルもチャングムを喜び迎えた。チャングムはキムチソンの子息を見て、彼がなぜそこにいるのかをいぶかるより前に、彼がしたことを理解した。チャングムは王の治療を再び始めた。施療は夜を徹して行われた。翌朝、王は、チャングムと皇后の呼びかけに応じて眼を開けた。その眼は見えるようになっていた。チャングムは皇后に、王の正確な診断名と治療法を説明した。王は砒素中毒であった。砒素は王が毎日飲む牛乳に含まれていた。牛が飲む水に、砒素の成分がごくわずか含まれており、通常はその水を飲んだりからだを洗うのに使ったりしても、中毒にはならない。牛乳は、高価なもので、庶民はめったに飲まないから、中毒になる人もほとんどいない。しかし、王は、毎日牛乳を飲んでいたので、砒素がからだのなかにたまり、中毒の症状が出たのであった。チャングムはこの砒素を解毒して、王の病を治したのである。

 皇后は、チャングムをほめ、王もまた、チャングムに名を尋ねた。その場にいた人々は皆チャングムを賞賛した。オギョモもまたその場にいたが、チャングムが王の眼を治したことに驚いていた。

 チャングムはキムチソンの子息に感謝の言葉を述べた。子息はチャングムに、
「ミンジョンホ様に呼ばれました。間に合ってよかったとお伝えください」
と言った。チャングムはすぐに義禁府に行く許しを皇后に求めた。皇后もすぐに許した。そして、チャングムは大殿を出るのももどかしく、義禁府へと走った。それより先に、王の視力が戻ったことがわかったとき、尚膳が内侍を義禁府に使いに遣り、チョンホを釈放せよと伝えていた。それゆえに、チャングムが義禁府の前に来たとき、ちょうどチョンホも出てきたところだったのである。


〜〜〜〜(五十九)〜〜〜〜

 ミンジョンホとチャングムは、内医院に行った。まさか手を携えてというわけにはいかなかったが、今となってはそうしてもしなくても、人の見る目に変わりはなさそうだった。

 内医院では、先日、大殿の前の庭で、チョンホとチャングムとを冷たく見下ろしていた医女達が、けさ、王の目が見えるようになったという話を聞いて、心の底から驚き、チャングムを誉め始めていた。シンビはもともとチャングムを信じていたので、同僚達がチャングムの悪口をやめて誉めるようになったのをうれしく思いながら聞いた。王の侍医で医局長のチョンユンスは、まったく元気がなかった。右議政のオギョモが苦虫を噛み潰したような顔ですわっていた。オギョモは、チャングムには何のねぎらいの言葉もかけずに、チョンユンスを王の侍医からはずし、シンイクビルを新たに侍医にする、と発表した。イクビルは意外だという顔をしてオギョモを見た。なぜ自分が、と合点がいかない表情をしていた。そして、チャングムの方を見て、再び、オギョモを見た。他の者も皆、チャングムの顔を見たり、オギョモの顔を見たりしていた。オギョモは、渋々といった顔で、チャングムは元の仕事に戻す、と言った。チョンホが、彼にしては非常に珍しく、恐る恐るといった態度で、
「無断で事を進めて、申し訳御座居ませんでした」
と言った。そのしおらしさを見て、イクビルはなぜかヨリを思い出した。オギョモは、
「まったくだ!」
と怒鳴って机を叩いた。ほとんどの者が飛び上がった。イクビルはまた意外そうな顔をしてオギョモを見た。チョンホだけがまるで動じていなかった。オギョモはチョンホを見て、我慢できぬというように立ち上がり、それ以上一言も言わずに出ていった。


〜〜〜〜(六十)〜〜〜〜

 ミンジョンホとチャングムは、カンドックの家の近くの東屋にいた。夕闇が濃くなっていた。トックとおかみさんは、さっき、うれしさのあまり、踊りだした。チャンドクも笑って見ていた。三人にお礼を言ったり、笑ったりした後で、ふたりは東屋に来たのだった。しばらくは黙って向かい合ってすわっていた。それからチョンホがチャングムの手をとった。チャングムはチョンホの顔を見上げると、小首を傾げて、問いかけるような表情をした。チョンホは、
「何か、わたしに尋ねたいことがあるようですね」
と言った。チャングムは、
「このまえ、チョンホさまが、最高尚宮様とお食事をなさったと、義禁府でおっしゃったものですから……」
と言った。チョンホは、おお、と言った。
「あなたの夢が、教えてくれたのです。オギョモが言っていたでしょう。人をだまくらかすことを重ねてきたその舌で、と。オギョモは罪のない人に罪を被せ、罪のある者を見逃しますが、わたしについて言ったことだけはほんとうです」

チャングムはちょっと笑った。だがすぐに心配そうな顔になった。
「それではもしほんとうにオギョモ様が最高尚宮様にお尋ねになったら、嘘だとわかってしまいます」
チョンホはまじめな顔になり、
「最高尚宮殿は、否定なさらないでしょう」
と言った。チャングムはどきりとした。そして、
「なぜですか」
と囁くようにきいた。

チョンホは、チャングムの顔から眼を逸らして、闇のなかをみつめた。それから、詩を詠んだ。

「むかし、わたしがまだ髷も結わない少年だった頃、
よく通った家に、かわいい少女がいました。
わたしはその家にある硯が珍しくて、通っていたのだけれど、
少女はいつも、そんなわたしを見て、はにかむようにほほえみました。
それから長いとしつきが流れました。
少女は、とてもたくさんの悲しみを知りました。
とてもたくさんの苦しみを知りました。
そして、とてもたくさんの人を傷つけました。
亡くなった人は還ってこないけれど、
失った時は戻ってこないけれど、
わたしのこころのなかには、いまも、
少女と、硯と、やさしい春の陽射しがたゆたっています」

 チャングムは、クミョンのことを思った。涙が流れた。そして、自分を責めるように話し始めた。
「チョンホさま。わたしは水刺間にいたとき、女官の掟をひとつ、破ってしまったと思いました。王に背き裏切る行為は、いかなる行為であれ許されぬ。わたしはその掟を破っていました。でも、もうひとつの掟も、知らぬうちに破っていたのです。友を自分のようにいたわり裏切ることなく、女官の間で起きたどのようなことも、外部に洩らしてはならぬ。わたしは、一つ目の掟を破ったために、二つ目の掟も破ってしまったのです」

チャングムは、滂沱の涙を流し始めた。チョンホはチャングムを見ながら、呟いた。
「人の世の定めに逆らうよりも、まことの想いを曲げるほうが罪深い」
 チャングムの耳には入らないようであった。チョンホは次第にチャングムの手を強く握り締めていった。チャングムは、思わず、
「痛い」
と言って顔を上げた。チョンホがあまりにもこわい表情をしていたので、チャングムは息を呑んで、泣くのを忘れた。チョンホはこわい顔のままでじっとチャングムを見続けた。チャングムは、だんだん、奈落の底へでも引き込まれるような気がしてきた。息をするのを忘れていた。そして、気を失ってしまった。

 チャングムが気がつくと、いつかのように、チョンホがチャングムを抱いて優しく髪をなでていた。さっきのこわさが嘘のようだった。チョンホが優しい声で詩を詠んだ。

「わたしは一輪の花を摘みました。
その花が枯れないように水をやりながら、
どこまでも歩いていくのです。
どこまでも、いつまでも」

 チャングムも、優しい声で詩を詠んだ。
「わたしを摘んだそのかたは、
わたしを連れてどこへいくのでしょう。
天の涯まででしょうか。
海の底まででしょうか」

 チョンホは、チャングムの顔を見て、ほほえんだ。チャングムもほほえんだ。


〜〜〜〜(六十一)〜〜〜〜

 翌日、ミンジョンホが出仕すると、左賛成が、医女チャングムが王の病を治療したことを賞賛した。多くの非難があったにもかかわらず、皇后の判断が結果的には正しかったことが証明されたのである。これで皇后の発言力が強まり、オギョモ右議政を抑えやすくなったと喜んだ。

 左賛成はまた、チャングムの活躍にはキムチソンの子息も手を貸していることに、心を動かされていた。左賛成はキムチソンとも手を組んでオギョモを追い詰めたいと考えていた。しかしキムチソン本人は、宮廷での政治闘争に距離を置いていた。左賛成はキムチソンの子息に会おうと思ったのだが、既に宮廷を下がった後だった。

 チョンホは、キムチソンが、数年前の硫黄家鴨事件で罪を着せられたハン最高尚宮のための墓所を作り、管理をしてくれている、と話した。チャングムが子息の病気を治したことを恩に来て、チャングムの師匠が罪人として護送中に路傍に葬られたことに同情してくれたのだ、と続けた。さらに、オギョモはこの硫黄家鴨事件を利用して、流刑中のチョガンジョの謀反の企てであるとでっちあげたのだが、自分は当時の事件の再審を求めたい、と言った。

 左賛成は、キムチソンに、連名で再審請求の書簡を王に提出するように呼びかけてみよう、と言った。

 チョンホはその夜、チャングムに会い、左賛成がキムチソンと一緒に、硫黄家鴨事件の再審請求をしようとしていることを話した。

 チャングムは、医局長チョンユンス、チェソングム女官長、チェグミョン最高尚宮に、自ら罪を認めるように話しに行きたい、とチョンホに言った。最初にシンビと一緒にチョンユンスに話をしに行って、医局長としての矜持に懸けてみる、という。チョンホは、チョンユンスはもう抜け殻も同然の状態だから、自分と一緒にチョンユンスの自宅に行くほうがよい、と言った。チャングムはチョンホに従うことにした。チョンホは、その前にしておくことがある、少し待つように、とチャングムに言った。

〜〜〜〜〜〜〜〜

 二日後、チョンホは、内医院で、ヨリは親族のいる田舎に帰った、と発表した。それだけしか言わなかった。ただ、その後で、チョンユンスに対してだけ、こう言った。

「先日、内侍府の尚膳殿がおっしゃったことをお忘れにならないように。今夜、私が御自宅に伺います。それまでに、硫黄家鴨事件について、あなたが知りうる限りのことを書面に認めておいてください。なんなら、きょうは早退なさってもよろしいですよ」

 ユンスは、ヨリが内侍府に捕われたことを理解したようだった。チョンホが言った通り、この日、ユンスは早退した。

 夜になって、チョンホはチャングムと一緒にユンスの自宅を訪ねた。だが、敷地の中に入ってから、屋敷に通されるまでの間に、何者かが屋敷の中を窺っているのに気づいた。チャングムに、すぐに屋敷に入るように、とだけ言って、曲者のいる方へ走った。チョンホがユンスの部屋の前にいる男に、何者か、と呼ばわると、男は逃げ出した。塀を飛び越えた男を追って、チョンホも跳び越えた。裏は竹の林だった。チョンホが追いつくと、男は剣を抜いた。その顔に覆面をしていた。チョンホは剣を持っていなかった。男はチョンホに斬りかかってきた。チョンホはかわした。何度かかわしているうちに、男は竹を切った。チョンホは宙に跳び、舞うような動きをして男の腕を蹴った。男は剣を落とした。チョンホはその剣を蹴った。剣は高く跳ね上がった。男は剣に手を延ばしたが、チョンホが先に手に受け止めた。チョンホはその剣で男の覆面を切った。男の首に剣を突きつけ、今にも突き刺しそうにした。そして、誰のさしがねか、と、鋭く言った。男は黙ったままチョンホを睨みつけていたが、男がチョンホを蹴り上げるのと、チョンホが飛びのくのとが同時だった。男は逃げたが、チョンホはもう追わなかった。チョンホは逃げた男の剣を手に持ったまま、ユンスの屋敷の方へ戻った。チャングムはまだ奥に通されずに屋敷の玄関で待っていた。チョンホは、曲者を取り逃がした、と言い、ユンスの家のものに、剣を逆手に持って見せて、これに巻きつける布がほしい、と頼んだ。チョンホは布を貰うと、剣にきれいに巻きつけて刃を隠した。

 チョンホとチャングムはユンスのいる奥の部屋に通された。チョンホはユンスに、さっき部屋の外に曲者がいたので追って行ったが取り逃がした、と話した。ユンスは震えていた。その前には、一通の書状があった。チョンホはきいた。

「それは、昼間、わたしがお願いした書類でしょうか」

ユンスは答えた。

「はい。お改めください」

 チョンホは書面を手にとって開いた。読み終えると、チャングムに渡した。チャングムも読んだ。チャングムは読み終えると、チョンホの顔を見てうなずいた。チョンホはユンスの顔を見て言った。

「この書面はわたしたちが預かります。あなたもこれからすぐに、わたしと一緒に来たほうがよい。さっきの男のような者がまた来るかもしれません。御家族には、王族の方が急病になったので内医院に泊り込むことになった、とおっしゃればいいでしょう」

 ユンスはチョンホの言うことに従った。

 翌日、チョンホは内医院で、チョンユンス医務官は急病で休職するとの届けが出た、と発表した。ヨリに続いてユンスがいなくなったことに、誰も疑問を示さなかった。少なくとも、口に出して何か言う者はいなかった。

 チョンホはひとりの内侍に会った。その内侍は、以前、ユンマッケの料亭で、オギョモと会っていた内侍だった。チョンホはその内侍とともに、内侍府の尚温や女官長や水刺間の最高尚宮が会議を開く執務室に行った。そこには、チェ女官長と内侍府の尚膳がいた。チョンホは尚膳に向かって困りきったような顔で、
「休職扱いにはしましたが……」
と言った。尚膳が気まずそうに咳払いをした。チョンホはチェ女官長の方にちょっと目を遣り、気まずそうに黙った。そして、尚膳に向かって失礼致しました、と言って頭を下げて、今入って来た部屋をすぐに出ていった。

 その日、チョンホはカンドックの家で、宮廷から帰って来たチャングムに会い、チェ女官長達は、チョンユンスが内侍府に捕らえられたと信じたようだ、と言った。チャングムは、
「わたしのときのように、袋に詰められて山の中に連れて行かれるのですか」
ときいた。チョンホは答えた。

「それはしません。同じ手に二度騙されるとは思えませんから。しかし、以前、ユンマッケの料亭でオギョモに会っていた内侍が、うまく信じさせてくれるでしょう。ヨリもチョンユンスも、しばらく泳がせておいたが、先日の水刺間の最高尚宮の薬味入れにワライタケを入れるように命じた者が見つかった、ふたりは、パクヨンシン元女官長に操られていたことがわかったと、話すことになっています。明日の晩あたり、ユンマッケの料亭に呼ばれるでしょう。あなたにはわたしと一緒にこれからパク元女官長のところに行ってもらわなければなりません。あの人も硫黄家鴨事件について知っていることがあるのです」

 そしてふたりは、パクヨンシンの家に行った。


〜〜〜〜(六十二)〜〜〜〜

ミンジョンホとチャングムがパクヨンシンの家に行ってからさらに三日たった。その間、二晩続けて、チョンホはチャングムに会うことができなかった。というのは、次のようなできごとがあったからである。

 チョンホは、左賛成とともに、オギョモ告発のための証拠集めを続けていた。以前、内禁衛の副官がチェパンスル商会で押収した地図、あの倭寇の密偵の地図と酷似していたものを検討し、銀の鉱山のある場所に印がついていることがわかった。銀は自由な採掘が禁止されていた。もし採掘が行われているのだとすると、役所ぐるみの不正が行われていることになり、オギョモが後ろ盾になっていることが予想された。

 そこへ、入り江でチェパンスル商会と倭国の商人との闇取り引きが行われるという情報を得た。その夜、副官以下数人の部下を連れて、現場に赴いた。潜んでようすを見ていると、チェパンスルの配下の者達の前に、船に乗って取引相手が来た。彼らが上陸すると、チョンホの指揮で、内禁衛の者達が現場に踏み込み、おもに取引相手の倭人達を捕えにかかった。チェパンスルの配下の者達が襲いかかってくるのをチョンホが防いだ。そのなかに、先日、チョンユンスの屋敷で見た刺客の男もいた。男は結局、仲間を率いて逃げ去った。現場には銀が残っていた。副官は、チェパンスル商会の者を逃がしてしまったことを詫びたが、チョンホは気にしなかった。オギョモとのつながりを証明したかったからである。捕えた倭人のなかに、役人がひとりいた。その役人から、オギョモが密貿易の協定を結んでおり、オギョモ直筆の協定書があると聞いた。その書類を手に入れなければならない、とチョンホは副官に言った。

〜〜〜〜〜〜〜〜

 三日目の夜、チャングムはチョンホに会うと、王の体調がよくなってきて、イヨンセン淑媛の部屋に来ることがわかったので、彼女の計らいで王に会わせてもらった、と話した。チャングムは、ハン最高尚宮の冤罪を晴らしたい、硫黄家鴨事件の再審をしていただきたい、とお願いしたが、王は、その件をほじくり返すと血の嵐を起こさねばならなくなる、また、オギョモが倒されると、皇太后と東宮の勢力が弱くなり、皇后の発言力が強くなりすぎる、自分は父として夫として、どうするべきか悩む、という返事だった。チャングムは王の心を動かせなかった、と言って肩を落とした。チョンホは、左賛成とキムチソンが王に再審請求の書簡を送ったので、こうやっていろいろな人が同じことを願い出ていけば、王の心も動かすことができるようになる、と励ました。

チャングムは、悲しそうな顔をして、
「クミョンにも、話をしたのです」
と言った。チョンホは、気遣わしそうにチャングムの顔を見た。

「内人だった頃に戻って、話をしたい、と言ったのです」

 チャングムとクミョンは、まだ内人になってまもない頃、王の狩りで、急病で倒れた尚宮達に代わって冷麺を作って王の御膳に出し、褒められたことがあった。あの頃は、ふたりは良き友人であり、良き競争相手でもあった。しかし、チョンホが何年ぶりかでクミョンと言葉を交わしたのも、その晩であった。そのとき、チョンホはチャングムと会っていた。あのときから、クミョンの苦しみが始まったのだと言えるだろう。

「以前、チョンホさまがわたしに話してくださったとおり、クミョンは、ハン尚宮さまの教えを守って水刺間の内人や見習い達に教えていました。それは、何度か王族の方々の食事について調べたり指示したりするために水刺間に足を運んでいるうちにわかりました。わたしはそのことを、ハン尚宮さまにしたことを心の中で反省しているあかしだと思うと、クミョンに言ったのです。心の中で罪を悔いているのなら、どうかそのことを公にしてほしい、と頼んだのです」

 チョンホはチャングムの顔を見ていたが、彼女は話すほどに悲しみの色を濃くしていった。

「でも、クミョンは、ハン尚宮さまを尊敬し、敬愛していたのに、陥れてしまったのは、わたしが憎かったからだと言いました。わたしは、今ではわたしも、クミョンをどんなに傷つけたかがわかる、と言いました。クミョンは、わかるはずがない、と言いました」

 チャングムは俯いた。確かに、わかるはずがないのだ。チョンホがそばにいるのだから。いままでも、これからも。

「クミョンには誇りがありました。わたしが宮中に上がったばかりの頃、同じこどもとは思えないほどの落ち着きと上品さに、わたしは憧れました。クミョンは最初からりっぱなおねえさんでした。あの頃のように、ほんとうに尊敬できる人に戻ってほしい、とわたしは言ったのです」

 チョンホには幼い見習いの頃のふたりが目に浮かぶようだった。チャングムは、俯いたままで、言った。

「でも、わたしとチョンホさまが、その誇りを踏みにじったと、クミョンは言いました。いいえ、誇りは自分の心の中にあるもので、人に踏みにじられるものではない、とわたしは言ったのです。わたしはそうでなくては生きてこられませんでしたから」

 チョンホは、済州島で、奴婢が水軍の武官の顔を見るとはけしからん、と怒られていたチャングムを思い出した。

「わたしは白丁の村で育ったのです」

 突然、チャングムが顔を上げて言った。チョンホはそのことは、まだ硫黄家鴨事件の前に、チャングムから両親の話をきいたときから、知っていた。だが、単に知っていることと、体験することとは別である。

「チョンホさま。わたしは、父のことを、白丁ではない、武官です、と言ったために、父を失いました。わたしはそれを、言ってはいけないことを言ったからだと思っていました。宮中に入ってからも、自分と同じ見習いの子供にいじめられたときに、父の身分は卑しくない、と言いたくてたまりませんでした。でも、わたしはまちがっていたのです。白丁でも武官でも、人は心に誇りを持てば卑しくなく、誇りを失うと卑しくなるのです。父は、身分にではなく心に、一番たいせつな誇りを持っていました。もしわたしがそのことをこどものときにわかっていたら、父を失わずにすんだのです。でもわたしはそれをクミョンに言うことができませんでした。クミョンは、わたしに、もうこれ以上、話をしたくない、と言いました。わたしは、しかたなく、友人として話をするのをやめました。そして、『最高尚宮様、わたしはチョンユンスさまの遺書を持っております』と言って、水刺間の最高尚宮の部屋を出たのです」

 そこは、むかし、ハン最高尚宮もいた部屋だった。チャングムはその頃はハン最高尚宮に仕えるために、毎日のように出入りしていた。

 チョンホは、言った。

「チョンユンスの遺書をあなたが持っているという話は、もうチェ女官長やチェパンスルに伝わっているでしょう。あのふたりは、遺書を手に入れようとするはずです。だが、刺客を放ってくるようなことはしますまい。そんなことをすれば自白するのも同然です。チェパンスルの刺客はわたしとチョンユンスの家で会っているのですから。チェ女官長達は、危ない真似はせずに、皇太后様を頼って、あなたに圧力をかけてくるでしょう。
 それより、チョンユンスのように、口封じのために殺されそうになったり、こちらに保護を求めてくる者が、これからも出てくるかもしれません。証人は多ければ多いほど有利です。もし誰かがこちらに寝返りそうになっていることに気づいたら、すぐにわたしに知らせてください。ただし、その場合はあなたも危なくなる。あなたも、夜はひとりで出歩かないほうがいい。家から出かけるときにはカンドックさんと一緒に出かけてください」


ミンナウリのカード〜目次〜