2007/11/09 by てるてる
ミンナウリのカード〜(五十三)〜
菜園では、チャングムとチャンドクとが、王の病状と同じ症状の患者達をほぼ正確に診断し、治療法を確立しつつあった。まだ病名は明らかにできないが、患者達が快方に向かってきたのを見て、王にも同じ処方を施すことの効果が見込まれ、また、少なくとも、水刺間の料理のせいではないことだけは断言できた。
ミンジョンホはそれを聞いて、チャングムとともに皇后の許へ出仕した。皇后はチャングムの報告を聞くと、すぐに王の侍医のチョンユンス医局長を呼んだ。チャングムの処方どおりにユンスに治療させるためである。医女が直接に王の治療を行うことは許されなかった。
チョンホは、皇后の許しを得て、義禁府へと急いだ。義禁府では、チェソングム女官長、チェグミョン最高尚宮、チェパンスルが、激しい拷問を受けていた。かつて、ハン最高尚宮とチャングムと内禁衛の武官キムヨンテクが受けたのと同じ拷問であった。チョンホは取り調べ官に、皇后の命令で取り調べは中止となったと告げた。
「水刺間の料理を原因とする診断はまちがっていました。今、医女ソジャングムの正しい診断に基づいて、王の侍医が治療を行っています。その結果が明らかになるまで、この者達の取り調べは中止せよとの皇后様の御命令です」
「医女ソジャングムの正しい診断によって」という言葉に、チェ一族の三人は驚いた。そんなはずはない、という思いであった。しかし彼等は牢に連れて行かれ、真偽を確かめる暇も術もなかった。
チョンホは彼らの痛々しい姿を見送りながら、ハン最高尚宮やキムヨンテクが亡くなったときの姿を思い出した。義禁府に来て最初にクミョンを見たときに、チャングムが拷問にかけられていたときもこれとそっくりだったのだと思い、ぞっとした。二度とあんな目に遭わせたくない。
チョンホは左賛成に、パク元女官長から入手したチェ女官長の不正の証拠書類を渡した。左賛成は、皇后が慣行を無視して内医院に諮らず、直接に医女に命令を下して治療法を研究させ、その処方に従って医局長に王の治療をさせたことを、非難する書簡が学者や官僚から多数寄せられている、もしもこの先、王の病状が悪化したら、処分はチャングムだけでは済まなくなる、と言った。チョンホは、自分が処分を受けるのは構わないが、もしものときには、チェ女官長の不正の証拠をオギョモに渡して取り引きしてほしい、これは倭国との闇取り引きについては証拠にならないので渡してもよい、オギョモにとってはチェ一族を押えるために手に入れたいはずである、そのかわり、チャングムのことは世間の目を晦ましてでも何としても王の治療法の研究を続けさせてほしい、医局長のチョンユンスのほうは内侍府が押えており、オギョモの手も及ばない、と答えた。
チョンホはカンドック夫婦に、チャングムが済州島に流されたというのは嘘で、ほんとうは皇后の命令で王の治療法を研究していたこと、チャングムの処方で王が快方に向かっていることを教えた。トックもおかみさんも、自分達にまで嘘をつくなんて水臭いといって怒ったが、それよりも急に疲れがでて力が抜けてしまった。チョンホは、これから先も何があるかわからないので、チャングムが身を隠すこともあるかもしれないと、言っておいた。
オギョモは、パク元女官長と話をして、チョンホがチェ一族の不正の証拠書類を横取りしたことを知り、かんかんに怒った。しかもそのことをそぶりにも出さないで知らん顔をしているチョンホに、我慢がならなかった。チャングムが済州島に流されたのではなく、皇后の許で王の治療に口出ししているということも許しがたかった。王の病状が改善すれば皇后の発言権が強くなる。それだけ、皇太后と東宮を支持しているオギョモの立場が悪くなる。
オギョモは、皇后が慣行を破って内医院に諮らずに直接に医女のチャングムに命令を出し、王の病状解明に当たらせたことを問題として、廷臣達の会議で取り上げた。廷臣達も一斉に反対の声を挙げた。オギョモは大臣達を従えて、王の病室にいる皇后のもとへ出仕した。しかし、皇后は、王の症状が快方に向かってきたので、チャングムの処方をこれからも続けさせる、と言った。
王の容態が快方に向かったので、チェ一族の三人は義禁府の牢から釈放された。チェパンスルが明国から買い入れた食材も、それを遣った水刺間の最高尚宮の料理も、王が意識を失った原因ではない、と明らかになったのである。彼等は、ほんとうにチャングムが生きていて、チャングムの処方で王の病状が改善したのだ、ということを知った。チェ女官長とチェ最高尚宮は、内侍府の尚膳から、水刺間の薬味にワライダケが混入していた件については、既に内侍府で関係者の処分が済んでおり、今後、この件に関して一切触れてはならぬ、と命じられた。
チョンホはウンベクを呼び出して一緒に菜園に行った。チャンドクのもとで、患者の半数が快復して退院していた。残った患者のなかには、失明した人もいた。まだ皇后には言っていなかったが、いずれ王も病状が進むと失明する恐れがあった。チャングムは視力を回復する方法も研究していた。チョンホはウンベクに、自分にもしものことがあったら、シン医務官にも話し、チャングムやチャンドクと協力して研究を継続してほしい、と言った。ウンベクは、オギョモとチョンホとが対立していることは知っていたが、それほど危険な状態なのか、ときいた。チョンホは、今はいつ刺し違えても不思議ではない状態である、と答えた。ウンベクは、チョンユンス医局長のことはどうするつもりか、ときいた。チョンホは、そちらは既に内侍府が押えており、勝手な動きはできなくなっている、と答えた。
ミンジョンホが個人の執務室にいると、内禁衛の兵士達が入って来た。いつもの副官はいなかった。兵士達を率いる者が言った。
「王様が失明されました。皇后様の御命令で、内医院副審議官を捕えます」
チョンホは、来たか、と思った。立ち上がって縄目を受けた。チョンホが引き立てられた場所は、大殿の前の庭で、内医院の者達、内禁衛の者達が集まっており、その先頭に、オギョモ右議政が立っていた。まぶしい午後の光がすべてのものを容赦なくさらけだすかのようであった。
チョンホは地面に引き据えられてすわらされた。そこに、チャングムも縄を掛けられて、内禁衛の兵士達に引き立てられてきた。兵士達は乱暴なまねはせず、チャングムもおとなしく従っているようである。チャングムはチョンホの隣にすわらされた。チョンホはチャングムが手荒に扱われていないことを確認すると、正面を向いて、視線をまっすぐに定めた。
オギョモが前に進み出て、チョンホを見下ろし、このときが来るのを待っていたかのような顔で、声をはりあげて言い始めた。
「このうつけものが、未熟な医女のいうことを信じ、皇后様をたぶらかし、王様の御眼を見えなくした大罪人、お前達の罪は明らかである、国を誤らせんとした企みはどんな重い罰を課しても償えぬほどだ、何か言い訳があるか、人をだまくらかすことを重ねてきたその舌で、なお罪を覆い隠すことができると思っておるか愚か者、それともたとえ海にうかぶ芥子粒ほどの小ささでも、まことの言葉を口にすることができるか、あらば申してみよ!」
オギョモはまだまだ言うつもりだったが、一旦、息を継いだのである。チョンホは視線一つ、顔の筋一つ動かさず、口を堅く閉じていた。チャングムは不安そうにオギョモとチョンホの顔を交互に見た。内医院の医女達はチョンホとチャングムを冷たい目で見下ろしていた。しかしチャングムは、チョンホの顔を見ているうちに、自分も何も言うまいと決めた。オギョモは今度はチャングムの方を見下ろして言った。
「この医女とは名ばかりの奴婢めが、その心根の卑しさはどんな奴婢も驚くほどだ、今までどれだけ人を騙し、たばかってきたのか、だがいよいよおまえの悪事も天下にさらされて、傲慢さと愚かさで身を滅ぼした姦婦の末路はあのとおりと、人の口に上るのじゃ、おまえは宮中から追放してさらしものにしてくれる!」
チャングムは、チョンホの落ち着きぶりに影響されたのか、この場にそぐわないことに気をとられてしまった。この男は血圧が上がりすぎて卒倒するのではないかと思ったのである。よほど今まで、言いたいことがたまっていたらしい。いつかこのときが来るのを待ち兼ねていたとはいえ、こうまであからさまに鬱憤を晴らすのを見ていると、チャングムには、ヨリのようなわけのわからない敵意を向けられるよりも、むしろわかりやすいだけましと思えた。この男は済州島に倭寇が上陸した件でも自分に重い罰を科そうとし、そのために拷問を加えようとした。そういうことが好きな性質らしい。
そこへ、皇后が、内侍府の尚膳以下の内侍達、女官達を伴って現われた。オギョモは皇后に頭を下げながら場所を譲って脇に控えた。皇后は、チャングムを見て、言った。
「おまえを信じていたのに、王様は眼が見えなくなられた。おまえは王様を治すと言ったのに、どうしてこのわたしをだますようなまねをしたのじゃ」
チャングムは答えた。
「皇后様。王様のお眼が見えなくなられたのは、治療のせいではございません。病が進んだからでございます。同じ病の者で、眼が見えなくなった者がおります。私はその者達の目を治す処方も出しております。けれどもこれは、病に罹られた王様のおからだを直接に診察し、王様のお召し上がりになるものもすべて、今までよりも詳しく調べてから、慎重に行わなければなりません。まだ医学書にもわずかの記述しかない病でございます。同じ病でも、ひとりひとりをよく調べてからでなくては、施療できません」
オギョモが脇から口を出した。
「口からでまかせを申しておる。皇后様、この者の言うことを信じてはなりません。王様を医女が直接に診るなど、到底許されぬこと、そんなことまで申し立てて、なお罪を逃れようとするとは、実にあさましき者でございます」
チョンホが、オギョモもまだ聞いたことのない重々しい声で、話し始めた。一瞬、誰もが、チョンホが引き据えられていることを忘れた程である。
「皇后様。医女ソジャングムが言う通り、王様と同じ病で眼が見えなくなった者が、医女チャンドクの治療を受けております。ここに連れてきてもよろしいでしょう。王様と同じ病が進むと眼が見えなくなることは、わかっておりました。不安をかきたてぬよう、前以て申し上げないようにしておりました。チャングムとチャンドクは治療法を見つけております。ふたりは以前、疫病で封鎖された村でともに治療にあたり、疫病ではなく食中毒であると見抜いた者達です。王様の病を治す方法は、民を救うことに命を惜しまないふたりの医女によって見つけられたのです。どうか御熟慮を」
皇后は考え込んだ。オギョモが、これは皇后様がお始めになったことですから、皇后様がお決めください、と言った。先程迄の態度とは打って変わったあっさりしたものいいだった。皇后は余計に決め兼ねたのだろう。チョンホとチャングムをその場に引き据えさせたまま、ふたりの処分を保留にすると命じ、一旦、大殿へと引き上げた。内医院の者達も引き上げ、ふたりを見張る内禁衛の兵士達だけが残った。
チョンホは、オギョモの態度が急にあっさりしたものに変わったのは、何か魂胆があるのだろうと思った。皇后に責任を押し付けておいて、後で王の病状が悪くなると、大臣達を味方につけ、嵩にかかって皇后を追い込むつもりではないのか。腹黒い親爺だからな、と思った。
夜になって、内禁衛の兵士達は交替した。ミンジョンホの副官もそのなかにいた。副官は、チョンホに水を飲ませようとした。チョンホはかぶりをふり、チャングムの方を目で示した。副官はチャングムの前に来て、どうぞあなたから、と言った。チャングムは一口水を飲み、ありがたそうな顔をした。それからチョンホの方にも、とお願いするような眼差しを向けたので、副官はまたチョンホの前に来た。今度はチョンホも水を飲んだ。
松明の燃える音以外はほとんど何も聞こえなかった。
チャングムが悲しそうな顔をして囁いた。
「チョンホさま。わたしのために、とうとう、お縄を受けて、お命が危なくなるところまで、巻き込んでしまいました」
チョンホは、何でもないような顔をして囁いた。
「今に始まったことではありません。済州島でも一緒に縄を打たれたでしょう。あのときわたしは、一年後、三年後、十年後でも、あなたのそばにいると誓いました。そしてそのとおりになっているではありませんか。何の不足があるでしょう」
副官は済州島の判官の前でふたりが縄を打たれてすわらされていた姿を思い出した。あのときにチョンホがそんなことを誓っていたとは知らなかった。彼は、あのときのようにチョンホを救い出せたらいいのに、と思った。だが今は、皇后の裁可を待つしかない。
やがて、皇后が再び、内侍と女官達を率いて現われた。皇后はチャングムに言った。
「もし、わたしが、そちの言う通りにすれば、わたしは、わたしのすべてを懸けなければならない。皇后という座も懸けることになる。そちの心はわかっておる。そちの言葉も信じよう。しかし、心と言葉がそちの能力と同じとは限らない。誠実だが能力の足りない者。能力はあるが不実な者。どちらも人の命を害することでは同じだ。前者は不本意ながら、後者は故意に、ただそれだけの話だ。そちの本意ではないにしろ万が一失敗すればわたしはすべて失うであろう。それでも信じるべきなのか。すべてを懸けよと?」
チョンホが答えた。
「皇后様。皇后様はすでに地上を歩く力を失っていらっしゃいます。チャングムに診せなければ、王様のおからだは病の虜になったままなのでございます。しかし、もしチャングムに王様のからだをお診せになり、病が癒えれば、皇后様は再び歩く力を取り戻されるだけでなく、空を飛ぶ翼をも得ることができるでしょう」
皇后は言った。
「だがそれは、チャングムが王様の眼に再び光りを取り戻すことができてのこと」
そういうと皇后は、再び、引き上げて行った。
翌朝、チェ女官長がふたりの前に来た。女官長は、チャングムの縄を解くように、と命じた。皇后がチャングムに王の診察をさせることに決定したのである。しかし、ミンジョンホは、王の眼が再び見えるようになるまで、牢に入れておく、とのことだった。チョンホは、チャングムが縄を解かれるのを見てほっとした。彼女と顔を見合わせると、安心させるようにうなずいた。ふたりとも内禁衛の兵士に促されて立ち上がった。チョンホの副官は、彼を牢の方へ送りながら、ニ、三度、立ち止まった。チョンホが振り返って、チャングムの方を見るのを待つためである。チャングムはチョンホを心配そうに見ていた。チョンホはチャングムを勇気づけるようにうなずいていた。
ミンジョンホは義禁府の牢の中にいた。白い囚人の服を着ていた。チャングムが王の診療を直接に始めてから三日経つ。その間、チョンホは、目を閉じ、静かにすわって祈り続けていた。三日目の夜、副官がチョンホの入っている独房に来た。彼はひざまずいてチョンホに告げた。
「チャングム様が牢に入れられました」
チョンホは、なに、と言った。
「王様が、チャングム様の勧められる食事を摂っているときに吐いてしまわれ、それでもチャングム様が勧めようとなさるのを見て、皇后様がお怒りになり、チャングム様を牢へ入れよと命じられたのです。私が義禁府の牢へお連れしました。内侍府の尚膳様が、チョンホさまにお知らせするようにと、大殿のなかで起こったことを教えてくださいました」
チョンホは、聞き終えるや否や、副官に命じた。
「キムチソン殿の御子息を呼びに行け。ハン尚宮殿の墓参りに行ったときに、チャングムさんが病気を治して差し上げた方だ。尚膳殿にお引き合わせして、皇后様の御前にお連れしていただけ」
副官はさっと一礼してすぐに発った。
翌朝、チョンホは、義禁府の取調べの椅子にすわらされた。からだを縛り付けられ、拷問のための棒も用意された。チャングムが連れられてきた。白い囚人服を着たその姿を見て、チョンホは胸が痛んだが、こんなときでも彼女を美しいと思った。チャングムは先日の夜に大殿の前の庭で話したときよりも、もっと悲しそうな顔でチョンホを見た。涙を流しながら、チャングムは椅子に縛り付けられた。
オギョモ右議政が取り調べ官の席に現われた。彼はこのときをたっぷりと、心ゆくまで、楽しもうとするに違いない。囚人が自白しようがしまいが関わりなく、できるだけ長く、できるだけ苦痛の大きい拷問をしようとするだろう。しかしオギョモの真のねらいはチョンホであり、チャングムを痛めつけるのはチョンホを苦しめるために過ぎない。オギョモにとって、チョンホやチャングムの罪状などは初めからただの口実である。チョンホはオギョモの言葉を待ち受けた。
「その方どものこれまでの極悪の数々、自白するまで締め上げよ!」
椅子にくくりつけられたチョンホ、チャングム、各々の、両脚の間に棒が挟まれた。刑吏が棒を一方の膝の上と他方の足首の上に挟み、まさに締め上げようとしたとき、チョンホが呼ばわった。
「右議政殿に、わが大罪の数々を申しあげる!」
チャングムは驚いてチョンホの顔を見た。チョンホはチャングムに、黙っていよというような目をしてうなずいた。
刑吏たちは手を止めた。
チョンホは証言を始めた。
「一つ、二十年の間、我が国で育つことなく、明国から法外な値で輸入せるキバナオウギの件、チェ一族に独占権を与え、その見返りに暴利を貪りたること。さらに、宮中の菜園にてキバナオウギの栽培に取り組み、ようやく芽生えたるものを、人を雇って掘り返させ、再び蒔かれたる種が芽生えしを、さらに掘り返させんとしてしくじり、管理官が監督官に報告したるが、監督官には握りつぶさせようとしたるところ、監察長によって咎められしを、さらに自らには責めが及ばぬように手を回したること」
「二つ、先の燕山君の代に宮中で連日宴会が催され、各部署に支給される物資の量が膨大になりしところを、現中宗殿下の御代になってより、諸事万端質素に努め、宴会も少なくし、本来ならば各部署の支給物資の量も以前の半分で済むほどになりたるも、以前のままに支給される物資を返納せず、各担当の者に横流しさせ、その利益からまいないを贈らせ、私服を肥やしたること」
「三つ、先に述べたる支給物資横流しの件、先の最高尚宮ハンペギョンの任期中に置きし出納係の調査により明らかとなり、尚宮たちを戒めたることにより、横流しが絶えてなくなりしを、数年前、温泉療養から帰られた王が病に倒れられしとき、最高尚宮の料理が原因なりと弾劾して免職し、日頃より息のかかりたるチェ一族の者と交替させ、再び横領・流用を広めたること」
「四つ、我が国で禁輸の品々につき、倭寇と密かに手を結び、国内各所の克明な地図を渡し、取り引きをせんとして……」
オギョモが遮った。
「そこまでじゃ右議政殿! 取調べは中止じゃ! 王様の御病状が好転した。皇后様がソジャングムに至急治療を続けさせよとの仰せじゃ。取調べを行ってはならぬ。チャングムを解き放て、オギョモ殿!」
内侍府の尚膳が来た。その後ろに内侍達が続いていた。
「すぐにチャングムの縄を解き、身柄をこちらに渡されよ。ミンジョンホ殿の取り調べも中止じゃ。牢の中にて待機させよ」
チャングムの縄は解かれた。チョンホもまた椅子に縛り付けた縄を解かれ、両脇をささえられて立ち上がった。チョンホはチャングムを見て、安心せよ、という目でうなずきかけた。そして、早く行かれよ、というように、ほんの少し顎を動かした。鋭くはなく優しい動きであった。チャングムは、目に涙を溜めて軽く一礼すると、さっと向きを変え、内侍達とともに歩き去った。その横顔は厳しく、一刻の猶予もならぬと語っていた。
オギョモは、内心で、チョンホを罵り続けていた。
「してやられたわ。取調べなど二度とするものか。あの口が二度と開かぬよう、刺客を放ってやる。毒を盛ってやる。あらゆる苦しみの中でも最もひどい苦しみにのたうちまわらせて殺してやる。あの、たかが医女に惑わされた青二才めが!」
ミンジョンホは釈放された。官服を来て、義禁府の門を出てきた。朝のまだ早い時間だった。チョンホはまるで、負け戦で兵を率いて引き上げてくる武将のようであった。彼は何かを失ったのか? いや、一番大切なものが失われなかったからこそ、こうして縄も打たれずに外を歩いていられるのだ。今しも、チョンホの一番大切なものが、彼をめがけて、走ってきた。それは、手を伸ばせば届きそうなところまで来て、立ち止まった。息を切らして、いつか済州島で、「医女になります!」と言いに来たときのように、きらきらと瞳を光らせていた。チャングムはなんとすばらしい医女になったことだろう。彼女はただ、優しい顔で、優しい声で、彼にこう言うために駆けてきたのだ。
「命をかけて、わたしを信じてくださいました」
チョンホは、その声を聞いて、ほっとした。目の前にいるのは幻ではなかった。ほんとうに手を伸ばせば届くのである。チョンホは、弱々しい声で話し始めた。
「獄中でずっと、後悔していました。あなたが、恐ろしい目に遭うのではないかと、思ったからです」
チョンホは苦しそうに息を継いだ。その声は少しずつ高くなっていった。
「こんなことになるなら、済州島にいたときに、……医女修練のときに、……さらってでも逃げるべきだったと……」
チョンホは、小さな声で、泣くように、叫ぶように言った。
「なんとしても止めるべきだったと、骨身に沁みて後悔しました。そう考えると、どうかなりそうでした」
チョンホは弱々しく、泣くように、そして責めるような顔で、両手を差し出そうとした。それより早く、チャングムが、
〜〜〜〜(五十四)〜〜〜〜
〜〜〜〜(五十五)〜〜〜〜
「それこそがチャングムの使命でございます。医女チャングムは必ずや王様の眼に光りを取り戻して御覧にいれます」
「そちの言葉は力がある。だがわたしは、言葉よりも強い証がほしいのじゃ」
〜〜〜〜(五十六)〜〜〜〜
オギョモ右議政が、言葉つきも荒々しく命じた。
「もうよいわ! 出鱈目もいいかげんにせよ。だいたいその方がなぜチェ一族などに独占権を与え、見返りを得ることができる。その方、いつチェ一族の者と手を結んだ。偽りの自白によって人を陥れるとは許し難き大罪。刑吏ども、この者を締め上げよ」
「責め苦は罪人に口を割らせるためのもの、罪人の自白を中断して責め苦を与えてはならず、まして罪人の口を塞ぐために責め苦を与えてはならぬと定められしこと、義禁府において明瞭に書きしるされしゆえ、右議政殿もよく御存知のはず」
「むむ、何と、取り調べの遣り方に、罪人の立場を忘れ、口を挟むか」
「罪人の立場をわきまえるがゆえに自白を続けたいと申しておる」
「偽りの自白など責め苦を逃れたいがゆえの時間稼ぎに過ぎぬ。見苦しいぞ!」
「何故偽りと判る。証拠ならば先日チェパンスルの屋敷より押収されし帳簿図面の数々、今も内禁衛にて調査中たること、左賛政殿も御存知ですぞ」
「その方、チェパンスルなどと手を結ぶ折など今の今まで一度もなかったであろう」
「これはしたり。都にその名も高きチェ一族といえば、何もチェパンスルばかりとは限らぬ。密談を交わし、賂の受け渡しに使われる場所は妓楼ばかりとは限らぬ」
「なに?」
「過日、夜分、一軒の民家にて、チェ一族の婦女より饗応を受けし者あり」
「なにを申す」
「お疑いあらば、最高尚宮殿に尋ねられよ」
「そ、その方、女官と一夜を共にしたと申すか!」
「言葉を慎まれよ! 饗応の席に臨んだは一名のみとは一言も申しておりませんぞ!」
「はん!」
オギョモ右議政は立ち上がった。チョンホとはっしと睨み合い、両脇に垂れた腕の先で握り拳がぶるぶると震えている。
〜〜〜〜(五十七)〜〜〜〜
「チョンホさま」
と呼んで、彼の手の中に飛び込んできた。チョンホは確かめるようにチャングムのからだを受け止めて抱いた。そしてしっかりと抱き直した。ふたりはお互いに確かめ合うように、抱き合い、抱かれ合い続けた。