ミンナウリのカード

2007/10/28 by てるてる

ミンナウリのカード~(三十四)~

~(三十五)~

~(三十六)~


~~~~(三十四)~~~~

 ミンジョンホは、王宮の庭で、チェ最高尚宮ことクミョンの姿を認めた。チョンホは気遣わしげにクミョンを見た。クミョンは、ハン最高尚宮の死について、自分の責任をどこまで感じているのだろう。水刺間で家鴨料理を再現したときに、試食を命じられたのは奴婢の娘であった。その娘は高熱を出して倒れた。何か仕掛けがあったに違いない。あの場合、それができるのは、女官達のうちの誰かであった。当時、太平館にいた尚宮のチェソングムと内人のクミョンには、直接手を下すことはできない。だが、誰かに命じることはできた。むしろその方が、二人にとっては好都合なのであった。水刺間で衆人環視のもとで作られた料理に、太平館の女官たちが何か細工することなど不可能である。だが、料理の方には手を加えずとも、試食を任される人間に、予め、手を加えておくことはできる。奴婢の娘は、自分では知らずに利用されたのであろう。誰が計画を練り、実行役の者に命じたのか。今の女官長のチェソングムと最高尚宮のクミョンの二人が策を練ったと考えるのが自然であった。

 クミョンもチョンホに気づいていた。ふたりはすれ違いそうな距離まで近づいた。クミョンが、顔を伏せて礼をした。チョンホは、
「おひさしぶりです、クミョンさん」
と話しかけた。クミョンも、
「おひさしぶりです、チョンホさま」
と答えた。チョンホは続けた。
「若くして最高尚宮になられ、何かと気苦労がおありではないかと、お察しします」
クミョンは答えた。
「ハン最高尚宮様はみごとに水刺間を治めておいででした。私も、常にハン最高尚宮さまの教えを思い出し、学ぶようにしております」
チョンホは、この返事は是非ともチャングムに伝えてやらねばならない、と思った。チョンホは答えた。
「それならば、ハン最高尚宮殿も御安心召されることと思います。ハン最高尚宮殿は、宮中に戻る、と言って亡くなられました。今も水刺間の人々を見守っていらっしゃるでしょう」
クミョンは、はっとして顔を上げた。

「チョンホさまは、ハン最高尚宮様がお亡くなりになったとき、そばにおいでになったのですか」
チョンホは頷いた。
「はい」
クミョンは尋ねた。
「ではチャングムもそばにいたのですね」
チョンホは答えた。
「はい」
クミョンは言った。
「なぜ、そのように危ないことをされるのですか。人の目や口を恐れないにも、ほどがあります」
チョンホは答えた。
「己の心に罪がなければ、人の目も口も恐れるものではありません」
クミョンは答えた。
「罪がない、といいきれるのですか」
チョンホは答えた。
「人の世の定めに逆らうよりも、まことの想いを曲げるほうが罪深い」
クミョンは苦しそうに言った。
「まことの想いとは」
チョンホは答えた。
「心に添い遂げると誓った人のそばにいることです」
クミョンは、今や紙のように白い顔をして、恐れるように、チョンホの顔を見た。
「なぜ……わたくしにそれをおっしゃるのです。わたくしは……わたくしのひとことで、チョンホ様の官職も、チャングムの命も、奪うことができると、申し上げたはずです」
チョンホはクミョンの顔を見守りながら答えた。
「そうするかどうかを決めるのは、あなたです。あなたは、この世でただひとり、そうしても許される方だと認めましょう」
クミョンは、囁くような声で、しかし叫ぶように、繰り返した。
「なぜです。なぜです。なぜ」
チョンホは、とても悲しそうな、そして優しい顔で、言った。
「わたしはこの先、あなたのおじ上やおば上とは、敵同士となるでしょう。罪なくして命を奪われた人々のために、いつかはあなたにまで罪科を問うかもしれません。あなたがおじ上やおば上やあなた御自身を守るために、ことを起こされるなら、甘んじて受けましょう」
クミョンは怒るように言った。
「チャングムとともに身を滅ぼしてもいいのですか」
チョンホは、低い声で答えた。
「ほかならぬチャングムさんとなら」
クミョンは俯いた。涙がこぼれた。堪えようとするのに、涙はこぼれた。クミョンは黙って立ち去った。

チョンホは、今、人を殺したような気持ちになっていた。酒を飲みたかった。内禁衛の副官を訪ねた。副官はチョンホの顔を見て、誰かを殺してきたのか、という表情をした。チョンホは酒に誘った。副官は応じた。

 チョンホの家の庭で、ふたり、酒を飲んだ。池の水面に月が美しく映っていた。あの晩もこんなふうだった、とチョンホは思った。


~~~~(三十五)~~~~

 カンドックから、チャングムが皇后の脈診をしたうえに鍼も打っために、宮中で騒ぎになっていると聞いた時、ミンジョンホは、幾ら何でも遣り過ぎではないのか、と思った。まだ医女修練生になる前に、キムチソンの息子を治療したところを見ているから、チャングムが診断し治療するというのなら、それは必ず遣り遂げるだろう、と思う。しかし、キムチソンの場合と違うのは、宮廷というところは、誰かが業績を挙げれば必ずそれで迷惑を被る者、恨みを抱く者が出る、という点だ。特に王族に関しては、健康になっても病気になっても、それで得をする者と損をする者とがいる。なにもチェ一族やオギョモ一派だけが敵というわけではないのだ。チャングムにはそういった宮中での処世のむずかしさというものが、一生わからないだろう。ハン尚宮もさぞ苦労したに違いない。そう、チョンホは思った。今度は自分がハン尚宮の苦労を引き継ごう、と言いたいところだったが、如何せん、チョンホは左賛成のもとで国事に奔走しており、ハン尚宮の代わりは、到底、務まらなかった。

 チャングムは、皇后が双子を妊娠しており、そのうちひとりだけが死産で流産し、おなかのなかにはまだもうひとりの死んだ赤ちゃんがいる、と診断した。チャングムが来るまで皇后の脈診を任されていた医女には、双子であることも、一方だけが胎内に残っていることも、見抜けなかった。このままでは皇后の命が危なかった。チャングムは残っていた胎児の死体を流産させ、皇后の命を救った。

 チョンホはその話を、内侍府の尚膳から呼び出されて、聞かされた。まだ尚醞だった頃から、何かとチャングムのことを気に掛けてくれた人である。尚膳は始めはまったくチャングムに気づかなかったのだが、皇后の病状がなかなか良くならないことに業を煮やした王の命令でようすを見に来たとき、チャングムに気づいたのである。そして、さっそく騒ぎを起こしたか……という感慨にとらわれたそうである。チョンホはそれを聞いて、なぜか自分が申し訳ないような気がした。申し訳ない、と謝って、なぜ貴殿が謝るのだ、と逆に尚膳から問い返され、返事に詰まった。

 カンドック夫婦はチャングムが皇后様の病気を治したといって喜んだ。チャングムはトックの家に帰ると疲れて寝るばかりである。しかしおかみさんは文句も言わずに優しく御飯を作ってやっていた。宮廷に出仕しない日でもチャングムはチャンドクの診療所で働き、往診についていく。このチャンドクにはおかみさんも頭が上がらない。何しろ、がめつさでは漢陽(ハニャン)一というトックのおかみさんに、チャンドクが金を払えと迫った、という話が伝わっている。トックも誰も信じられない思いでその話を聞いたものだ。

 チャングムが皇后の治療を無事にこなしたことはすばらしいが、ほんとうは宮廷になど出仕せず、毎日チャンドクの診療所を手伝っていてくれたほうがずっと安心なのだが、とチョンホは思った。チャングムがハン尚宮の汚名を雪ぐために宮中に戻ったことは重々承知している。とはいうものの、チョンホの仕事の大部分も、チェ一族とオギョモ一派の追及なのだ。チョンホが彼らを追い詰めるまで、おとなしく待っていることはできないものか、と思う。チャングムが宮廷に配属されるまでは、彼女の望みがかなうように全面的な協力を惜しまなかったが、いざ実現してみると、今度は宮中で内医院の医女や医務官の置かれている立場の危うさが、心配で堪らなくなってくるのだ。女官達を診ているだけならばよい。だが王族まで診るとなると、とたんに危険度が増す。チョンホは少しずつ、後悔を感じ始めていた。やはり済州島にいるときに、チャングムに医女になることを諦めさせ、自分と添うようにと説得するべきだったか。いや、医女になっても、済州島でチャンドクの助手になり、後継者となるのならば、何も心配することはなかったのだ。宮中という場所が、危険なのだ。


~~~~(三十六)~~~~

 ミンジョンホと左賛成は、王にまた新しい意見書を提出した。今度は、税金を上げずに国防費をふやすため、功臣田を持っている功臣たちに、その十分の一を返納させる、というものだった。王は乗り気になった。しかしこれは、功臣たちの反発を招くことは必至だった。特に多くの功臣田を持っているオギョモ右議政は、王の前では反対の意見を述べなかったものの、到底受け入れる訳がなかった。それはチョンホと左賛成も見越していたことで、功臣達のなかに既に賛同して返納する者が出て来たこと、それを知って感激し、左賛成の提案を支持する者がおおぜい書簡を送ってきていることを、王の前で報告した。チョンホは、オギョモは皇太后を動かすだろうか、と相手のこれから先の動きを推し測ろうとした。オギョモは前の皇后の産んだ東宮と皇太后を支持している。一方、先日、チャングムが治療した皇后にも王子がおり、こちらを支持する勢力もあるのだ。王が板ばさみになって苦しみ、判断を渋るようなことがなければよいが、とチョンホは気を揉んだ。

 やはり、オギョモは皇太后を頼った。直接に願い出たわけではないが、チェ女官長が間にたって、皇太后が王の判断に反対の意思を示すように仕組んだのだ。しかしそれは、皇太后自身に危険を伴うものだった。皇太后は持病が悪化しているにもかかわらず、治療を拒否するようになった。先日まで自分の主治医だったイヒョヌクが罷免され、新しくシンイクビルが侍医となったことが気に入らない、という。罷免されたにもかかわらず、イヒョヌクは皇太后の親族でもあるので、チェ女官長の計らいで皇太后に会い、話をすることができた。そしてシン医務官が来たとき、その目の前で、彼は以前、誤診で高官を死なせたことがあるのに、チョガンジョが揉み消したこと、功臣田の削減もチョガンジョ一派の企みであること、などを奏上した。

 チャングムは、恩師であるシンイクビルが皇太后とイヒョヌクから責められているのを見て、左賛成とミンジョンホが提案した政策まで非難されていることを知った。チャングムはチョンホのことを心配してチョンウンベク医務官に相談した。チョンホは、ウンベクからそのことを聞いた。何もするな、とチョンホはチャングムに言いたかった。しかしチャングムは渦中に飛び込まねば済まぬ女である。

王が、シンイクビルの免職を決めた。すると、チャングムが、恩師と皇太后のふたりとも救いたい一心で、皇太后に思い切ったことを申し出たのである。皇太后に謎を出し、それを皇太后が解けなければ、治療を受ける。皇太后が解ければ、チャングムが罰を受ける。チャングムは謎を出した。

「その方は、古くからの食医でした。またその方は一家の『しもべ』で、あらゆるつらい仕事をしましたが、家族全員の師匠でもありました。その方が生きている間は、この世は山でしたが、亡くなるとこの世は水に沈んだという伝説があります。どなたのことかお答えください。しかし病状が一刻を争うので時間は一日しか差し上げられません」

 チャングムの謎掛けは宮中で噂になった。ウンベクは、チャングムの謎掛けが巧くいけば、オギョモにとって痛手だが、失敗すれば、皇太后・シンイクビル・チャングムの三人の命が危ない、とチョンホに話した。

カンドックの家では、トックが、「チャングムは諸葛孔明のように聡明だ。だが、無謀さも天下一」だと言った。チャンドクは、チャングムが自信を持ってやっているのなら大丈夫だと請け合った。謎掛けが成功するのは間違いない。問題はその後だと、チョンホは思うのである。王は、シンイクビルを免職してもなお皇太后が治療を受けなければ、次は功臣田返納の案を取り下げるつもりだと言っていた。オギョモはそれがねらいである。チェ女官長もそれを望んでいる。それをチャングムに邪魔立てされて、只で済ますとは思えない。チョンホは、トックとは別の意味でチャングムの「無謀さも天下一」だと思った。

 その後の話は、チョンホはウンベクと内侍府の尚膳の二人から聞いた。まず、ウンベクによると、皇太后は、謎は解けたがシン医務官の治療を受けると言った。ところが、もはや皇太后のからだは衰弱していて、薬を飲んでも吐き出してしまう。水刺間の最高尚宮が皇太后のからだによい料理を作って出しても、やはり喉を通らなかった。そこでチャングムが丸薬を作り、シン医務官が差し上げると、皇太后はお菓子のようにおいしい、といって喜んで食べた。後でそれは皇太后が嫌いな大蒜を、臭いを消し、味を工夫して出したものだとわかった。それで皇太后は体力を回復し、シン医務官の煎じた薬も飲むことができるようになった。皇太后はシン医務官を褒めたが、シン医務官はチャングムこそ、丸薬を工夫しただけでなく、それを処方することを思いついたものだと打ち明けた。チャングムは水刺間に行って皇太后の普段の食事の献立を見せてもらい、皇太后が嫌いなもの、食べないものを知り、それらを口にしないので持病が悪化していると見て、食べやすくした丸薬で補うことを思いついたのだ。皇太后はチャングムも褒めた。

 次に、尚膳の話によると、皇太后の病を心配してやってきた王と皇后に、チャングムと皇太后がこもごも、謎の答えを説明して聞かせた。

「母親はこどもの食べる物、着る物、眠ること、からだの調子に気を遣います。母親というものは、こどもには寒い思いもひもじい思いもさせず、自分はつらくとも、子には平穏を与え、こどものためならたとえどんなにつらい思いをしても必死に働きます。母親はその一家の最もつらい『しもべ』であると同時に、最もすばらしい師匠でもあるのです」
「生きてある限り、わたしは、王を守る山であるが、わたしが死ねば、王の涙でこの世は海になろう。母であるわたしが、どうして王が苦しむことを望むであろうか。わたしが負けることは、初めから決まっていた」

 話をきいて、チョンホは、むかし、太平館で糖尿病の明国の使者の御膳に野菜中心の料理を出してハン尚宮が罰を受け、それをチャングムが必死になって使者を説得して、からだによい料理を続けて食べさせることに成功したことを思い出した。あのときは皇太后も皇后も、後からハン尚宮をほめた。しかしハン尚宮の弟子のチャングムのなまえまでは覚えていなかった。今回は、皇太后も皇后もともに、チャングムの名を覚えた。特に皇后は、一度、チャングムをきつく叱り、皇太后に丸薬を差し上げるのを止めさせようとしたのである。それは、チャングムが丸薬と称しているものは、ただの大蒜と米糠と棗で作ったお菓子に過ぎぬということを知り、王族を謀ることをきつく咎めたからであった。しかし、皇太后のからだがその丸薬の御蔭で回復したことを知ると、チャングムを叱ったことを後悔し、逆に、よくやったと褒めた。

 チョンホは、チャングムは実にすばらしいみごとな働きをした、と思った。自分の手柄以上にうれしさがこみあげてきた。しかし、皇太后に差し上げている丸薬がただのお菓子に過ぎぬということをわざわざ皇后の耳に入れたのが、医局長のチョンユンスであると知って、嫌な気持ちがした。チョンユンスといえば、例の家鴨料理事件で、水刺間のハン最高尚宮の料理が王の病の原因と決め付けた医務官のひとりである。あの当時から、ユンスはチェ一族の手に落ちて、今に到っているのに違いない。ユンスはまた、今の皇后を育てた尚宮が病気で寺に退隠していたとき、チョンホが連れて行った医務官でもある。あの当時彼は、チョンホやチャングムに対しては礼儀を守っていたが、カンドックに対して横柄な態度をとっていた。権力のあるものには媚び諂い、身分の低い者には横柄な態度をとる者は、いくらでもいる。しかしチョンホは、王族の身を預かる医局長ともあろうものが、皇太后の病気を治すという大局を忘れ、丸薬が皇太后に嫌いな食べ物を食べさせるための方便であることを皇后と一緒になって責めるとは、あまりにも矜持が無さ過ぎる、と怒りを覚えた。ところで、ユンスはそもそもチャングムとは別の医女から丸薬の成分を聞いたのだが、その医女は、それまで皇太后の薬を煎じる係りだったこと、またさらに、皇后の脈診を誤って双子の妊娠を見抜けなかった当の医女でもあった。チョンホはそれを知ると、やはり、宮廷というところは、と思わずにはいられなかった。その医女は、ウンベクの話によると、非常に謙虚で、皇后の診断については、自ら率直に過ちを認め、恵民曹へ異動させてほしい、と内医院で申し出たという。それをチョンユンスや医女長が押し止めた。それまで内医院の医女で一番の実力の持ち主として皆の信頼を得ていたので、たまたま新米のチャングムが今回は正しい診断を下しただけだ、と見做されたのである。しかし、そんなことをしたらかえって皇太后の治療が遅れるのではないかという気遣いもなく、丸薬はただのお菓子であると告げ口をしているところを見ると、内医院で見せたという謙虚さにも疑いが湧くのである。

 イヒョヌクの讒言にもかかわらず、皇太后がシンイクビルの治療を受けて快復したのを見て、王はオギョモへの信頼の度を薄め、功臣田返納の政策を維持した。一方、チェ女官長は、皇太后にチャングムの謎の答えを教えていたのだが、皇太后のからだを真剣に心配するよりも表面的な機嫌をとることに終始したとして、皇后の信頼を失った。水刺間のチェ最高尚宮に到っては、皇太后のからだによい料理を提供することができず、医女のチャングムがまさに「食医」としての腕を振るって、皇太后の命を救ったのである。

 チョンホはチャングムに会い、皇后と皇太后の治療で見せた手並みを賞賛した。しかし、チェ一族やオギョモは、皇太后の信頼を失った痛手を取り返そうとして、何をしてくるかわからないから気をつけるように、と忠告した。チャングムはチャングムで、彼等はチョンホもねらっているようだから気をつけてほしいと懇願した。チャングムが己を気遣ってくれるのを、チョンホはうれしく感じたが、一方でやはり、チャングムが内医院の医女ではなくチャンドクのように市中の医女であれば、余計な心配をせずとも済むのにと、遣る瀬無く思うのであった。


ミンナウリのカード~目次~