ミンナウリのカード

2007/10/28 by てるてる

ミンナウリのカード〜(二十六)〜

〜(二十七)〜

〜(二十八)〜

〜(二十九)〜


〜〜〜〜(二十六)〜〜〜〜

 ミンジョンホは、漢陽(ハニャン)に着くとすぐ、内禁衛の副官と連絡をとった。チョンホは、倭寇襲撃と撃退の顛末について報告書を携えて全羅道(チョルラド)に行ったのだが、その功績を認められ、恩賞の授与のために都に呼ばれたのである。チョンホとともに、島の長のハンドンイクもまた、倭寇撃退の功績を認められて都に呼ばれていた。ハンドンイクは倭寇が襲撃してくるとすぐに島から逃亡したのだが、チョンホの率いる兵士達が倭寇を捕え、討ち取ったことを、さも自分の手柄のように報告書に認めていた。チョンホは、倭寇を捕えたときには島にいなかったドンイクに全羅道(チョルラド)で再会してから、それぐらいのことはするだろうと思っていた。それでもそしらぬ顔をしていた。だが、漢陽(ハニャン)で副官から、オギョモとチェ一族の動きについて報告を聞くと、ハンドンイクがオギョモとパクプギョムと会っている、というので、嫌な予感がした。ドンイクは確かにプギョムの推薦を受けてオギョモから済州島の長に任命された。だから今回、さっそく、倭寇撃退の報告に行ったのだろう。しかし、あのオギョモがそれだけですますだろうか。何かこの事件を利用して宮廷でまた力を振おうとするのではないか。都には、ちょうど同じ時期に、女真族を撃退した功績で平安道(ビョアンド)からキムチソンが呼ばれていた。キムチソンはオギョモの政敵である。チソンがその功績を認められて宮廷で力を持つことがないように、牽制しようとするはずだ。そのためにドンイクを利用するのではないか。チソンはまた、むかし、三浦の乱でチョンホの働きを認めて内禁衛に推薦した人でもある。この都で、オギョモ・ハンドンイクと、キムチソン・ミンジョンホ、という対立の構図が出来つつあった。

 攻撃はいつも思わぬ方向からやってくる。硫黄家鴨事件のときにはキムヨンテクがやられた。済州島倭寇襲撃事件では、チャングムが倭寇内通者として捕えられ、漢陽(ハニャン)に連行されてきた。島の奴婢の女が倭寇に兵器庫の鍵を渡して手引きした、とハンドンイクの報告書は書いていた。ミンジョンホの報告書では、島の奴婢で医女見習の娘の手引きで倭寇の人数・兵器の数を知り、薬草畑に誘き出して全員捕縛連行することができたと述べ、娘の身分を良民にしてやってほしいと認めていた。まったく正反対である。そして、オギョモは、ドンイクの報告書に基づいて、チャングムを義禁府に連行し、取調べを命じたのである。

 チョンホは副官からそれを聞いて烈火のごとく怒った。彼とともに義禁府に行き、取調べの中止を申し立てたのは、まさにチャングムが拷問にかけられようとするときであった。

 チョンホは、時に、地獄の底から聞こえてくる声だ、と内禁衛での取り調べに立ち会った部下や取調べられた密偵などが恐れる、ことのほか静かな、そして厳しい声で、オギョモに迫った。

「オ大監殿。このたびの済州島の倭寇襲来のとき、私は、全羅道(チョルラド)に献上品の馬を護送するため、島を離れておりました。しかし島から烽火があがるのを見て、戻ってみれば、兵士は数えるほどしかおらず、しかも皆、島民たちと一緒に倭寇に捕えられている有様でした。私がなんとかして村人の一人と連絡をとりましたところ、倭寇は頭目の病を治療する医師を捜して島に上陸し、治療できる者がいなければ島民を殺すと脅したとのこと。島の医女チャンドクは、私が牛島(ウド)の病人を診察させるために連れて行っておりましたので、島には医女見習の奴婢しか残っておりませんでした。その奴婢は、自分が刀で脅されても応じませんでしたが、村人が殺されそうになるのを見て、頭目の治療を引き受けました。しかしその見習いはまだ、鍼を打ったことがなかったのです。倭寇の副将は、頭目がおまえの最初の患者だといい、誰にでも最初はある、と言いました。鍼を打たなければ頭目は死ぬ。見習いの娘が鍼を間違って打っても頭目は死ぬ。頭目が死ねば、見習いの娘を殺す。その倭寇の副将の男は、医女見習の奴婢の娘に、おまえは、武人の覚悟と医師の志を持って頭目の治療をせよ、と迫ったのです。娘はその通りに致しました。倭寇の頭目を治療し、医女としての務めを果たしました。その後で、今度は武人の勤めも果たしたのです。すなわち、私が別の奴婢の女を通じて手紙を送ったところ、倭寇の人数、武器の数、種類を書いて返事を寄越し、翌日、倭寇どもを薬草畑に誘き出しました。倭寇どもは手に手に籠を持っておりましたので、武器を手に取る暇もなく、すべて、私の率いる水軍の兵士が取り押さえ、捕虜として、全羅道(チョルラド)まで連行することができました。
 それが私の報告書の内容であり、証人は、島中の村人達、兵士達であります。
一方、ハンドンイク殿は、私に献上品の馬の護送を命じられたとき、私としては島の警備が手薄になることが心配であると申し上げたところ、そちらのほうは心配するな、と引き受けられ、私もハン殿にお任せして、牛島(ウド)の放牧場へ向かいました。ところが実際には、倭寇の襲来に立ち向かわれた形跡はありませんでした。倭寇ども捕縛の後で、村人達と一緒に解放した兵士の一人に聞いた所、役所に駆けつけたときにはもうハン殿のお姿はなかったとのこと。またハン殿護衛のために随行した兵士達も多く、気づいた時には僅か数人の兵士しか島に残っておらず、多勢に無勢で島民達とともに捕えられてしまった、とのことでありました。
今、鑑みるに、島民達を絶体絶命の危機から救ったのは、誰あろう、その医女見習いの奴婢の娘なのです。今そこで縄をかけられ、拷問のために椅子に縛り付けられているその娘が、多くの島民を救ったのです。この娘を罰することは、済州島水軍のみならず、朝鮮国にとっての恥であります」

 チョンホの声は、義禁府中に響き渡るようであった。怒鳴っているのではない。激しているのではない。それなのに、ひとこと、ひとことが、よく通り、聞くものの耳を打ち、貫き、心の底まで届き、響いて、残るのであった。

 チョンホは誰にこのような話し方を学んだのだろう。一説によると、まだ非常に若い、少年の頃、ある老師に出会い、数十日間、他の誰にも会わずにその師の許で修行し、久し振りに両親の待つ家に帰って来たときには、もうその術を習得していた、という。また別の話では、そのような老師に会ったという事実はなく、実際は、長年の間に、さまざまな現実の事件に鍛えられ、深く人間を洞察するようになり、自身で工夫して、徐々に身につけたものである、という。確かなことは、内禁衛で王の従事官として勤めるようになったときにはもう、このような話し方を身に付けており、捕えた曲者達から恐れられるようになっていた、ということである。ミン従事官が捕えた者に暴力を振うことはない、と知られているにも関わらず、その取り調べは、他のどんな役人の取調べよりも恐れられていた。白状させられるからではない。もはや助かる道は絶対にないと骨の髄まで思い知らされるからであった。

 義禁府の人々は、皆、畏れを感じて項垂れていた。チャングムでさえ、畏れていた。チョンホが話していることが自分を救ってくれるためだと知らなかったら、これでもう、自分は絶対に助からない、世にも恐ろしい拷問を受けて死ぬだけだ、と思い込み、絶望しただろう。

 オギョモは、畏れを感じつつも、それに優るとも劣らぬ怒りを感じていた。この青二才が、真っ向から自分に歯向かいおって、武器にも権力にも頼らずに人に恐れを感じさせるなど、絶対に許せぬ、と思った。他の政敵や、敵の息のかかった者に対する容赦ないやり口は、すべて、オギョモに利益を齎さない、損害を与える、という理由によっていた。だが、今、自分の目の前でハンドンイクを弾劾するこの男に対しては、何の理屈も損得勘定も抜きの、相容れない、根本的な憎しみを感じた。この先、この男の息の根を止めるまで、あらゆる機会をとらえて苦しめずにはおくまい。

そして今、チョンホは突如、雷鳴のような声で、付け加えた。
「大鑑は、救民の烈女を罰し、敵前から逃亡した卑怯者に、恩賞を与えようとされるのですか!」

オギョモは反駁した。
「倭寇との内通者は厳罰に処するという王の御命令がある。この奴婢は、倭寇の頭目の治療をした。これは内通である。これを罰せずば、民に対する示しがつかぬわ!」
 オギョモとチョンホとは睨み合った。

 チョンホは、オギョモに対する憎しみが募っていくのを、ぎりぎりと骨が軋むように感じた。足の裏から、熱い溶岩のような怒りが昇ってきて、からだじゅうを巡り、一瞬の嵐のように過ぎ去っていった。その後に、鋼のように冷たい憎しみが残った。相手の生命を奪うかどうかは問題ではない。相手の存在を完全に無力にするまでは消えない、冷たい氷の炎が燃え盛っていた。 ミンジョンホとオギョモとは、お互いに憎しみ合っていることを、痛いほど感じていた。このような緊張は、その場にいる誰にとっても耐え難いものだった。

 チョンホは、はっとした。チャングムが気を失ったのである。オギョモの方を見た。オギョモとても、チョンホの正式な報告書があり、王に提出される予定である以上、ここで軽々に、ハンドンイクの報告書のみに基づいて取調べを続けるわけにはいかなかった。オギョモは、渋々、
「取り調べは中止じゃ」
と命じた。すかさず、チョンホは、
「その娘の身柄はこちらで預かる。済州島の官婢である。済州島水軍指揮官の権限で連れ帰る」
と言った。オギョモは苦虫を噛み潰したような顔で黙っていた。義禁府の廷吏はチャングムの縄を解いた。チョンホはそのからだを抱き上げた。オギョモにはそれ以上、一顧だにしなかった。オギョモは舌打ちした。
「小癪な……青二才め……青二才め……」

チョンホは義禁府から出て行った。


〜〜〜〜(二十七)〜〜〜〜

 王は、ミンジョンホの報告書を正式に認めた。オギョモはハンドンイクを罷免した。チャングムは晴れて無罪放免となった。褒美に、しばらく都に逗留することも認められた。ただ良民の身分になることまでは認められなかった。

 王がチョンホの報告書を正当と認め、チャングムの働きをあっぱれと評価したについては、皇后の後押しもあったと、久し振りに会った内侍府の尚温から、チョンホは聞いた。尚温は近々尚膳になるそうである。今までは大殿担当の内侍の長だったが、今度は内侍府全体の長官となるのである。チョンホは尚温に、済州島で倭寇の頭目の治療をした医女見習いの奴婢というのは、数年前の硫黄家鴨料理事件で宮廷を追われたチャングムである、と話した。尚温は、チャングムの名を聞いて、ハン尚宮の悲しい最期を思い出した。その死の場面には立ち会わなかったが、護送の途中で病死し、ろくに墓も作らずに道端に埋葬された、と聞いている。あまりの哀れさに胸を衝かれる思いだった。そのような最期を迎えるべき人ではなかった。尚温は、あの事件で宮中に残った人々の消息をチョンホに話した。当時、太平館にいた尚宮のチェソングムは、水刺間の最高尚宮になった。その後、パクヨンシン女官長が贈収賄の罪で追われ、替わってチェソングムが女官長になった。水刺間の最高尚宮には、チェグミョンがなった。クミョンは通例ならばまだ最高尚宮になるには若すぎる年齢だったが、年上の尚宮達を異動させ、反対の声は抑えられた。

 クミョンの名を聞いて、チョンホは少し苦しくなった。どんな思いで、ハン最高尚宮最期の報を聞き、水刺間の最高尚宮となったのだろう。むかし、あのひとは、自分のひとことで、チョンホは官職を剥奪され、チャングムは重い罪に問われて命を以て償うことになる、と言った。あのひとはチャングムを憎んでいた。今はチャングムも、ハン尚宮の命を奪った人々を許さないだろう。この先、ふたりが憎しみ合うことは避けられないのだろうか。悲しいことだ。

チョンホは、家鴨料理の事件よりも前にチャングムに頼まれていながら、ずっとカンドックの家に潜伏していたために調べることのできなかった、チャングムの父ソチョンスの消息を内禁衛の記録で調べた。燕山君時代にユン妃処刑に関わったかどで罪に問われた人々は、今は皆許されて、名誉を回復している。ソチョンスは、ユン妃に当時の王が、即ち燕山君の父が、毒を賜ったときに、その場にいた。その後、燕山君が即位して関係者の追及を始めるよりも前に、宮廷から退いていた。さらにその後、燕山君によって罪を科せられたこと、一旦、捕えられたこと、また燕山君が科した罪が赦されたことも記録に残ってはいるが、肝心の、逮捕後の消息がわからなかった。逮捕されてから連行される途中で逃亡したものか、それとも投獄されてから恩赦によって解放されたのか、わからなかった。

 チョンホは内禁衛の長官から、宮廷に戻ってほしいと言われた。家鴨料理事件のときにチョンホを監禁したことをまだ恨みに思っているのか、ときかれた。チョンホは、恨みなどなく、ただ、自分はやはり済州島に戻らなければなりません、と答えた。その理由は明らかであった。

 チョンホの家に、チャングムが逗留していた。チャングムの作る料理が、チョンホの両親を喜ばせていた。母親はチャングムを部屋に呼んで娘のようにかわいがり、おしゃべりをしたり刺繍を教えたりした。チャングムが幼いときに母親が亡くなったという話を聞いてすっかり同情してしまった。しかしチャングムが、カンドックのおかみさんやハン尚宮のような、母親代わりの人に実の娘のように育てていただきました、と言うと、その話をしきりに聞きたがった。カンドックの家の話をおもしろがって何度もさせ、また、ハン尚宮の話には敬意を示した。チョンホが現れると、息子というものはつまらない、娘のような情の濃やかさがない、と愚痴を言った。チョンホは笑って、チャングムに、この親不孝息子の代わりに母親の相手をしてやってほしい、と言った。チャングムは笑ってうなずいた。

チョンホは、父と話をするために、その部屋に行った。
「父上。お尋ねしたいことがあるのですが」
父親は、何か、ときいた。
「むかし、内禁衛にいた、ソチョンスという武官を御存知でしょうか」
父親は思い出そうとするように遠くを見た。それからゆっくりと話し出した。
「燕山君のお母上ユン妃が当時の王から毒を賜ったときに、そばで介添えを命じられていた武官であった」
チョンホは言った。
「その方です」
父親はさらに続けた。
「武芸に優れ、人柄もよかった。ユン妃最期の恨みのこもった眼が忘れられず、罪に戦き、燕山君がお母上の処刑に関わった者の追及を始めるよりも前に、自ら宮廷を去っていった」
チョンホも続けた。
「その方は、一度、捕えられた記録が内禁衛にあり、また、中宗殿下の御代になってから名誉が回復されたことも記録にあるのですが、逮捕後の消息が一切わかりません。父上には何か、御存知のことはありませんでしょうか」
父親は考え込んだ。
「いや、わたしも、一切、わからない」
チョンホは肩を落とした。
「そうですか」
父親がきいた。
「ソチョンスのことをきくのは、ソジャングムという娘と関わりがあるのかな」
チョンホは正直に答えた。
「はい。ソチョンス殿はチャングムのお父上です」
父親はうなずいた。
「さもあらん。あの娘は良い娘である」
チョンホもうなずいた。
「はい」
父親はまた、きいた。
「おまえは、都に留まり、宮廷に戻る気はないのか」
チョンホは答えた。
「ございません」
父親は言った。
「チャングムもまた済州島に帰るのだな」
チョンホは答えた。
「はい」
父親は、控え目に溜め息をついた。
「ふむ。しかたあるまい。あの娘の方で都に来るのを待つしかあるまい」
チョンホは答えた。
「チャングムは、必ず医女になり、宮廷に戻るでしょう」
父親は答えた。
「医女は、女官と違って、王の女ではないが、女官よりも身分が低い」
チョンホは答えた。
「身分は問題ではありません」
父親は黙った。やがて言った。
「しかたあるまい」
チョンホは父に礼をして、部屋を出た。


〜〜〜〜(二十八)〜〜〜〜

 ミンジョンホと内禁衛の副官とチャングムの三人は、かつてチャングムが済州島へ護送される途中で、ハン最高尚宮が息を引き取り、道端に埋められた場所にやってきた。墓参りのためであった。しかし、そこに墓があるとは誰にもわからないほど、草がはえていた。三人は草を刈ることにした。

 そこへ、ひとりの少年がやってきた。一目で良家の子弟と知れる身態と、こどもとも思えぬほど堂々とした態度をしていた。少年は言った。
「その場所はよくない。恨みを遺して死んだ女が埋められている。そこに墓を建ててはいけない」
そう言うと少年は立ち去っていった。チョンホと副官とは顔を見合わせた。チャングムは、その少年を追っていった。少年に追いついて前に回り、その顔をのぞきこんで、何やら話している。どうやら、病気の治療の相談らしい。チョンホと副官とは少し遅れてその場に来たが、少年はチャングムの治療を受けることにした、という。チョンホはその少年がキムチソンの息子だと知った。チョンホはキムチソンに会って、オギョモ一派を中心とした最近の宮廷の状態をどう思うか、きいてみたいと思った。

 チョンホと副官とチャングムは、少年について、キムチソンの家に行った。チョンホが来たときいて、チソンはすぐに部屋に通した。久し振りの再会を喜び、お互いに手柄をたてて都に呼ばれたことを讃えあった。

 少年が父親に、チャングムの治療を受けることにした、と言った。チョンホは、チャングムは済州島でチャンドクという優れた医女について学び、このたびは倭寇の頭目の治療をしたことがとがめられて都に連行されたものの、脅されて殺されかけた村人達を助けるためにしたことであり、またチョンホの率いる水軍を手引きして倭寇討ち取りに協力したことがわかって、王から賞賛された、と話した。しかしまだ医女試験を受けておらず、正式の医女ではない、と付け加えた。

 キムチソンは、いかに優れた功績があろうとも、息子をまだ見習いの、見知らぬ医女に任せる気にはならなかった。息子はこれまでに何人もの医者に診てもらったが、誰も息子の持病を治すことができなかったのである。しかし、少年は、この医女見習いの娘の治療を受ける、と主張した。そこでチソンはしぶしぶ承知したが、もし息子を治せなかったり症状が悪くなったりしたら、チャングムに厳しい罰を与える、と言った。チャングムもチョンホも、それでよい、と約束した。

 チョンホは副官を都に帰らせた。少年の治療は数日間泊り込みでするらしい。その間、チョンホも逗留して、チソンと時局についての話をすることにした。

 チャングムは、牛を一頭、つぶしてほしい、と言った。以前、チャンドクが患者に施した治療法を懸命に思い出して自分ひとりでやろうとしていた。

チソンはチョンホに、都に残り、志を同じくする者たちを集めるべきだ、と説いた。かつてチョンホの同志だった人々は、皆、オギョモが権勢を振う宮廷から去って、野に下り、民間で、武芸の鍛錬を行っていたり、学問を教えていたりしていた。チョンホはチソンの考えが正しいと思った。しかし今は、チャングムとともに済州島に帰るつもりなのである。チソンは、チャングムという娘も医女試験に通れば都にいることができるではないか、と言った。その医女試験は数日後にある、と教えた。チョンホは大いに心を動かされた。その医女試験は、仮に少年の治療が順調に終わったなら、すぐに出発しないと間に合わなかった。チョンホはそのときには馬を借りたい、と言った。チソンは承諾した。

 少年は治療を続けるうちに、嘔吐に苦しむようになった。キムチソンは怒った。前より悪くなったのではないか、という。しかし、チャングムは、この時期を経て好転するのだという。少年は、チャングムの治療を信じる、と言った。チソンは、息子の言葉を尊重して、チャングムの治療を続けさせることにした。

 この少年は、幼くして四書三経を全て読み、易経まで読むという神童であった。風水がわかり、先も読めるとのことであった。それゆえ、チソンも、息子が堅く決心したことには従うのであった。

 チャングムの治療が功を奏し、少年のからだは全快した。これからも三年間は言った通りの食事療法をしてほしい、とチャングムは言った。少年も、父親のキムチソンもそれに従うと言った。さらにチソンは、ハン尚宮のために立派な墓を作り、死者のための祭りもきちんとしてやろう、と言った。これはチャングムとチョンホにとって、思いがけないありがたい申し出であった。チャングムはチソンと少年とに感謝の礼を捧げた。少年は、チャングムに、あなたは多くの人を救う相をしている、易経を読むとよい、と言った。チャングムは不思議そうな顔をしながらうなずいた。チョンホは少年の「チャングムは多くの人を救う」という言葉を胸に深く刻んだ。

 チョンホはキムチソンに借りた馬に乗り、後ろにチャングムを乗せて、自分にしっかりとつかまらせた。少し急ぐと言ってチャングムに注意した。それから馬を駆けさせて、漢陽(ハニャン)の街へ向かった。


〜〜〜〜(二十九)〜〜〜〜

(「ミンジョンホの日記」……ミンナウリのモデルと言われている男の日記。一部写本で伝わる)

某月某日。チャングムさんが医女試験に合格した。これから医女修練生になるのだ。チャンドクさんの指導とチャングムさんの努力の賜物である。

チャングムさんは済州島での倭寇撃退に功績があったので都への逗留を許されていたが、その間、身分は済州島の官婢なので、水軍指揮官の権限で私の家に置いていた。しかし、医女試験に合格したことで、さらに逗留期間が延長された。修練を終えて宮廷の医女に採用されればこのまま都に留まることができる。修練生の寄宿舎に入る前に、カンドックの家に連れて行ってあげた。正式に医女に採用されれば、自分の家から通うことができるようになる。

カンドック夫婦は相変わらず元気で、チャングムさんとの再会を喜んだ。チャングムさんは料理の腕を振った。私も相伴に預かった。これからは私も都で勤めに就くので、またトックの家に寄らせてもらいたい、というと、すっかり前のままだ、と言って夫婦とも喜んでいた。もしハン尚宮殿やキムヨンテク君が生きていたら、ほんとうに何もかも元通りになる希望が持てたのだが。二人の命は取り返しがつかない。

カンドックの家を辞す前に、チャングムさんとふたりだけで話をした。チャングムさんは、済州島で逃げるのか残るのかを決めるとき、自分は諦めない、と言った。その通り、諦めなかったので、医女試験に合格したのだ。そう、言ってあげた。チャングムさんは何としても宮廷に入るつもりでいる。そのためには修練生全体で三番以内の成績に入らなければならないという。チャングムさんならきっと遣り遂げられる、と言ってあげた。チャングムさんは、修練に集中すると言った。しばらく会えなくなる。


ミンナウリのカード〜目次〜