ミンナウリのカード

2007/10/25 by てるてる

ミンナウリのカード~(九)~

~(十)~

~(十一)~

~(十二)~

~(十三)~


~~~~(九)~~~~

「いやまったく、このたびのことは、ハン尚宮に教えられた。兜を脱いだ」
内侍府の尚醞は、宦官らしからぬ表現で、ハン尚宮への賛辞を締めくくった。

ミンジョンホは微笑みながら、尚醞の話を聴き、頷いていた。いつもはチョンホの方が尚醞のもとへ押しかけるのだが、きょうは珍しく、尚醞の方からチョンホに使いが来て、お茶に呼ばれたのである。それほどおもしろく、珍しいことだったのだ。しかし尚醞は、その話にハン尚宮の弟子チャングムが関わっているのでなかったら、チョンホを呼びはしなかっただろう。

チョンホとカンドックとチャングムが、皇后をお育てした尚宮の最期を看取り、宮廷に帰ってきてから間もなく、宮中では疫病が発生し、大勢の女官が隔離された。そのなかには水刺間のチョン最高尚宮もいた。こんなときに、太平館では、明国の使者を迎えていた。このたびの使者は、王のお世継ぎ問題を話し合うために来たのである。水刺間から、ハン尚宮とチャングムとが、太平館へ派遣された。

その日のことは、チョンホも覚えている。疫病問題で騒がしい宮城の門のあたりで、ハン尚宮とチャングムの姿を認めた。ハン尚宮は、たまたまそこに来ていたカンドックとそのおかみさんに話があるといって脇へ行ったので、ほんの短い時間だがチョンホはチャングムと話をすることができた。チョンホがチャングムに、疫病にかかっていないかと心配していたと言うと、チャングムは、元気だと答えた。その後で、チャングムが、太平館へ行くと言ったので、それはつらいお仕事ですね、と、同情を込めて言った。チャングムはそのとき、そんなにつらい仕事なのか、という表情をした。太平館というのは、外交の席で何か問題が起こると責任を押しつけられるので、皆が嫌がる部署なのである。

 事実、今回も、問題が起こって、ハン尚宮が処罰されかけたのである。ハン尚宮は、明国の使者が糖尿病であると知り、患者のからだによい料理を作って、宴席に出した。それを見た使者は、野菜ばかりの粗末な料理だといって怒った。この使者は美食家としても鳴らしていたのである。使者の接待役の大監オギョモは、ハン尚宮を厳しく叱責し、料理を下げさせ、尚宮を一室に監禁させた。

 宴席が終わった後で、内侍府の尚醞は、ハン尚宮に会い、たとえ糖尿病でも黙って美食を出しておけばよかったのに、と言った。するとハン尚宮は、
「相手が王様でもそうせよとおっしゃるのですか。チョン最高尚宮さまでもきっとああなさったはずです」
と答えたのである。これには尚醞も返す言葉がなかった。チョン最高尚宮とは古い友人であるからその人柄もよく知っている。ハン尚宮の言うことが正しかった。しかしながら尚醞は、ハン尚宮が料理人の信念を貫いたために、チャングムがたいへんなことになったと告げた。チャングムは、内人であるにもかかわらず、明国の使者の御前に上がり、ハン尚宮の信念を説き、五日間だけその料理を召し上がってほしい、そうすればからだの具合がよくなってきたことがわかるはずだ、と願い出た。使者は、それならばおまえが五日間料理を作ってみよ、からだによく、おいしいものでなければならない、五日間料理を食べた後で、からだの具合がよくなっていなければ、おまえに明国のやりかたで厳しい罰を与える、と言ったのだ。ハン尚宮は驚き、チャングムのことを心配した。命が縮む思いだったと、後から言ったそうである。

 チョンホは、チャングムらしいことだ、と思った。もともとチャングムが病気の尚宮がいる寺へ送られたのは、ハン尚宮が、チャングムには料理をする基本のまごころが失われているとして怒ったからである。チャングムはそのまごころを見つけて、水刺間へ帰った。それを今度は太平館でりっぱに証明してみせたわけである。

 五日間、明国の使者は、毎度、まずそうな顔をしながら、チャングムの料理を食べた。六日目に、水刺間からチェ尚宮と姪のチェ内人が太平館に行き、チェ一族の財力を以て集めた食材で山海の珍味を御馳走した。使者は、感嘆して箸をつけたが、結局、久々の美食をちょっと味わってみた、という程度で終わった。ほんとうに、美食はこれでおしまいにする、と言ったのである。そして、チャングムの料理を五日間食べたら、からだが軽くなり、気分がよくなった。このあとも、朝鮮国に滞在している間は、ハン尚宮とチャングムの料理を戴こう、と言った。その言葉通り、残りの滞在期間中もハン尚宮とチャングムの料理を食べ続け、すっかりからだの具合がよくなった、からだの具合がよくなると難癖をつける気持ちもなくなった、お世継ぎは朝鮮国王の決められた人を認める、と上機嫌で言い、そのうえ、ハン尚宮とチャングムには、今度明国に来たら歓待する、とまで述べて、帰っていった。

 チョンホは、チャングムがほめられたことを何よりもうれしいと感じたのだが、同時に、ハン尚宮への尊敬も感じた。このひとこそ、次の最高尚宮にふさわしい女官であろう、と思った。

 内侍府の尚醞のお茶は、ことのほか愉快に終わった。しかし、内禁衛に帰ってきてから、チョンホは、太平館のできごとに、美談に終わらない暗い影を感じた。

 チョンホは、明国の使者が五日間チャングムの料理を食べた後に、チェ尚宮とチェ内人とが美食を料理した、という話が気になった。チェ内人とはクミョンであろう。クミョンには、済まないことをしたと思っている。あのハン尚宮とチャングムとに会ったすぐ後で、同じ場所でクミョンにも出会ったのだが、チョンホは、おじのチェパンスル殿は高麗人参の取り引きをなさってはいませんか、と尋ねて、クミョンから、疫病がはやっているときに心配もしてくださらずに、と怒られたのである。あわてて、おからだのほうは大丈夫ですか、ときいたが、クミョンの怒りは解けず、立ち去ってしまった。あのような失態をするとは、自分はやはりまだまだ未熟者である。若い女官を傷つけるつもりなど、毛頭なかったのに。それにクミョンには今、五代続けて最高尚宮を輩出したチェ一族の将来を担う者としての苦しみがあるのではないだろうか、と思い遣った。クミョンは以前、料理をすることに自信を失った、と言っていた。そのことと、糖尿病の患者に美食を出した、ということとには、何か関係があるのではないか。おばのチェ尚宮のもとで料理を学び続けることに疑問を抱いているのではないだろうか。チャングムは最良の師匠に恵まれている。クミョンのほうは、どうなのか。

 ハン尚宮とチャングムが、処罰も覚悟して信念を貫いたように、料理のまごころも、自信も、誇りも、失わずに、女官として生きることは、想像以上に厳しいのではないだろうか? チョンホは、チャングムはもちろんだが、クミョンに対しても、これから先に歩む道が苛酷にならないことを願っている。クミョンには、困難な選択が数多く待ち受けているのではないだろうか。チェパンスル商会には、不正な取り引きの疑いがある。先日、成均館の高麗人参の横流しの件を内禁衛の長官に報告したが、宮廷の監察官は動こうとしない。どうやら宮廷の上層部に糸を引くものがいるようである。それは、菜園のキバナオウギの件でも、推察されたことである。その上層部とのつながりには、五代続けて水刺間の最高尚宮を輩出しているというチェ一族の女達も、関わっているのではないか。チェ尚宮が山海の珍味を糖尿病に罹っている明国の使者に出したこと、その使者の接待役の大鑑オギョモが、ハン尚宮やチャングムに厳しい処置をとろうとしたことが、嫌な符合を感じさせた。


~~~~(十)~~~~

 ミンジョンホの自宅に、カンドックとおかみさんが酒を納めに来た。おかみさんには、トックと医務官をつれて寺へ行ったときに、途中の酒場で初めて会い、役所に酒を納めさせてくれと頼まれたことがある。よくしゃべるひとで、おまけに手も早く、トックはいつもおこられている、とチャングムも言っていたが、実際そのとおりである。きょうも、酒代はうちのひとに渡さないであたしに渡してください、というおかみさんに、チョンホはほほえみながらうなずいた。

トックは寺から帰ってきてからというもの、このおかみさんに尻を叩かれてのことだろうが、役所で酒を買ってほしいと何度も内禁衛に来た。しかもそのつど賄賂を持って来るのだが、所詮は庶民のすること、黄金や銀の類はない。高麗人参と称してつるにんじんを持ってきたり、出世できるおまじないだと怪しげな札を持ってきたり、チョンホはこれもつきあいだと思って、そのつど厳しい顔をしてお引取り願ったのだが、しまいに、いい芸者のいる妓楼に案内すると言った時には、本気で怒った。後から、悪気のない人にあれほど怒ることもなかった、と思い直し、執務室の外に出て行くと、トックがなにやらぶつぶつと言っていた。次の賄賂のことを考えているらしい。さすがにチャングムの親爺さんだ、全然懲りていない、と思わず口元が緩んで俯いてしまったが、ではこちらもまた厳しい顔でお相手しよう、と思って顔を上げると、チャングム本人が内禁衛の門から入ってくるのが見えた。チョンホは満面に笑みを浮かべた。太平館から水刺間に戻ってきたのだ。誰もが嫌がるむずかしい仕事を誰よりもみごとに成し遂げて。

 チャングムはカンドックを見つけて、
「おじさん、ここで何をしているの?」
と聞いた。チョンホはその近くへ行き、
「ここは、兵士の訓練をするところですよ」
と言った。トックは、
「は、す、すみません、旦那、その、酒を……」
しどろもどろだがこの期に及んでもまだ酒を買ってくれと言おうとしている。おかみさんの顔でも思い出したか。

「ここにお酒を納めていただくわけにはいきません。しかし、わたしは、自分の家で部下に酒を振る舞うことがあります。だからわたしのうちでお酒を買いましょう。こんど、うちに運んできてください」

チョンホがそう言うと、トックは喜び、何度も礼を言い、チャングムは、おじさん、いきましょう、おじさんにききたいことがあるの、ほらおじさん、ねえ、はずかしいったら、はやくいきましょう、などといいながら、トックの腕を取って内禁衛を出て行ったのであった。

 そんなことがあって、きょうはちょうど部下達を家に呼んで話をしていたところに、カンドックとおかみさんが酒を運んできたのだが、おかみさんだけ奥の方に行ってもらい、トックには話があると言って引き止めた。部下達を呼んだのは何も酒を飲むためではなく、高麗人参横流しの件の捜査会議をしていたのだった。チョンホは、チェパンスルと結びついている宮廷の高官が誰なのか、どうやったら突き止められるかと考えていたところに、ちょうどトックが来たのである。トックに、このまえ言っていた、いい芸者のいる妓楼というところに案内してほしい、と頼んだ。トックは喜んで引き受けた。

 カンドックはその店ではりっぱな顔のようなことを言っていたが、トックが声をかけた芸者は突慳貪だった。一番端の小さな粗末な部屋に案内された。チョンホは芸者に、自分のような下っ端の者がこういう場所に来る理由は決まっている、出世の糸口をつかむためだ、と言い、ここにはさぞ高官の方が来るのだろう、ときいた。芸者は、皆さんそうおっしゃいますけど、何もお話しできませんよ、と言って、出て行ってしまった。トックは、すみません、今度はよく言い含めておきますから、と言った。チョンホは、ええ、お願いします、と言い、そのための金を渡した。トックは、こんなにいただいていいんですか、と言った。チョンホは、うなずいた。それから、さあ、飲みましょう、と杯を差し出して、トックとゆっくり酒を飲んだ。この妓楼の持ち主は、宮廷の小役人のユンマッケだった。ユンマッケは大監オギョモの子飼いの者である。しかし、それ以上のことは、わからなかった。


~~~~(十一)~~~~

 朝、カンドックが大慌てで、一大事だと、ミンジョンホの家に駆け込んできた。チョンホは、何事かとトックに会って話を聞くのだが、全然要領を得ない。どうやら慌てれば慌てるほど、話の要領が悪くなるらしい。チョンホはこれほど焦れったい思いをしたことはなかった。

 順を追って要点だけを話すと、ゆうべ、カンドックの家にハン尚宮が来たのである。料理の食材がなくなり、緊急に手に入れなければならなくなった。トックはハン尚宮を案内してあちこちを回り、けさ、やっと、手に入れることができた。しかしまだ足りないものがあるので、トックは先に宮廷に手に入ったものを届けに行くことに、ハン尚宮は舟でさらに買い足しに行くことになった。ところがその舟が、目的地と反対の方向へ行く。おかしいと思って見ていると、ハン尚宮が立ち上がったところを男達が無理矢理に口を塞ぎ、船べりに押さえつけるのが見えた。ハン尚宮が拉致されたのだ。

 チョンホは馬を出した。内禁衛の部下たちを集め、船着場のあるところを片っ端から調べて回った。

 ついにある家で、ハン尚宮を見つけた。その家にいた数人の怪しい男たちも捕えた。チョンホはハン尚宮を急いで宮廷へ連れて行った。

 宮廷では、皇太后の誕生日の祝いが開かれていたが、それはハン尚宮とチェ尚宮とどちらが次の最高尚宮になるかを決める競い合いの場でもあった。ハン尚宮が拉致されている間に、チャングムが料理を作って出していた。ハン尚宮はそのようすを見て、この場は、最後までチャングムに任せようと決めたらしい。料理は一品ごとに優劣が付けられる。ここまででチャングムの二勝三敗であった。

次は六品目である。ビビンバであった。チャングムは、釜ごと出すとは無礼な、と女官長に叱られていた。チェ尚宮のビビンバは醤油付け蟹のビビンバで、まさに絶品であると、皇太后も、皇后も、王も、賞賛した。チャングムのビビンバは、温かく、おいしかった。女官長から無礼だと叱られたが、この工夫はみごとであった。チャングムの方が勝ちと認められた。

最後はお菓子であった。チャングムは、野いちごの砂糖漬けを、チェ尚宮はツル人参の揚げ物を出した。皇太后は、お菓子を口にする前に、これまでで最高の料理はどれか、ときいた。チェ尚宮は、子豚の肉を煮込んだ「ヨンジュ」だと答えた。チャングムは、 「それは、これからお出しするものでございます」 と答えた。

「わたしの母は、死ぬ間際に、わたしが摘んだ野いちごを食べて、おいしい、と呟いてから、息を引き取りました。王様は、すべての民の父であらせられます。たとえ粗末な野いちごでも、微笑んで食べてくれたわたしの母のように、どうか民を守っていただきたい。そんな気持ちを込めて作りました」

その場の人々は、皆、母と子のわかれの場を想像していたのだろう。ほんの暫くの間があいた。
「いや、すばらしい。そちは国一番の水刺間の女官だ」

王が、感極まって言った。たちまち、列席の人々が賞賛のささやきを始めた。皇太后と皇后は、チャングムの師匠のハン尚宮に会ってみたいと言った。ハン尚宮は御前に出た。皇太后は、ハン尚宮が次の水刺間の最高尚宮であると宣言した。

 チョンホは、ハン尚宮を拉致した男達を義禁府に引き渡した後で来て、料理の競い合いのようすを宴席の外から伺っていたのだが、チャングムが野いちごの話をしたとき、以前に父母との悲しい別れの話を聞いたことを思い出し、胸が迫った。ハン尚宮が来るまで、ひとりでけなげに料理の競い合いに臨み、尚宮が来た後も、最後までやりとげて、最も悲しい思い出を最高の料理に作り上げた姿を、美しいと思った。

 夜、チャングムが退膳間から出て来た。夜食の当番を終えたのである。チョンホは、チャングムに近づいた。チャングムは、
「チョンホさま。ハン尚宮様をお救いくださって、ありがとうございました」
と、深く礼をした。チョンホは、言った。

「きょうのあなたは、美しかった。王様の御前でなさった野いちごの話にも、胸を打たれました。あなたが王におっしゃったことは、わたしの胸にも深く刻まれています」

チャングムは、はずかしそうにうつむいた。チョンホもまた、それ以上は黙ってうつむいていた。それから、おやすみなさい、と言って、わかれた。

 翌日、チョンホが、ハン尚宮を拉致した男達の取調べについて義禁府にききにいくと、既に釈放されていた。ハン尚宮が勝手に乗る舟を間違えて騒いだだけだ、という申し開きが通ったのだという。まただ、とチョンホは思った。キバナオウギ、高麗人参、そして、最高尚宮を決める競い合い。すべてチェ一族に関わることに、宮廷でかなりの力を持つ高官が裏から手を回している。その者を、どうしても突き止めなければならない。


~~~~(十二)~~~~

 ミンジョンホはまた、カンドックと一緒に、ユンマッケの妓楼に出かけた。今度は、トックのなじみの芸者が相手をしてくれた。彼女が言うには、チェパンスル、パクプギョム、オギョモの三人が、時々、密談をしているとのことだった。チョンホは、これからも彼らについて知ることは何でも教えてほしいと頼んだ。芸者の話を聞いている間は、酒を飲まなかった。聞くだけ聞いて芸者を帰すと、トックとふたりでゆっくり酒を飲んだ。

 チョンホは、内禁衛から司憲府(サホンブ)への異動を願い出た。もともと文官なのを、三浦の乱のときの功績で内禁衛の長官に抜擢されて武官の仕事もしていたわけで、司憲府(サホンブ)に異動するということは、本来の文官の仕事に戻るのである。チョンホは、宮中に仕入れられる物品の流れを調査するために、希望して監察官になった。

 王宮の庭で、たまたま、チャングムに会った。しばらく顔を見ていなかったが、内侍府の尚醞からいろいろ聞いていた。前の最高尚宮のチョン尚宮が病が重くなって隠退し、チョン尚宮に見習いのときから育てられた内人とともに、チャングムも隠退場所の寺に行って世話をしたこと。チョン最高尚宮は王のお気に入りだったので、王が自分の侍医を差し向けたこと。チョン尚宮が息を引き取り、チャングムたちが宮廷に帰って来たとき、ハン最高尚宮は他の尚宮たちの造反に遭って孤立していたこと。チャングムが必死に守り立てて、ハン最高尚宮は料理の競い合いの遣り直しを皇太后に願い出たこと。そのとき、もし競い合いに勝てばしばらく全権を任せてほしいといい、女官長にも口を出させないように頼んだこと。皇后が賛成し、皇太后も皇后に任せたこと。そして、ハン尚宮は競い合いの遣り直しでみごとに勝ちを収めたこと……。

 チョンホはチャングムに、司憲府(サホンブ)に異動になったことを告げた。
「そのうち、あなたにも協力をお願いするかもしれません」
そう話すと、チャングムは、
「はい。やっと、御恩返しができます」
と、うれしそうに言って笑った。

 そのときはすぐにやってきた。チョンホはチャングムに、ハン最高尚宮に引き合わせてほしいと頼んだ。ハン最高尚宮はチョンホに会うと、先日、拉致されたときに救出してもらった礼を述べた。チョンホは、ハン最高尚宮に、宮中に仕入れられる食材の流れを調査することを依頼した。

 ハン最高尚宮は、チャングムを出納係に任命し、各部署の食材の配給量と使用量の調査をさせた。すると、不思議なことに、水刺間以外の部署では、余った食材の返納量が倍増したのである。これには内侍府の尚醞が怒り、理由を各部署の尚宮たちに問い糾した。尚宮たちは、これまでの慣行で、余った食材は自分たちで分け合っていた、と述べた。横領が日常化していたのだった。

 チョンホは尚醞とハン最高尚宮から、長年、食材の横領が行われていたという報告を聞いたが、それは宮廷の他の部署でも同じだった。思っていた以上に大掛かりな不正が宮中で行われていた。チョンホは、その黒幕にいる人物は予想がついたが、これだけでは追い詰めることはできなかった。さらに調査を進めなければならない。ただ司憲府を通じて、宮中への物資の仕入れをチェパンスル商会が独占しており、横領や無駄遣いの横行が監察の目を逃れていたことを、王に報告することができた。王は怒り、チェパンスル商会の独占をやめさせて、他の商人とも取り引きをすることを命じた。

 チェパンスル商会に独占権を与えていたのは大監オギョモである。チョンホは、いずれはオギョモを仕留めるつもりだった。しかし、思わぬ人から引き止められた。クミョンである。


~~~~(十三)~~~~

 ハン最高尚宮が就任したとき、報復人事が行われるのではないかと女官たちは恐れたが、チェ尚宮が醤庫に異動させられただけだった。醤庫は、チョン尚宮が最高尚宮になる前にいた部署である。チョン尚宮は、前のチェ最高尚宮と互角の実力があったにもかかわらず、自ら身を引いて醤庫の担当に甘んじていた。しかし両班の出身でもあり、風流の人として認められ、いわば悠々自適の生活をしていた。チョン最高尚宮になってからは、公正な人として手腕を発揮し、王にもまた、料理がおいしいうえに洒脱な最高尚宮として気に入られていた。しかし今度、チェ尚宮が醤庫に行くにあたっては、チョン尚宮のような風流も悠々自適な暮らしも、無縁であった。ただ、チェ尚宮の助手として競い合いに臨んだクミョンは水刺間に残った。いずれはチャングムとクミョンとが水刺間の最高尚宮を争うことになるものと思われた。有能な後継者を育てるのも最高尚宮の務めであろう。

チャングムを出納係に任命して調査をした結果、ハン最高尚宮は、自分に造反した尚宮たちがことごとく横領をしていたことを知った。そのことで厳しく叱責した。しかし、今回だけは許す、といい、誰にも処分をくださなかった。その結果、ハン最高尚宮は、完全に尚宮たちを掌握したのである。チェ尚宮は、もはや何の影響力も行使することができなくなった。

ここまでは、ミンジョンホも、内侍府の尚醞から聞き知っていた。

 以上のことは、宮中への物品の仕入れを独占してきたチェパンスル商会にとって痛手であった。またチェパンスルと手を結んでいる大監オギョモにとっても同じく痛手であった。オギョモは、王に宮廷での物品横領とチェパンスル商会の独占の弊害を進言した者が、表向きは司憲府の長官だが、実質的には監察官のミンジョンホであることを知った。チョンホとハン最高尚宮とが協力し合っていること、二人を仲介したのがハン最高尚宮の弟子で出納係を勤めたチャングムであることも知った。そこでオギョモは、チョンホを流刑か免職にし、二度と宮廷に戻れないようにすると、チェパンスルに話した。

 クミョンはそのことを、おじのチェパンスルから聞いたのである。

 クミョンは、チョンホの家を訪ねてきた。チョンホは、池のある庭で、クミョンの話を聞いた。明るい月夜であった。
「チョンホさまは、どうして、おじのチェパンスルや、オギョモさまの側につかれないのですか」
クミョンは、切なそうに、少し責めるように、尋ねた。
チョンホは、残念な思いを面に表わしながら、答えた。
「クミョンさんは、チェパンスル殿の姪御さんであっても、そのような不正に加わる方ではないと思っていました」
クミョンは、少し悔しそうな表情を見せた。
「不正に加わりたくなくて、悩んでいるわたしのそばに、助けてくれる人は誰もいませんでした。苦しみに耐えられなくて、チョンホさまに会いに行ったとき、チョンホさまが筆を手にとってほほえむお姿を見ました。そしてその筆を使うチャングムを見ました」
チョンホは、あっと思った。クミョンは続けた。
「結局、わたしの生きる場所は、一族のなかにしかなかったのです」
チョンホは、クミョンと同じぐらい苦しい表情になっていた。
「ひとのせいになさるのですか、クミョンさん」
それは悲しい声だった。クミョンを責めているのではなかった。
何かが失われていくのを止めるすべがないと、チョンホも、クミョンも、感じていた。クミョンは、言った。
「わたくしのひとことで、チョンホさまは、官職を剥奪され、チャングムも重い罪に問われ、命を以て償うことになります」
クミョンは、自分のひとことひとことを聞くチョンホの顔を、まっすぐにみつめていた。チョンホも、クミョンの顔をまっすぐに見つめていた。チョンホの顔は悲しみが深くなる一方だった。クミョンが言い終えたとき、これで、失われてしまったのだ、取り返しはつかないのだ、という思いが、二人の間にこだまのように残った。
クミョンは顔を背け、身を翻した。そして、振り返らずに、立ち去っていった。
 チョンホは、池の方へ向き直り、月の映る水面を眺めた。宮中で疫病が発生したときにクミョンと宮城の門の近くで会ったこと、クミョンが硯を持って内禁衛に訪ねてきたこと、王の狩猟のあった夜に言葉を交わしたことを、思い出した。どのときにもチャングムがいた。そして、チャングムと寺で過ごしたときを振り返った。あのときもクミョンが来ていたとは。
 チョンホは、今までできるだけ考えまいとしてきたことから、もはや目を背けることはできないと、つきつけられたのであった。女官は、王の女であり、王以外の男を愛しても、愛されてもならない。とうの昔からわかっていた。なぜチャングムにノリゲを返さずに持っているのか。チャングムが手に入らないことは初めからわかっていた。ノリゲは身代わりなのだ。
 チョンホは、ノリゲを袖から出して見た。いつも袖に隠しているのである。もはや着替えるときに忘れるなどということはなかった。返そうとして忘れるなどということはなかった。

 数日後、チョンホは司憲府(サホンブ)から内禁衛への異動の申し出を受理された。内禁衛では倭寇の密偵探索を指揮するために地方へ派遣されることになった。チョンホはチャングムにそのことを告げた。チャングムは、左遷されたのかと心配した。チョンホは、自分から願い出たのだと言って、安心させた。


ミンナウリのカード~目次~