2007/09/16 by てるてる
ミンナウリのカード~(三)~
~(四)~
ミンジョンホに手裏剣を投げつけて傷を負わせ、逃亡していた倭寇の密偵の女を、ついに内禁衛は捕らえることができた。女は朝鮮国の地図を持っていた。その詳細さにチョンホは驚いたが、更に、各所に不審な印が付けられていることが気になった。チョンホは女に、この印は何を意味するのかと尋ねた。女は、どうせ義禁府に引き渡されて拷問されながら取り調べられるのだ、早く引き渡せ、と答えた。チョンホは、拷問で口を割るようには見えない、と返した。あなたは仲間に裏切り者と罵られることを恐れているのでしょう、だから義禁府で責められても死ぬまで秘密を洩らさないに違いない、しかしここで今わたしに教えたのならそのことは仲間にわからないようにするし、わたしは義禁府に拷問をやめてすぐに死刑にするように伝えましょう、残念ながら死刑は免れません、それでもそのほうがあなたにとっても楽ですし、わたしも仕事が早く済みます、と、こんなときでさえ丁寧な言葉遣いで話した。密偵の女は、我々の仲間はどこにでもいる、宮廷の中にさえいる、と答えた。チョンホは宮廷に倭寇の仲間がいるという証言に内心驚いたがそのことは顔に出さずに、それではなぜその仲間に助けて貰わないのです? ときいた。女は薄く笑った。それから目を瞑り、口を堅く閉じ、これ以上は何も言わないという表情を作った。しばらくその顔を見ていたチョンホは、脇に立っている副官の方を向いて、つれていきなさい、と静かな声で、厳かに命じた。密偵の女は目を開けた。副官は女を立たせ、もうひとりの兵士とともに女に縄を掛け、部屋の外に連れて行った。
夜も更けて、ミンジョンホは承旨(スンジ)とともにいたが、騒ぎが起こっているのを聞きつけて、承旨に従い、数人の兵士を率いて調べに行った。そこは厨房で、ふたりの女官が争っていた。よく見るとそれは、チャングムと、同じ年頃のお針子の娘で、ふたりは料理に使う小麦粉を奪い合っているのであった。きょうあすと料理試験であった。小麦粉は料理試験の課題の饅頭を作るために使うのである。お針子にも正式の女官になるための試験があるが、課題は女官服を縫うことで、小麦粉が必要なわけがない。一方は、料理試験の材料がなければ合格できず、女官になることができずに宮廷を去らねばならなくなるのだ。チャングムが怒るのは当然であった。
チョンホはこのような場面に出くわしたことに心底驚いた。よくよくチャングムという娘とは縁のあるものと思われるが、またこの娘は自分と初めて会ったときといい、何かと事件に巻き込まれやすいようだ。
お針子の娘は、近々宮廷を去る母のために好物の饅頭を作ってやりたいのだという。しかも母親は女官で、料理試験の課題に饅頭を出したその人だという。
あまりのことにその場にいた人々は皆、茫然となった。承旨(スンジ)はチャングムに、お針子の母親だというノ尚宮を呼びに行かせた。ノ尚宮はやってきて、確かにそのお針子は自分の娘だと言った。昔、明国の使者に狼藉を働かれ、この娘を産んだ。そのことを女官たちが皆で隠して、きょうまで育てたのだという。
その話が本当ならば、本来ならば明国の使者に狼藉を働かれた時に、王への裏切りとして死を以て償わねばならないはずであった。自分に非がなくとも、それが女官の掟なのである。ましてや王以外の男のこどもを産むなど、大罪であった。しかしことは十六年前のできごとであり、母親のノ尚宮はあと数日で宮廷を去る身であった。
承旨(スンジ)は、表沙汰にしないことに決めた。お針子の娘が小麦粉をチャングムに返せば、何もなかったことにできると思われた。しかし、チャングムは、お針子の娘が母のために饅頭を作るのを手伝ってやった。チョンホはチャングムのしたことに驚いた。自分の試験はどうするのだろう。これでは、錦鶏を買いに行ったときに、チョンホの傷の手当てをしたために宮廷に帰るのが遅くなり、役人に捕えられたことの二の舞ではないか。
チョンホは、チャングムとはこういう娘なのかと、感動とともに理解した。そのとき、ちらとある考えが頭に浮かんだ。料理試験に落ち、正式の女官になる前に宮廷を去れば、自分の妻にできるではないか……。チョンホは、はっと我に返った。承旨(スンジ)とともに、娘達のいる厨房をあとにした。
翌日の夕方、チョンホは例によって、内侍府の尚醞のところへ行った。尚醞は、チョンホの顔を見ると、何もきかれないうちから話し始めた。チャングムが、小麦粉をなくし、菜園の夕顔と白菜を使って饅頭を作った。尚醞も試験官のひとりだったが、味は一番おいしかった。しかし決められた試験の材料である小麦粉をなくしたのは問題であるとして、女官長などが強く批判し、結局、落第させられた。
そこまで聞いて、チョンホは、なんと理不尽な、気の毒な、という気持ちと、何かを期待するような気持ちとが胸の中で交差した。顔にも表われたかもしれない。
尚醞は続けた。皇太后がノ尚宮を付き従えて試験の結果を見回りに来られて、チャングムの饅頭を召し上がり、たいへんおいしいとお褒めになった。さらに、その作り方の創意工夫や、王様に出す食事であるから王様の健康状態を考えて作ったという心配り、また貧しい人々でも使いやすい食材を選んだという智恵に、非常に感心された。そして最後にノ尚宮が、チャングムが小麦粉をなくしたのは自分のせいであると述べたので、皇太后はこのような優秀な者を落第させてはならぬと仰せられた。それでチャングムは料理試験に合格した。
チョンホは、安心した。同時に、惜しいものを取り逃がしたような気もした。
~~~~(四)~~~~
ミンジョンホは内禁衛の長官とともに、王の狩猟に随行した。高位高官の人々が王とともに狩猟を楽しんだ。チョンホは王直属の従事官で、本来は文官であるが、三浦の乱で手柄をたてて以来、内禁衛の長官に請われて、武官の仕事もこなしていた。狩猟場では長官に代わって直接に兵士達の指揮をとった。狩猟の出来は上々で、王はことのほか喜んだ。王は居並ぶ高官の前でチョンホの手並みを褒めた。上機嫌の王は、昼食は冷麺にするようにと内侍府の尚醞に命じた。予定では御飯だったが、尚醞は喜んで変更を受け入れ、水刺間から随行してきた尚宮に伝えに行った。
王が休憩の場所に着き、高官達が宴席に連なって、昼食が運ばれてきた。そのとき、チョンホは、水刺間の尚宮の姿が見えず、二人の内人が控えていることに気づいた。一人はチャングムであった。随分と緊張の面持ちである。また何かあったのか、まさか尚宮の代わりに料理を作ったとかいうのではあるまいな……と思った。しかしそのまさかであった。王が一口、冷麺を食べて、これはうまい、今までにない味じゃ、と喜ぶと、内侍府の尚醞が、このたびは尚宮に代わって二人の内人が作ったのだと説明し、王は、その二人を誉めて遣わす、と述べた。チョンホはチャングムの方を見た。チャングムもチョンホの方を見た。もっともチャングムはチョンホがそこにいたとは知らずにたまたま目が合ったようだったが、お互いにそっと微笑んだ。
後で内侍府の尚醞に会うと、水刺間の尚宮は料理をしているときに不手際があってからだの具合が悪くなり、代わってことし料理試験に合格したばかりの二人の内人が冷麺を作った、という話をした。尚醞も少し肝を冷やしたらしい。
夜になって、チョンホは幕営の見回りをしているときに、チャングムと一緒にいたもうひとりの内人の姿を見た。内人はまっすぐに自分を見ていた。チョンホは思い出した。チョンホは文具に凝る趣味があったが、ことに硯はこどものときから好きで、いい硯のある、チェ一族の家によく遊びに行った。その家にいた少女クミョンが、チャングムと一緒に冷麺を作った内人であった。クミョンも美しい娘であった。チャングムが美しく愛らしい娘であるのに対して、クミョンは端整で、静かな聡明さを湛えていた。
チョンホは見回りを終えると、チャングムが建物の陰にひとりですわっている姿を見て、そばへ歩み寄った。チャングムは小さな帳面に不釣合いな大きな筆で書き付けていた。チョンホは声を掛けた。
チャングムは顔を挙げ、チョンホを見ると、にこっと笑った。そして、
「その帳面にその筆は大きすぎますね。そうだ」
「チョンホさま」
チャングムの方を振り向くと、不思議そうな顔をしてチョンホを見ていた。チョンホは説明した。
チャングムは帳面を閉じて立ち上がった。チョンホは、名残惜しかったが、
~~~~(三)~~~~
「きょうはお手柄でしたね」
「その日のうちに書き留めないと忘れてしまいますから」
と言ってまた帳面に眼を落とした。料理日誌であった。チョンホは筆の大きさが気になった。
まだノリゲを返していないことを思い出し、服の袖を探った。ところが、いつも肌身離さず持ち歩いているというのに、このときに限って、袖に隠していなかった。
「しまった。服を着替えたときに忘れてしまった」
チャングムはチョンホを見て、小首を傾げたが、また、にこっと笑って、帳面に戻った。チョンホはその横顔を月明かりで眺めて楽しんだ。
後ろから声がした。振り返ると、クミョンであった。クミョンは、声をかけてから、チャングムもそこにいるのに気づいて、はっとしたようだった。チョンホは、
「おお、これはクミョンさん。おひさしぶりです」
と答えた。クミョンは、
「はい、おひさしぶりでございます」
と言った。チョンホが、
「何か、御用でも」
と言うと、クミョンは、
「いいえ、御用はございません。懐かしさのあまり、思わず声をお掛けしてしまいました。これで失礼致します」
と言って、去った。
「こどものときに、クミョンさんの家によく遊びに行ったのです。わたしのすきな硯がたくさんあったのですよ」
チャングムは興味を持った。
「チョンホさまは、硯がおすきなんですか」
チョンホは少し照れるように答えた。
「ええ。いい硯を見つけると、何時間でも飽きずに眺めています」
チャングムは眼を丸くした。チョンホは笑って、少しすねたような顔を作った。
「そんなに呆れなくてもいいでしょう」
そういうと、チャングムは、
「ごめんなさい」
と言った。そして二人で笑い合った。
「それでは、おやすみなさい、チャングムさん」
と言った。チャングムも、
「おやすみなさい、チョンホさま」
と言って、去って行った。