帰りは「自由民権記念館」までタクシーで送ってもらい、そこで見学と資料交換をしました。館長と資料受入担当の学芸さんが親切に応対してくれ、持参した資料を興味深く観てくれました。後日研究協力への感謝のお葉書まで送ってくれましたが、「自由民権の風は土佐の谷間から」という言葉も出来たほど民権運動には高知出身の運動家が多く参加しました。幕末期土佐藩参政の吉田東洋は、武市瑞山率いる「土佐勤王党」に暗殺され、これを怨んだ東洋の甥の後藤象次郎やその友人の乾(板垣)退助は、武市や勤王党の郷士を捕らえて厳しく詮議しました。後藤や乾は当時の土佐の支配階級の「上士」といわれる階級で、武市や竜馬は差別される「下士」の郷士階級でした。この厳しい上下の身分差別が、幕末の土佐藩の政治的な動きに大きく影響したと言われますが、幕末期には差別や取締りをしていた上士の後藤や乾が明治になると、心を入替えて、「大同団結運動」 など民権運動の中心になってゆくのはひじ久那話です。彼らの心の変化には、竜馬との出会いとその影響が大きかったと言われています。
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