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<ジャンボ、ハバリ!−その2−> |
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●3年ぶりのカランジャ(てるおのアフリカンネーム)のアフリカ里帰り旅行報告
◎今年8月7〜18日まで3年ぶりに僕はパパ(ババ・カランジャ)とママ(ママ・カランジャ)と3人でアフリカ旅行をしました。その旅行での思い出を書きます。 ○2000年8月7日(出発初日) 午前中からお昼にかけて必死にこのHPのレスづけやメール読みやらをして旅行に備えていた僕は(笑)、お仕事からパパが帰ってくるのを待ってママと3人で自動車で成田のANAホテルに向いました。アフリカには8日に出発ですが、飛行機の時間が早いので、今日はここにお泊りです。去年パパとママがアフリカに行った時も、3年前に僕も行った時もやはりここに泊まりました。今日は旅行の前夜祭ということで、開放感一杯のパパは、2日前がママのお誕生日だったこともあって、そのお祝いも兼ね、鉄板焼きを大盤振る舞い・・。とてもおいしいステーキを食べました。いわく「旅行中はこんなに美味しいお肉は食べられないと思うからな〜」・・ははは、このパパの言葉は後できちんと裏切られることになりました(^^;)。 ○8日(2日目、日本からの出発日) 前日TVを観ながら寝た僕は、明け方に目が覚め、ずっとTVを観ておりました。不規則は相変わらずです、これで身体が良くなるのか?・・旅行の先が思いやられる〜(笑)! 朝バイキングの朝食を済まし、9時半頃のバス・・・ちなみにこの辺のホテルは飛行機の乗務員のお客さんも多く、空港まで定期的にバスで送迎してくれます・・・で10時頃空港について早速飛行機のチェックイン。初めて乗るシンガポール航空のラッフルズクラス(いわゆるビジネスクラスですが、この会社ではこう呼んでいます。ラッフルとは富くじ札のこと)なので、スムーズに終わり、トランク類も預けます。スルーで預けたのでこれらの大荷物はウガンダのエンテベ空港まで見ることはありません。 そして、このクラス専用のラウンジで搭乗案内まで一休み。今度の旅行は概ねビジネスクラスだったので、その意味では楽だったし、ラウンジも使えて飛行機の待ち合わせ時間は大体楽でした。贅沢だ、などと言うことなかれ〜(^^) 割引もあるし、パパとママはもうお年寄り (わはは)! 老後の楽しみで貯金下ろしてるし、エコノミーでは身体が持ちません。また僕はパパとママの世話係りなので、いわばお仕事、立派に「ビジネス」なのです〜(笑) しかも僕の体格ではそれこそエコノミー席が壊れるかも・・!?(わっほっほ)というわけで、やむをえない仕儀ではありました・・。 3人でラウンジで旅の前途を祈って乾杯し、案内の放送を待って搭乗。そう、ビジネスクラスのラウンジでは基本的に搭乗の案内を放送等で時間になると知らせてくれるのです。12:00の予定からちょっと遅れて無事飛行機は出発。飛行機に乗るのは2年ぶり、海外旅行は3年ぶりで前回のアフリカ行き以来だった僕はちょっと離陸が怖かった(^^;) さ〜て、これからいよいよ久々のアフリカ行き・・一体どうなるのかな〜?
6時間半のフライトの間僕は前日の睡眠不足もあってか、食事を相変わらずもりもり食べた後(笑)、席に備え付けのビデオを観ながらヘッドホーンをしたままよく眠ってしまいました〜。 そして飛行機はほぼ予定通りシンガポールの空港に到着。日本と1時間時差があるので17時半頃着きました。まず乗り換えて次に寄るドバイまでのチェックインをするためトランスファーカウンターを探します。ここチェンギ空港はターミナルが2つあって、到着したターミナル1からなんとスカイトレインという電車に乗って2分程でターミナル2に移動します。似た制度は成田にもあったような気がします。 カウンターは直ぐ見つかり、申し込むと、なんとウガンダのエンテベまでのチェックインが出来てしまいました。ここからエンテベまでエミレーツ航空という会社の便を使いますが、同じ航空会社だからできたのでしょう・・。それで、そこの係りのお姐さんに 「ビジネスクラスのラウンジはどこ?」 と訊くと、 「それならちょっと行ったとこの服飾品関係のお店の後ろのエレベーターに乗って上がった所でエスカレーターに乗って、すぐ上ですよ」 と親切に教えてくれ、近いと思ってそそくさとラウンジを目指しました。これが運の尽きの〜始まり!(^^;) 今回の旅行はとても楽しかったけど同時に色々トラブルネタも多く、このラウンジ探しがその前触れとなりました・・。
すぐ後ろだと思ったエレベーターは何処にも見つからず、やいのやいのあちこち見た挙句、重い荷物を下げて(車がついている鞄とかもあるけど)、初めての場所で案内板を見ながら歩いてもよく分からないわ、似たようなつくりで初めて通った通路か前に通ったかも分からず、人に聞いても言葉がお互いうまく通じなかったり、と、大変な探検になってしまいました・・。年寄りのパパとママ、特にママは 「あたしはもういや〜!」 とか疲れているし、若いはずの僕もうんざりです・・。でもようやくエスカレーターがあり、そこを昇ると、色々な航空会社のラウンジが並んでいる所に出ました。ここだ、と思ってその1つに入って受付の男性に訊こうとすると、何も言うな、分かっている、という風に盛んに通路の奥を指して「あな、あな!」 と叫んでいます。何かと思ってそちらに行くと、「ANA」のラウンジがあったのでした〜(笑)。彼は僕らを身なり風体や様子から日本人と判断できたところまでは良かったのですが、だからといって日本の航空会社の客とは限らない、という事が分かってはいなかった〜(わはは・・)! その後ようやく僕らのためのラウンジを見つけることが出来ましたが、その時ふと時計を見ると19時を回っています。チェックインをしてからなんと1時間もラウンジを探してうろうろしていたのでした〜。さっき初めての場所、と書きましたが、実はシンガポールには21年前に来た事があります。前ページで書いたナイロビで入院した時の旅行で帰りに寄った事があります。その時はエンジントラブルでいつ飛ぶか分からない便をパパが怒ってキャンセルし、別会社の便のチケットを買って成田まで帰ったのでした。この時はそのためシンガポールで一泊することになり、別の日本人のグループの方々と行動をともにすることになりました。その中に著名な作家のお母様が折られて、とてお仲良くなってしまいました。この方自身旅行好きとして知られていて世界中を旅して周られていました。お名前が僕と似ていたので、そういうこともあって仲良くしましょう、と仰り、シンガポールにいた間一緒に自動車に乗ったりして色々お話しました。良い思い出です・・。 |
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このHPの常連のmiochikaさんがこの春ロシアに旅行された時のことをご自分のHPで書いておられますが、その時寄られたこのシンガポールでのことを読んで、僕は実は密かに不安でした(笑)。彼女の場合乗り換えの待ち時間が24時間で、ロビーや空港内の映画館で寝たそうですし、あまり暇なので無料市内観光にまで行ったそうです。僕は21年前の事もあり、なんかシンガポールの飛行ダイヤについて不信感があり、今回の旅程でもここでの待ち時間が一番長くて7時間弱あったので、無事ドバイに向かえるのかどうか、不安だったのです。しかし同時にmiochikaさんから聞いていた空港内のゴージャスな各施設を見るのも楽しみでした〜。
そこで成田で買った鉄火の海苔巻を3人で食べて、シャワーを浴びた後・・そう、このラウンジは中にシャワー室もあるのです・・僕はくたびれて眠ることにしたパパとママをおいて1人でビデオ片手に空港の中を探検に行きました。僕がよくあちこちふらふらとうろつき人を心配させる放浪癖がある事知っているパパは、1時間位で帰ってくるように、と釘を指したので、僕はやむなくさっと見て周ることにしました。でもラウンジを探した時も感じましたがとにかく広くて何処もかしこもお店だらけ・・ほんと迷子になりそうでした。でもマーライオンの形のチョコやらナッツやら買って、TVゲームやPCゲームを見ていたりするとあっという間に時間は過ぎました。今回の旅行、ゲーマーの僕はしっかりGBとWSを持ってきました。でも飛行機の中ではできないので、大荷物に入れてしまい、どの道暫くは出来ないのです。でもお店で売っている最新のゲームを見ていると嬉しくなってきます。それも殆どが日本のゲーム。何も旅行に出てまでそんなもの見なくてもいいではないか、といわれそうですが、こういう機会だからこそゲームの意義もひときわ浮き彫りになります(^^)/ そしてなんと売られているゲームの中に僕が大好きな「MIGHT&MAGIC」シリーズの「TRILOGY」という新しい作品を見つけてしまいました〜! これは今まで出た「M&M」の3、4、5の3作品が1つになったCD版です。僕は昔PCEやMDで3を、PCのディスク版で4をやった事はありますが、5だけやった事がありませんでした。それでこの「TRILOGY」とても欲しかったのですが、荷物をこの時点で増やすわけにも行かず泣く泣くあきらめました(ううう・・)。 それで仕方なくせめて何か変わったことをしたくて、ラウンジの探索の時目をつけていたKFCのブースに行って、チキン2ピースセットを取り、隣のソーセージのブースで30センチ位ある巨大フランクフルトを注文し、一気に食べました。チキンは日本でいうジンガーチキンしかないのですが、まずまずの味で、フランクフルトはかけたケチャップが良いのかとても美味しかったです〜(^^)。 他にサボテンの植物園とか色々面白そうな施設もありましたが、パパの高血圧に悪いので(笑)、そそくさとラウンジに帰り、搭乗に備えました。 そして深夜2時、エミレーツ航空の便に乗り換え、中東のドバイを目指す事になりました。 ○9日(3日目、シンガポール〜ドバイ) エミレーツ航空はアラブ首長国連邦(UAE)の航空会社ですが、乗務員は外国からの出稼ぎが多く、人種や国籍もまちまち・・欧米系の人が多いようです。女性乗務員の制服、特に頭から首にかける白いヴェールはちょっと神秘的で面白いです。ただここの会社は荷物のことに厳しくて、ちょっと大きい荷物をおいておくと 「預かります」 とか 「こっちにしまって下さい」 とかよく言われました。これは結構有名な話らしいです。でも最新鋭の飛行機で快適な7時間一寸のフライトの後、5時過ぎにドバイの空港に着きました。
ここドバイの空港は、そのショッピングモールの豪華さと品揃えで世界的にも有名ですが、それを目の当たりにすることになりました。シンガポールでとは違って(笑)、あっさりビジネスクラスのラウンジを発見した僕達は、早速その見上げるような高い天井と二階建ての豪勢なラウンジに落ち着くと、僕の場合またしてもグロッキーなパパとママをおいてビデオ片手にモールの探検に行きました。
開放的なガラス張りの大きな廊下の両側にはラウンジやお店が並び、中には掘立小屋風のアイリッシュパブまであります。そして随所に見上げる天井まで届く巨大なヤシの木がが生えてて・・と思ったらそれらはみな模造の木でした〜。 そして二階建ての廊下を進んで階段から下を見ると、階下にはほんと巨大な 「お店の街」 が並んでいました。噂の自動車もメインの廊下の、真中に堂々と何台も並んでいましたし・・尤もこれらはクジか何かの賞品のようですが・・そこの近くでは金の取引のお店まで出ていました。その金のお店の所には、これまた巨大な全部金ピカのヤシの木が立っていて、よく見ると、その木の肌は全部金の延べ棒の形をしていました! しかも根元には大きな宝箱があって、その中にも延べ棒の模型がざくざくでした〜(^^)! 日本では見た事もないような直径20センチもあるような、キャビアの大きな缶詰とかチョコやタバコ、コンピューター関係商品なども一杯〜・・。 僕は小さなスナックとお土産用の小さなキーホルダーや絵葉書位だけ買いましたが、もっと時間とお金が欲しかったですね(あはは)・・。 昔アフリカ旅行の帰りに近くのアブダビの空港は寄った事があるのですが、その時も絢爛豪華な真っ青に輝く宮殿のような建物の造りに唸ったものです。そこで食べた本場のシシカバブはほんと美味しかった・・。でもアブダビは窓から見える外の風景が全部砂漠でした。でもドバイは砂漠なのでしょうが、外の風景に緑が多かったのが印象的でした。加工貿易立国の日本にとって中東諸国は仲良くしていかなければならないエリアだとはよく聞きますが、ここに寄ったのは、石油のパワーって大きいものだ、と実感させられる体験でした。 ラウンジに帰ってそんな話をしてパパとママを驚かせ、「金ピカ・ヤシ」とかを見てから、8時過ぎにドバイを発つことになりました。 ○9日(3日目、ドバイ〜ウガンダ) 予定よりやや遅れてドバイを発ったエミレーツ航空の飛行機で、いよいよ一路アフリカ大陸を目指します。最初に5時間程飛んでケニアのナイロビに寄り、そこから最終目的地のウガンダはエンテベへと飛びます。 途中スムーズなフライトの後ナイロビはジョモ・ケニヤッタ空港に到着。僕にとっては3年ぶりですが、1時間の寄港なので、そのまま機内で待ちます。周りにいた殆どのお客さんは皆ここで降りてしまい、機内に残っているのは僕達と後2、3組。すると、あれこれ面倒を見てくれていたパーサー氏がウガンダの入国カードを持ってきてくれて一言、 「ナイロビを発つと、当機はダルエスサラームへ向かいます。そこまで行かれる方はこのカードをお配りしますのでお申し出下さい」 ・・えっ、ダルエスサラ−ム!? だってダルエスサラームはタンザニアの首都ですよ、この飛行機はウガンダに行くはずでしょ〜!?・・パパがあわてて 「僕らはエンテベまで行くんだが・・」 というと、このパーサー君、二ヤッと笑って、「ははは、軽いジョークです!」 ・・僕らは一気に噴出しました。客が少ないと乗務員もお客さんと親密になり易いみたいですね〜(笑)。彼は外見は南欧の人のような感じですが、色々話すと彼はレバノンの出身だそうで、パパがレバノンが中東にあることは知っているけど、というとなんだか喜んでいました・・。 |
そして1時間程して午後2時半頃エンテベ空港に到着。途中着陸の少し前に、雄大なヴィクトリア湖の姿が見えました。九州が丸ごと中に入ってしまうという世界第三の大きさを誇るこの湖はケニア、タンザニア、ウガンダの東アフリカ3国にまたがって位置し、昔から欧米の探検家たちが好んで探検に赴いた場所です。前述のように機内がガラガラだったので、窓際の席に陣取って、窓から見えるその雄姿をビデオやカメラに収めました。このページの上欄の右上の写真はその時のものです。手前が飛行機のエンジンで、その先の雲海の下の遠景が岸辺と湖、その中に中州も見えます。
ヴィクトリア湖の湖畔に位置するエンテベ空港は、独裁者として知られたアミン大統領の時代、ハイジャック事件が起きた場所として有名です。イスラエル空軍がこの時電撃作戦で人質救出に当たった話は 「エンテベの勝利」 という小説になり、「エクソシスト」のリンダ・ブレア主演で映画化もされました。 エンテベの空港の入国審査や税関はスムーズでしたが、一寸面白いエピソードがありました。暫く前ウガンダのムセベニ大統領が来日した際、日本からの旅行者にはビザを不要にするよう努力する、と仰っておられました。が、まだそれは制度化されていないようで、僕達3人のうち最初に入国審査に臨んだ僕のパスポートを見て中々日本で取ったビザを見つけられない審査官が、 「あそこの発行所へ行ってビザを貰ってきなさい」 と言い出しました。でもパパがすかさず後から来て自分のパスポートのビザを見せ、 「これでしょ?」 といい、同行者であることを納得した審査官は僕のビザを今度は見つけ、「OK! ハバナイスステイ!」 と言ってくれました。 一方税関では場合によっては荷物などを事細かにチェックすることもあるのですが、自然保護活動の関係で、パパがウガンダのある名誉職に任命されており、今回そのウガンダ政府発行の身分証明書を持っていったので、それを見せました。すると係官はまずその表敬訪問の趣旨を喜び、ついで「このお名前はウガンダにも多いですよ〜!」 と喜んでくれて、軽くチェックして審査は終了しました。あ、勿論これは権限乱用でも、不正でもありませんよ〜(笑)! むしろ何年か前まで、アフリカ各国の空港関係官吏の旅行者への対応は極めて悪い場合が多く、不必要なチェックをしたり、過度な身体検査をしたりして、嫌がられることが多かったのです。場合によっては因縁をつけて袖の下を要求する官吏もいて、沢山の旅行者からクレームが各国政府につき、近年大分その辺の対応が改善されてきた、というのが実情なのです。僕も昔は随分待たされて荷物を開けさせられ、色々根掘り葉掘り聴かれたりする事も経験しました・・。 というわけで非公式ながら政府の名誉職にある者とその家族が表敬訪問をした、というわけで、その玄関口の国の代表機関(?)にまずその挨拶をした、というわけでした〜(^^)。 ついで空港の玄関に出ると、僕達の名前の書いたボードを持った現地の人が外で待っていてくれました。彼は今回の旅行で世話になった旅行社と提携した現地の旅行社の運転手で、仮にK.Tと呼びましょう。このK.T君僕らのウガンダ滞在中ずっと担当の運転手を務めてくれました。決して人は悪くないようなのですが、色々とトラブルネタになった人でもありました〜。
まず、ようやく成田以来見ていなかった預けの大荷物を受取った僕らが車に向かうと、さっとポーターが2人程現われて荷物を駐車場の僕ら用の車まで運んでくれました。そしてさて、車に乗り込もう、という時早くも第1のトラブル発生! パパが最近この国に来ていなかったのでチップのレートが分からず、K.Tに 「幾ら位上げたらいい?」 と訊きました。するとK.Tは 「2人分で大体10米ドル位です」 ・・エッ、10米ドルといえば1000円ちょい、ウガンダの通貨シリングで1500シリング位ですよ〜!(この米ドルとウガンダ・シリングの交換レートもまた後でトラブルネタになりました・・) いくらなんでもちょっと荷物をそれもほんの僅かな距離を運んだだけでこの値段は高すぎます・・! パパもそういいましたが、それが普通とのK.Tの返答で、慣れない場所で押し問答しても仕方ないので、しぶしぶパパも10米ドルを2人に上げることにしました。アフリカではこの手の事が多いのですが、着いて直ぐで、いきなり先制パンチをくらったような気がしました。でもそれでこそ、ああ、久しぶりにアフリカに帰ってきたな〜、という気にもなりましたが・・(^^)。
K.Tの話ではエンテベから首都カンパラまで大体40分位ですが、午後2時過ぎから夕方にかけては通勤等のラッシュなのでもう少し掛かるという事で、実際50分掛かりました・・。エンテベからカンパラまでの道路沿いの風景は東アフリカの他2国とあまり変わらず、緑の木々や畑が沢山あり、農業国であるなあ、という印象を強くしました。また途中で沢山の日本車とすれ違いましたし、僕ら用の車も日本の四駆車でした。一説には99%近くが日本車らしいです。すれ違う車の中には「〜工務店」「〜商店」というような宣伝がボディやガラスに貼り付けているのもありましたが、これは別に日本のそういうお店とかが進出してきているわけではなくて(笑)、中古車を買う時そのまま前の持ち主のデザインとかを流用してしまうからなんだそうです。 初めて見る首都カンパラはさすがに伝統のある、アフリカとしては大きな都市でした。下町は他の町同様ごみごみしてますが、小さなお店とかにパソコンやその関連器具等が置いてあるのは印象的でした・・。また山の手はとても静かで洗練されていて、議会の建物や、省庁の大きなビル等は大都会を印象付けるものでした。僕は個人的に、下町はタンザニアのアルーシャの町に、山の手はルワンダの首都キガリによく似ているような気がしました。中段左下の写真は車内から観たカンパラの町並みです。ケニアとの国境近くの町アル−シャは「ハタリ」というジョン・ウェイン主演の動物映画で小象が街中を走り回るシーンで出てきましたし、その時使われたホテルに僕は行った事もあります。キガリは木々が繁る小高い丘の上に点在するとてもこざっぱりした綺麗な都市で、僕が高校生の時に言った時は平和で快適な所でした。しかし日本でも自衛隊の派遣等で問題になった数年前の内戦のため、かなり破壊されてしまったようで、その後行っていませんが、今の状況が気になるところです・・。 さて、時間がないのでホテルに行く前に今回お世話になる現地旅行社に寄って明日のケニア行きの航空チケットのリコンフォメーション(チケットを予約した時は航空会社に事前にこの手続きが必要で、これをしないと予約が取り消される場合もあります)をしに行く事になりました。旅行社では、人のよさそうな中年のおばさんのマネージャーが色々と説明してくれました。パパのリクエストとその人のアドバイスに従い、急遽王城を観に行く事になりました。また日本にも前に来たことがあり、パパの名誉職にも関係あるウガンダの政府の方をこのマネージャーはよく知ってて、パパが代わりに宜しく伝えて欲しい、というと、 「承知しました。でも一日だけの滞在とは短すぎるのが残念です。今度是非もっと長くいらしてウガンダをあちこち観て下さい」 と快諾してくれました。 「ジャンボ、ハバリ!−その2−の2」へ |