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<ジャンボ、ハバリ!−その2−の3> |
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○11日(5日目、ケニア2日目、ナイロビ〜ナクル湖)
さあ、今日からいよいよ本格的な動物を観るサファリの始まりです。朝早く起きたママと僕はホテルのレストランで朝食を食べていました。すると突然ママが 「あ、あれ、N先生じゃない!?」 と叫び声を上げます。振り返ってみると、確かに言語学者として有名なN先生が少し離れた席で食事をして折られます。N先生は僕ら一家も入っているアフリカの同好会の役員で、一家でお世話になっています。N先生の方も僕らに気づかれたようで、会釈され、早速僕らもご挨拶しました。N先生は少し前にヨーロッパからケニア入りされたばかりで、これから暫くあちこち研究に周られるそうです。僕も昔からキクユ語のお話等を聴かせて頂いたこともあり、小さい頃から存じてますが、暫くぶりにお目にかかったので、先生も 「いや〜、横幅も大きくなりましたね〜最初分かりませんでした〜!」 などとユーモラスなことを仰います(^^)。また滞在中お目にかかれそうだ、ということになって、N先生とお連れの助手の方と別れ、ロビーでS.Kさんに会って予定を確認し、ナクル湖に出発です。ドライバーのM.Nさんに待っててもらっい、いつも最後にトイレに行くパパが帰っ来て、S.Kさんにさよならをして正9時に、トゥエンデー(スワヒリ語で、「レッツゴー」)〜! ナクル湖まで2時間半のドライブです。 9時半頃途中の山道で、「地球の臍」といわれる、グレートリフトバレーを見渡す、高い展望台に到着。ナクルに行く時はいつもここに寄りますが、ほんといつ来てもその雄大な大地は絶景です〜。遠くに白亜のテレビ放送の施設があり、更に遠くに、休火山のノゴロット山の雄姿が見えます。でもここはお土産屋が一杯で、車が止まると、ワッと、売り子が車に殺到してきて、お土産の押し売りが始まります。毎度の事なのでこちも慣れたもの、3年前はここで散々ディスカウントで粘って、できの良い石製のここ周辺の地図を二束三文で買いました・・。今回は店の中に案内した熱心な売り子がいて、やはり僕は 「ハティレ、べシャ」(キクユ語で、「お金がない」の意)と喚きながら、いい品を物色しました。この辺はキクユの土地なので、英語やスワヒリ語で話すより、キクユ語で話た方が、効果は絶大です(笑)。無知な一元の客ではなく、事情が分かっているベテランだぞ、というアピールにもなり、向こうの親愛感も増しますので、確実に値段交渉は有利になります。それでもかなり高く買わせるのはやはり生活がかかっている彼らの根性でしょうが〜。 結局割と気に行ったキリンのお面など幾つかのお土産を買って、更に交渉しようとする店員を振り切り、展望台の説明版の前で皆で写真を撮って出発。 途中マイマヒヨ−キクユ語で「熱い水」を意味しますが、ナイロビがマサイ語で「冷たい水」を意味する二ヨロベがなまった意であることとの対比が面白いです。やはり水は生活に大事で、水のある所に町が発展するのは自然なことと言えます−と言う町を通り、数10万年前の人骨か発掘されたというカリアンデスの遺跡の山を横目に見て、やがてナクル湖の町に入り、ナクル湖の国立公園へとやってきました。ちなみに最古の人類の骨が発見されたのは、タンザニアのオルドパイ渓谷です。前に何度か僕もタンザニアに行った時寄ったことがあります。専門家の説明などがあり立派な施設のある場所です。ここの人骨を発見したのは人類学者のリーキー博士夫妻ですが、その子供は後にケニアで環境保護の責任者のような重職も務めました。 さて、公園のゲートを通ってしばらく走ると、インパラがいました。今回初の野生動物です! 記念に写真を撮り、進むと今度はシマウマが・・。これも撮って途中少しサファリをしながら、いつもお昼を食べる<ライオンヒルロッジ>を今回は素通りし、まもなく<レイクナクルロッジ>に到着。今日はここに泊まります。
入口に豪勢な赤い花のような大きな飾りが幾つもあって、造花かと思ってみたら、なんとフラミンゴの羽を集めて造った造花でした〜。受付で部屋のカギを受取ると、これが木星の大きなサイの形をしたホルダーについていて、そこに 「White Rhino Suite」 と書かれてあり、3人いっしょの続き部屋でした。綺麗な花々が咲き乱れる中庭を通り−前ページ中段左中の写真はその中庭での僕です−、渡り廊下を歩いて行くと、大きくてゴージャスなスイートがありました。その前の屋外の廊下でママを撮ったのが前ページ中段右中の写真です。ママが指差す遠くには小さくバッファローが見えます。またママの直ぐ下の廊下の手すりには 「バブーンにエサをやらないこと!」 と注意書がしてあります。実際ここではバブーンを沢山見ましたし、この廊下を僕のすぐ脇1メートル位横を悠然と歩いていくのに出くわしたこともありました。野生動物は可愛いものも多いのでついペット気分でエサをやりたくなりますが、そうすると学習して人間を襲うようになるため、サバンナではエサをやるのは厳禁されているわけです。 スイートでは奥の僕の寝室のベッドは豪華な天蓋と蚊帳つきの物で、つい嬉しくなってその上でトランポリンのように飛び跳ねてしまいました〜(笑)。
バイキング形式のお昼−カレーとかが多いです−を食べた後、午後からM.Eさんの運転で、公園内を本格的にサファリしました。インパラやトムソンズガゼル、シマウマなど色々な草食獣を見かけました。そして高い崖の上の展望台に来ると、はるか眼下には広大なナクル国立公園の壮大な風景が見え、しかも一面真っ青なナクル湖の美しい湖面が広がり、その中に広くピンクの部分がこれまた美しく広がります・・・湖面に留まる沢山のフラミンゴです! その壮大な美しさは言葉では表せません・・。ふと見ると崖の上の岩陰からハイラックス(リスによく似たゾウの仲間の小動物)が出てきて、ちょこんと座っています。可愛いのでいっしょに写真を撮ることにしました。上段左下の写真(横向きになっていますので90度首を傾けて観て下さい)は、この時の物です。右側に僕、左の岩の上に小さくハイラックス、そして背後の崖の下にはナクル湖とその上の沢山のピンクのフラミンゴの群れ・・中々壮大でしょう? ハイラックスはこの写真を撮った場所から少し歩いた横にも崖の途中の部分でくぼみから出入りしているのを何匹か見かけました。どうやらその所に巣があるようです。でもハイラックスはとても臆病で、人間が側に寄るとすぐ走って逃げてしまいます。このときもそうでしたが、写真のハイラックスだけは、なぜか僕達がそばにいてもじっとして逃げ出さないので、その意味でも感心して写したのです。 この高所の展望台に僕らが来た時実は地元の学校の修学旅行のグループが来ていて沢山の子供達が綺麗な制服を着て、先生と一緒に写真を撮ったり、そこら辺で遊んだりしていましたが、僕達を見るとちょっと珍しそうに、こっちを観たりひそひそ話していました。子供達にとっては僕達が珍しかったのかも知れません・・。そして暫くすると先生に率いられて子供達はバスにのって帰っていきましたが、こっちに笑いかけたり手をふったりする子もいて、その天真爛漫な姿が、大人たちや土産を押し売りにくる子供達と違って、なぜか凄く新鮮でした。勿論こういう子供の方が恵まれていて、観光客に食い下がってくる子供の方が可哀相な状況であろうことはよく分かっていますけど・・。 |
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学校の子供達のバスの賑やかな一団が去って暫くしてから僕らも展望台を後にしました。実は今日のこのナクル湖のサファリでは特別なお目当てがありました。それはヒョウです。ナイロビを発つ頃からM.Eさんが仲間や会社から情報を得ていて、最近ナクル湖でヒョウを見かけたグループがいる、という話を聞いていました。パパは特にこのヒョウが見たいと強く希望し、M.Eさんに 「何とかヒョウを見つけて欲しい」 と頼み込んでいました。M.Eさんも 「できるだけ一生懸命探します」 と約束してくれて、今日も出発前からロッジのスタッフやすれ違う他の車のドライバー達からヒョウの情報を得ようと必死に訊きまくっていました。しかしスタッフは誰も直接は見ていないし、ドライバー達もその日見かけた、という人は誰もいませんでした。ただ一昨日見た、という情報を得る事ができました。でもヒョウはライオンなどと違い、一匹で単独行動をすることが多く、場所も頻繁に移動します。ですから間があいた情報はあまりあてにはなりません。またヒョウはナクル湖にいることは知られていましたが、ここに限らず見つけるのが一般に非常に難しい、珍しい動物です。僕も今までの旅行で見かけたことは殆どありません。それでもパパの拘りも分かりますので、皆で車の窓から一生懸命ヒョウはいないか、とあちこち探し回ります。
そうこうするうち、途中沢山の草食獣は見つけて写真も一杯撮りましたが、肝心のヒョウは陰も形もありません。午後一杯探しても見つからず、辺りが暗くなってきて、いよいよサファリを終わる時間になってしまいました。国立公園は一般に防犯や安全のため、夜間の出入りは禁止されています。そこで仕方なく、夕飯を食べにロッジに帰ることになりました。僕ら、特にパパはとてもがっかりして、うなだれています。でもこればっかりは仕様がありません。かなり暗くなった道路をロッジに向けて走り、少し離れた場所に僕らのロッジの灯が見えてきました。・・と、その時です。前方に車が何台か止まって、左手の小高い丘の方を人が見ている所に急に出くわしました。左の丘は木が沢山生えていて、ちょっとしたブッシュになっています。運転手同士で話した後、M.Eが僕らの方を見て一言 「やりました、あそこにヒョウがいます!」 と嬉しそうに笑って指差しました。 指の先を見ると、ブッシュの中の手前に少し高い木が生えていて、どうやらその木の中にヒョウがいるらしいのです。 よく観ると、あ、いました、いました〜! 木の中の比較的高い大きな枝にチーターの大きいような感じのヒョウが一匹乗っかって動き回っています。どうやら下に下りようと枝を伝わっていく様子。ヒョウはよく木の上の枝で寝てますし、もずのように、捕まえた動物を高い枝に引っ掛けてエサを保存し、ライオンやハイエナ、そして他のヒョウ等にエサを取られないようにします。家族単位でなく単独で動くヒョウには必要な知恵なのでしょう。だから確かに枝にいたのは不思議ではありませんが、もう殆ど日も暮れかけていて、その意味で動く様がかろうじて観みられただけ、というのが残念です・・。パパは興奮して早速写真を撮りまくっていましたが、きちとんとは撮れない、とぼやいています。そうこうするうち、やがてヒョウはゆっくり枝を下り、右手の少し離れたブッシュに向けて歩いていきました。シルエットだけだと、大きなメスライオンそっくりです。僕はずっとビデオを回しつづけていましたが、最大に拡大してようやく写るかどうか、という微妙な線でした。パパは、ビデオだけが記録として頼りだ、などといって僕にプレッシャーをかけていましたが、後日ビデオを観てみると暗いながらもはっきりとヒョウの姿とその動きが撮れていて、皆満足でした〜(^^)。 ヒョウはゆっくりと身体を揺らすように歩いて、やがて右手のブッシュに消えてゆきました。観られたのはほんの5〜6分程度ですが、とても貴重なシーンではありました・・。
出発してロッジを目指すと、なんと走って僅か5〜6分で着いてしまいました〜! ほんとにロッジの直ぐ近くでヒョウを観た訳で、一日サファリで走り回ったのが、何だかあほらしい状況ではありました。でもギリギリで見つけられたことが却って劇的で、このヒョウとの対面は僕ら皆にとってとても思い出に残るエピソードになったのは確かでした。
さて、ロッジに帰り、夕食になって上機嫌のパパを中心に祝杯を上げると、ボーイさんがレストランの中を周って、 「9時からラウンジのホールでアクロバットショーをやりますので、是非皆さんご覧下さい〜!」 と叫んでいます。パパとママはもう疲れたし−2人ともさすがに年です〜あはは−、今日は寝るといって部屋に帰りましたが、僕は滅多にない機会なので、観ることにしました。食事を終わると丁度9時頃になったので、ラウンジに行くともう黒山の人だかりでした。普段食後にコーヒーや紅茶を飲む所で、すぐ横がバーのカウンターなのですが、今日はその一部がイスやテーブルがどけられ、広くなっています。バーテンがすかさず後ろに並んだ僕のとこにきて 「お酒はいかが?」 と勧め、僕も気分が乗って、「ライノ・スペシャル」というコーラベースの特別なカクテルを飲みました・・安かったですけど(笑)。 さて、ショーはすぐ始まり、3人組のアクロバットチームが、カポエラ風のダンスを踊り、リンボーダンスを踊り、すごく身体が柔らかい事を強調します。確かに蛇みたいに棒と床の僅かな間をクネクネ通る様は異様ながらも凄い離れ技で息を呑みました! 2人が身体を組んで一人がその上に乗ってピラミッドやら何やら色々な形を作り、その度に急ごしらえの客席からやんやの喝采が飛びます。 そしてやがて3人が交互に何と火のついた棒を飲み込み、口から火を噴出しました〜! 歓声が上がり、火を飲んだり噴いたりした本人達はニコニコぴんぴんしています〜。僕は夢中でビデオを回しました。カメラを持っておらず写真が撮れなかったので、ここで皆さんにその画像をお見せできないのが残念です。 そうこうするうち文字通り大変な興奮の熱気に包まれてショーは終わり、拍手喝采の中、3人組は麦藁帽子を広げて客席を周っておひねりを集め始めました。僕の所まできたとき、一寸酔っ払っていた僕は 「素晴らしいショーだった。特別に素敵なお金を上げよう〜!」 と、何と日本の100円玉を相手に見せてから、帽子に入れてあげました。相手はびっくりしながらも喜んで「サンキュー、アサンテ〜!」 と笑っていました。 こうして劇的なヒョウ発見等のあったサファリ一日目は他にも印象の多いエピソードを残して暮れました。 ○12日(6日目、ケニア3日目、ナクル湖〜ナイロビ) さて、今日はナイロビに帰り、その足でマサイ・マラまで行きます。朝食後8時45分頃ロッジを出発。サファリをしながらゲートへと向かいます。 途中インパラの集団を沢山見ました。インパラはオス一匹が沢山のメスを率いて集団で生活するハーレム(?)を作る習性があり、その近くには大抵あぶれたオスだけの集団がいて、時々ハーレムの主とオス集団の代表が一騎打ちで戦って、勝った方が新たにハーレムの主になる、という生態パターンを持っています。人間も昔地域や文化によってはそういうパターンもあったのかな?(笑) またここではロスチャイルドジラフという白いハイソックスを履いたような模様を足に持つ珍しい種類のキリンがいまして、今回は2匹観ました。 そして9時半にゲート到着。昨日来た道を今度はナイロビに向けて逆戻りです。 |
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途中マイマヒヨを過ぎて少し行った峠道で、パパが昨日通った時に気になった、教会に寄りたい、と言い出して、11時15分頃峠の教会に寄りました(前ページ中段左下の写真参照)。ここは単に「カトリック教会」 と呼ばれていて、特別に名前はないそうですが、建設には由来話があります。 第二次世界大戦の最中エチオピアで捕まったイタリア軍兵士が捕虜として、ここまで連れてこられて、道路工事の強制労働をさせられたそうで、その時この教会が建てられたそうです。ただこの点については2つ説があって、M.Nさんの説明によれば、そのイタリア軍兵士が建設したという話で、パパが聞いていた話では、道路工事で犠牲になったそのイタリア軍兵士達の鎮魂慰霊のために後から建てられた、ということです。教会には少女の案内人がいて、この教会が1942年に建てられたと説明してくれましたが、どちらの説が正しいかは分かりませんでした。ただ戦争中に建てられたとすると、M.Nさんの説の方が正しそうに思えますがはっきりしません。中は小さな祭壇と席があるだけのシンプルな造りで、教会というより祠のような感じでしたが、清潔で綺麗でした。また周囲にはカラフルな花や木々の花が咲き乱れていて、そちらもとても綺麗でした。
11時半に「カトリック教会」を出発し、一路ナイロビを目指します。そして12時45分頃ナイロビの「日本人倶楽部」に到着。ここで旅行社のM.Mさん、S.Kさんと待ち合わせ、以後のスケジュール確認などを行う手筈になっていました。このお店は日本人の方が経営する日本食のレストランで、ケニアに在住の日本人や旅行者、またケニアの人達や外国の方々も利用するレストランです。たまたま経営者の方もおられてお目にかかり、久々の日本食を頂きました。パパの好きな特製かき揚丼、僕やママは鉄火丼や唐揚、キツネうどんなどをとり、日本酒も頂きました。体調が優れないママはウイスキーの氷水割を飲んで身体を温めていました。 すると、入口から見知った方が入ってくるではありませんか。なんとザ・スタンレーでお目にかかったN先生と助手の方でした〜! 丁度お昼にこられたという事で、偶然にも連動しているスケジュールに全員が驚いてしまいました・・。 N先生は今回は8年ぶりのケニアで、アメリカから回られてきた、ということです。 と、そこに旅行社のM.Mさん達が徹夜明けで来られ、テキパキと予定確認などをして下さいます。また、マラから帰ってきた日の夜に、たまたま同時期に日本から来ている別のグループの方との合同パーティーをやろうという予定を組んで下さっていました。このグループの団長はアフリカの同好会でのパパの友人のH.Oさんで、昔から家族ぐるみでお付き合いして下さっています。H.OさんはN先生とも大変親しい方なので、M.Mさん達に提案して、丁度スケジュールの都合がよいと仰る、N先生にもこのパーティーへのご参加をお願いして快諾して頂きました。 14時過ぎにレストランを出て、国内線用のウイルソン空港へと出発です。昔はナイロビからマサイ・マラへは陸路車で6時間位かけて行ったものですが、近年は国内線が発展したお陰で、飛行機を使うのが一般的です。ただ途中の動物や景色を観るには車の方が情緒があるという意見もあり、今でも車で行く人々もいて、人によってまちまちですが・・。 14時15分頃ウイルソン空港に到着。マラに持っていかない荷物をそのまま車に預けます。中に入ると、さすがにシーズンだけあって空港内は混んでいました。でもS.Kさんが手続きを手早く済ましてくれ、行き先によって、青や赤、紫など色とりどりの搭乗券が配られます。乗る飛行機や目的地ごとに違いますが、これって中々面白いです。アナウンスがあって「次、今から青の搭乗券をお持ちの方は滑走路までお進み下さい」 といった感じで、次々呼ばれていきます。そしてついに僕達の番がきて、出発です。15時10分、30人乗り位の少し大きめの小型飛行機で、いよいよケニアでも有数の、多種の動物が沢山観られるエリア、マサイ・マラ国立動物保護区に向け出発です。
飛行機に最初乗ったらベルトが届かなくなりそうで、慌てた乗員が付足用のベルトを持ってきてくれる、という有難くないハプニングもありましたが、自分の体型が外人さんの標準でも間尺に合わないという恐るべき現実を突きつけられてショックを受けながらも、無事1時間程の空の旅を楽しみました。低地を飛ぶので地上の景色もある程度見え、また地上から見るのとは違った美しさが目に残ります。今度はバルーンサファリもしたいな、とこの時感じました。
約50分してやがてマラに着き、降りると、地上には四駆が待っていて、僕ら一家は白人女性と黒人女性2人のグループと一緒になりました。彼らは後で聴いた話では大学の友人同士らしく、モンバサに住む黒人女性がイギリスに留学中に知り合った白人女性を、彼女が祖国ケニアに招待し、一緒にサファリをして周るということのようでした。彼らとはマラを発つ日の朝のヒッポプールでの朝食の時、記念に乗っていた四駆をバックにママと僕とで記念撮影をしました(前頁下段左下の写真)。四駆の運転手はスラッと背の高い、一目でマサイと分かる顔立ちの男で、S.Nと言いました。彼は開口一番「今からサファリにそのまま行って、後でロッジにチェックインするか、それともまず荷物を置きにロッジに行ってサファリを後にするか?」 と問いますが、親切な申し出ながらいかにも、ここでのことはプロの俺に任せとけ、といったやや高慢な印象を与えました。この印象はやがてもっとはっきりしたトラブルの予兆でもあったのですが・・。 で、結局5人でその場で話して、まずロッジへとうことになり、「ロッジは力その方がいい」 とまたS.Nがもっともらしく言い、10分程の所のM.Sというロッジへ向かいました。ロッジはこざっぱりした感じの良い施設でプールもあり(下段右中の写真)、レストランやフロントなどがある本館施設を中心に(前頁下段右中の写真)、客室はバンガロー形式に独立して横や下方の坂下に放射状に存在しています。僕らは坂下の部屋で、蜂の巣を図案化したような面白い黄色の石造りの建物でした。ここは各部屋の周りに広がる敷地の周囲の庭も綺麗で色々な修理の花や木が咲き、中でもハイラックスが沢山いて、人間になれているせいか、人間がそばにいても逃げたり隠れたりしません。エサを拾う習慣が出来ているのでしょう。僕も何度も見かけ数10センチまで近づきましたが大丈夫で、お陰でナクルとは違い、ビデオもばっちり撮れました(笑)。 16時40分頃いよいよマラのサファリに出発です。同じS.Nの運転の四駆に例の2人組と一緒で僕らを加えて総勢6人組でサファリ開始! 今回の目玉はなんと言ってもこの時期にしか観られない、ヌーの大群の川渡りです。ヌーは毎年この時期になると食料の草を求めてケニアのマラ側からタンザニアのセレンゲティーに大群で移動します。その時川を渡るのですが、この場面のダイナミズムと迫力はつとに有名で、ここを観に毎年多くの観光客や写真家が大挙して押寄せます。丁度その時季なので、是非とも観たいものです。パパがS.Nにそれを強調すると、彼は「分かってる、場所は分かるので、それは明日連れてゆく」 ともう、余計な事を言うな、とばかりの態度です。パパも一寸怒ったようですが、運転手にむくれられて動物のいる場所に連れて行ってもらえず、サファリが台無しになっても困ります。そこは抑えて、明日に期待する、ということになりました。そこで、今日の夕方は普通に広いサバンナのエリアで見られるものを観ることになりました。ライオン、エランド、サイやシマウマなど色々と見られ典型的な東アフリカのサバンナです(前頁上段左上、右上、右中の写真等)。そして夕方18時半頃ロッジへと帰りました。ロッジでは本館のサロンでお茶を飲んだり(前頁下段右下の写真)、レストランでの夕食も美味しかったです(前頁下段右上の写真)。隣の席の女性の誕生日らしくコックさんたちが丸いケーキを歌いながら持ってくるサービスもやっていました。夕食後はマサイの衣装を着た従業員がサロンのエリアで歩いたりダンスしたり(下段左中の写真)、動物のスライド上映があったり、ボーイさんがギターを片手にフォークやケニアの民謡を歌ったりしてくれました。僕らのリクエストに答えて、「マライカ」という有名なタンザニアの民謡も歌ってくれました。これは僕らの入っているアフリカの同好会の会歌でもあり、本場のネイティブのスワヒリ語で、広大なサバンナを見下ろしながらお酒を片手に聴くと、また何とも味があります・・。こうしてマラでの初日は暮れました。(以下続く…予定) 「ジャンボ、ハバリ!」トップへ |