製作者のプロフィールと被害の概要

後藤 貴裕  1974生まれ
1992年 京都大学理学部入学
(人体実験台として点数二倍換算の上、特別判定により合格か?)
1997年 同大学同学部卒業
1999年 北海道大学理学研究科数学専攻入学
現在同博士課程在学中

尊敬する人 小野田寛郎
私の生まれた日の新聞に、小野田氏の生還が大きく報じられていた。 どんな状況でも生き延びることはすばらしいことである。私たちは、不当な迫害にたいして戦いを続けなければならない。

京都大学入学直後から、大学教官らによる不審な言動が相継ぐ。1998年8月NHK教育の将棋番組において自分が読心などにあっていると知り、監視地獄に陥る。以降、数年間はメディアに翻弄されてしまう。北海道大学大学院においても、個人スパイ情報の内通者による、執拗なつきまといなどの精神暴行を受けた。広大な加害者網による包囲が観測される。

被害の定義

読心などを伴う監視、およびそれに基づく、主として、大学教官、大学院生、マスメディアなどによる組織的暴力行為。不特定不審者、ヘリ・救急車の騒音などによる、ストーカー犯罪。

被害の特徴

生活場所のほぼ全てにわたって、加害組織の侵入が確認される。かなり広い範囲の知人に、加害組織の接触および、不審言動への関与がある。1992年に、京都大学理学部に入学した時点で、すでに、加害組織に前もって介入されていたようだ。北海道大学においても、教官や大学院生の居室などに、加害組織によって、事前工作がされていた経験がある。被害者を、逃げ場のないように追い詰めることが、対人攻撃の重要な要素になっていると見られる。

被害の類別

読心その他の方法によるプライバシーの破壊
知人や大学教授等によるスパイされた個人情報に絡んだ言動や暴言
テレビ・ラジオ・新聞・CMなどを通した個人情報の流用
上記のものを含む、ありとあらゆるメディアの活用した心理的攻撃
(雑誌、広告、インターネット、コンピュータゲーム、歌謡曲他)
個人情報の広範囲な漏洩
過去に収集された個人情報の保存
見知らぬ人による不審な言動やつきまとい
背中を刺すような痛みなど、肉体的なもの
ヘリや(主に自衛隊)救急車(札幌市その他の各地方自治体に所属)の自宅周辺や出張先などでの騒音やつきまといによる嫌がらせ
不審人物による脅迫
その他

誰が標的にされるれるのか

社会的・経済的・身体的弱者に属する人と推測している。私の場合も、過去に暴力などを受け恐怖症に陥っていたことから、(医学的な)実験材料として適切な要件を満たしていたと考えられる。介護を受けている高齢者が、ターゲットにされているという報告もある。出生時に無作為抽出などにより、選定されている場合もあるのかもしれない。

私に直接使用された兵器技術

電磁ビームによる脳神経的発作(無反復の全身のしびれおよび脱力)
思考の解読
内臓や背中などの奇妙な痛み
衛星偵察・追尾技術

電磁波の兵器利用としては初歩的な部類であることから、兵器自体の実験ではなく、軍事−心理学的拷問実験と推定している。電気ショックによってんかん発作を起こさせられることは医学の常識になっている。近赤外線光などによる観測技術によりで思考の解読は達成できると考えている。

顕著なポイント

略奪した思考に基づく継続的精神暴行
行動範囲を完全に網羅するスパイ内通者の侵入・出現。プライバシーと社会生活の略奪。
かなり以前からの、ありとあらゆるメディアを活用した日常的精神被害
全国各地におけるヘリや救急車による頻繁な騒音攻撃

被害年表

1974−1991
マスメディアの関与は1986年以降増加している。少数の人物が軍事的個人スパイ情報に内通していた様子がある。偵察・監視自体はかなり早い時期(70年代)に始まっていると推測される。 思考の解読もはじめられている。

1992−1994
大学の講義、サークル、アルバイト先において、個人スパイ内通者による不審言動に時折あった。新聞・雑誌・歌謡曲などが実験に利用されていた。

1995
阪神大震災。発砲事件を機に警察が自宅近くで1年半以上検問を続ける。教育社会学竹内洋教授による執拗な精神暴力的発言。教育実習先での不審言動など。

1996
物理学科の講義(素粒子物理学など)における精神暴力発言の継承。NHK朝のドラマの不審な人物設定。頭頂部から全身にかけてのしびれと緩やかな脱力を起こす電磁ビームに撃たれ、覚醒状態になり入院。しびれについての診断は受けられていない。入院中、不審なテレビCMや新聞の広告・記事が多く流される。

1997
退院後、容体悪化のため市立札幌病院に行くが、毎回一分弱の無診療が2年間続けられる。テレビ・歌謡曲・書籍・雑誌の実験利用が少しずつ続いていた。

1998
NHK教育の番組で、監視内容についての明確な描写があったことから、強制的に被害を認識させられ、恒常的恐怖や不安に陥れられる。マスコミ被害が日常的になる。

1999
大学院講義などで内外教官・学生らによる精神暴力的言動を時折被る。この時期は、慎重にこちらの反応を調査していたと見られる。

2000
軍事的個人スパイ内通者による、私の行動範囲すべてを覆い尽くした完全な包囲網が形成される(教官、学生、家族、親戚、知人、店員など)。はじめて訪れる場所にまで、スパイによる被害を発生させられている。 読心や監視による圧迫を徹底させることに力が入れられている。

2001
博士課程進学直後から、博士退学者、大学院生による執拗なつきまといによる精神暴行。心がえぐり取られる苦痛を受け、大きく調子崩す。事実上の休学状態を余儀なくされ、行動が制限されてしまう。

2002
1日平均4回のヘリ大群による徹底した騒音攻撃。ストレスの蓄積により頭が割れるように激しく痛む。監視の恐怖により、不自然に言語思考を統制し続けようとしていたことから、ブローカ野周辺において異物が入っているような頭痛が恒常的になる。

2003
救急車による2時間に一回の騒音。問題を相談した、家族や人権相談所の暴力対応によりPTSD症状が発生する(断続的なフラッシュバックの発作)。札幌南高校教員による精神暴行。PTSDが悪化する。1ヶ月半帰宅することが不能になり、生死をさまよう。移動する先々で追い打ちをかけるように、騒音攻撃などを被る。11月電磁波悪用被害者の会参加。直後ホームページ開設。

2004
恐怖や不安、PTSD症状による発作の緩和。平常化。恒常的頭痛などの後遺症の改善。


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