想起困難な苦痛に関して

 脳スパイ、催眠活動者が標的にしているものは、想起困難な苦痛であると思います。それらは、日常的に思い出すには、あまりに甚大な苦痛を起こすものです。通常は麻痺され、関知されず、放っておけば、なにも問題なく一生を終えるものであります。

          「先生と悪ガキ、いじめてるのはどっちか。」

 拷問に耐え続けるため、わたしはとうとうこのような質問まで、持ち出さなくてはならなくなりました。もちろん答えは決まっています。しかし、わたしたちは継続的な拷問によって、教育自体の背景にある苦痛のような、想起困難までもが標的にされています。攻撃は一方向からではないのです。そんなものを今さら掘り返せば、世の中大暴動になって、たいへんなことになります。だれも思い出しても仕方がないものです。また、感覚が麻痺しているので、ふつうに考えれば、あまりにも大きすぎる苦痛を、絶対に思い出すことはないのです。

 終わりのない拷問を受けている人にとって、そういった想起困難な記憶は無視できないものになっています。もし、その想起困難な記憶をとりもどせば、催眠をとめることができると思います。しかし、それは止む終えなく行うものです。社会的公正を欠いた状況では、被害者が戻る場所がなくなるなど、深刻な代償を生んでしまう危険があるでしょう。催眠攻撃を生き残るためとはいえ、想起困難な記憶を取り戻した人が、私たちの世界や、人類そのものを、いったいどのような存在と見なすか、わたしにはわかりません。

 想起困難な記憶のなかには、幼少の頃加害者が意図的にこしらえたとおもわれるものがあります。私自身、被害者活動に限界を感じてきました。おもいだすことのできない被害があまりにも多すぎます。先にも書いたとおり、攻撃は一方向からではありません。家族や友人のような、自分にとって大切な記憶、幸せなこと、重要な出来事の陰にあるものです。想起困難な記憶が掘り返され、ヘドが出るような苦痛をあじわってばかりです。心理技術の使用は、際限のない拷問です。

 現在起こっている、心理拷問の被害者を救う方法は、本当に見つからないでしょう。社会的公正の中で、心理技術を終結しなくては、数え切れない犠牲者が殺され続けるばかりになるでしょう。拷問被害者らは、放っておけば、何も不自由のない生活ができました。失われた年月、人生はもどってきません。どうしてこのような攻撃の標的にされているのか、本当にくやしいばかりです。

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