スパイ被害略歴

1974年生まれ

人体実験遅くとも80年代前半にははじまっている。スパイは、私が気づかないのをいいことにして、ぬけぬけと生活に入り込んでいる。スパイがどのように関わってきたかを記す。攻撃は心理学的に綿密に設計されていて、多重人格生成に関係している。影響は毎日のようにあったが、私はだまされ続けていたので、いますぐには全容をまとめることはできない。

1980−1983
近所の子が粗暴に振る舞っていたようだ
特に暴力的ではないのに、親が暴力は良くないと言い聞かせたのは、心理虐待の下準備だろう
母にしかられることを少し気にしていた様子があった
おでんを食べるときにきみとみそを混ぜ、具に付けて食べるとおいしいのできみみそとよんでいた。NHKのきょうの料理で料理の先生が黄身と味噌を混ぜはじめアナウンサーに「きみみそです」と答えたので、きみみそが出たと家で騒ぎになった
プールで上級生にストーカーされ足を引っぱり沈められた
学研のてんとうむしの家をとられそうになる
車の修理を無理やり弁償させられる
おじゃまんが山田君をみていて気分が悪くなった。後にとなりの山田君に関係。
遊びのようにしてくすぐり行為があったが神経作用との関連が考えられる
プールで水をかけたことを責め立てられる

1983−1986
札幌に来て将棋が指せると思っていたが道場に行かせてもらえなかった。小学校をこのまま卒業してしまったら棋士にはなれないとおもいつめるようになった。
教員の言動に不審点がみられはじめる
クラスが変わったとたん「暗い」といっていじめられるようになった。おそらく、組み替えの段階ですでにスパイが画策していた。
クラブ活動で将棋ではなくチョロQクラブを選ぶという心理的損傷が見られた。「暗い」とあざけられていた部分が、実は本来の自分で、それを切り離すのが心理攻撃の目的と考えることができる。
集団の場での心理誘導・攻撃をもくてきとした、指向的言説がはじまっている
一年半ほどしてあることがきっかけでいじめがなくなり、いじめのことを忘れたような気がしていたが、その「忘れた」という錯覚が、実はトラウマ生成という問題なのである。
マンガなどの心理攻撃手段としての悪用
新聞の記事事件などの利用

1986−1989
中学に上がるときに、これで将棋の道はお終いだと、決別するような気持ちがあった。これも、同一性の変化という問題と関わっている。
サッカー部に誘われて入ったたが暴力的指導やしごき、言動被害に見舞われた
授業中にクラスが常に騒がしかったが、なぜかにぎやかなクラスといわれる。意識や神経への作用と関係があるかもしれない。
クラス替え前の教員の言動が小学校のクラス替えの時に聞いた言葉と正確に一致している。クラスの組み替えはスパイ作戦に関連している。2年次以降の方が教員の乱暴な言説が増えている。特定の者を人体実験に巻き込まないような配慮もされているはずだ。
談笑しているふりをしながらの心理誘導や、種種の心理攻撃、ストーカー的方法が増えている
成績のことをいつようにはやし立てる行為
痴漢にあうなどのセクハラ
授業中の指向的言説。きれいな自殺の仕方のような話題が授業で使われたのはスパイの仕業だろう。
まともだといって疎外される。
スパイが教員と生徒になって、場の雰囲気を形成することは、当時からあったようだ。

1989−1992
入学当初からスパイのマークがある。クラスや部活動で特定の人物をスパイが利用している。
進学校にくれば成績ではやされずにすむと思っていたのにクラス上位になってしまう。
なぜかごっちゃんとよばれるようになる。
話し方などを馬鹿にされる。
授業でプラス思考などとうまいことを言って害のある心理扇動をおこなっている。
メディアとの連動が増えている。
委員がうまくいかずうつ様になる
遅刻が増えて物のように毎日殴られ、疎外されていくように感じる。
心理攻撃が増え、ほとんど病気になっているが、教員がお前は病気のはずがないという。
聞いている授業がひとつもないので学校を辞めたいと親に言ったのに猛反対されてしまう。
家と学校で板挟みにされるように締め付けられる。
不定多数の生徒によるストーカーがすでにはじまっている。
苦痛のために多重人格様になっている。
大学で物理をやりたいと言ったことをあざけりおろされる。

1992−
地方出身の私としては、同期の知り合い志望者が落ちた中で自分が大学に入ったのは、ちょっと不運だったと思う。遠隔技術の影響も考えられる。
京都に越したとたん、近隣住民が日夜、ひどいお経を唱える騒音に見舞われ、ノイローゼになる。下宿探しの段階で、すでにはめられていたのかもしれない。
転居のときテレビは要らないと言ったのになぜか親に無理やり買わされた。
大学では入学式当日の、理学部全体のガイダンスと、クラス別の会合からスパイの潜入が見られる。
学科選択に関連して心理誘導にかけられてしまう。「みんなが物理をやりたがっている」という揶揄が決まり文句だった。それは私の心の状態そのものでもあった。「みんなが○○しようとしている」というのは最近まで自分のまわりで使われていた。物理学者のいうことを鵜呑みにしてしまう危険性も私にはあった。
大学でこそは将棋をやろうと将棋部に行ったが、知っていた強豪の人に、将棋はもう強くならないといって麻雀を教えられたので行くことができなくなった。

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