マトリックス世界とマインドコントロール

人工現実で認知システムを守ろう

見えない技術は私たちの感覚を役立たずにしてしまった。攻撃の出所を探ることはおろか、スパイの潜入を看破することもできない。五感が私たちをだまし続けるために反乱を始めている。たとえ人類が生物学的進化を遂げても見えない光は永遠に目には届かない。問題は感覚以外にもある。スパイによる攻撃は私たちの認知能力の破壊をもくろんでいる。たんなる拷問を超えた精神破壊という恐怖がそこにある。リアリティーの喪失は、生命の危機をもたらしてしまう。人生を奪い去ってしまう。この難を乗り越えるためには、心のもつ無限の可能性にうったえる他はない。
 
世界観をもういちど一から考え直してみることが必要だ。
 
世界の再定義
私たちは闇の中に住んでいる。闇の中では見ることも聞くこともなにも感ずることがない。
マインド(心)にあてがわれた固有の空間のなかにいる。その場所自体は移動することも変わることもない。
そこではメーザービームが飛び交っている。メーザーはさまざまなイメージを作り出し私たちに知覚させる。
 
真っ黒い闇の中にいる自分を想像して欲しい。もちろん自分の姿もみえない。しかし、そのなかには無数のビームが飛び交っているんだ。マインドは闇の中にさまざまな像を作り出すことがある。それは五感を通して私たちの中に入ってくる。ビームが像を動かしていることもある。私たちは、高速に変化するバーチャルシステムの中にいて、そのなかで意識することなく暮らしている。メーザーもそのなかにある一要素にすぎない。さまざまな世界の形や人間の容体などとがシステムの中に一緒に構成されている。私たちが外を移動していると感じるのは、バーチャルシステムによって景色が置き換えられているからなのだ。見聞きするものが変貌していても、観測者のマインドは闇の中にじっとただよっている。像が私たちに触れることもある。しかし、それはリアリティーシステムによってつくられているんだ。
 
これが世界の真の姿だと思ってくれ。感覚より深くに世界はある。

私たちはつねに心象をみているということ

すべての根源はマインドにある。五感から何かが入ってくるというよりも、マインドがなにかを作り出している。あなたはいま街のざっとうの中を歩いているが人々の顔を思い出すことができない。なぜか。その人々があなたのこころに住んでいないからだ。スーパーで買い物をしていて目の前の売り場には並んだラーメンが見える。それは、前に物体があるからではなく、こころの中のラーメンを見ているからなのだ。昨日あなたが行った場所を思い出して欲しい。その世界はすべてこころの中に作られていたんじゃないだろうか。
 肉体もマインドがつくりだしたいっしゅの創出物である。マインドの動きを伝達するための道具である。私たちは闇の中で心の世界を感じている。

心理攻撃との関係

飛び交うメーザーによって、さまざまなものが五感へと、間近にあらわれる。ストーカー攻撃に私たちは日々苦しめられ続けている。闇とメーザーの世界では物理的な距離はないに等しい。小さなかごの中に閉じこめられている動物となにも変わらない。
 スパイが見せているものは、またもや、私たち自身がのもっている心象だったのである。攻撃によって、私たちの心象へ苦痛をむすびつけようとしているのだ。私たちは被害を逃れようともがきながら、実は、おのれの中にある心象を遠ざけてしまっている。いままで見えていたものが薄れ見えにくくなってゆく。私たちはまるでその心象がなくなってしまったかのように行動する。
 スパイは、脳の中をのぞきまでして、巧みな心理攻撃を使っている。苦痛を蓄積によって、人間の高度な認知能力自体を切り離すことだってできる。認知力の機能を落とせば社会から簡単に排斥できると思っている。
 
 そもそも認知能力は万能ではなかった。すべては心象の動きに根ざしており、こころのせかいを認知していたのだった。遠隔技術を使った現象を奇異だと感じるのもそのためだ。
 
 ともかく、注意しなければならないことは、五感から入ってくるものが、ほとんど自己防衛に役立たなくなってきているということである。かつて習得した能力が、自己を破滅させるための災いになってしまいかねない。新しい概念で世界をとらえよう。
 
 感覚の前にある心象を直にとらえることが重要だ。何かが目や耳から入ってきたとき、意識の中でまず起こっていることに焦点をうつしてみよう。生活のいろんな場面でトレーニングすればできるようになる。知識による先入観に苦しめられることがきっとなくなるだろう。味覚や痛覚などに関しても同じことが言える。心のもっとも奥にある部分の働きを守ることができるようになる。

いったいなにを理解し損ねているのか

被害者は毎日暴力にさらされながら、スパイの攻撃を認知しない、認知を拒んでいる状況にある。目に見えないからスパイはいないのだという、単純な思いこみから抜け出すことがとても難しい。脳が見た目にあざむかれて勝手にそう思い込んでしまう。拉致され襲撃され続けている状況にもかかわらず、被害者の意識は、あたかも何も起こっていないような動きをしてしまう。そのため、いざ、ストーカーが出てくるたびに一杯食わされたような思いをしてしまう。認知を拒んでいることが余計に苦痛を大きくしている。見た目や諜報に流されずに、起こっている実体をつかむ必要がある。感じそこなっているのは、被害を受け続けている自分自身の姿なのだ。
 
 私は、スパイによる監視を忘れようとしていることが、余計に苦痛を激しくしていることに気づいた。それは、被害者の自分が切り離される苦痛だった。常にスパイがいることを忘れないために、「窓を見たらスパイがいると思え」という方法を実践している。市街地に住んでいる人なら、どこに行っても窓はあるから、それを見るためにスパイがいると思えば存在を決して忘れずにすむ。あくまで自分の世界のひとつだから、加害者を意識の中から追いやろうとしてはいけない。警戒心の持続が良くなることもダメージを少なくする。危険は、苦痛よりも、それを忘れて気が抜けてしまうときにある。

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