市民意識を向上させよう

明治維新以降、欧米的な諸制度を整え、先進国の仲間入りをしました。社会制度の変革は、政府や一部の資本家らを、中心として進められました。そのような経緯から、有産者びいきで、一般市民の権利は重要視されない、現在の制度ができあがっています。海外から、日本に入ってくるものは、一部の人が得をするものに偏ってしまっています。封建主義の影響が色濃く残る日本に、強力な帝国主義的制度が導入されたため、アンバランスな社会が出来上がったのです。私たちの生活のいたるところに、その影響は及んでいます。例えば、教育はどうでしょうか。学校のカリキュラム、大学の講義が、一部の資本家らが得をするような、内容をたぶんに含んでいると感じられませんか。マスコミの報道についてもしかりです。こういった社会に、どっぷりつかっていると、人々はやがて、官僚や資産家のために行動し、さらには、権力者のために思考するだけの存在に陥ってしまうのです。資本力の差の大きさは仕方がないとしても、自由や私生活までが、彼らのために犠牲になっているのでは、ふさわしい社会ではありません。

日本では、司法制度までもが、市民の権利をないがしろにしていることが、指摘されています(参考・日本社会と法、渡辺洋三ほか著、岩波新書、1994年)。こういったなかで、私たちは、どうやって生き残っていけばよいのでしょうか。閣僚や一部の資本家たちによる支配から自立し、市民意識を向上させることが、とても重要だと考えています。欧米ゆかりの強力な制度の下では、釣り合いを取るため、弱い立場にある大衆も、パワーアップする必要があります。

一昔前まで、遊び道具のように扱われていたパソコンが、インターネット社会の到来によって、重要なコミュニケーションツールになりました。情報の民主化、市民の権利を守っていくための大きな手段になりえます。ほとんどすべての社会弱者を見捨てておきながら、部分的な話題を取り上げ、弱者救済をうたうマスコミ。使えない核兵器の報道ばかりして、コンパクトで高い破壊力のある、新兵器を隠している。完全に、官僚の道具化しています。知識豊富な、年配の人々に、まだ、インターネットが十分に行き渡っていないことは、非常に残念です。閉鎖的な日本の政府の閣僚や、既存メディアは、インターネットの浸透をけむたがっていて、社会経験豊富な人に、あまり使ってもらいたくないと感じていることは確かでしょう。そういった影響を受け、ネットのすばらしさを、理解しなしくないる人がいるようです。

情報の自由化という問題に取り組んでいる、もっとも著名な人物としては、言語学者のチョムスキーの名前が挙げられます。Z Magazine への取り組みは、非常に有名です。日本のインターネットの、情報の質は、全然足りません。力のある人は、ぜひ、こういった分野に取り組んでみたらよいのではないでしょうか。

21世紀初頭の現在において、前世紀に対して、特に、二度の大戦が起きたことや、戦後の経済成長のなかでの、多くの切捨てについて、反省する点は数多くあります。新しい世紀は、今までの社会とは、まったく違った様子になると考えています。その変容が、人々に悲しみや差別をもたらすものではなく、人間性豊かな、自由に富んだ社会の姿であること。人々の可能性が、最大限に生かされる世界であることを、願ってやみません。

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